表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
白黒出版・白版~本が売れない時代だから出版を考える~  作者: 伊阪証


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
33/34

「私この度、愛した人の弟と結婚することになりました。」のレビュー

https://ncode.syosetu.com/n3618ml/


過去一当たりの強いレビュー

想像力があると、より楽しめる作品である。文章は一つの場面を細部まで固定せず、人物の置かれた状況、目立つ小道具、感情の向かう先を短く置いて次へ進む。そのため、読者が表情、動作、室内の広さ、衣装、光景を頭の中で補える場合、このコンパクトさが説明不足ではなく、映像を組み立てるための余白として働く。文章を一文ずつ味わうより、場面を脳内で連続した映像へ変換しながら読む方が、本作の良さを受け取りやすい。

特に前半は、瑠璃が暮らしていた冷たい実家と、嫁ぎ先である一條家の賑やかさが、長い説明を挟まず対照的に置かれている。食卓、外出、ラムネやアイス、手巾、雪の中で失われた髪飾りといった物も、単なる設定紹介ではなく、その場面で人物が何を受け取り、何を失ったのかを視覚的に示す印として機能する。描写量そのものは多くないが、作者は場面の中心へ置く物を選び、それによって読者の中へ一枚の画を残すことができている。

また、場面を長く停滞させず、瑠璃の生活環境や周囲との距離が変わるたびに、新しい場所や物を見せていくため、前半には読み進めやすさがある。虐げられていた生活から、食事や会話のある家庭へ移る変化も直感的に分かり、細かな心理説明を読み解かなくても、瑠璃の安堵や戸惑いを想像できる。作者の強みは、文章だけで全てを説明することではなく、読者が補完しやすい輪郭を短く提示し、場面を映像として連結させる力にある。


この小説の問題点は存在の悉くが悪属性過ぎることだ。もう楽しみ方がドッピオvsリゾットみたいな感じになっている。

本作は、善良な主人公が悪い継母を倒す物語として読むより、自覚的に欲望を振りかざす悪と、愛や正義を名乗りながら同じだけ他人を壊す悪が衝突する物語として読む方が格段に面白い。宮子の悪は分かりやすい。夫を奪い、前妻を殺し、子供の異能を搾り、妖魔まで利用して自分の望みを通そうとする。対して瑠璃側の悪は、保護、家族愛、赦し、自己犠牲という美しい言葉に包まれているため、本人たちにも悪事として認識されていない。この二種類の悪が向かい合うことで、単純な勧善懲悪では出せない不気味さが生まれている。

とりわけ優れているのは、主人公側の悪が一人に集中せず、家族と制度へ分散している点である。和臣は殺人の事実を知りながら娘を守るという名目で隠し、宗次郎も事情を共有しながら公的な処理へ進まず、帝は自分の権力行使が悲劇の発端であるにもかかわらず、最後には正義の執行者として娘を処刑する。誰か一人が巨大な悪事を行うのではなく、複数の人物が「自分だけは仕方がなかった」と責任を少しずつ外へ押し出した結果、国家規模の被害へ育っている。悪が個人の性格ではなく、家族と権力の運用そのものに染み込んでいるため、宮子だけを倒しても本質的には何も解決していない。

瑠璃もまた、この構造の中心にいる。彼女自身が積極的に策謀するわけではないが、周囲の権力者、血統、異能、隠された善意によって利益を受け取り続ける。宮子の家庭が崩壊した後、一霞へ赦しを与える場面も、慈愛として読むより、勝者となった側が敗者の感情まで処理する場面として読む方が強い。瑠璃は自分を悪だと思っていないからこそ、相手が怒る権利、拒絶する権利、喪失を抱える時間まで奪える。宮子の暴力は目に見えるが、瑠璃側の暴力は善意の形式を取るため、抵抗そのものが恩知らずとして扱われかねない。この無自覚さが、宮子以上に暗い。

終盤の決着も、善の勝利ではなくより大きな権力連合が、孤立した悪を処理する政治劇として見ると非常に明快である。宮子には妖魔と子供の異能があるが、瑠璃側には一條家、白藤家、警邏隊、帝、血統能力が集まる。勝敗を決めるのは人格の正しさではなく、どちらがより強い家系、軍事力、制度上の発言権を束ねられたかである。瑠璃の覚醒も精神的成長の証というより、勝者側に決定的な兵器が追加された瞬間として働く。シンデレラのような善の報酬ではなく、血統と権力を持つ陣営が、別の血統と権力を持つ陣営へ勝利した話になる。

