第2話 ともしびの灯る場所
二週間後、の土曜日の朝。私は再びあのステンドグラスが付いた例の扉の前に立った。今回も同様にドアノブに手をかけると「ちりん」と涼やかな音が鳴る。この音は一体なんなの?と思いながらもドアを開いた。
ドアの向こうは、やっぱりあの不思議な場所だった。
「…って、ギャァ?!なになに?死んでる?!」
例のイケメンをさがして室内に入った途端、床にデロリと倒れている人を発見してしまった。驚いて思わず飛び退くと、死体らしきそれはゆっくりと片手を上げ、瀕死の声で何か言った。
「あ…あぁ…いらっしゃいませ…」
「ヒスイさん?!生きてる?!」
私が呼びかけると、彼はプルプルしながらゆっっっくりと顔だけこちらを向いた。
「お待ちして…おりましたぁ…」
「それは大変お待たせいたしました?!って、違うか!大丈夫ですか?!幽霊って倒れたりするの?あ、もしかして成仏するの?!」
慌てて駆け寄りながら矢継ぎ早に質問してしまった私を、薄っすら開けた目で見つめながら彼は儚げに微笑む。
「…あの、私は幽霊ではなくて…あの…」
「え?」
「………お腹、空いて……死…」
彼がガクリ…と事切れるように意識を手放し、脱力するもんだから、私は冷や汗をかきながら彼の体を揺さぶった。
「ちょっ…ヒスイさん?ヒスイさーーん?!」
『グォグルルルォォォグルグルゴァァァ…』
すると、私と彼の間に凄まじい音が鳴り響いた。まるで獣の唸り声の様な、地響きのようなそれはヒスイさんの腹部辺りから聞こえてくる。
…そう言えば、さっき「お腹空いて…」とか言ってなかったか、この人。
「…ヒスイさん、お腹空いてます?」
私がそう尋ねれば、気絶した筈の彼は両手でそっと自分の顔を覆いコクリと頷いた。
「人生初の手料理振る舞う相手が幽霊って…」
私はフフ…と乾いた笑いをこぼした。小さめの両手鍋に2リットルのペットボトルから水をドボドボと入れる。
この水は実家近くの無料で開放している水汲み場の水だ。山から湧いた清水を引いていて、わざわざ遠い所から毎日5、6個タンクを持って汲みに来る人もいる。我が家では米を炊く時や汁物はこの水を使う。
なので私も昨日アパート用に汲んできたのだ。と、言うのもここで生活するために一週間くらい前から着々と引っ越しを進めていた。
今日は新居での最初の日!そう思って挨拶に行ってみたらこうだ。笑える。
「まぁ、幽霊でもイケメンには違いないし」
私の吹けば消し飛ぶ程度の『浮いた話』の一つくらいにはなろうて。
そんな事を考えながら、鍋を火にかける。みそ汁用ともう一つ。こっちは実家から持ってきた青菜を茹でる用なので水道水でよし。茹でる方には塩ひとつまみを忘れずに。
「ん〜…みそ汁の具は何がいいかな…」
とりあえず乾燥ワカメと玉ねぎでも入れとくか…と水を張ったボウルにワカメを適当に入れてふやかす。
冷蔵庫から、昨日の夜に使った残りの玉ねぎ(半分)と卵を3つ取り出した。だしパックを鍋に入れ、青菜も同時に茹で始める。それの様子を見ながら玉ねぎを適当にスライスして、ついでにワカメの水を切っておく。
青菜用のザルとボウルを用意しつつ、出汁が出た頃合いでだしパックを引き上げて、卵焼き用に少し別のボウルに分ける。
具材を投入して、入れ替わりに青菜の鍋を火から下ろし、湯を切る。ここで間髪入れずに冷水で締めるのがポイントだ。こうする事で発色(?)がよくなる。
しっかりと冷ましたら水気を絞って切り、ザクザクと一口大程度に切って皿に盛り付けて、だし醤油をチョロっとかければ『旬の青菜のお浸し』が完成する。
お次は朝ごはんの定番『だし巻き卵』だ。私は卵焼き用の四角いフライパンを取り出し、コンロに置いた。卵を割って解きほぐした中に塩ひとつまみと隠し味に昆布茶少々、取っておいた出汁を入れてよく撹拌し、フライパンに油をひいて火にかける。
卵液は何回かに分けて投入して、折り畳んで重なるように焼くとキレイな層になる。少し根気がいるけど落ち着いて…かつ火を入れ過ぎないのがポイントだ。焼き上がったら等分に切って完成…だけど…
「…ウインナーも焼いちゃえ!」
追加でウインナーを空いたフライパンに放り込んだ。欲望に負けたんじゃない、バランスを考えたのだよ。
そうして、みそ汁に味噌を溶き入れて味見をしていると、自分の朝ごはん用にと、前もってスイッチを入れておいた炊飯器から炊き上がりの音が鳴った。
「みそ汁も出来たし、ご飯は…」
私は出来上がった料理を見てはた、と止まった。(幽霊は…食器使えるのか?)
