『狐狂いのVRMMO』のレビュー
https://kakuyomu.jp/works/822139843101182940
クズノハの機械的で論理的な内面描写と、彼女を見守る周囲の大人たち(神父やハル婆ちゃんなど)の温かくも過剰な「勘違い」の描写が見事に書き分け、特に無表情を貫くクズノハの「サクッ」というクッキーを齧る音や、本人の意思とは無関係に揺れる「白銀の尻尾」といった短い動作の描写が彼女の隠れた感情や状況を的確に読者に伝えられている。
「究極の狐」を目指して極端なキャラメイク(3歳児、失語、無貌など)を行った結果、自業自得で最弱の幼女として雪原に放り出されるという強烈なフックがあり、偏執的なエンジニアの思考とポンコツな幼女の肉体というギャップが固有の売りが出来ている。それによるすれ違いなども中々に味となってはいる。
というのが作品及び小説としてのざっくりとした評価で、理想の狐になるための生存戦略と情報収集の一貫性、主人公の行動が次の展開への足がかりとして着実な積み重ねがある。
が、先ずこの積み重ねの記号化がMMOというジャンルを採用しているのにも関わらず存在しない、レベルアップなんかはゲームの標準装備、それどころか歩数計や決済アプリにすらレベル制度という場合もある。MMOが便利なフォーマットである以上その辺を省いてしまうのはどうなのだろうか。
主人公といえば強化フォーム、というのも欠けてしまっている。「もののけ姫」の様な大型の獣とか、山の神々みたいなもの、今作の狐になりたいが意に反して妖狐相手に変身を教わろうとしたけど寵愛され逆に半人半妖になってしまうみたいな振り回しがない。もし最弱という拘りがあるなら「一時的に大人みたいになれるが、ヘイトを滅茶苦茶買うくらい目立つターゲット集中が発生するのに、回避前提な上に無駄に尻尾の当たり判定が残り弱い」とか設定としても「なんかこのMMOやりたい」といった基本的な説得力を欠いてしまっている。このゲームとこのシステムでやってみたい!があって初めて作品としてプラスになる、そもそもゲームをゲーム以外のソフトウェア上で実行している以上どうしてもそこが弱点になっていることは承知の筈だろう。やってることで言えば「ドラえもんにポケット無いけど外見カワイイからいいよね」である。ポケットはフォーマットにあたって一番重要で、コロコロ変化する外見、コロコロ変化する世界、そしてそこに積み重なる成長、この成長に対して成績表をろくに読めない痛みの様なものを感じてしまう。
別にゲームというフォーマット抜きでも「ごんぎつね」「手袋を買いに」「イソップ寓話」「カンタベリ物語」「きつねのライネケ」日本だけで狐の民話は四十話以上存在する、その中でパロディ、オマージュが無いというのも物悲しい。ゲーム性かオマージュを重ねて狐を追求し、人の視点、狐の視点をこまごまと理解し、追い求めるべきではないのか?エンジニアというものを抜きに少し物の見方が人間じゃないから殺しても構わん的な古い視点とその上で狐を好むというのは噛み合わないし、結論が「誰にも関わられずに済む都合の良い孤高のガワ」として狐を選んだだけだったのです。だからこそ、狐としての本能や視点の葛藤が深く描かれることはなく、ただ「人間の心を持ったまま、都合よく獣の皮を被りたかった大人の浅はかさ」であるなら孤独と孤高の違いを明確にしながら段々と理解すべきだったのではないか。文学というより、創作自体に宿るべき核が無い状態になってしまっている。




