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第9話 帳簿は一枚も忘れない

第9話 帳簿は一枚も忘れない


ベルフォード家の四人が帰国した日は、冬の初雪が降っていた。飛行場の屋根には薄く雪が積もり、荷運び人たちが凍った石畳へ砂をまいている。旅費を用意できなかった四人は、母の毛皮の肩掛けとロザリーの耳飾りを都の質屋へ入れ、最も安い民間飛行艇の後部席に乗って戻ってきた。


空港で食事を買う金も残っておらず、四人が口にしたのは、乗務員から無料で配られた水と硬い黒パンだけだった。ロザリーはパンの端が口の中を傷つけると文句を言い、半分以上を座席の下へ落とした。帰国すれば使用人が温かい料理を用意していると母がなだめたが、屋敷に残っている使用人がほとんどいないことを、母自身が忘れようとしていた。


飛行艇から降りたセドリックは、深く息を吸った。ナジュム王国では拘束も逮捕もされなかったため、ベルフォード王国まで戻れば偽造契約の件も父の力で抑えられると思っていた。彼はしわのついた銀色の上着を払い、迎えの馬車を探して到着口へ向かった。


「セドリック・オルブライト様ですね」


出口の前には馬車ではなく、司法官が三人待っていた。濃紺の制服を着た男が逮捕状を開き、署名偽造、融資詐欺未遂、商会資金の横領容疑を読み上げる。セドリックは足を止めたが、後ろには乗客が並び、逃げる場所はなかった。


「何かの間違いだ。私はオルブライト侯爵家の人間だぞ」


「身分は確認しております」


「クラリスが告発したのか? 元婚約者同士の問題だ。家族になる予定だった女の名前を使って、何が悪い」


「偽造した時点で、婚約はすでに破棄されております。また、婚約者であっても、本人の同意なく署名を代筆する権利はありません」


司法官はセドリックの両手へ拘束具をつけた。空港にいた人々が足を止め、彼の名を小声で確かめている。ロザリーは自分まで捕まると思ったのか、母の後ろへ隠れた。


「私は関係ありませんわ。署名を書いたのはセドリック様です」


「ロザリー!」


「証人欄へ名前を書いただけですもの。お姉様の署名が偽物だなんて知りませんでした」


「書いているところを見ていただろう!」


セドリックが身を乗り出すと、司法官が両腕を押さえた。ロザリーは青いドレスの裾を持ち上げ、汚れた石畳から一歩下がる。祖母の星石をナジュム王国で返したため、彼女の胸元には何もなかった。


セドリックは留置施設へ移され、翌朝から事情聴取を受けた。狭い部屋には机と椅子が二つあり、窓の外では雪が細かく降っている。朝食には薄い麦粥と塩漬け野菜が出たが、彼は侯爵家の者へ出す食事ではないと言って、匙をつけなかった。


司法官は、押収した練習用の署名を机へ並べた。クラリスの名前が十回以上書かれ、最初の文字を失敗した紙にはセドリック自身の指紋が残っている。香水輸入の帳簿からは、商品代金の一部を彼個人の服飾費と賭博代へ流用した記録も見つかっていた。


「これは署名の練習ではない。私の字を美しくするために書いたものだ」


「なぜ、ご自分ではなくクラリス様の名前を練習したのですか」


「いずれ妻になるはずだったからだ」


「あなたは、ロザリー様との婚約を発表しています」


「クラリスが戻れば、ロザリーとの婚約は解消するつもりだった」


セドリックは答えるたびに、自分で新しい証拠を増やした。取調官は反論せず、彼の言葉を一つずつ記録する。昼を過ぎても朝の麦粥は卓の隅に残り、表面が固まっていた。


オルブライト侯爵は、息子の逮捕を知るとすぐに留置施設を訪れた。灰色の外套へ雪を積もらせ、手袋を外すことも忘れて面会室へ入ってくる。セドリックは父が釈放の手続きをしたと思い、椅子から立ち上がった。