そもそもここにはお客さん用の食器はまだない。…となれば『おにぎり』にしたほうが無難かもしれない。具材もないので塩おにぎりになってしまうが…まぁ、炊き立てのご飯だからヨシ!!
私は炊飯器から釜を取り出し、掃除用に持ってきていた100均の使い捨て手袋(新品)を装備し気合を入れる。釜を覗き込むと、白い湯気の奥の艶めいたピカピカのご飯が眩しい。美味しそうだ。めっちゃ熱そうだけど…(ゴクリ…)
「いざ…!」
例の扉を開けて中を覗くと、ヒスイさんはなんとか起き上がったのか、奥のテーブルに突っ伏して溶けていた。そんなにお腹が空いているのか…何だか可笑しい。
私はひとまず、おにぎりとおかずの皿を両手に持って彼の溶けているテーブルへと向かった。
「お待たせしま…」
と言いかけた時、匂いに反応したのか突然ヒスイさんがガバっとものすごい勢いで起き上がった。
流れるように匂いを辿り、こちらを向く。この間およそ1秒…は言い過ぎだけど体感そのくらい。
「うぉっ?!」
私はさっきまでデロデロになっていた人が突然起き上がった為、驚いてビクリと肩を揺らした。
「ハァッ?!そ…それは…!!」
彼の視線が私の手にある皿に集中した。ちょっと前まで死人の様な目だったのに、今やキラッキラしている。
(めっちゃお腹空いてたんだね…)
私は彼の前に両手に持っていた皿を置いた。
「あ、待って。まだ食べないでね」
「え…?」
ガーン!みたいな表情で私を見るな!とツッコミたくなるのを堪えて、来た道を戻る。扉の近くに置いておいたみそ汁の鍋とその他一式を持って彼のもとへ向かった。
お椀にみそ汁を注ぎ、彼の前に出す。これで全部揃った。私は少しだけ達成感を感じながら、彼に促した。
「…さぁ、どうぞ。簡単な物で悪いけど…あ、おにぎりは手掴みで大丈夫なんで…」
「………っ」
ヒスイさんは目の前に出来上がった朝食をジッと見つめ、何やら言葉に詰まっているように打ち震えていた。え、ヤバい。失敗した?
「あ…あの…、なんかお気に召さなかった、です?」
じゃあ下げますね~と、伸ばした手を突然ガッと掴まれた。「ヒェッ」と変な声が出る。
「な…ななな…?!」
「…しい」
「え?」
「素晴らしい…!なんて美しい…この色彩!光を放つかの様に輝く純白のオコメっ、ふっくらとした黄色い『何か』、あぁっこの鮮やかな緑色の一品も彩りがいい…!それにこれは腸詰…ですか?焼き色が何とも食欲を掻き立てます!」
「…ん?」
「それにこの汁物は…あぁ…温かい!何ともかぐわしい香りがします…!とても…とても美味しそうです!!…これを、頂いてもいいんですか?!」
「ど、どうぞ…」
急に激しく語りだしたと思ったら、目をギラギラさせて「食べていいか」と聞かれ、私は若干戦慄しながらも頷いた。私の返事をしっかりと聞いた彼は、神に祈るかのように厳かに合掌し「いただきます」と唱えた。
箸の代わりに添えたフォークを持ち、先ずはみそ汁を一口。口にした瞬間、カッと目を見開く。
「ッ…?!」
そこからはもう、止まらなかった。あまりの勢いに私がポカーンと立ち尽くしている内に、ヒスイさんは一瞬で三分の二程平らげてしまった。
(普通に食べるなぁ…この人、本当に幽霊なの?)
