第三十七話 ラウラ、お肉にかじりつく
うら若き少女が男の太ももに跨って、分厚い胸板にすがりついている。
筋肉質なフォルム、だが背中から腰にかけての柔らかな曲線が、どうしようもなく女を主張していた。
長衣の裾が乱れて真っ白な太ももが露わになっている。
重心を変えるたび柔らかそうなふくらはぎに筋肉が浮かび上がり、サンダルを引っ掛けた足首の細さを際立てていた。
あごを上げた少女が目を潤ませながら男に懇願する。
「チューさせてよ、おねがいだよ」
「……ダメっ!」
「もおおっ」
意志の強そうなはっきりとした眉が苦しげに歪められ、少女は唇をかみながら、太ももの上で跳ねるように腰を揺すった。
男は穏やかな顔のまま、身もだえる少女の背中を撫でた。
私は怒りと興奮でカッカしながら、ガツガツとカレーをかき込む。
――早く本番始めてよ!
共同キッチンに招かれた時は、まさかエッチを見せつけられるとは思っても見なかった。
ハジメちゃんは出会った時のままのエッチレベル0のザコのまま。
だが密着されて僅かに顔を歪ませるクラウディオを観察するその目は、獲物を前に体を低くした肉食獣のようでもあった。
――どう仕込んだんですの? クソッ……クソッ!
たぎる熱が鼻を通るたびに、香辛料の複雑な香りが口の中を抜ける。
味が残っているうちにもう一口!
ライスを掘るスプーンが忙しなく金属音を出している。
聖人様はすまし顔を装っているが、レザーパンツのわずかな陰影の変化を、熟練のサキュバスEYEが見逃すことはない。
――少女の無自覚な誘惑を我慢する年上の情けないおじさんか。
……イイね!
同じ淫魔としてコイツが気に入らないのは確かだが、ハジメちゃんをこんなに美味しそうに育てた手腕は、脱帽するに値する。
無知。
無自覚。
元気少女。
エロ。
全部合わさったら、それって最強じゃん!
「ううんっ、おかわりですわ!」
空のお皿を突き出すと、膝に跨ったまま少女が振り向いた。
「ラウラさん、話聞いてる?」
「勿論ですわ」
ため息を吐いたハジメちゃんは空き皿を取ってカレーをよそう。
「真面目な話してんだよ?」
差し出されたおかわりを受け取って、わたしはにっこり微笑んだ。
「ええ、さっさとエッチなこと、なさったら?」
「エッチなことじゃなくて、チューして体液交換して欲しいって話だよ……って、言葉だけだとエッチなことみたいだね、ハハハ」
赤くなって手のひらで顔に風を送る異界人の少女。
無知と優しさと責任感が混ざり合って、私にはとんでもないご馳走に見える。
……だというのに。
キッチンの片付けをしているインキュバスを見て、思わず舌打ちをした。
「聖人様! チューして差し上げたら?」
「……ラウラ殿、お戯れはおやめください」
「戯れ? 淫魔はお遊びでエッチなこと言いませんわよ」
なんで食べてあげないの?
――肉の悦びと共に生きる。
淫魔の本分を、私たちをバカにしているの?
クラウディオは穏やかな表情を崩さずにわたしを見たが、口を開かない。
「ハジメちゃん、かわいそうじゃありませんか?」
スプーンでお皿の縁を叩く。
聞いているんですの?
口を開こうとすると、誰かが袖を引っ張った。
どこか得意げな顔をしている。
「ラウラさん、かわいそうだからチューされても、わたし嬉しくないよ」
「はあ? 私がチューしてあげた人たち、みんな喜んでましたわよ?」
「――ええっ!?」
「ハジメちゃんにチューされて嫌な気持ちになる人はラビリオスにいません。気にしないでブチュっと行きなさい」
ヒルダと聖人様に水でも掛けられたのかしら。
エッチなことをしたいと思う気持ちに、いいも悪いもありません――いや、イイ! ですわ!
「ここ最近のハジメちゃん見てましたでしょ? あなたに形を変えられて、また戻って、可愛い子じゃありませんか」
「はい、ハジメは世界一可愛いです」
「へっ、へへへ」
「……話の腰を折らないでくださる?」
気が抜けちゃいますわ。
大きく咳払いすると二人が頭を下げた。
「こうも意見が違うなら、譲り合うのが人の道。
聖人様、この件――あなたはハジメちゃんになにか譲りました?」
顔を傾けて問いかけると、聖人様は口ごもった。
ほら、後ろめたいんでしょ?
