第1話 物置きの扉は異世界に繋がっていました
「いつか、お前が夢を諦めなかったその時は…俺の店をお前にやるよ」
そう言って笑っていた怜史叔父さんが死んだ。私にとって叔父さんは兄であり、父であり、母であり、尊敬する人だった。
私には父親がいない。いわゆるシングルマザーの母は、私が小学校に上がる前に父と離婚して、実家のある新潟県の山間の田舎町に出戻った。
実家住みとは言え、祖父母も私が小学校高学年になる頃には他界したので、家には母と私と、母の弟の怜史叔父さんの3人が暮らしていた。
母は私が高校を卒業するまで、女手一つで稼ぎを得るために、それはもうすごく働いた。殆ど家にいなかった。その代わりに家の事をしてくれていたのが『自称料理人』の叔父さんだった。
だから、私の『おふくろの味』は叔父さんの料理なんだ。
「五十嵐灯莉さん。怜史さんの遺言に基づき、あなたに遺贈される財産があります」
「…は?」
葬儀を終え、諸々の後片付けに追われる私に司法書士の先生は言った。
「いぞう?」
「特定の人物や団体に財産を無償で贈る事です」
「私に?」
「えぇ、そう指定されてるので」
「何を?」
アホ全開のポカーン顔で、全てに聞き返す私はさぞかしイラッとしたでしょう。司法書士大先生はんん"っと咳払いをして、鍵と一通の封筒を差し出した。
「私も手紙の中身は知りません。ただ、この物件の所有権をあなたに、ということです」
てな訳で、
最寄り駅から徒歩約15分強。お世辞にも『駅チカ』とは言いづらい住宅街の一角。周りにはチラホラ新築の家が散見されるが、殆どが年季の入った住宅ばかりの中、こちらも中々にイイ味出してる2階建てのアパート(駐車場付き)の、205号室の扉の前に私はいた。
(…角部屋じゃん)
渡された鍵をドアノブに挿し込んで回すと、静かに『カチリ』と鍵が外れる音と振動がした。
「…お、お邪魔しま~す…」
私は恐る恐るドアを開けて、中に足を踏み入れた。
家の中は恐ろしい程片付いていた。叔父さんは病気で最期は入院したままだと聞いたが、もしかして誰かが部屋を掃除したりしてたのかな?一人暮らしの男性の部屋とは思えない位スッキリとしている。
空気を入れ替えるために、そこら中の窓や扉を開けていて気付いた。
異様に調理器具が揃っている。確かに、叔父さんは『自称料理人』だったから、その位揃っていてもおかしくは無い。おかしくは無い…けど、なんかどれもこれも容量がデカい。
店の厨房か?ってくらいの寸胴鍋やボウル、一升炊き出来る炊飯器、オーブン機能付きのちょっといいレンジ…単身者のキッチンにはいささか不釣り合いな調理器具がズラリと並んでいる。
(なんだ?店でもやってたの?…この部屋で?)
まさかと思って部屋を見渡すが、それらしい家具は見当たらない。普通の部屋だ。
(…まぁ、いいか…)
考えても仕方ないとスルーして後ろを振り返った視線の先にキラリ、と青色が煌めいた。
トイレとリビングの間に木製の扉が1枚。扉の上部にステンドグラスの飾り窓が嵌め込まれていて、そこだけ不思議な雰囲気を醸し出している。
開けた窓から入り込んだ陽の光を受けて、夜空の青色と月の黄色のカテドラルがキラキラと美しかった。
「うわぁ!え、ここなんだろう?物置きかな…」
好奇心のままにドアノブに手をかける。すると、「ちりん…」と涼やかな音が鳴った。見るとドアノブに小さな薄緑色の石を麻ひもで編んだ様なストラップが結び付けられていた。
(なんだコレ?)
が、特に気にもせずドアを開く。ドアは見た目の割にギィと重たい音を立てた。
「…おかえりなさいませ、我が主」
人がいた。深く下げられた頭は、白とも緑ともつかない不思議な色合いをしている。
「へっ…?!」
一歩、後ずさる。だって、まさかそんな所に人が入ってるとか思わないでしょ?
ゆっくりとその人は顔を上げた。スラリとした長身で、整った顔立ちの男性は深い緑色の瞳を緩やかに細め微笑んでいる。
「ーーーーーッでっ…出ーーー?!??」
バターン!!
と、凄まじい音を立てて思いっ切り扉を閉じた。
なりふり構わず、転げるようにその場から逃げ出す。裸足で玄関の外まで転がり出た所で、へなへなと座り込んで、無意識に止めていた息をぶはぁと吐いた。
(おっ…オバケいた?!イケメンの幽霊が居たんだけどーー!?!!)
