第6話 娘の義務と書かれた脅迫状
第6話 娘の義務と書かれた脅迫状
秋の終わり、ナジュム王国の朝は急に冷えるようになっていた。昼には汗ばむほど気温が上がるが、日の出前の石床は裸足で歩けないほど冷たい。クラリスは淡い青色の寝間着の上から厚手の長衣を羽織り、窓辺に置いていた室内履きを足先で探した。
中庭では夜露を含んだ白い砂漠百合が頭を下げ、庭師たちが点滴管の詰まりを確かめていた。試験農場から持ち帰った薬草は窓辺で乾燥させており、朝の風が入るたび、青く爽やかな匂いが部屋へ広がる。卓上には昨夜読みかけた水質報告書と、半分だけ食べた干し無花果が残っていた。
扉を叩く音がして、侍女が朝食の盆を運んできた。豆と鶏肉を煮込んだ粥、焼いた平パン、白い乳酪、柘榴が並んでいる。粥には細く切った生姜が入り、湯気を吸い込むだけで冷えていた鼻の奥が温まった。
「サミーラ様から、お手紙が三通届いていると伺っております」
侍女は食事の盆とは別に、銀の皿を卓へ置いた。そこにはベルフォード家の家紋を押した封筒が二通と、オルブライト家の紋章がついた封筒が一通載っている。紙には長旅でついた折り目があり、一通からは甘い柑橘香水の匂いが漂っていた。
「朝食のあとにお読みになりますか」
「いいえ。先に読みます」
クラリスは粥の匙を置き、一通目の封を切った。父の名前で届いた手紙だったが、文章は家令に書かせたものらしく、形式だけは整っている。冒頭には娘を遠国へ送り出した両親の心痛が長々と記され、その直後から金銭の要求が始まっていた。
ベルフォード家はクラリスを二十四年間養育した。衣食住と教育を与えた費用を返すのは、長女として当然の義務である。今後は毎月、金貨千枚を送金し、これまでクラリスが担当していた支払いと領地経営に関する質問へも、無償で回答せよと書かれていた。
最後には、家族の命令へ従わなければ親子の縁を切り、ベルフォード家の墓地へ入ることも許さないとあった。クラリスは「親子の縁を切る」という一文を二度読み、紙の端を親指でこすった。子どもの頃、墓地の裏に咲く青い釣鐘草を摘み、祖母に叱られたことを思い出した。
二通目は母からだった。ロザリーとセドリックの婚礼が近づいているため、ナジュム王国の宝石を贈るよう求めていた。砂漠王の十番目の妻なら宝石の一つや二つなくなっても気づかれないだろうと、母自身の字で書かれている。
「ロザリーには青い星石より、赤い宝石の方が似合います。王族が使うほど大きなものを選びなさい」
母は宝石だけでなく、婚礼衣装に使う金糸と、招待客へ配る香水も要求していた。香水事業が失敗したことには触れず、ナジュム王国の商品が売れないのはクラリスが宣伝しなかったせいだと付け加えている。手紙には香油の染みがあり、触れた指に薔薇と柑橘の混ざった匂いが残った。
三通目はセドリックからだった。初めの数行には、かつての婚約者としてクラリスの立場を心配していると書かれている。しかし、そのあとは融資の保証人になること、香水代金を立て替えること、ナジュム王国の商人を紹介することが命令口調で並んでいた。
要求に応じない場合、クラリスが家族と故郷を見捨て、異国の富に目がくらんだ冷酷な女だと各国の社交界へ広める。ザイードにも、クラリスが婚約中からセドリックへ執着していたと知らせる。偽造した連帯保証契約を撤回しなければ、そうした噂を流さずに済むとも記されていた。
クラリスは三通の手紙を重ねた。粥から上がっていた湯気は消え、表面には薄い膜が張っている。空腹だったはずなのに、匙を持つ指が動かなかった。
「温め直してまいりましょうか」
侍女が控えめに尋ねた。クラリスは大丈夫だと答えようとしたが、口を開くと息だけが出た。ベルフォード家にいた頃、父から叱責されたあとも何事もなかったように帳簿を開いていた癖が残っている。
「お願いします。生姜を少し増やしてもらえますか」