「父上、早くここから出してください。クラリスとベルフォード家が私を陥れたのです」


「黙れ」


侯爵は封書を机へ置いた。それはセドリックの廃嫡届と、オルブライト家の事業に関する代理権を取り消す通知だった。偽造契約だけでなく、香水輸入の損失まで侯爵家へ押しつけようとしたことが、銀行の調査で判明していた。


「今日をもって、お前をオルブライト家の継嗣から外す。家名を使って新たな契約を結ぶことも許さん」


「私は次男です。もともと継嗣ではありません」


「長男に何かあれば爵位を継ぐ権利があった。その権利も、家の事業に与えていた役職も取り上げると言っている」


「父上まで私を見捨てるのですか」


「お前はクラリス嬢へ借金を負わせ、自分だけ助かろうとした。それを見捨てるとは言わん」


侯爵は一度も椅子へ座らなかった。息子がベルフォード家の事業を自分の功績のように話す間、クラリスが実務を担っていることへ気づかなかった責任は自分にもあると告げた。だが、その責任と、成人した息子の犯罪を肩代わりすることは別だと言い残した。


捜査が終わると、セドリックは裁判へかけられた。偽造された契約は正式に無効となり、金融商会に生じた調査費用と、香水商会への損害賠償が命じられる。爵位を持たない彼に返せる財産は少なく、刑期を終えたあとも働いて返済を続けることになった。


一方、ベルフォード伯爵家の屋敷には、裁判所の執行官と会計監査人が訪れていた。玄関には霜で萎れた山茶花の花びらが散り、扉の内側には督促状が何通も押し込まれている。広間には暖房用の薪がなく、昨夜使った蝋燭の臭いが冷たい空気へ残っていた。


「屋敷内の財産を確認いたします。勝手に持ち出すことは禁じられています」


「ここにあるものは、すべてベルフォード家のものだ!」


伯爵は毛玉のついた部屋着のまま、執行官の前へ立った。以前は毎朝髭を整えさせていたが、世話をする使用人が辞めたため、頬には白い髭が伸びている。手には冷えた酒の杯を持っていた。


「クラリス様の財産返還請求、使用人二十一名への未払い給金、領民への水路損害補償、未納税、香水商会への債務がございます」


「娘の要求を、なぜ他の支払いより優先する!」


「優先順位は法律に基づいて決定します。まず未払い給金と税金、領民への補償、その後に担保権と所有権が確認された財産を清算します」


「クラリスは王子の妃になるのだ。金など必要ないだろう!」


「財産を持つ者が別の財産を必要としているかどうかは、返還を拒む理由になりません」


執行官たちは屋敷の各部屋へ番号札をつけた。絵画、銀食器、彫像、絨毯、馬車、使われていない客室の家具まで、一つずつ目録へ記録していく。伯爵が隠そうとした銀杯も暖炉の裏から見つかり、差し押さえ品の籠へ入れられた。


母は寝室で宝石箱を抱え、扉へ鍵をかけていた。執行官が入室を求めても、嫁入りの際に持ってきた個人財産だから渡さないと叫ぶ。ところが、宝石の半数はクラリスの祖母が遺したものであり、残りも未払いの税金を使って購入した記録が残っていた。


「この真珠は私が若い頃から使っていたものです」


「購入記録を確認します。私有財産だと証明できるものは差し押さえません」


「そんな古い記録、残っているはずがないでしょう」


「クラリス様の帳簿にございます」


執行官が帳簿の写しを開くと、母は真珠を握ったまま黙り込んだ。購入日、宝石商の名前、代金の出所まで記されている。母が自分の持参金で買ったと言い張った首飾りも、実際にはクラリスの遺産口座から支払われていた。


ロザリーの部屋にも番号札が貼られた。化粧台には開封した香水瓶が百本以上並び、違う香りが混ざって目が痛くなるほどだった。窓辺の鉢に植えられていた冬咲きのシクラメンは水をもらえず、葉を床へ垂らしていた。


「この香水は使用済みだから、持っていっても売れないわよ」


ロザリーは毛皮の襟がついた桃色のドレスを着て、衣装棚の前へ両腕を広げた。祖母の星石を返したあとも、髪には真珠と水晶の飾りを何本も挿している。執行官は感情を変えず、未開封の商品と私物として開封されたものを分けて記録した。


