『アパルトマンで見る夢は』のレビュー
https://kakuyomu.jp/works/1177354054887538700
キミカという役を演じきれず、壁にぶつかった主人公・舞花の自己探求と再生、舞花がアパルトマンで過ごす静かな時間と、絵描きである「かける」との交流を通じて進み、「自分を救えるのは、いつだって、自分の気持ち次第なの」に行き着くまでの内的変化がメインのお話、作品として舞台の成功と羽の生えた自分の絵で美しーく余韻を残す感じであった。
挫折した女優が、アパルトマンでの出会いを通じてどのように殻を破り再生するのかを基軸に純文学として成立していて、私としては気に入っている文章が一つあり、「錆びた椅子の短い悲鳴は、自分の心の声を、忠実に代弁したかのように、監督には思えた」がそれである。
ただ、正直モノローグとしてはかみ砕き過ぎ、食事後にピーナッツの32分の1がコロコロ動き歯の欠片と誤認するあの感じがしてしまう。自分が吹かしている時ならば「錆びは悲鳴か、誰の悲鳴か、ほかならず己が声は椅子が留めてくれたのだろうか。これだから現場では高い椅子でない方がいい。鉄パイプはいつも相容れないくらいに硬い癖に、こういう時だけは妙に寄り添ってくれるのだ。」という感じで書くと思う。
情景描写が人物の心理と見事にリンクしている、というなら藁にもすがるという依存的描写が上手くできれば成長の材料になるだろう。
しかし、作品として映像化するとそれなりに欠陥があり、絵と舞台が交わることあったの?となるとクライマックスに絵は出るがじゃあクライマックスで絵に挑戦するだけでいいし先ず最初から絵描きの設定要らんってことだよな?となる。
むしろ知らなかった間柄が絵描きでもなかったのに頑張って描きました!となれば話がまた別である。そしてパリである理由も不明、正直最後の絵からすればスペインのバスク、イタリアのヴェネチアとかの方が絵の流れからすれば合っている様に思える。というよりベースとなった絵が先ず思いつかない。パリのモンマルトルと言えば、サン=ドニ大聖堂とかイエズス会関係の場所でもあったりとか、ステンドグラスや王の墓でもある。むしろ最後に行き着くのは違う、という風になってしまう。あとフランスの象徴と言える鳥はニワトリである。サッカーチームのエンブレムにもなっている。ニワトリもトレーニングすれば一応飛べるは飛べるが…ますますパリを選んだ理由が分からないし、パリを活用出来ていない。エッフェル塔ぶっ壊して敵にねじ込んだエヴァの方が活用出来ているまである。
ここまで言う理由は単純で、ヴィクトル・ユーゴーが比較対象になるからだ、アレに勝てる前提と言わずとも、パロディくらいは欲しいものだ。
先ず私が商業として作るなら、モンマルトルの墓場、王族の歴史を詳しく知り、イエズス会の歴史と日本の関連を知り、そしてその上でステンドグラスを何度も見比べ、光というものを知る。カササギが最後の絵のモチーフだと予想している、ここで本来は白鳥であり、ステンドグラスに影響を受けて、青空と同じステンドグラスに覆われる中で光と共に彼女の白い羽が青に見える…という感じに文章をリードする。
で、レダと白鳥の方に繋げれば白鳥を書く理由になるし、ダ=ヴィンチに関してのエピソードもあるので作り易いからだ。しかもイタリアとフランスの一部以外でこのモチーフは見れない、場所を制限するに足る理由が明確に存在する様になるのだ。羽はあるけどパリコレに影響を受けて裁縫技術を描くように絵の具を固めて糸のようにして表現するとか、そういうフランスらしさがあまりにもない。しかも白いシャツのフランス人も中々に謎である、画家が白シャツ着るって結構な度胸だぞ。スープカレーに挑戦する白雪姫とかそんなレベルだ。そんな画家の男が嫉妬しているのに再現しようとしない、自分が上回るといったプライドもない、あの泥臭く革命を繰り返すフランス人が速攻で諦めるというのは解釈違いなのだ。
名詞に様々な意味が宿るように、特に国や地名にはその数千年の歴史が宿る。魅力的な要素はあるがまだ造形が足りない、ディテールが曖昧だ、と感じてしまう。




