第7話 惨めな第十夫人を救いに来ました
第7話 惨めな第十夫人を救いに来ました
クラリスからの返書が届いた朝、ベルフォード伯爵家の食堂には、黒パンと薄い豆のスープしか用意されていなかった。窓の外では霜をかぶった赤い山茶花が咲き、葉の落ちた木の枝に雀が群がっている。暖炉には薪が三本しか入っておらず、母は毛皮の肩掛けを寝間着の上から巻きつけていた。
以前なら銀の食器が並んでいた卓には、欠けた陶器の皿が置かれている。伯爵は硬い黒パンをスープへ浸し、柔らかくなる前に噛んで歯を押さえた。ロザリーは香水瓶を並べた化粧台から食堂へ移したばかりで、朝から甘い茉莉花の香りをまとっていた。
「どうして肉がないの?」
「肉屋が、代金を支払うまで売らないと申しております」
台所を預かる女中は、赤くなった手を前掛けで拭いた。料理長が辞めてから、彼女が調理も配膳も一人で行っている。鍋の底には焦げた豆がこびりつき、厨房から苦い匂いが漂っていた。
「伯爵家に向かって、売らないですって?」
「先月分だけでなく、三か月分が未払いでございます」
「クラリスが帰ってくれば、すぐに払わせるわ。それまで待つように言いなさい」
母が命じると、女中は返事をせず一礼した。クラリスが戻る予定などないことは、屋敷の誰もが知っている。女中も今月の給金が支払われなければ、弟の営む食堂で働くつもりだった。
そのとき、玄関の扉が激しく閉まる音がした。セドリックが濡れた外套を使用人へ投げつけ、書類を握ったまま食堂へ入ってくる。朝から銀行と商業組合を回ったらしく、銀色の靴には泥が飛び、整えていた髪も霧雨で額へ張りついていた。
「どういうことですの、セドリック様。融資金は?」
「差し止められた」
セドリックは椅子を引き、冷めた豆のスープを一口飲んだ。味の薄さに顔をしかめ、匙を音を立てて皿へ戻す。伯爵が事情を尋ねると、彼は握っていた通知書を卓上へ叩きつけた。
偽造された連帯保証契約は、クラリス本人からの異議申し立てによって無効となっていた。国際商業監査院は金融商会へ融資停止を命じ、ベルフォード王国の司法院も署名偽造の調査を開始している。通知書の最後には、証拠隠滅を行った場合、処罰が重くなると記されていた。
「クラリスが告発したというのか!」
伯爵は通知書をつかみ、文字が読みにくくなるほど顔へ近づけた。暖炉の火へ投げ込もうとしたが、セドリックが腕を押さえる。前回届いた督促状を燃やしたことまで、監査官に知られていたからだった。
「父親の署名を無効にするとは、何という娘だ。本人が不在なのだから、家長である私が代わりに決めて当然だろう」
「お姉様、砂漠で泣き暮らしているのではなかったの?」
ロザリーは長い髪を指で巻きながら、クラリスの返書を開いた。正式な法律文書として作られた紙には、ナジュム王国の公印、弁護士の署名、会計監査人が算出した返還請求額が並んでいる。支払期限を過ぎた場合、ベルフォード家の屋敷と土地に対して差し押さえを申し立てるとも書かれていた。
「金貨四千二百枚ですって? お姉様が、そんなに持っていたはずがないわ」
「祖母の遺産、未払い報酬、持参金、売却された農地の代金を合計した額だそうだ」
「家族のために働いたのに、報酬を請求するなんて卑しい人ね」
ロザリーは返書を二つに破ろうとした。しかし、厚い紙には補強の繊維が入っており、端を少し曲げただけで破れない。彼女は腹を立て、豆のスープの皿へ放り込んだ。
青い公印が汁に濡れ、豆が一粒、クラリスの署名の上へ乗った。伯爵は紙を拾い上げ、卓布で乱暴に拭う。原本を汚しても請求が消えるわけではなかったが、彼らは誰もそのことを口にしなかった。
「直接会えば、クラリスも考え直すだろう」
母は黒パンの焦げた端を切り落とした。昔から母はパンの外側を嫌い、中の柔らかい部分しか食べない。切り落とした部分は皿の横へ積まれ、女中があとで自分の夕食にするため布へ包んだ。