「未開封の香水は商会へ返品します。開封済みの商品は、資産価値がほとんどございません」


「ほら、わたくしのものだわ」


「ただし、商品を無断で開封したことによる損害が、ロザリー様へ請求される可能性があります」


「宣伝のために使ったのよ。わたくしがつければ、皆が欲しがるはずだったの」


「実際の販売実績は三本です。その三本も代金未回収と記録されています」


ロザリーは言葉に詰まり、衣装棚の扉を閉めようとした。しかし、差し押さえ対象には銀色のドレスも含まれていた。クラリスが婚礼用に注文し、代金も本人の財産から支払われていたためである。


「これは、わたくしの二十歳の祝いにお母様からいただいたものよ!」


「所有者はクラリス様です」


「お姉様は砂漠の王族なのよ。こんな古いドレスなんて、もう着ないわ」


「着用するかどうかと、所有権は別です」


執行官は銀色のドレスを衣装箱へ収めた。ロザリーが舞踏会で踏んだ裾には泥と葡萄酒の染みが残り、銀糸の月桂樹も一部ほどけている。その修繕費は、ロザリーへ請求される損害額に加えられた。


一か月後、ベルフォード家の屋敷で競売が開かれた。大広間には家具商、宿屋の主人、近隣の貴族、かつて働いていた使用人まで集まる。舞踏会で白薔薇を飾った花瓶、父が使っていた長卓、母の鏡台が次々と落札された。


売却代金は、まず使用人への未払い給金に充てられた。元執事長は受け取った金貨を何度も数え、妻が持たせた縞模様の財布へ入れる。料理長は未払い分を受け取ると、屋敷の厨房で最後に焼いたパンが焦げたことまで帳面へ書かれていたと笑った。


「クラリス様は、あの日のパンまで記録していたのか」


「材料費の不足で焼き直せなかった、と書いてあります」


「余計なことまで、よく覚えていらした」


元料理長はそう言いながらも、受領書へ丁寧に署名した。彼らへの支払いが終わると、残った金は北部水路の修繕と、収穫を失った七村への補償へ回された。村人たちは翌年の種麦と家畜の飼料を購入し、崩れた取水門の工事も始まった。


屋敷と農地は一括して売却されず、領民の生活を守るため、新しく設立された住民評議会が運営権を引き継いだ。伯爵夫妻の爵位は裁判の終了まで保留されたものの、領地経営へ口を出す権限は停止された。水路、税金、収穫物の取引は、住民と専門家が共同で決めることになった。


伯爵夫妻とロザリーに残されたのは、家具つきの小さな借家だった。台所と食堂を兼ねた部屋、寝室が二つ、裏庭には物干し場がある。屋敷の使用人宿舎より少し広い程度で、玄関を開けると煮炊きの匂いが家中へ回った。


引っ越した最初の朝、母は食卓へ座り、朝食が出てくるのを待っていた。卓上には空の皿が三枚と、前夜に買った黒パンが一つ置かれている。暖炉の火も消え、洗濯籠からは三人分の衣服があふれていた。


「朝食はまだなの?」


母が尋ねると、伯爵も台所を見た。誰も料理をする使用人がいないことへ、そこで初めて気づく。ロザリーは寝間着のまま椅子へ座り、開封した香水を首へ吹きかけた。


「お母様が作ればいいでしょう」


「私は料理などしたことがありません」


「わたくしだってありませんわ」


三人は互いの顔を見たあと、硬い黒パンを切り分けた。包丁を斜めに入れたため、大きさは揃わず、伯爵が最も大きな一切れを取る。母は家長だからと譲ったが、自分の分がロザリーより小さいことには文句を言った。


家賃、食費、燃料費は自分たちで支払わなければならなかった。伯爵は貴族仲間へ援助を求めたが、返事は一通も来ない。偽造契約を認め、娘の財産を返さなかった家と関われば、自分たちまで信用を失うからだった。


ロザリーも、王都の舞踏会で親しくしていた令嬢たちへ手紙を送った。しかし、招待状の代わりに返ってきたのは、貸していた扇や装飾品を返してほしいという請求だけだった。かつてロザリーを褒めていた男性たちも、婚約の話を持ち出すと急に仕事が忙しくなった。


