第8話 私の人生を返してください
第8話 私の人生を返してください
夜明け前、クラリスは宮殿の中庭へ出た。空にはまだ白い月が残り、砂漠百合の厚い花弁には小さな露がついている。彼女は濃紺の長衣の上から灰色の肩掛けを羽織り、昨日もらったアカシアの苗へ、銀杯半分の水をゆっくり与えた。
土が水を吸い込む間、クラリスはしゃがんだまま動かなかった。あと数時間で、両親とロザリー、セドリックに会わなければならない。彼らの姿を思い浮かべると、銀杯を握る指が冷え、昨日の祝典で疲れた足が石床へ張りついた。
灰色の猫が中庭を横切り、クラリスの裾へ鼻を押しつけた。猫は水をもらえると思ったらしく、空になった銀杯を前足で叩く。クラリスが噴水から水を汲んで別の皿へ入れると、猫は喉を鳴らして飲み始めた。
「あなたは、いつもと同じですね」
猫は顔を上げず、水を舐め続けた。家族が来ても、麦が実っても、猫にとって必要なのは朝の水と食事だった。クラリスは膝についた砂を払い、食堂へ向かった。
朝食の卓には、焼いた平パン、香草入りの卵、羊乳の乳酪、薄く切った林檎が並んでいた。ザイードはすでに席へ着き、濃い珈琲を飲みながら面会の警備報告を読んでいる。クラリスを見ると書類を閉じ、向かい側の椅子を引いた。
「眠れたか?」
「三度、目が覚めました。でも、朝まで寝台にいました」
「それなら十分とは言えないが、前よりはよい」
ザイードは林檎を一切れ食べた。皮をむかずに食べるため、赤い皮の一部が歯へ挟まり、舌で取ろうとしている。クラリスは見ないふりをしながら、平パンへ乳酪を塗った。
「食欲がありません」
「それでも少しは食べた方がよい。面会の途中で倒れれば、彼らは自分たちの言葉が正しいからだと言うだろう」
「それは困ります」
クラリスは平パンを半分に折り、一口ずつ食べた。香草入りの卵には、細かな玉葱と黄色い香辛料が入っている。味が分からないほど緊張していたが、温かい茶を飲むうちに、喉の詰まりは少しずつ取れた。
「殿下。昨日のお約束を、覚えていらっしゃいますか」
「君が求めないかぎり、私は代わりに答えない」
「はい。父が何を言っても、母が泣いても、セドリックが触れようとしても、まず私に話させてください」
「承知した。ただし、君や同席者へ危害を加えようとした場合は止める」
ザイードは報告書の余白へ、その条件を書き加えた。重要なことを口約束だけで終わらせず、紙に残すのが彼の癖だった。クラリスはそれを見て、平パンの残りも口へ運んだ。
同じ頃、ベルフォード家の四人は安宿を出て、再び宮殿へ向かっていた。昨夜は狭い寝台を母とロザリーが使い、伯爵とセドリックは床で眠ったため、男二人の上着には敷物の毛がついている。宿の朝食は料金に含まれておらず、四人は残っていた砂糖菓子を一つずつ分けただけだった。
ロザリーは青いドレスのしわを水で伸ばし、茉莉花の香水をたっぷり吹きかけていた。洗面所に湯がなかったと文句を言い、髪を整えられなかったのは宿の責任だと言い張る。母も昨日と同じ毛皮の肩掛けを使っており、汗と香油の匂いが布に残っていた。
宮殿の門へ着くと、衛兵が面会時刻まで待つよう告げた。しかし伯爵は、娘がすでに起きているなら待つ理由はないと言い、開きかけた通用門へ足を入れる。衛兵が制止すると、その腕を押しのけようとした。
「私は妃の父親だぞ。娘の家へ入るのに、なぜ許可が必要なのだ!」
「許可証が発行されるまで、お待ちください」
「平民の兵士が伯爵へ命令するな!」
伯爵が衛兵の胸元をつかんだため、二人の衛兵がその腕を取り押さえた。セドリックは腰の剣へ手をかけ、ロザリーは門の隙間から中へ入ろうとする。母まで衛兵の頬を扇で打ったことで、四人は宮殿警備妨害の現行犯として一時的に拘束された。