「あの子は昔から、強く言えば最後には従いました。王子の前で家族を見捨てたと騒がれれば、体面を気にして金を出すはずです」
「それに、あの砂漠王は姉を第十夫人にした男でしょう?」
ロザリーは胸元へ下げた祖母の青い星石を撫でた。石の表面には香水の油がつき、以前の透明な輝きが薄れている。彼女は鏡へ映った自分を確かめ、口元を上げた。
「私を見れば、王子もお姉様より私を気に入るかもしれないわ。そうなれば、借金なんて全部払ってもらえます」
「ザイード殿下が君を選ぶことはない」
セドリックが低い声で言うと、ロザリーは目を瞬いた。彼はすぐに、侯爵家の次男として王族の考えが分かるという意味だと言い直す。自分がクラリスからロザリーへ乗り換えたように、ザイードも美しい妹へ心変わりするかもしれないという考えは、気に入らなかった。
「クラリスは、今も私を愛している。婚約破棄された腹いせに、意地を張っているだけだ。私が直接迎えに行けば、泣いて謝るだろう」
「では、四人で参りましょう。あの子を連れ戻し、これまでどおり家の仕事をさせればよいのです」
誰もナジュム王国から招待されてはいなかった。それでも伯爵夫妻は、娘の実家が訪問するのだから宮殿が費用を負担すると思い込んだ。残っていた馬車を一台売り、母の真珠の首飾りを質へ入れ、四人分の飛行艇代を用意した。
一週間後、四人は民間の飛行艇へ乗り込んだ。クラリスが乗った専用艇とは違い、客席は狭く、食事も代金を払わなければ出ない。伯爵は王族の親族であると主張して上級席へ移るよう要求したが、乗務員は搭乗券を確認し、指定された席へ戻るよう告げた。
「ナジュム王国へ着けば、お前などすぐに解雇させてやる」
「当艇はベルフォード王国の会社が運航しております。私の雇用について、ナジュム王国へ権限はございません」
乗務員は淡々と答え、荷物棚からはみ出していた母の帽子箱を押し込んだ。帽子箱には大きな羽根飾りが五つも入り、隣の客の鞄を圧迫している。ロザリーは窓側の席を譲らず、移動中も鏡を見ながら唇へ紅を重ねていた。
昼食になると、隣の席の家族が包みを開いた。焼いた鶏肉と香草を挟んだパンの匂いが広がり、朝から何も食べていなかった伯爵の腹が鳴る。母は香りが下品だと扇を動かしたものの、自分たちの食事を買う金は残していなかった。
「宮殿へ着けば、宴が用意されているはずですわ」
ロザリーはそう言い、持参した砂糖菓子を一つだけ口へ入れた。残りを母が取ろうとすると、婚礼前に肌が荒れるから必要だと言って袋を胸元へ隠す。セドリックは眠っているふりをしながら、隣の家族が残したパンを何度も見ていた。
長い飛行を終え、四人がナジュム王国の空港へ降り立つと、乾いた熱風が衣服の中へ入り込んだ。ベルフォード領では冬が始まっていたが、こちらの昼間はまだ暑い。母の毛皮の肩掛けは汗を吸い、ロザリーが首筋へ吹きかけた茉莉花の香水と混ざって重い匂いを放った。
到着口には、彼らを迎える馬車も外交官もいなかった。伯爵は王族専用の通路へ進もうとして衛兵に止められ、一般客用の入国窓口へ戻される。長い列へ並んでいる間に、母の化粧は汗で崩れ、ロザリーの巻いた髪も湿気で頬へ張りついた。
「クラリスの家族だと、きちんと伝えたの?」
「入国手続きと宮殿への訪問許可は別だと言われた」
「役に立たないわね。お姉様なら、こういうときは先に全部手配していたのに」
ロザリーが何気なく言うと、三人は一斉に彼女を見た。クラリスがいれば楽だったという言葉を、誰も認めたくなかったからである。ロザリーは髪をかき上げ、暑さのせいで変なことを言ったとごまかした。
入国手続きを終えた四人は、荷物を引きずって空港の広間へ出た。そこで初めて、都で祝典が開かれていることを知る。壁には深緑と金色の布が飾られ、広場へ向かう市民たちは麦の穂や小さな花束を手にしていた。