「わたくしは、クラリスより美しいのよ。なぜ誰も妻にしたがらないの?」


借家の曇った鏡の前で、ロザリーは髪へ水晶の飾りを挿した。鏡台は競売で失ったため、空き箱を重ねて化粧品を置いている。香水瓶は残っていたが、暖房のない部屋で中身が濁り始めていた。


「お姉様は、ザイード殿下の隣に立てた。なら、わたくしにもできるはずよ」


ロザリーは最後に残った上質な紙を取り出し、ザイードへ求婚状を書いた。クラリスは地味で正妃にふさわしくないこと、自分なら王族の妻として華やかに振る舞えること、ベルフォード家の借金を払ってくれればすぐにナジュム王国へ嫁ぐと記す。封筒には茉莉花の香水を振りかけ、唇の紅を押して封をした。


求婚状はナジュム王国の外務院へ届いた。しかし、ザイード本人へ渡されることはなかった。クラリスへの接触制限に反する手紙として弁護士が確認し、開封せずに返送する。封筒には「受領拒否」の赤い印が押された。


一週間後、返された求婚状を見たロザリーは、借家の台所で叫んだ。煮ていた豆の鍋を倒し、床へ熱い汁をこぼす。誰も拭きに来ないため、母が古い布を投げ、汚した本人が片づけるよう命じた。


「わたくしに床を拭けと言うの?」


「このままでは歩けないでしょう」


「お母様が拭けばいいわ!」


「私は洗濯をしているのよ!」


母が初めて自分で洗った白い布は、すすぎが足りず石鹸の泡が残っていた。物干し紐へ斜めに掛けたため、端が地面へ触れて泥で汚れている。三人は誰が床を拭くか言い争い、鍋の豆はすっかり冷めた。


生活費を得るため、ロザリーは仕事を探さなければならなくなった。しかし、読み書きはできても帳簿は扱えず、衣服を縫うことも料理を作ることもできない。唯一採用されたのは、失敗した香水事業の在庫を整理する倉庫だった。


初出勤の日、ロザリーは橙色のドレスを着ていった。だが、倉庫の責任者から動きにくいと注意され、灰色の作業着と前掛けへ着替えさせられる。木箱に染みついた香水の匂いは、以前なら贅沢の象徴だったが、今では鼻の奥を刺して頭を重くした。


「砂漠薔薇を三百本、茉莉花を二百本、白檀を百五十本に分けてください」


「数えるだけでしょう? 簡単だわ」


ロザリーは一つの箱へ瓶を詰め始めた。途中で知人の名前を思い出したり、手についた香水を嗅いだりしたため、どこまで数えたか分からなくなる。適当に三百本と報告すると、責任者が帳面と照合した。


「二百八十七本しかありません。最初から数え直してください」


「十三本くらい同じでしょう」


「商品です。同じではありません」


「わたくしが誰だか知っているの?」


「倉庫の在庫係です。仕事が終わらなければ、今日の給金は出ません」


ロザリーは唇を噛み、最初の瓶から数え直した。昼食の時間になっても終わらず、持参した黒パンは木箱の上で硬くなる。隣で働く女性は乾燥肉と漬物を挟んだパンを食べながら、数えた数を十本ごとに札へ記す方法を教えた。


「こうすれば、途中で分からなくなっても十本前からやり直せますよ」


「それを先に言いなさいよ」


「朝、説明しました」


ロザリーは返事をせず、十本ごとに札を置き始めた。三百本を数え終えた頃には日が傾き、倉庫の小窓から橙色の光が入っていた。作業着の袖には香水の油がつき、洗っても数日は匂いが取れなかった。


伯爵夫妻にも、裁判所から生活状況を確認する書類が届いた。収入がないのであれば、伯爵は土地管理の助言者、母は裁縫や家事の仕事を探すよう勧められている。二人は身分にふさわしくないと拒んだが、借家の家賃支払日は待ってくれなかった。