なら考え方を変えなさいな。
「……あなたのために身を投げ出してるこの子は、哀れな犠牲者ですか? いえ、慈悲の実践者なのです」
「――ハッ!?」
「神の恩寵はすでにこの世に満ちていると聞きました。少女の献身を単なる犠牲とするのか、ぐるぐる回る悦びとするのか、あるいは口にしないのか。お坊様、真の慈悲とは難しいものですわね」
「ら、ラウラ殿……」
サキュバス流房中術奥伝『聖職者殺し』。
道徳で意地を張るやつは、道徳で動かすのが最良、今こそ勝機!
ハジメちゃんは言いくるめるような問答に、なにか言いたそうにこちらを見たが、言葉には出来ないようだった。
喉が詰まったように唾を飲み込んで、黙り込む聖人様を心配そうに見つめている。
――ほらっ、行きなさい!
肘で突くと、俯いて佇むクラウディオの前に向かい、だらりと垂れ下がった手を握った。
「ハジメ……」
手を取ったまま、また一歩近づく。
クラウディオを見上げて、大きな瞳を一重まぶたで隠す。
血色のいい頬に、まつ毛の陰が落ちた。
……イイですね、やればできるじゃない。
大男の目線が、唇と閉じられたまぶたの間を彷徨っているのがわかる。
――今ですわっ!
「……聖人様、知り合いの店を紹介しましょうか?」
「……は、はい?」
「ハジメちゃんじゃなくても、エッチなことをすればレベルは上がります。ブツを入れなくても体液の交換はできますから、彼女たちのレベルも吸わなくてすみますわ」
この少女は根性なしの聖人様には過ぎたごちそうですわ。
いらないなら私がいただきます。
クラウディオはラビリオスで人気の説教師だ。
易しくて厳しくない語り口は夜職の連中とも相性がいい。
夜職の子の中にも聖人様ファンがいる。
お金ももらえるし、喜んで相手をしてくれるだろう。
「だ、ダメだよ! なに言ってんの師匠! バカ! エッチ!」
ハジメがクラウディオに抱きつきながら、こちらに顔を向けて悪態をついている。
まあまあ、待ちなさい、弟子よ。
人は選ばされても納得はしない。
自分で選んだ時に納得するのですわ。
「大事なことはハジメちゃんを還すために全力を尽くすこと。そうですわね?」
「もっ、勿論です! 最短で異界に帰してあげるんです!」
「ハジメちゃんとチューするか、行くところに行くか、どちらを選んでもレベルは上がります……あなたは聖人のままでね」
「……」
「く、クラウディオ」
ハジメちゃんは追い詰められると逆に攻勢に出るタイプ。
本職の脅威に煽られて、ハジメの顔色は赤く変わっていた。
体を密着させてあごを突き出す。
浅くなった呼吸、薄く開いた唇の奥に真っ白な歯が見える。
圧倒的な合意サイン。
行くしかないでしょ!
だが、熱に当てられた聖人様はフラフラになりながら、震える手でロザリオを手繰った。
枢機卿にさえパンツを下ろさせた私の『聖職者殺し』は、聖人様にはイマイチ効果が薄かった。
思わず親指の爪を噛む。
あんなに美味しそうな人間を目の前にして、こんな時でも神様ですか?
……なんだか悲しくなってきた。
私たちは、淫魔は、誰かに許可をもらわなければいけないようなことをしているのだろうか。
やっぱり神様は――同じ場所には来てくれないのですかね。
唇を引き締めて天井を見上げたが、ハッとして前のめりにテーブルに帰ってきた。
――なーにが神様、私見たことありませんわ!
油の染み出した紙袋に素手を突っ込んで、こんがり焼けたスペアリブを引っ張り出す。
大口を開けて骨ごとかぶりついて、歯で肉をこそぎながら噛みちぎる。
舌に、脳に、身体に染み渡る――味、味! 味!!
ベッタベタになった口周りを、またベタベタの舌でぐるりと拭う。
肉の悦びこそが淫魔の道!
ああっ、神様! ここにいらしたら腰が抜けるほど気持ちよくして差し上げますのに!
金属板が貼られたアイランドキッチンに、真っ赤な瞳が写っている。
爛々と、でもほんの少し悲しげに輝いている。
食べ残しを置いて手のひらを舐め上げた。
まあ――まずは聖人様、かな。
天国より地獄の方が気持ちがいい。
あなたも魔物ならわかるでしょ。
私は足を組んで、見つめ合う主従を観察することにした。
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