売店では、薄い緑色の麦を刺繍した布飾りが売られていた。焼きたての平パン、羊肉の串焼き、蜂蜜をかけた揚げ菓子の匂いが空腹を刺激する。セドリックは財布を確かめたが、宮殿までの乗車賃を残すと、四人分の食事を買う余裕はなかった。
「何の祭りだ?」
伯爵が売店の老人へ尋ねると、老人は麦の刺繍が入った帽子をかぶり直した。彼の隣では孫らしい少女が、小さな鉢へ植えた薬草に水を与えている。水は一度に流さず、細い管から根元へ一滴ずつ落としていた。
「再生農場の初収穫祭ですよ。砂に埋もれていた畑で、今年は麦が取れました」
「麦が取れた程度で、国中が騒ぐのか」
「この都では、麦より水の方が高いのです。捨てていた水を浄化して使えるようにしたのですから、皆が見たがるのも当然でしょう」
「誰がそのようなことを考えた?」
「クラリス総裁ですよ。ザイード殿下のご婚約者です」
四人は同時に老人を見た。ロザリーは聞き間違いだと思い、香水のついた扇を止める。伯爵は、クラリスという名はこの国にも大勢いるのだろうと笑った。
「その女は、ベルフォード王国から来た、地味な髪の女ではないか?」
「地味な髪がどのような髪かは知りませんが、ベルフォード王国のご出身です。国民は『砂漠へ緑を運んだ賢妃』と呼んでおります」
老人は壁へ貼られた祝典の絵を指した。そこには深緑の衣装をまとったクラリスと、白い正装のザイードが並んで描かれている。二人の足元には麦と薬草があり、余白には農業技術院設立記念と記されていた。
「こんなの、お姉様ではないわ」
ロザリーは絵の前へ駆け寄った。描かれたクラリスは宝石で飾り立てていないが、背筋を伸ばし、ザイードと同じ方向を見ている。祖母の青い星石も、銀色のドレスも身につけていなかった。
「お姉様は、いつも泥のついた紺色の服を着ていたもの。こんな正装が似合うはずがないわ」
「絵師が美しく描いただけだ」
セドリックはそう言ったが、絵の下にはクラリスの署名入りで発表された水質調査と、試験農場の結果まで掲示されていた。失敗した区画についても隠さず書かれ、改善前後の収穫量が数字で示されている。セドリックには、その数字を一度見ただけでクラリスの仕事だと分かった。
四人は祝典を見るため、市民の流れについて広場へ向かった。通りには黄色い砂漠菊と白い砂漠百合が飾られ、建物の窓から深緑の布が下がっている。子どもたちは焼いた麦菓子を食べながら走り、落とした欠片を鳩がついばんでいた。
広場には、新しく収穫された麦の束が積まれていた。量はベルフォード領の収穫祭と比べれば少ない。しかし、乾いて放棄されていた農地から得られた最初の収穫として、一束ずつ育てた農家の名前が書かれていた。
楽団の演奏が始まり、人々が道の両側へ分かれた。銀色の飾りをつけた白馬が進み、その後ろから王族と農業技術院の関係者が歩いてくる。先頭にいたのは、王冠をかぶったザイードではなく、麦の籠を抱えた農家の子どもたちだった。
その子どもたちの後ろを、クラリスとザイードが並んで歩いていた。ザイードは白い正装へ深緑の帯を締め、クラリスはナジュムの女性職人が織った深緑の長衣をまとっている。襟元と袖には金糸で麦の穂が刺繍され、歩くたびに控えめな光が動いた。
クラリスの髪には小さな白い砂漠百合が一輪挿されていた。胸元に宝石はなく、腰には使い込んだ研究帳を入れる革の鞄を下げている。片手には式典用の手袋ではなく、朝まで農場で使っていたらしい、土の染みが残る作業手袋を持っていた。
「本当に、お姉様なの?」
ロザリーは人垣を押し分けようとしたが、衛兵に止められた。クラリスは大勢の中にいる家族へ気づかず、農家の少女から小さな鉢を受け取っている。鉢には二枚の葉を出したアカシアの苗が植えられていた。
「妃殿下、これ、私が種から育てました」
「上手に育てましたね。水は、どのくらい与えましたか?」
「朝に小さな杯一杯です。夕方は土が乾いていたときだけです」