連れていかれたのは地下牢ではなく、門衛棟の待機室だった。窓と椅子があり、水も出されたが、扉の外には衛兵が立っている。朝食を取っていなかったロザリーは、水だけでは気分が悪くなると言い、焼き菓子を持ってくるよう要求した。
「拘束した客人へ菓子も出さないなんて、野蛮な国ね」
「お嬢様、私たちは客人ではなく、今は被拘束者だそうです」
母が小声でたしなめると、ロザリーは椅子の背へもたれた。壁には装飾がなく、掃除道具と衛兵たちの雨具が掛けられている。隅の机には夜勤の衛兵が残した豆入りの平パンがあり、乾きかけていたが、四人とも何度も目を向けた。
予定していた面会時刻になると、外交官のサミーラが待機室へ現れた。深緑の正装を身につけ、書類鞄を左手に持っている。彼女は四人へ、面会中の規則が書かれた文書を示した。
「クラリス様は、皆様との面会に応じます。ただし、相手へ触れること、大声で威嚇すること、許可なく席を立つことを禁じます」
「娘と話すのに、他人の許可はいらない」
「ここはベルフォード家ではございません。規則を守れない場合、面会は中止いたします」
サミーラは四人が署名するまで、部屋から出さなかった。伯爵は最後まで拒んだが、このままではクラリスへ会えないと知り、乱暴な字で名前を書く。ロザリーは爪についた青い染料を気にしながら、書面の内容も読まずに署名した。
公式面会室には、大きな長卓と十二脚の椅子が用意されていた。窓辺には淡い黄色の砂漠菊が飾られ、卓の中央には水差しと小さな焼き菓子が置かれている。甘い棗椰子の匂いがしたが、四人が席へ着いても、誰も菓子へ手を伸ばさなかった。
先に入室していたのは、クラリスの弁護士と会計監査人だった。白髪交じりの女性弁護士は濃い赤の上着を着て、書類鞄の隙間から編みかけの靴下をのぞかせている。監査人は三つの眼鏡を卓へ並べ、帳簿を見るための丸い眼鏡を布で磨いていた。
扉が開き、クラリスとザイードが入ってきた。クラリスは深緑の長衣を着ていたが、昨日の式典用とは違い、袖にも裾にも金糸は使われていない。胸元には小さな白い石を一つだけ飾り、髪は後ろで静かにまとめていた。
ザイードは王族の正装ではなく、濃紺の上着を身につけていた。彼はクラリスの前を歩かず、同じ速さで長卓まで進む。クラリスが中央の椅子へ座ると、その右隣へ腰を下ろした。
「クラリス!」
母が席を立ちかけ、衛兵に止められた。娘の顔を見た途端、母は目元へ布を当てる。涙は出ていなかったが、家族を心配して眠れなかった母親の顔を作ろうとしていた。
「やっと会えたわ。あなたがこんな恐ろしい人たちに閉じ込められていると思うと、母は胸が潰れそうでした」
「私は閉じ込められておりません。昨日も、ここへ残るかどうかをザイード殿下から確認されました」
「脅されて、そう言わされているのでしょう?」
「いいえ」
クラリスは短く答え、膝の上に置いた両手を開いた。以前なら、母の声が震えただけで言葉を引っ込めていた。今日は卓上の砂漠菊を一度見てから、母の顔へ視線を戻した。
ロザリーはクラリスの答えを聞いていなかった。姉の長衣と胸元の白い石を値踏みし、ザイードの袖に使われた織物まで目で追っている。やがて彼女は立ち上がり、持参した扇を広げた。
「お姉様、その白い宝石は何? 昨日つけていた衣装はどこにあるの?」
「この石は、試験農場の収穫記念にいただいたものです。昨日の衣装は職人へ返しました。刺繍の一部を直していただく予定です」
「返したですって? せっかく王族の衣装を着られるのに、何を考えているのよ」
「借りたものですから、必要な手入れをしていただきます」
