第五話 ヒルダ、紳士なインキュバスに困る
「ヤマダさま、本日も無事をお祈りしております」
「おおっ、ありがとよヒルダさん」
迷宮探索届に不備はない。
ヒルダが頭を下げると、ボウズ頭の中年冒険者は立ち上がってギルドの奥に向かった。
転移魔法陣の扉の前で、行ってきますとばかりに背中越しに片手を掲げる。
私が見てなかったらどうするつもりなのだろうか。
恥をかかせてはいけないので立って見送っていると、肩に乗せたハムスターの使い魔がこちらにぺこっとお辞儀をした。
彼らは迷宮歴八年程のベテラン、ほとんどの冒険者は三年経たずに引退するか死ぬ。
胸元で小さく手を振る。
一人と一匹は部屋の奥に消えていった。
胸に手を当てて神様に無事を祈る。
その気持ちに嘘偽りはなかった。
席に戻ろうとすると玄関の扉が開いた。
背の高いショートカットの少女が、顔を真っ赤にしてズンズンとこちらに向かってくる。
昨日冒険者になったハジメだ。
普段着として渡した長衣を身に纏っている。
すらっとしているのでなんでも似合う、羨ましいものだ。
ヒルダが席に戻って背筋を伸ばすと、また扉が開いた。
入り口を覆い隠すようなシルエットが見える。
その人物は潜るように体を入れてハジメの後ろに駆け寄った。
大きな体、頭部には立派な角と蝙蝠のような羽根が見える。
――ハジメさん、やるじゃないですか。
あのルーキーはデーモンを引いたらしい。
だがあのデーモン、何か違和感がある。
目をひそめてハジメの後ろの男を改めて観察した。
角の形、羽根の形と生えている位置、よく見たらどちらもデーモンとは違う、もちろんオーガでもない。
――あっ!
レザーパンツの後ろでブンブン揺れる尻尾の先がハート型にぶら下がっている。
――これってもしかして……。
「ヒルダさーん! ちょっと話聞いてよ!」
「聞きます」
「クラウディオさん、あっこの人インキュ――」
ササっとカウンターの外に出てすぐさまハジメの口を押さえる。
あまり大声で言わない方がいい。
振り返って上司の席を見ると、ちょび髭の課長は親指を立てて、さっきまでヒルダが座っていた受付に向かった。
その様子を見ていた大男はホッとした様子でこちらに目礼を送った。
思わず片眉が上がる。
女泣かせのインキュバス、容姿端麗――こいつはちょっと個性的なお顔だけど、とにかく能力は低いくせに気性は軽薄で刹那的な者が多いと聞いている。
戦闘では弱いくせに、女の主人にとって危険度は極めて高い。
あまりに出現率が低すぎて、伝えることを失念していた。
「ぷはっ! なにすんだよ!」
すっと手のひらをずらすと、ハジメが目を剥いて騒ぎ出した。
「応接室へどうぞ」
「わかりました。行きましょうハジメさん」
歩き出すとまず大男がついてきた。
斜め後ろ、視界内に収められるように、なおかつそれなりに距離をとって歩いている。
自分がどう見られているかも分かっているようだった。
……ふーん?
「ま、待ってよ二人とも」
ハジメが慌ててインキュバスの隣に並んだ。
大男は主人の長衣の、ずり落ちかけていた肩先をさっと元に戻した。
……へー?
歩きながら眉間を揉む。
職員スペースの奥、扉をゆっくりと押し開く。
先だって中に入ろうとすると、大男が手を差し出して制止した。
「男性の強い冒険者さんはいませんか? 私と一緒ではご不安でしょう」
悪辣なはずのインキュバスは大きい体で背伸びをしながら、心配そうに周りを見回している。
進路を遮る太い腕を横目に、困り顔のおじさんを見上げると、目を伏せてそっと一歩後ろに下がった。
「……うーん」
ヒルダは唸りながら両手で顔を覆って、心の中で大声を上げた。
――このおっさん、めっちゃ紳士じゃん!
ハジメさんはなにを引いたのだろうか?
応接室の前でごちゃごちゃやっていると課長がやってきた。
「どうしたのヒルダさん、なにかあった?」
「いえ、使い魔の方が私一人で大丈夫かとご心配してくださって」
「すみません、わたくしがいらぬおせっかいを」
「あっ、そうなんだ、ヒルダさんの心配をあなたが」
課長はメガネのツルを持って大男のインキュバスを見やった。
「問題ありませんね、三人で中にどうぞ」
「いいんですか? わたくし種族がアレですけど」
「ヒルダさんは100階到達者だよ。直行便で魔界に帰りたかったら手を出してごらん」
――君、弱いけどいいやつだね。
そう言うと課長は受付に戻っていった。
「強いとか弱いとか……そ、そういう問題なんでしょうか?」
大男は受付に向かう失礼な上司を見ながら首を傾げている。
初めて見るインキュバスは課長よりは紳士だった。
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