「かしこまりました。パンも新しいものをお持ちします」
侍女は冷めた粥だけでなく、硬くなりかけていた平パンも盆へ戻した。食べられるものを捨てないでほしいとクラリスが頼むと、厨房で薄く切り、香草油を塗って焼き直すという。何も無駄にされないと分かり、クラリスはようやく指を開いた。
一人になると、クラリスは暖炉の前へ移動した。火の中では乾燥させた棗椰子の枝がはぜ、赤い火の粉が浮かんでいる。三通の手紙をまとめて炎へ投げ込めば、もう読み返さずに済む。
彼女は父の手紙を火へ近づけた。紙の端が熱で反り、封蝋が柔らかくなる。そのとき扉が開き、灰色の猫が先に部屋へ駆け込んできた。
「クラリス、入ってもよいだろうか」
猫のあとから現れたザイードは、濃紺の長衣の上へ黒い外套を羽織っていた。早朝の会議を終えたところらしく、片手には書類、もう一方の手には自分で持ってきた茶の杯がある。返事を待つ前に猫が暖炉の前へ座ったため、彼は猫を追って二歩だけ部屋へ入り、そこで止まった。
「燃やすのか?」
「そのつもりでした。持っているだけで、また従わなければならない気がします」
ザイードは手紙を取り上げなかった。彼は暖炉から少し離れた椅子へ腰を下ろし、湯気の立つ茶を卓へ置く。灰色の猫は彼の外套の裾へ丸まり、尻尾で床を二度叩いた。
「燃やしてもよい。ただし、その前に写しを残すことを勧める」
「読まなければ、なかったことにはできませんか」
「彼らが何もしなければ、それでもよい。しかし、すでにあなたの署名を偽造している。この手紙には要求と脅迫が、自分たちの言葉で書かれている」
クラリスは火から手紙を遠ざけた。ザイードの言うことが正しいのは分かるが、保管すれば何度でも両親の声が戻ってくる。暖炉の薪が崩れる音に肩が動き、紙の角が指へ食い込んだ。
「私が捨てても、証拠の写しだけ外務院で保管できる」
「それなら、燃やしてしまってもよいのですか」
「原本は証拠袋へ入れる。あなたが日常で目にする必要はない」
「手紙なのに、証拠になるのですね」
「家族の手紙である前に、金銭要求と脅迫を記した文書だ」
クラリスは三通をザイードへ渡した。自分から手放したにもかかわらず、指先にはまだ柑橘香水の匂いが残っている。彼女は洗面台へ行き、香草石鹸で指を洗った。
温め直された粥と、焼き直した薄切りパンが届いた。パンには香草油と細かな塩が振られ、端がかりかりに焼けている。ザイードは帰ろうとしたが、クラリスは卓の向かい側を見た。
「殿下は、朝食を召し上がりましたか」
「会議で干し棗を二つ食べた」
「それは朝食ではありません」
「サミーラと同じことを言うのだな」
クラリスは侍女へ、粥をもう一皿頼んだ。昨日までなら王族へ食事を勧めることなど考えもしなかったが、ザイードが自分と同じように仕事へ没頭することは知っている。彼は少し迷ったあと、外套を椅子の背へ掛けた。
二人は温め直した粥を食べた。生姜が増えたため舌が少し痺れ、ザイードは黙って水を二杯飲んだ。辛いのが苦手なのかと尋ねると、彼は否定したが、額にはうっすら汗が浮いている。
「殿下。もし私が望めば、ベルフォード家を滅ぼしてくださいますか」
クラリスは匙を皿へ置いた。自分でも、その言葉がどこから出たのか分からなかった。ザイードはすぐに答えず、焼いたパンの欠片を指で集めた。
「君が望むなら、君を守る。ベルフォード家との取引を止め、資産を調べ、偽造契約を無効にするために力を使う」
「それだけですか」
「私の命令一つで、家を焼き、爵位を奪い、全員を牢へ入れることもできると答えれば、満足するだろうか」
クラリスは両親とロザリー、セドリックが自分へ跪く姿を想像した。父の手から杯が落ち、母の宝石が外され、ロザリーの銀色のドレスが泥に汚れる。その光景は一瞬だけ胸を熱くしたが、ザイードの顔を見ると、何かが違うと分かった。