ロザリーは姉が豪華な衣装へ執着していないことを理解できなかった。自分なら毎日違う宝石を身につけ、姉より多くの人から褒められる。彼女はザイードへ笑顔を向け、香水の匂いが届くよう髪をかき上げた。
「ザイード殿下。お姉様は昔から、華やかなものが似合わないのです。正妃の地位も、きっと重荷になっておりますわ」
ザイードは返事をしなかった。クラリスと交わした約束どおり、彼女の代わりに話さない。ロザリーは沈黙を自分への関心だと受け取り、さらに身を乗り出した。
「その宝石も、深緑の衣装も、お姉様には似合いません。わたくしなら、もっと美しく着こなせます。ザイード殿下だって、わたくしを見れば考え直すはずですわ」
「何を考え直すのでしょう」
クラリスが尋ねると、ロザリーは笑った。姉が分からないふりをしていると思い、胸元の青い星石へ手を添える。それは今も祖母の形見であり、クラリスが返還を求めている品だった。
「正妃にする女性のことよ。お姉様より、わたくしの方が王子様の隣にふさわしいでしょう? セドリック様だって、最後にはわたくしを選んだもの」
「あなたは、私の婚約者を奪ったから、自分の価値が高いと思っているのですね」
「奪ったのではないわ。選ばれたのよ」
「では、セドリック様を大切になさってください。ザイード殿下は、あなたへ差し上げる品ではありません」
ロザリーの頬が赤くなった。反論しようと口を開いたが、その前にセドリックが椅子を蹴るように立ち上がる。彼は長卓を回り込み、クラリスへ手を伸ばした。
「こんな茶番はやめろ、クラリス。迎えに来てやったのだから、今すぐ帰国するぞ」
衛兵が動こうとしたが、ザイードは片手を上げて止めた。クラリスは伸ばされた手を見ても、椅子から立たない。セドリックの指には香油がつき、爪の間には黒い汚れが残っていた。
「私は帰りません」
「意地を張るな。お前はこの国のために泥だらけで働かされているだけだろう。砂漠の男に利用されているのだ」
セドリックは昨日の式典で、クラリスが土のついた作業手袋を持っていたことを思い出していた。ベルフォード家で働かせていたことは当然だと思ったのに、ナジュム王国で働く姿だけは利用されていると決めつける。彼はもう一歩近づき、クラリスの肩へ触れようとした。
「俺なら、お前を正妻に戻してやる。ロザリーは愛人として置けばよい。以前のように帳簿を管理し、私の事業を手伝え」
「セドリック様!」
ロザリーが甲高い声を上げた。母は妹をなだめようとしたが、ロザリーは祖母の星石を握り、セドリックへ扇を投げつける。扇は長卓へ当たり、焼き菓子の皿を倒した。
「わたくしとの婚約はどうなるの!」
「今は家を立て直すことが先だ。クラリスが戻れば、香水事業も借金もどうにかできる」
「姉を妻にして、わたくしを愛人にするというの?」
「お前が帳簿を読めないからだろう!」
二人が言い争う間、クラリスは動かなかった。床へ落ちた焼き菓子が一つ割れ、中に詰められていた棗椰子の実が見えている。ベルフォード家にいた頃なら、料理を無駄にしないために拾っていただろう。
女性弁護士は、セドリックが規則を破って接近した時刻を記録した。サミーラはロザリーが投げた扇を証拠品として拾い、折れた骨組みを布で包む。衛兵たちは、クラリスの指示を待っていた。
「席へ戻ってください」
クラリスが言うと、セドリックは動きを止めた。大声ではなかったが、面会室にいた全員へ届いた。彼は今まで一度も聞いたことのないものを見るように、クラリスの顔を見た。
「私に命令するのか?」
「この面会を続けたいのであれば、席へ戻ってください。従わない場合は退室していただきます」
「昔は、俺が立てと言えば立った。座れと言えば座っただろう」
