第四話 ハジメ、おじさんに断られる
「リロールは?」
頭の上から低く、穏やかな男性の声が降ってきた。
爆発しそうな熱が、少し体から流れた。
「……え?」
クラウディオは椅子にかけていた大きな布を手に取り、震える肩にそっとまとわせた。
そしてそのままハジメの足元に屈みこみ、視線を合わせた。
細い目をいっそう細めて優しく問いかけてくる。
「卵交換は出来ますか? 遠慮しなくていいんですよ」
「りろーる……あっ、リロール!」
枕の隣に置いていたメモに飛びついた。
目当ての文言を見つけて指でしっかりなぞる。
・異界人が強く希望する場合、一回だけなら卵の交換に応じる。
魔界との契約上あまりやりたくはないらしいが、冒険者の意向は最優先するのがギルドの本分。
希望する場合は遠慮なく申し出るよう、ヒルダが言っていた。
「交換できそうですクラウディオさん!」
「そうですか! よかったですっ」
立ち上がってメモのページを見せると、クラウディオは安心したように胸に手を当てて、大きく息を吐いた。
その様子は高校の合格発表の時の母のようだった。
――この人、めっちゃいい人じゃん!
いけない、なんだかまた鼻の奥がつんとしてきた。
「ハジメさんは異界人の方ですよね、帰りたいなら再チャレンジするべきです」
「うっ、うん」
うわーめっちゃ泣きそう!
インキュバスって紳士!
「そうと決まればギルドに行きましょう。善は急げ!です」
「はいっ! パパッと支度しますから、ちょっと待っててください」
急いで通路に向かう。
善は急げ、全くその通りだった。
シャワールームの洗面台でさっと顔を洗い、髪を適当に手櫛で整える。
鏡に映る自分の顔は、すでに血色を取り戻していた。
ハジメ十八歳、もう大人だ。
置かれた境遇にだけは負けないと決めている。
――我ながら生意気そうなツラしてるね!
この長衣は普段着も兼ねている。
準備完了!
部屋に戻るとクラウディオは窓際に立って背中を向けていた。
「お待たせしました!」
「はい」
背中を向けたまま返事をして、こちらを振り返らない。
首を傾げる。
あれ?
「クラウディオさん?」
「……はい」
声がうっすら震えて、肩がしゃっくりをするように小さく跳ねている。
六畳間の隅っこでヒカルがよく同じ動きをしている。
一歩一歩近づいていくと、クラウディオは袖でゴシゴシと顔を拭った。
横に立ってそっと背中を撫でると、腰から生えた翼がビクリと開いた。
気にせずゆっくり撫で続ける。
分厚いレザージャケット越しに熱い体温が伝わってくる。
クラウディオの頬を、涙が伝っていた。
顔をしかめてはいない。
さっきまでの穏やかそうな顔そのままに、ただ涙が流れて止まらないようだった。
冷静になってみれば酷い態度をとってしまった。
「ごめんね」
頭がいっぱいになって人を外れ扱いしてしまっていた。
こっちが呼んでおいて、気に入らないから帰ってくれ?
人を舐めすぎだろ。
「いえ、すみませんこんな歳になって人前で泣いちゃって。
もう慣れてるんですよ?
涙は出ちゃいましたけど。ハハっ!」
「慣れたなんてそんな……」
レザーパンツに空いた穴から伸びる尻尾が、力無く揺れている。
ハジメは長衣の裾を握りしめた。
「呼ばれるたびにチェンジされたり、罵倒されたり、気を遣われたり、周りのインキュバスにもバカにされてます。
こんな自分なんかが卵から出てきてしまってハジメさんも申し訳ないです」
――ねえお姉ちゃん……父ちゃんいなかったら、からかわれても仕方ないのかな。
よくいじめられて帰ってきた弟。
仏頂面のくせに、抱きしめて背中を撫でてやるとヒカルはすぐに泣き出すのだ。
優しい子だ。
悔しいんじゃない、悲しくて涙を流していた。
ハジメは試合の前のように集中して、腹の底から息を吐いた。
――ごめん母ちゃん、ヒカル、ちょこっとだけ遅くなるかも。
一回目に満足しないやつが二回目に満足するはずがない。
女は度胸だ!
「――卵交換やーめたっ」
「……ええっ?」
クラウディオは朴訥な顔を斜めに傾けた。
ハジメはクスリと笑った。
肩にかけてくれた布が暖かい。
……この人も優しい人なんだ。
ハジメの夢は自分を育ててくれた母ちゃんみたいに強くて立派な母になること。
我が身可愛さでこの人を捨てるのは、なんだか気持ちが悪かった。
「せっかく来てくれたんだからクラウディオさんと一緒にやりたいよ!」
ハジメは笑顔で手を差し出した。
「よろしくね!」
クラウディオの目が差し出された手と自分の手の間で忙しなく揺れる。
握り拳が、緩んでは強く握られている。
唾を飲み込んだのか大きな喉仏が波打った。
「ねっ!」
だがクラウディオは目をぎゅっと閉じて、顔を横にブンブンと振った。
目元を腫らせたまま、怒ったようにこちらを見てくる。
「いーや! あなたさてはメチャクチャいい人ですね?
返品するなら早い方がいいですよ。
わたくしも一緒について行きますので」
「はあ!? な、なにいってんの!?
あなたがいいってこっちが言ってんの!」
「ダメです。あなたみたいないい人はゼッタイ異界に帰るべきだ。わたくし、全力で拒否させていただきます!」
そう言うとのしのし歩いてきて、目の前にドンと立った。
「失礼します」
そして少し屈んでからハジメの体を長衣の裾から掬い上げた。
「きゃっ!」
抱え上げて軽く揺すって持ち直すと、お姫様抱っこをして扉に向かった。
呆然としてクラウディオの胸の中で縮こまる。
見上げると、口を横一文字に結んだおじさんの顔が見える。
「お、おろしてよ」
「ダメッ。ワガママを言う子は許しませんよ」
「ワガママってなんだよそれ……親じゃあるまいし……」
悪態をついてみたものの、ハジメの頭は混乱の最中だった。
耳が熱い。
体を持ち上げるように差し入れられた太い腕、添えられた手のひらから、長衣越しにも大男の体温が伝わってくる。
こちらが顔を赤くしていることに気付いた様子もなく、クラウディオは扉の前に立つと、尻尾で掴んでいた部屋の鍵をグッと押し当てた。
部屋から出るとそのままゆっくり階段を降りていく。
「もう一回ですハジメさん、あなたのような優しい人が優秀な使い魔を引けないはずがない。
神様は必ずあなたを見ておられます」
「だ、だから、く、クラウディオさんがいいって」
「ダメッ、インキュバスはダメッ」
階段を降りるたびに太い首筋が目の前で揺れる。
ハジメはクラウディオの胸の中で両手を小さく握った。
結局持ち上げられたまま、大した抵抗も出来ずに宿舎の玄関まで運ばれるのだった。
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