「きちんと土を見たのですね。私より立派な庭師です」
クラリスが腰を屈めて少女と話すと、周囲から笑いと拍手が起こった。少女は頬を赤くし、ザイードへも苗を見せる。ザイードは形だけ褒めるのではなく、植え替える時期をクラリスへ尋ね、少女と一緒に答えを聞いた。
二人はどちらかが半歩前へ出ることなく、同じ速さで歩いていた。ザイードが王族として人々の挨拶を受けるときも、クラリスを後ろへ残さない。クラリスが農家の話へ足を止めれば、彼も隣で待っていた。
「殿下の隣に立っているわ」
母は毛皮の肩掛けを握り、娘を見上げた。ベルフォード家にいた頃、クラリスは両親やセドリックより後ろを歩かされていた。舞踏会でも壁際に立ち、必要な書類を渡したら退出するよう命じられていた。
「衣装がよいから、立派に見えるだけよ」
ロザリーは自分の青いドレスの裾を直した。長旅でしわがつき、空港の埃で色がくすんでいる。首筋には汗と茉莉花の香水が混じり、近くにいた子どもが鼻を押さえた。
「私なら、あの深緑の衣装をもっと美しく着こなせるわ。王子だって、私を見ればお姉様を選んだことを後悔するはずよ」
「黙れ。クラリスは私が連れ帰る」
セドリックはクラリスが少女へ微笑む姿を見つめていた。ベルフォード家ではほとんど見たことのない表情だったが、それは自分への思いを隠すためだと決めつける。かつて婚約者だった自分が手を差し出せば、クラリスは昔のように従うはずだった。
式典が終わると、広場では初収穫の麦を使った料理が配られた。焼いた平パン、麦と羊肉の煮込み、薬草入りの乳酪が大鍋から振る舞われる。伯爵家の四人も空腹に耐えられず、一般の市民と同じ列へ並んだ。
「こんな木皿で食べるの?」
ロザリーは受け取った煮込みを見て顔をしかめた。しかし、羊肉と炒めた玉葱の匂いに負け、一口食べる。朝から砂糖菓子しか口にしていなかったため、温かい煮込みは悔しいほどおいしかった。
「お姉様が作ったわけではないもの。料理人がおいしくしただけよ」
誰にも聞かれていないのに、ロザリーはそう言った。隣で食事をしていた老女は首を傾げたが、何も言わず、自分の孫へ肉を一切れ分ける。伯爵は二杯目を求めようとしたが、一人一杯までと断られた。
四人は食事を終えると、宮殿行きの乗合馬車へ乗った。王族の家族を名乗れば無料になると思っていたが、御者は四人分の料金を求めた。セドリックは残っていた銀貨を払い、荷物は屋根の上へ自分たちで積むよう言われて顔を赤くした。
宮殿へ着く頃には日が傾き、空が赤紫色に変わっていた。門の両側には松明が灯され、夜咲きの白い花から甘い香りが漂う。入口には祝典でもらった麦の束を抱えた人々が集まり、農業技術院へ寄付する種や道具を届けていた。
伯爵は列を無視して門の前へ進んだ。衛兵は槍を交差させることもなく、身分証と訪問許可証を提示するよう求める。伯爵は胸を張り、ベルフォード家の印章を突き出した。
「我々は妃の家族だ。遠路はるばる訪ねてきたのだから、すぐに客室へ案内しろ」
「訪問のご予約はございますか」
「家族が娘へ会うのに予約が必要なのか?」
「妃殿下の安全を守るため、すべての訪問者を確認しております」
母は衛兵の前へ進み、汗を吸った毛皮の肩掛けを直した。王族の義理の母へ向かって無礼だと叱り、今夜の晩餐と最上級の客室を用意するよう命じる。ロザリーも姉を呼べと言い、セドリックは元婚約者の自分なら面会を拒まれないはずだと名乗った。
衛兵は受付台に置かれた名簿を開いた。革表紙の角は使い込まれて丸くなり、横には夜勤用の薄い香草茶と、妻が持たせたらしい豆入りのパンが置かれている。彼は四人の名前を一人ずつ確認したあと、別の頁も調べた。
「我々の名前がないはずはない。クラリスはベルフォード伯爵家の長女だぞ」
「妃殿下から、家族として登録されている人物はいません」