「昔の私を使うことは、もうできません」
セドリックはザイードを見た。王子がクラリスに言わせているのだと非難しようとしたが、ザイードは椅子へ座ったまま口を開かない。結局、衛兵に両側から促され、セドリックは元の席へ戻った。
クラリスは弁護士へ合図した。隣室から書記官が五冊の帳簿を運び、長卓へ一冊ずつ並べる。紺色、茶色、灰色、深緑、黒の表紙には、クラリス自身が分類した年代と内容が記されていた。
「これは、私が十年間記録してきたベルフォード家の帳簿です」
伯爵の顔が強張った。クラリスは一冊目を開き、祖母から相続した財産の目録を示した。農地、金貨、青い星石、真珠、銀食器まで、それぞれの価値と保管場所が記されている。
「これらは、祖母が私個人へ遺した財産です。しかし、お父様とお母様は、私の同意を得ずに処分しました」
「未成年の娘の財産を親が管理するのは当然だ」
「私が成人したあとも返還されておりません。青い星石は、今もロザリーが身につけています」
全員の視線がロザリーの胸元へ集まった。彼女は反射的に石を手で隠す。クラリスが返すよう求めると、母からもらったものだから自分の所有物だと言い張った。
「お母様には、それを譲る権利がありません」
「家族の宝石でしょう。姉から妹へ渡しただけではありませんか」
「家族のものではなく、私のものです」
クラリスは二冊目を開いた。そこには彼女が担当した契約交渉、領地管理、会計、税務、使用人の給与計算が、一日ごとに記されている。会計監査人は、同じ仕事を専門職へ依頼した場合の報酬額を読み上げた。
三冊目には、両親が水路修繕費と税金を舞踏会へ流用した記録があった。四冊目には、セドリックの香水事業による損失と、偽造された連帯保証契約がまとめられている。五冊目には、三通の脅迫状と、クラリスへ金貨千枚の送金を求めた証拠が収められていた。
「帳簿など、お前が勝手に書いたものだ!」
伯爵は一冊目を取り上げようとした。しかし、女性弁護士が別の書類をその上へ置く。銀行、商業組合、取引先、元使用人から集められた記録であり、帳簿の内容と日付も金額も一致していた。
「ベルフォード伯爵。これはクラリス様お一人の証言ではありません。あなたが署名した支払命令書、財産売却証書、銀行の入出金記録がございます」
「家族の金を、家族が使っただけだ」
「成人した娘の個人財産を無断で売却することは、家族間であっても違法です」
「親が娘を育てたのだぞ! その費用を返してもらって何が悪い!」
伯爵の声が室内へ響いた。窓辺の砂漠菊が風で揺れ、乾いた花弁が一枚、卓上へ落ちる。クラリスはそれを指で拾い、帳簿の横へ置いた。
「私は六歳から、お母様の衣装を整理しました。十歳から使用人の食事表を作り、十四歳から帳簿をつけました。十七歳以降は、領地の契約と税務を担当しています」
「長女なのだから当然だ」
「私が病気になっても、仕事は休ませていただけませんでした。熱がある日に数字を間違えたときは、夕食を抜かれました」
「しつけよ。あなたのためを思ってしたことです」
母はようやく涙を流した。布で目元を押さえ、クラリスが幼い頃から扱いにくい子どもだったと訴える。ロザリーは母の肩へ手を添え、姉が家族を悪者にしていると責めた。
「家族の間で、細かいお金の計算をするなんておかしいわ。わたくしなら、両親に宝石を使われても訴えたりしないもの」
「それは、あなたが自分の働いたお金を奪われたことがないからです」
「お姉様のお金も、お父様がくださったのでしょう?」
「いいえ。祖母が遺したものと、私が働いて得るはずだったものです」
クラリスは長卓の下で、自分の膝へ手を置いた。手袋をしていない指には、農場で道具を使った小さな傷がある。それは家族に命じられてついた傷ではなく、自分で選んだ仕事の跡だった。