最後に、二人はクラリスへ手紙を書いた。机がないため、食卓の端へ紙を置き、まだ乾いていない洗濯物の横で文章を考える。夕食の豆スープが冷めても、母は何度も言葉を書き直した。


手紙には、親を見捨てた娘は必ず後悔すると記されていた。ベルフォード家が没落したのはクラリスが助けなかったせいであり、今すぐ金貨を送れば親子の縁を戻してやるとも書いた。伯爵は「戻ってきてほしい」とは書かず、「帰ることを許す」と表現した。


その手紙がナジュム王国へ届いた頃、クラリスは農業技術院の執務室で、春の植えつけ計画を確認していた。生成り色の作業着の袖にはインクの染みがあり、窓辺には紫色の冬咲き香草が並んでいる。昼食の豆と羊肉の煮込みは半分ほど残っていたが、サミーラに注意される前に匙を取り直した。


「ベルフォード伯爵夫妻から、再び手紙が届いております」


サミーラは封筒を卓へ置いた。クラリスは一目で父の字だと分かったが、すぐには開けなかった。食事を最後まで終え、温かい香草茶を飲んでから、弁護士立ち会いのもとで封を切った。


手紙を読み終えても、クラリスは返事を書く紙を用意しなかった。伯爵夫妻は、返還請求に対する回答も、これまでの行為への謝罪もしていない。昔と同じ命令を、違う紙に書いただけだった。


「ご返事は、いかがなさいますか」


「書きません」


「承知いたしました。証拠保管箱へ追加いたします」


サミーラが手紙を持ち上げると、クラリスは少し考えてから、自分で運ぶと言った。二人は外務院の記録室へ向かい、五冊の帳簿が入った棚を開ける。家族から届いた三通の脅迫状と、偽造契約書も、日付順に収められていた。


クラリスは最後の手紙を証拠保管箱へ入れた。蓋を閉じ、封印するための帯を巻く。箱の表には事件名と開始日が書かれていたが、終了日は空欄だった。


「今日の日付を入れてください」


クラリスは書記官からペンを借りた。以前なら、家族から新しい手紙が来るたび、次の要求にも備えようとしただろう。今は、返事をしないことも自分で選べた。


彼女は終了欄へ日付を書いた。文字の最後がわずかに右へ下がる、誰にもまねさせない自分の署名も添える。箱へ鍵がかけられると、重い金属音が記録室へ響いた。


外へ出ると、ザイードが廊下で待っていた。白い長衣の上から深緑の外套を羽織り、手には小さな紙袋を持っている。会議帰りに厨房へ寄り、クラリスが好きになった胡麻入りの焼き菓子を持ってきたという。


「返事はしたのか?」


「いいえ。箱へ終了の日付を書きました」


「それでよいのか?」


「はい。あの人たちが何度同じ言葉を書いても、私が同じ返事を繰り返す必要はありません」


ザイードは紙袋を開き、焼き菓子を一つクラリスへ渡した。焼きたてではなかったが、胡麻と蜂蜜の香りがする。二人は庭へ続く廊下を歩きながら、一つずつ食べた。


中庭では、冬の夜咲き花が白い蕾をつけていた。アカシアの苗は以前より背が伸び、風に負けないよう細い支柱へ結ばれている。クラリスは土の乾き具合を確かめたが、今日は水を足さなかった。


ベルフォード家の帳簿は、一枚の支払記録も、一度の使い込みも、一人の未払い給金も忘れなかった。けれど、その帳簿は誰かを理不尽に罰するためのものではない。奪った者に返させ、働いた者へ支払い、自分で作った借金を自分で背負わせるためのものだった。


セドリックは自分で書いた偽の署名によって裁かれた。ロザリーは自分で開けた香水を、自分の手で数え直している。伯爵夫妻は、自分たちが拒んできた生活の仕事を、誰にも押しつけられない家で覚え始めていた。


クラリスは箱の中身を忘れる必要はなかった。ただし、それを毎晩開き、自分の人生まで過去の帳簿へ書き続ける必要もない。彼女は指についた焼き菓子の胡麻を払い、ザイードと並んで、春に種をまく新しい畑へ向かった。


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