「分かりません。そうしてほしいと思ったことはあります」
「それは当然だ。だが、私の権力で裁けば、彼らは自分たちを被害者だと言い張るだろう。砂漠の王が気に入った女のため、哀れな家族を滅ぼしたのだと」
「私はまた、あなたに守られているだけの女になります」
「そうはさせたくない」
ザイードはクラリスが食べ終わるまで席を立たなかった。暖炉の前では灰色の猫が腹を出して眠り、侍女が置いた新しい薪の束から乾いた木の匂いがする。窓の外では朝日が高くなり、夜露に濡れていた砂漠百合が花弁を持ち上げ始めていた。
食後、クラリスは外務院の記録室へ向かった。サミーラは三通の手紙を受け取り、書記官へ写しを作らせる。柑橘香水の染み、封蝋の欠け、筆跡まで証拠として記録し、原本は鍵つきの箱へ保管された。
「こちらが、ベルフォード家に対する財産返還請求の案です」
サミーラは新しい書類を広げた。祖母から受け継いだ財産、七年分の未払い報酬、持参金として積み立てられていた金、両親が勝手に処分した宝石が一覧になっている。合計額の横には、利息と返還期限も記されていた。
「すべて請求すると、ベルフォード家は屋敷を手放す可能性があります」
「それほど多いのですか」
「彼らがあなたから奪った額が、それほど多いのです」
クラリスは数字を指で追った。金貨三千枚だと思っていたが、調査を進めると、売却された農地や未払い報酬がさらに見つかっている。父が支度金として使い込んだ金貨三千枚も、現在はザイードへの債務となっていた。
「家族だから少し減らす、ということはできますか」
「できます。ただし、減らすかどうかを決めるのはクラリス様です」
「他の方なら、どうなさいますか」
「私は外交官ですので、他人の財産を返さない者には一枚の銅貨も譲りません。ただし、これは私の答えです」
サミーラは机の引き出しから焼いた豆菓子を取り出し、クラリスへ一つ渡した。朝食を食べたばかりだと伝えると、午後まで置いておけば硬くなりすぎるから今食べた方がよいという。クラリスは豆菓子をかじりながら、返還請求の数字をもう一度見た。
その日の午後、弁護士と会計監査人が宮殿へ到着した。弁護士は髭へ白いものが混じる女性で、鞄の中に法律書と編みかけの赤い靴下を一緒に入れていた。監査人は眼鏡を三つ持ち歩き、細かな数字を見るときだけ丸い眼鏡へ掛け替える癖があった。
「援助を断るだけでは足りません」
女性弁護士は母からの手紙へ眼鏡を近づけた。隣の椅子には編みかけの靴下から伸びた赤い毛糸が垂れ、灰色の猫が前足で狙っている。彼女は猫に毛糸を取られる前に鞄へ戻した。
「親子関係を根拠とした将来の金銭請求も拒否し、代理権がないことを明記しましょう。署名を再び使われた場合は、文書偽造として告発するとも通知します」
「家族へ告発という言葉を使うのですか」
「家族でなければ、すでに使っていたはずです」
クラリスは返答をせず、窓から中庭を見た。午後の光を受けた黄色い砂漠菊が、風に揺れている。実家の庭にも秋になると黄色い菊が咲いたが、母が地味だと言って使用人に抜かせていた。
会計監査人は未払い報酬を一日単位で算出した。外国語の契約交渉、帳簿管理、水路計画、使用人の給与計算を専門職の報酬へ換算すると、クラリス自身が考えていた額よりはるかに大きくなる。彼女が無償だと思っていた七年間は、数字にすれば伯爵家の屋敷の一部を買えるほどの価値があった。
日が暮れるまで話し合い、返書の案が完成した。援助金は一切送らない。ロザリーの婚礼に宝石や金品を提供しない。クラリスの名前を使った契約、借り入れ、保証をすべて拒否する。
さらに、祖母の遺産と未払い報酬を期限内に返還するよう求めた。応じない場合は、屋敷、土地、美術品を含むベルフォード家の財産に対し、法的な差し押さえを申し立てる。偽造契約についてはすでに調査を依頼しており、新たな偽造が発見された場合は刑事告発すると記した。