さらに面白いのは、悪役である宮子だけが比較的正直なことだ。彼女は嫉妬し、奪い、殺し、支配する。欲望と行動が一致している。一方、主人公側は愛しているから無視し、守りたいから隠し、子供へ責任を負わせたくないから、自分たちの責任を宮子一人へ集める。言葉と行動が反転しているため、読者は善意の台詞が出るほど、その裏にある損害を疑うようになる。この読み方では、父の告白も帝の裁きも感動場面ではなく、加害者が自分を善人のまま保存するための自己弁護として機能する。

したがって本作の悪対悪としての魅力は、残酷な悪役がいることではない。一方は悪役の衣装を着て悪事を行い、もう一方は善人の衣装を着て同じように他人の人生を決めるところにある。しかも後者が勝者となり、作中でも善として承認されるため、読後には事件が解決した安心より、最も強い悪だけが裁かれずに残った感触が生まれる。意図された救済譚から離れて読む必要はあるが、自覚ある悪と自覚なき悪の潰し合いとしては、人物、家族、国家制度の全てが同じ方向へ噛み合っている。

あまりにも悪を書くセンスが優れている。悪役ではない、正真正銘の悪である。


浮気は、相手側にどれほど問題があったとしても擁護できない。冷遇された、愛情を与えられなかった、婚姻を強制されたという事情は、関係を終わらせる理由にはなっても、相手を裏切ったまま別の関係へ移る免罪符にはならない。相手の行為を悪だと判断しながら、自分も同じ場所まで降りてしまえば、被害者だった事実と新たに加害者になった事実が並ぶだけである。

相手こそ男失格の人間失格という所業だが兄のあまりもんを掴まされる弟も中々災難である。

歴史的な婚姻を比較に出すなら、アリエノール・ダキテーヌがルイ7世との婚姻を終えた後にアンリと再婚し、領土、継承、王朝へ具体的な結果を残したように、まず以前の関係を清算し、次の選択が何を生んだのかまで示す必要がある。

香月との関係にも、瑠璃が彼自身を選ぶだけの積み重ねが足りない。隔離された狭い生活から婚家へ移り、食事、安全、娯楽、家族の温かさを与えられれば、その中心にいる香月へ好意を持つこと自体は不自然ではない。しかし、それは香月固有の人格を理解して選んだ恋愛なのか、初めて自分を保護してくれた環境への依存なのかが分けられていない。さらに、母の髪飾りを探した恩人が伊織ではなく香月だったという真相によって、過去の功績まで香月へ移されるため、瑠璃の恋愛は本人の判断ではなく、作者が香月へ加点して正解を教える形で決着する。

この構造では、伊織への愛と香月への愛の違いが生まれない。瑠璃が愛しているのは相手の人格ではなく、自分を救い、守り、居場所を与える「恩人」という役割ではないかという疑いが残る。恩人の名札が兄から弟へ付け替えられたことで恋愛相手まで移るなら、それは新しい愛を獲得したのではなく、依存先を同じ家の中で変更しただけである。

相手側の人物にも問題があり、伊織の偽装や香月の秘密主義も到底肯定できない。しかし、周囲が悪いことは瑠璃への感情移入を自動的に生まない。これまで自分で状況を変えず、対等な友人関係を築かず、家と男たちから用意された選択肢の中だけで感情を移してきた主人公へ、読者が突然「この恋を応援してほしい」と求められても難しい。本作に不足しているのは、瑠璃をさらに傷つける悲劇ではなく、彼女が婚姻と恩人への依存から離れ、自分の基準で誰かを選ぶ過程である。そこがないため、恋愛の成就は解放ではなく、兄で駄目になったから弟で収まったという妥協に見えてしまう。

このキャラ造形を見る限り男相手には対抗するために浮気するし実害のある女、女相手には努力せずに解決する魅力のない女、となってしまう。

編集者として商品の売れ行きとかを受け取る経験は多く、女性人気のある女性キャラはイケメン女子、面倒見の良さとかもあるが結構嫌われる要素があったとしても努力するキャラ、となれば結果は大きく変わる。これは経験則である。個人的に衝撃だったのはウマ娘のエイシンフラッシュとかか。元ネタの方もあるだろうけど。少なくともこれに惚れる、とか憧れる、と言える要素が主人公にはない。