「家族だから奪ってよいのなら、私は家族を辞めます」
室内が静かになった。母は目元から布を外し、伯爵は口を開いたままクラリスを見た。ロザリーだけが、姉は怒っているだけだと思い、鼻で笑った。
「家族を辞めるなんて、できるわけがないでしょう」
「法的な親子関係は消せません。しかし、家族として暮らすこと、助け合うこと、財産を共有することは拒否できます」
クラリスは新しい書類を取り出した。ベルフォード家に対する代理権の永久取消通知、保証契約の拒否、財産返還請求、今後の接触制限が記されている。すべて本人の意思で決定したことを示すため、彼女はその場で署名した。
「あなた方が私へ支払わなかった報酬と、奪った財産は返していただきます。ただし、私からあなた方へお渡しするものは、一枚の金貨もありません」
「それでは、私たちはどうやって暮らすの!」
母が声を上げると、クラリスは母の手を見た。指には宝石のついた指輪が三つあり、袖口には真珠が縫いつけられている。旅費がないと言いながら、売らずに持ってきた装飾品だった。
「働いてください。あるいは、残っている財産を売り、収入に合った暮らしをしてください」
「伯爵夫妻に働けと言うのか!」
「私には、六歳から働かせました」
伯爵は返す言葉を失った。セドリックは椅子から身を乗り出し、クラリスがいなければベルフォード家だけでなく、オルブライト家まで損害を受けると訴える。香水事業の失敗をクラリスが補填しなければ、両家の婚姻も成立しないという。
「それは、私の契約ではありません」
「お前が取引書類を読んでいれば、こんなことにはならなかった!」
「私はその場にいませんでした。私が署名した契約でもありません」
「だから戻って、責任を取れと言っている!」
「あなたが読めない言葉で契約し、数量を間違えたのです。私には、あなたの失敗を引き受ける責任はありません」
ロザリーは青い星石を外し、卓へ叩きつけた。石が硬い木へ当たり、澄んだ音を立てる。鎖が絡まり、星石は帳簿の上で止まった。
「こんなもの、返せばいいのでしょう! でも、セドリック様と正妃の地位は、わたくしに譲りなさい!」
「セドリック様との婚約は、あなたが望んだものです。最後までご自分でお決めください」
「正妃は?」
「ザイード殿下は、誰かへ譲る地位でも財産でもありません。私たちは、互いに知ろうとしているところです」
「殿下が本当にお姉様を愛していると思っているの? 地味で、泥ばかり触っているお姉様を?」
クラリスはザイードを見なかった。彼が答えてくれることを待たず、自分でロザリーへ向き直る。長卓の下で震えていた膝は、いつの間にか止まっていた。
「ザイード殿下が私をどう思っているかは、殿下がお決めになります。でも、私は私を地味だと思っておりません。泥に触れて働くことも、恥ずかしいとは思いません」
ザイードは隣で黙っていた。彼の指は椅子の肘掛けへ置かれ、クラリスへ触れていない。それでも、彼女が言葉を失ったときに支配するのではなく、話し終えるまで待っていることが伝わった。
女性弁護士は、返還期限と今後の手続きを説明した。期限は三十日後であり、全額を用意できない場合は、屋敷や美術品を含む財産目録を提出しなければならない。偽造契約についてはベルフォード王国の司法院が捜査を始めているため、セドリックには帰国後の出頭命令も出ていた。
「俺を犯罪者にするつもりか、クラリス!」
「私があなたを犯罪者にするのではありません。あなたが偽造した署名について、法律が判断します」
「昔の婚約者を牢へ入れて、平気なのか!」