クラリスは書類を居室へ持ち帰ったが、その夜は署名できなかった。夕食の羊肉と蕪の煮込みはほとんど味が分からず、平パンを小さくちぎっては皿の端へ並べる。食後に出された柘榴も、一粒ずつ数えながら口へ運んだ。
寝台へ入っても、父の声が頭から離れなかった。親を見捨てる娘は誰からも愛されない。家のために働けない長女には価値がない。父が繰り返した言葉は、遠い国までついてきていた。
クラリスは明かりをつけ、祖母の絵を手に取った。絵の中の祖母は庭仕事用の前掛けを着て、片方の靴紐をほどいたまま笑っている。その日は二人で植えた豆が鳥に食べられ、祖母は腹を立てながら、夕食に豆のスープを作っていた。
祖母はクラリスに、家のために生きろとは言わなかった。植物は根を張る場所を自分で選べないが、人は歩けると言ったことがある。当時は庭から勝手に出るなという話だと思っていたが、今は別の意味にも聞こえた。
翌朝、クラリスは日の出前に起きた。白い長衣へ袖を通し、髪を丁寧に結ぶ。朝食の卓には焼いた魚、香草入りの卵、温かい平パンが並び、ザイードが先に座っていた。
「眠れなかったのか?」
「少しだけ。でも、考える時間が必要でした」
「結論は出たか?」
「はい」
クラリスは返書を卓上へ置いた。ザイードは内容を確認したが、自分の意見を加えず、最後の署名欄を彼女へ向ける。クラリスはペンを取り、自分の名前を最後まで書いた。
「援助には応じません。奪われた財産と報酬は、全額返還してもらいます。私の署名を再び使った者は、家族であっても告発します」
「それが君の決定なら、私が守る」
「あなたは、私に復讐してほしいのではないのですね」
クラリスが尋ねると、ザイードはペンを置いた。朝の光が窓から入り、彼の濃紺の上着へ砂漠百合の影を落としている。卓の下では灰色の猫が、ザイードの履物を枕にして眠っていた。
「君の人生を奪った者に、君の勝利まで奪わせたくない」
「あなたがすべてを命じたら、それは私の勝利ではなくなるのですね」
「私にできるのは、道具を揃え、邪魔をする者を退けることだ。どの道を歩くかは、君が決める」
クラリスは書類の上へ置いていた左手を動かした。指先がザイードの右手へ触れたが、すぐには引かなかった。彼も彼女の手を握り込まず、逃げられるほどの軽さで掌を重ねた。
「では、もう一つ、自分で決めてもよろしいですか」
「もちろんだ」
「あなたのことを、もっと知りたいです。契約の相手としてではなく、一人の人として」
ザイードは目を見開き、それから普段よりゆっくり息を吐いた。朝食の魚は冷め始め、香草入りの卵から上がっていた湯気も消えている。料理人が扉の向こうから、追加の平パンを出すべきか侍従へ小声で尋ねていた。
「私も、同じことを望んでいる。ただし、先に朝食を食べよう。サミーラに叱られる」
「殿下でも叱られるのですか」
「君が来てから、食事を抜くことについては以前より厳しくなった」
二人は手を離したが、向かい合った空気は昨日までと違っていた。クラリスは温かい平パンを一枚取り、半分に分ける。ザイードは差し出された半分を受け取り、香草入りの卵をクラリスの皿へ一切れ載せた。
朝食後、クラリスの返書は外務院から正式な文書として送られた。外交官、弁護士、会計監査人がそれぞれ署名し、クラリスの意思による請求であることを証明した。封筒にはナジュム王国の公印が押されたが、文章の最後に記された名前は、クラリス自身のものだった。
遠いベルフォード家では、父が金貨千枚の届く日を計算し、母がロザリーの婚礼用宝石を置く箱まで注文していた。セドリックはクラリスが脅しに屈すると信じ、新しい融資申込書を作っている。彼らはまだ、自分たちが送った三通の手紙が、要求ではなく証拠になったことを知らなかった。