で、最後に問題がある。特大のだ。

最も先に整理すべきなのが「帝」と「皇族」の扱いである。「王族」は架空国家にも広く使えるが、「天皇」「皇族」は現代日本語において、日本の皇室制度へ参照先がほぼ限定される。実際に「皇族」は皇室典範第5条によって構成員の範囲まで定められた法的身分であり、単に皇帝の親族を表す雰囲気語ではない。天皇についても、日本国の象徴であり、国政に関する権能を有しないことが憲法上明記されている。

ところが本作の「帝」は、娘の希望によって他人の婚姻を決め、最後には自ら娘を裁く、強大な統治権と処罰権を持つ君主として動いている。これは現在の天皇制ではなく、構造としては架空王国の専制君主に近い。それにもかかわらず、作中では「帝」「皇族」「御三家」「公爵」「鎖国」「文明開化」という、成立時期も制度も異なる言葉が同じ国家へ並べられている。歴史制度を組み直した世界ではなく、日本史と西洋貴族制から権威の強そうな名称を集めた状態であり、それぞれがどう接続しているのかを説明できていない。

皇帝という称号を根拠にすることも難しい。秦の皇帝号は、六国を統一した政が、それまでの王号を超える唯一の天下支配者を示すために創設したものである。しかも皇太子や皇后というものも与えないことで唯一絶対なものとした。そしてローマのインペラトルやカエサルを起源とする西洋の皇帝号とも、成立の根拠は異なる。そして何より本作の桜霞国には、諸国を統合した建国史、複数の王を束ねる秩序、他国を支配する帝国構造、王号では不足する理由のいずれも見えない。長い鎖国から開国したばかりの一国家であり、外国から商品や文化を受け入れる側として描かれている以上、作中の最高権力者は「王」で十分である。帝国ではない国家へ「帝」を置き、その一族を「皇族」と呼んでいるため、称号だけが国家設定から浮いている。これがもし他国を植民地として帝国として成立していたならば言い訳は立った訳だ。

さらに重大なのは、権威を借りる一方で、その権威を成立させた歴史への敬意がないことである。王統や皇統は、単なる豪華な衣装を着た一家ではない。国家の平定、軍事、法、行政、外交、継承、建設、その後の維持までに関わり、現在の国と社会が存在する理由の一部を担ってきた歴史的主体である。もちろん、その末裔を善人として描かなければならないわけではない。腐敗や犯罪を描くなら、その家が何を築き、その人物が何を裏切ったのかまで示すことで、初めて王朝への批判になる。

本作はその功績も制度も描かず、「皇族の姫」を殺人犯と妖魔使役者にし、その父である帝を強制婚姻と事件処理の当事者にしている。国家形成に関わる重みは利用せず、「皇族だから誰も逆らえない」「帝だから最後に処刑できる」という便利な権力札としてのみ消費している。自分たちの国家と一族が残っている理由に関わる存在から権威だけ借り、その恩恵を認識しないまま犯罪者の役を着せる。その扱いからは、制度への批判ではなく、対象を理解せずに使い潰すリスペクトに欠ける行為となってしまう。

この無頓着さは、作品全体の問題とも繋がっている。外国はラムネ、アイス、洋装、電飾、異国の妻を出すための箱となり、婚姻制度は切ないすれ違いを作る道具となり、軍や御三家は主人公を守る権力装置となる。どの文化や制度も、そこに生きる人間の歴史や責任ではなく、場面を派手にする小道具として扱われている。皇族への理解がこの程度なら、今後ほかの国家、文化、職業、宗教を題材にした際にも、同じ姿勢が出るのではないかという不安を残す。そしてキャラ造形も悪としては強いが特別深い訳ではない。だからなんとも言えない、となってしまう。

架空作品で皇族による犯罪を描いたという一点だけで、直ちに違法だとまでは断定できない。しかし、実在制度へ参照先が絞られる語を使い、殺人、強制婚姻、複数婚、隠蔽を結びつけながら、その語を選ぶ必然を説明できないのは、商品化において避けられるはずの法務・編集上の危険を自ら増やしている。単に国名へ「帝国」を足すだけではなく、皇帝号の成立、統合された諸国、皇帝家と公爵家の関係まで再設計する必要はあるが、少なくとも日本固有の皇室制度から離し、架空の皇帝家として扱う方が作品の内容には合っている。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