第三十八話 ハジメ、我が道をゆく
上手く前蹴りが決まるとか。
それか、狙ったところに槍を突けた、とか。
いや、チャーハンをパラパラに炒められた、そんなのでもいい。
なにをするにも、『手応え』ってあるんだ。
クラウディオの胸に飛び込んで、あごを上げて目を閉じた時、わたしは確かに手応えを感じた。
分厚い胴回りに腕を回すと、お互いじっとりと汗をかいていた。
真っ暗な視界。
でも見られてるのがわかる。
唇に向けられる、ねっとりとした視線。
触られたみたいでピリピリする。
思わず唾を飲み込もうとしたが、いつの間にか喉がカラカラになっていた。
喉が絡んで、鼻から空気が漏れる。
「んっ……んぅ……」
「ハジメ……」
クラウディオの顔が少し近づいたような気がした。
生暖かい、しっとりとした空気が顔を撫でている。
ん?
ちょっと変な声出ちゃったけど――なんか、手応えあり!
こっそりと薄目を開けると、そこには目を潤ませたクラウディオがいた。
少し口を開いて、息を荒くしながらわたしの唇を見つめている。
……すっごい見てんじゃん。
なんだよ、やっぱりエッチなんじゃんか。
身体に熱が入っていく。
いい試合の終盤みたいだ。
なんかテンション上がってきたかも。
これはチュー、もらってくれるんじゃないですか?
――わたしじゃなくてもレベルが上がる?
エッチ師匠、ひどいよ。
……そんなのダメでしょ。
これはわたしとクラウディオ、二人だけの道なんだ。
もう一押し、着替えを見てくるマリちゃんの真似、どうだ?
視線を感じながら、うっすら唇を開けて、歯の裏に舌をすべらせる。
唇の奥でピンク色の舌が踊るのがわずかに覗く。
クラウディオは慌てふためいて、気絶しそうに頭を回した。
手応え! 手応えしかない!
抱きつく腕に力を入れると、もっとわたしたちは近くなった。
この鼓動が自分なのか相手なのかもわからない。
ああ、ドキドキしてるんだ、わたし。
――ハジメちゃん、彼氏と抱き合ったらドキドキするんだよ!
シホちゃん。
彼氏じゃないけど、変な感じがしてきたよ。
これのこと言ってたの?
……ふっと考えて、改めて相手の顔を見た。
どのクラウディオにわたしはドキドキしているのか確認してみたかった。
彼氏?
父ちゃん?
使い魔?
友達?
いろんな人として、この人を見てみる。
でもどのラベルを貼ってみても、わたしの胸を叩く感情は、感触を変えなかった。
――この人はこの人ってことなのかな。
ふと、目の前で、大きな手が助けを求めるようにロザリオを握った。
――ん?
首を傾げて顔色を伺うと、クラウディオは熱に浮かされたように、眉をしかめていた。
目尻の端で、涙と汗が潤って雫になりそうだった。
……んー、これは。
わたしはクラウディオの苦しそうな顔を観察するのが好きだ。
ストレッチしてる時、くっついてる時、つまんでる時、この人はとてもいい顔をする。
だからわかる。
この顔は――本当に嫌がっている。
わたしはロザリオを握る手に自分の手を重ねた。
「……わたしとチューするの、いや?」
「いえ、めちゃくちゃしたいです」
首を横に振るクラウディオの頬に涙が伝う。
へへ、だよね。
お腹にグッとして感じるし。
「したいけど、やりたくないの?」
「少し違います。しないのが、わたくしの選んだ道だからです」
「……よくわかんないけど、なんかわかったよ。尊重する」
道かあ。
空手も空手『道』だし、クラウディオもなにかに取り組んでいるってことなんだろう。
わたしは抱きついたまま、首だけ後ろを振り返った。
「ラウラさん、やっぱりチューやめる。わたしたちには向いてない」
師匠は額に手を当てて首を横に振った。
「……はあ。エッチは向いてるとか向いてないとかじゃありませんわ。『必要』なのです」
「必要だからってエッチしても、わたしは楽しくないかも」
「生意気な弟子ね」
ラウラさんは下唇を突き出して、足を組み替えた。
なんか今日の師匠は、エッチだけどエッチじゃないな。
わたしはもう一度クラウディオに向き合って、後ろに回した手を背中に伸ばした。
ゆっくりさすると、強張っていた大きな体から、少しずつ力が抜けていった。
「ハジメ……ありがとうございます」
でも、まだ熱は引いてないようで、顔は上気して赤らんでいる。
ホッとしたのか、残っていた涙が頬に伝いだした。
「いいよ。でも――できることはやろうね」
口を軽く開ける。
つま先を立てて背伸びをして、クラウディオの頬に口を寄せた。
「へ? ――ッ!?」
唇をつけないように、舌を立てて涙をすくい上げる。
「涙も体液でいいんでしょ?」
ああ、もう片方もだ、もったいないよ。
じっと目を見つめながら、逆の頬に舌をすべらせる。
少ししょっぱいな。
「あわわ」
クラウディオの黒目が上に回る。
腰が砕けたように、キッチンの床に尻餅をついた。
尻尾が前に回って、怯えるように太ももに挟んで震えている。
「床がすべったの? 大丈夫?」
「だ、だいしょうぶ、です」
なら良かったよ。
わたしはホッとして胸を撫で下ろした。
チューじゃないからエッチじゃないけど、とりあえず体液交換ってこれでもいいのかな?
「ラウラさん、涙でもいいの?」
「あっ……んっ!――ハッ!? い、イイですわ! イイですとも! 体液ならなんでも!」
「良かったねクラウディオ。おやつ再開だよ」
「……」
床に座って呆然とするクラウディオに跨って、耳元でささやく。
「……いっぱい、泣かせてあげるからね」
じっと顔色を伺う。
クラウディオはさっきと同じように、熱に浮かされたように、眉をしかめていた。
目尻の端で、涙と汗が潤って雫になりそうだった。
……んー、これは。
――さっきと違うね。
イヤだけど、イヤじゃない顔だ。
わたしの好きなヤツ。
そりゃイヤじゃないよね、エッチなことはしてないんだから。
後ろでゴゾゴゾと衣擦れの音がして、ラウラさんの息が跳ね上がった。
「ちょ、ちょっと出かけますわ! ご機嫌よう!」
熱を持て余した少年のように、サキュバスはキッチンを飛び出していく。
良かった、いつもの師匠だ。
なんか元気が出たみたい。
クラウディオはインフルエンザの時のヒカルのように床でうなされている。
床もひんやりして気持ちいいけど、ベッドで寝た方が落ち着けるはずだ。
わたしはキッチンを手早く片付けた。
うずくまる相棒に肩を貸して、301号室に続く階段を登っていく。
一段、また一段、ハート型の尻尾が所在なく揺れて、穂先から汗が滴っていた。
口の中に、知らない間に唾が溜まっている。
喉を鳴らして飲み込む。
クラウディオは首を傾げてこちらを見た。
翌日探索前にステータスを鑑定してみた。
ツヤツヤのわたしのレベルは上がっていて、ゲッソリしたクラウディオのレベルが下がっていた。
加減はこれからだけど――おやつ問題は解決かな。
※
魔法陣を踏むと眩い光に包まれた。
そういえば、ここに来た時も、こんな感じだったのかもしれない。
石段から見下ろすあのなんでもない日常。
わたしはあの街に帰るんだ。
「よろしくね、クラウディオ」
「お任せください」
目の前に迷宮1階層の洞窟が広がっている。
わたしが槍を担いで笑いかけると、クラウディオは首を鳴らして返事をした。
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