伯爵は聞き間違いだと思い、名簿を奪おうとした。衛兵は名簿を閉じ、もう一人の衛兵が静かに間へ入る。乱暴な動作ではなかったが、伯爵の手は受付台へ届かなかった。
「何を言っているの。私はクラリスの母ですよ」
「私は妹よ。その地位だって、本来なら私のものなの」
「私はクラリスの元婚約者だ。あの女は私を待っている。惨めな暮らしから救い出すために来たと伝えろ」
セドリックが声を張り上げると、門を訪れていた人々が振り返った。祝典でクラリスがザイードの隣を歩く姿を見てきた者たちは、「惨めな暮らし」という言葉へ顔を見合わせる。麦の束を持った少年は笑いそうになり、母親から肘で止められていた。
「妃殿下は、本日の式典後も公務がございます。許可のない方をお通しすることはできません」
「ならば、ここで待つ。クラリスが戻れば、家族を見捨てられないだろう」
伯爵は門の前に置かれた長椅子へ座ろうとした。だが、それは訪問者用ではなく、農業技術院へ荷物を運んできた老人の休憩用だった。衛兵は伯爵へ、門前を占拠すれば迷惑行為として退去を命じると告げた。
四人が怒鳴り始めたとき、宮殿から一台の馬車が戻ってきた。窓には深緑の幕がかかり、扉にはザイード王家の紋章がある。馬車が門前で速度を落とすと、窓辺に座るクラリスの横顔が見えた。
クラリスは収穫祭の正装から、生成り色の普段着へ着替えていた。膝には式典で少女から贈られたアカシアの鉢を載せ、隣のザイードと何かを話している。馬車の中には、二人が帰り道で食べたらしい麦菓子の包みが置かれていた。
「クラリス!」
母が馬車へ駆け寄ろうとした。衛兵が腕を広げて止め、ロザリーもその横から姉の名前を叫ぶ。クラリスは窓の外を見て、四人の姿を認めた。
一瞬だけ、彼女の指が植木鉢の縁を強く握った。ベルフォード家にいた頃なら、母の声が聞こえた時点で馬車から降り、何を命じられるか尋ねていただろう。だが、隣にいたザイードは扉を開けるよう命じず、クラリス自身の言葉を待っていた。
「会いたいか?」
「いいえ。今日は会いません」
「では、馬車を進めよう」
「ただし、追い返すだけでは、また来ます。明日、弁護士と外交官が同席する場所で会います」
「分かった。そのように手配する」
クラリスは窓の幕を自分の手で閉めた。馬車は四人の前を通り過ぎ、宮殿の中へ入っていく。門が閉まる直前、ロザリーは姉の深緑の正装を運ぶ侍女たちと、その後ろから続く農業技術院の職員を見た。
「お姉様が、私を無視したわ」
ロザリーは祖母の青い星石を握りしめた。爪が石へ当たり、乾いた音がする。母は招待を受けていないだけだと言い、明日になればクラリスも考え直すと繰り返した。
衛兵は四人へ、都の宿泊施設の一覧を差し出した。王族の家族として宮殿へ泊まれると思っていた彼らは、宿代を用意していない。残った銅貨を数えた結果、空港近くの安宿で一室だけ借りることになった。
その夜、四人は幅の狭い寝台が二つしかない部屋で過ごした。夕食は祝典でもらった残りの平パン一枚で、母とロザリーは寝台を使い、伯爵とセドリックは床に敷いた薄い布へ横になった。窓の外では、都の人々が初収穫を祝う音楽を遅くまで奏でていた。
宮殿では、クラリスがアカシアの苗を自室の窓辺へ置いていた。式典で疲れた足を湯につけ、夕食には麦と野菜の温かいスープを食べる。ザイードは向かいの椅子へ座り、明日の面会について一つずつ確認した。
「私も同席する。ただし、君が求めないかぎり、代わりに答えない」
「お願いします。明日は私が話します」
「無理だと思ったら、中止してよい」
「以前なら、あの人たちを待たせるだけで手が震えていました。今は、明日の朝食を食べてから会おうと思えます」
クラリスは温かいスープへ匙を入れた。窓辺ではアカシアの小さな葉が夜風に揺れ、湿った土の匂いが部屋へ広がっている。門の外で家族が何を叫んでも、クラリスの食事も眠る場所も、もう取り上げられることはなかった。