「私の名前を使って金貨三千枚を借りようとしたとき、あなたは私がどうなるか考えましたか?」
セドリックは答えなかった。偽造契約が成立すれば、クラリスの財産が差し押さえられることは理解していた。それでも、砂漠で暮らす第十夫人の財産なら、自分が使っても困らないと思っていた。
面会は一時間で終了した。サミーラが立ち上がり、四人へ退室を告げる。伯爵は最後に、今ここで金を払えばすべて許してやると言った。
「許していただく必要はありません」
クラリスは青い星石を手に取った。祖母が使っていた頃にはなかった細かな傷が表面へついている。彼女は石を胸元へ戻さず、証拠として保管するよう弁護士へ渡した。
母は退室しながら、後悔しても遅いと繰り返した。ロザリーは正妃にふさわしいのは自分だと叫び、セドリックはクラリスが必ず戻ってくると言い張る。伯爵は使用人へ荷物を運ばせようとしたが、四人の鞄は自分たちで持つよう告げられた。
扉が閉まると、クラリスは椅子の背へもたれた。卓上には倒れた菓子皿と、誰も飲まなかった水が残っている。窓から入った風で砂漠菊の花弁がもう一枚落ち、五冊目の帳簿へ乗った。
「終わりました」
クラリスが言うと、ザイードは初めて彼女の方へ体を向けた。それでも、よく頑張ったとも、もう忘れろとも言わない。彼は水差しから新しい水を注ぎ、クラリスへ渡した。
「君自身の言葉で、終わらせた」
クラリスは水を一口飲んだ。喉が渇いていたことに、そこで初めて気づく。水には薄く檸檬が入っており、家族の衣服から漂っていた香水の匂いを口の中から洗い流した。
昼食には、面会室で落ちたものとは別の焼き菓子と、野菜を多く入れた温かいスープが用意された。クラリスはザイード、サミーラ、弁護士、監査人と同じ卓へ座る。女性弁護士は鞄から編みかけの赤い靴下を出し、一段だけ編んでから食事を始めた。
「孫の冬支度です。予定より足が大きくなり、最初から編み直しております」
「ほどいてしまうのですか?」
「ええ。合わない形のまま完成させても、履けませんから」
女性弁護士は赤い毛糸を指へかけ、編み直した部分を見せた。クラリスはその靴下を眺めたあと、自分の人生も形が合わないまま完成させる必要はなかったのだと思った。ほどいた年月は戻らなくても、残った糸で別の形を作ることはできる。
食後、クラリスは五冊の帳簿を自分の居室へ持ち帰らなかった。外務院の証拠保管室へ預け、鍵がかけられるところまで見届ける。これからは、毎晩あの帳簿を開いて、家族の損失を埋め合わせる方法を考えなくてもよかった。
中庭へ戻ると、朝に水を与えたアカシアの苗が、昼の風に細い葉を揺らしていた。土の表面は乾いていたが、指を差し込むと中には湿り気が残っている。クラリスは追加の水を与えず、鉢を少しだけ日陰へ動かした。
ザイードが隣へ立った。彼は何も命じず、クラリスが苗を見終わるのを待つ。クラリスは立ち上がり、今度は自分から彼の手を取った。
「私の家族は、私がいなければ生きていけないと言っていました」
「そう言えば、君が戻ると思ったのだろう」
「でも、生きていけないのではありません。自分たちで生きようとしなかっただけです」
「そのとおりだ」
「私は、ここで生きたいです。ただし、あなたの後ろではなく、隣で」
ザイードはクラリスの手を強く引かなかった。彼女が離そうと思えば、いつでも離せる程度に指を重ねる。二人は並んで、試験農場へ続く中庭の道を歩き始めた。
門の外では、ベルフォード家の四人が帰国便の料金をどう用意するか言い争っていた。宮殿から馬車も旅費も出ないと知り、伯爵は娘の義務を叫び、母は家族を見捨てるのかと訴えている。その声は厚い石壁を越えず、クラリスのところまでは届かなかった。