「あ"っ!待って…カバン!窓も開けっ放し!」
裸足のまま、外に転がり出たはいいものの、所持品は部屋に置いたままだし、その部屋の窓は開けっ放しだった事に気付く。さすがにこのままでは帰れない。
私は何度か躊躇ったが、意を決してもう一度部屋に入ることにした。
できるだけ物音を立てないように慎重に廊下を歩き、まずはカバンを回収した。それから素早く窓を閉めてまわる。その間もチラチラとさっきの扉を見張ってみたが、特に何も起きなかった。少しだけホッと胸を撫で下ろす。
「…もう今日は帰ろう」
そう思って、再びあの扉の前を通り過ぎた…筈だった。
「ちりん…」
と、また涼やかな音が鳴る。その音を聴くと、不思議と足が止まった。
(…さっきの幽霊、まだそこにいるのかな…)
美形は何回見てもいいものだ。たとえ、幽霊でも。私は、気付いたら吸い寄せられるようにドアノブを回していた。
ドアはさっきよりも簡単に開いた。恐る恐るその先を覗き込むが、あの幽霊はそこにはいなかった。そして、その扉の向こうは物置きではなく、不思議な事に別の空間に繋がっていた。
薄暗くてよく見えないが、一枚板のカウンターの奥には窓やテーブルが見えた。カウンターのこちら側は流しやコンロ、冷蔵庫の様な物が見える。
「…もしかして、お店?」
「えぇ。ここは『お食事処ともしび』という飲食店…でした」
「!!」
突然聞こえた声にドキリと心臓が跳ねる。ハッとして声の方を見ると、薄暗い物陰からオレンジ色の光を放つランプを持った彼が現れた。
「あ…!」
急いでドアを閉めようとすると、いつの間にか距離を詰められ、彼は私の腕を掴んだ。美しい顔が眼前に迫る。
「どうか逃げないでください。私は、もう一人で待つのは嫌です」
「ちょ…えぇ?!」
ランプの光と深い緑色の瞳が悲しげに揺れた。
「すみません、何もおもてなしできなくて…」
「いえ…あの、お構いなく…?」
何故か私はイケメンの幽霊(推定)と向かい合うようにテーブルに付いていた。
大 薄暗かった室内はいくつものランプの炎に照らされて明るく温かい光に包まれている。…確かにそう言われてみると、飲食店の内装に見える。しかも、木彫りの熊とか変な置物がある。…叔父さんの趣味だろうか。
「申し遅れました。私はこの店の管理を任されております、ヒスイと申します」
肩辺りまでの白緑の髪をひとつに結わえた深緑の瞳のイケメン、ヒスイさんは穏やかに微笑んだ。
右手を揃えて胸に当て、軽くお辞儀をする所作は優雅で、昔流行った韓流スターか執事喫茶位でしかお目にかかったことがない。何をしても様になる。これだからイケメンは困るのだ。けしからん、もっとやれ。
「あの扉から現れた…ということは、貴女は主…レイジ・イガラシの事をご存知でしょうか?」
「…五十嵐怜史は叔父です」
そう答えると、ヒスイさんはその深緑の瞳をハッと見開いた。
「そうですか…では、やはり貴女が…」
そしてフワリと慈しむ様に笑った。おもむろにテーブルに置いていた私の手を取り、手の甲に彼自身の唇を押し当てた。私は突然の出来事にフリーズする。
「貴女が新しい主ですね」
ー…❇❇❇…❇…❇❇❇…ー
フラフラと覚束ない足取りで、実家の玄関を開けた。靴を適当に脱ぐと、リビングのソファに倒れ込む。…とてつもなく疲れた。
「おかえり。アンタ、怜史の部屋に行ってきたんでしょ?なんかあったの?」
母が洗濯物を畳みながら尋ねる。私はうつ伏せのまま顔だけ横を向く。
「汚部屋過ぎた?」
「ううん…きれいだった」
「あらそう。で、どうするの?あの部屋」
「うん…」
(家主に返す…はしない方がいいんだろうなぁ)
脳裏に彼の微笑んだ顔が浮かんだ。
(…叔父さん、彼の事も内緒にしてたのかな…)
私はカバンに無造作に手を突っ込み、中から一通の封筒を取り出した。『灯莉へ』と宛名が書かれた封筒には一枚の便せんが入っている。これは、司法書士の先生から鍵と一緒に渡された叔父さんからの最後の手紙。便せんには男の人の割にしなやかな文字で、短い文章が綴ってあった。
『約束を覚えているか?』
『ともしびはお前に任せる。後はヨロシク』
最初見た時はなんだコレ?と思ったが、今日部屋に行って『コレのことか』と合点がいった。こんな約束の果たし方ってある?とあまりの超展開に正直脳が付いていかなかった。
(覚えてるよ、叔父さん)
私は仰向けに寝返りを打って、はぁ~と深く息を吐いた。
「ねぇお母さん…ちょっと相談なんだけどさ…」