私がそんな事を思っていると、ヒスイさんはハッと我に返ったかのように食べる手を止めた。
三つ目のおにぎりを両手に持ち、おもむろに一口齧り、噛みしめるように咀嚼して…
「う…ぅぅ……」
急に泣き出した。突然の事に、私は思わず二度見してしまった。
(えぇ~?!な…泣いた!ど、どうすればいいのコレ?!)
オロオロと狼狽える私をよそに、彼は涙声でポツリと呟いた。
「不思議です、なぜ私は…この感情はいったい…」
ポロポロと涙が零れ、テーブルに落ちる。
「大丈夫ですか?あの、口に合わなかったら無理に食べなくても…」
「いいえ!違います!そうではなくて…レイジ様の作られるお料理と…同じ味がするんです!とても、美味しいです…!またあの味を口にできるなんて…苦しいような、温かいような不思議な感じで」
その言葉に私は、ハッとすると同時に妙に納得もした。それはそうだ。私は叔父さんの料理の味で育ったもの。私の味付けの先生は叔父さんだ。
私は涙を拭くことも忘れ、泣きながらおにぎりを食べる彼にそっと手を伸ばし、ハンカチでその涙を拭いてあげた。
「この感情は…はじめてで…すみません」
ヒスイさんは瞼を伏せて不思議な事を言う。
初めてってどういう事だろう。私は彼が言っていた事を思い出し、それに近い感情について考えた。
「…それはたぶん『懐かしい』ってやつだと思います」
「懐かしい…?」
「…私の料理で良ければ、また作りますから」
「!」
するとヒスイさんは残りのおにぎりを一口に食べ、みそ汁をぐいっとあおり急いで飲み込んだ。そして、私の手を両手でギュッと掴む。
「貴女のお名前をお聞かせください」
真剣な瞳で見つめられ、私は狼狽える。深緑の瞳が、窓から差し込む光を受けてエメラルドみたいだ。
「あ、灯莉です…五十嵐灯莉…」
「アカリ」
殊更嬉しそうに、瞳を潤ませて微笑む。とんでもない破壊力だ。イケメンの過剰摂取で気が遠くなる。いかんいかん、平静を保て私…
「共に『お食事処ともしび』を再開しましょう!」
「…!」
正直『来た』と思った。
私は、深呼吸をひとつして彼に向き直る。それの答えは用意してきたつもりだ。
(叔父さんにも頼まれたしね)
「不束者ですが、よろしくお願いいたします」
頭を下げてそう答えると、ヒスイさんはまた美しい微笑みを顔いっぱいに浮かべる。
「ここは貴女の世界とは異なる世界ですので、何かとご不便があるかと思いますが、私が誠心誠意バッチリサポートしますのでご安心くださいね!」
「…ん?」
「え?」
今、サラッと聞き捨てならない単語が通過した様な…?私は恐る恐るヒスイさんに尋ねる。
「こ、異なる世界…?」
「ええ、レイジ様も驚いておられました。『異世界に繋がってるとかやべぇーww』と。ちなみにここは『グリューフェル王国』の『グリュクスタット』という街です」
イヤ、wwじゃねぇんだわ?
私はおもむろに立ち上がると、店側の出入り口の扉を開けた。ドアベルを鳴らし、店の外に一歩踏み出してみる。
目の前に広がる景色は、都会でも田舎でもない。石造りの煉瓦の壁、細く入り組んだ路地、家々の間から見える、遠くの景色には海外にあるような洋風な城が。路地の先は大通りなのか、コスプレの様な衣装の人達が普通に歩いていく。
振り返ると、煉瓦と漆喰造りのレトロな外観の建物に、ドアの横には木の看板に『お食事処ともしび』の文字。看板の横には真鍮製のランタンがひとつ。
「い…異世界…」
私は店を見上げて呆然と呟いた。
「異世界に繋がってるとか…やべぇ…」
第3話は9月26日、8時20分更新です




