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第三十六話 ハジメ、痛い女になる



 迷宮探索44日目、わたしたちは、やっと仲直りをした。

 迷宮探索45日目、わたしたちは、早速喧嘩をしていた。


 ギルド応接室の座り慣れたソファーに深く腰掛けて足を組むわたし。

 隣のわからず屋は、なにを畏まっているのか、浅く腰をかけて背筋をピンと伸ばしている。

 なんだよ、お高く止まっちゃってさ。


「……うーん」


 テーブルの向こうに座るヒルダは、眉間に中指をやってぐりぐり揉んでいる。

 こんな朝早くからかわいそうに、仕事をしているところをクラウディオに捕まったんだ。


 わたしは隣に聞こえるように大きくため息を吐いた。

 組んだ手の指先で腕をトントン叩く。


「いいじゃん、キスくらいさせてくれたらさ!」

「……いやですっ」 


 まーたそれですか。

 こっちは真面目な話をしてるのに感情論ばっかり言っちゃって。

 出来た人だと思ってたけど、まさかこんなにワガママだとはね!

 だよねえヒルダさん!

 

 気がついた時には、目の前でヒルダさんが手刀を振り下ろしていた。

 わたしの視界に星が飛び散った。


 外から正午の鐘が聞こえてくる。

 使い魔の人権講習はひとまず終わったが、今はイセカイのお姉ちゃんの説教が続いている。

 

 わたしはこっそり鼻をひくつかせた。

 隣に座ったヒルダさんの向こう、開け放たれた窓の向こうからいい匂いが漂ってくる。

 

 クラウディオは広場に昼食を買いに行った。

 グレンさんやってるかな。

 今日はあの人が焼いた骨付き肉を食べたい気分。

 ――そうだ! 昨日の残りのカレーと食べたら最強じゃん!


「――最強じゃん!」

「声、出てますよ」

「あっ、すみません」


 呆れたようにこちらを見て、なにか口を開きかけたが、諦めたように目を伏せた。

 コーヒーに口をつけて、ほう、と息をつく様子。

 ほとほと疲れたようだった。


「……わたし、間違ってる?」


 溢れてしまったつぶやきを拾って、ヒルダさんの片眉が上がった。

 相変わらず綺麗に整えられている。

 この人のテーブルの半分はお化粧品でいっぱいだ。


 昨日、いったん迷宮に行こうと提案したクラウディオに、わたしは反対した。


 ――淫魔を飼うならエッチをしなよ。


 この問題を解決しないと、きっとまた、なあなあで痛い目を見るんだ。

 クラウディオにご飯を食べさせてあげたい。

 わたしのレベルも上げたい。


 ――わたくしは、もうお腹いっぱいです。

 

 そんなこと言ったって、この人はわたしの胸の谷間を覗き見するエッチさんなんだ。

 そういう種族だろ。

 それを我慢させるのは、かわいそうじゃない?

 

 一番できそうな『ぐるぐる』はなんだろう。

 エッチ師匠の言う通りなら、体液交換でもいいらしい。

 レベルの高いエッチはともかく、チューならできる。

 ラウラさんに許せて、クラウディオに許せないことなんてない。


「いい考えだと思ったんだけどなー」

 

 コーヒーを啜る音。

 ヒルダさんはカップを置いてわたしの手を握った。


「かわいそうだからってチューされて、あなたは嬉しい?」

「……ち、ちがっ……そういう意味で言ったんじゃ……」

「じゃあ、自分のチューは喜ばれて当たり前?」

「えっ! してあげるって言ったらラウラさんは喜んでたよ!?」

「ハジメさん、現実を見なさい。クラウディオさんは怒ってます」

「……うわーっ!?」


 イタイ女ですわたし!

 

 お姉ちゃんに謝って、わたしは応接室を飛びだした。

 職員スペースを一直線に走り抜けて、ギルドの扉を押し開ける。

 広場を走り回ると、角の生えた大男は簡単に見つかった。

 グレンさんからパンパンの袋を受け取っている。


 わたしが背中に飛びついて謝ると、向こうも謝ってきた。


「せっかくチューしてくれるのに……嬉しかったのに、断ってごめんなさい」


 お詫びです、とスペアリブを見せてくる。

 自分じゃわからないけどグレンさんの骨付き肉を食べたいって顔をしてたらしい。


 ひとまず仲直りできた。

 口端がヒクヒクする。

 思わず頬が上がっている。

 嫌ではないのか。

 なんだよ、びっくりさせないでよ。

 

 背中から飛び降りて、二人並んでギルドに向かう。

 ヒルダさんも一緒に食べたらいい。

 

「でもハジメ、ちゃんと聞きなさい。簡単に人に唇を許してはいけませんよ」


 節くれだった指が一本、空に向かって立てられる。

 首から下げられたロザリオが日光に反射している。

 そういや、この人はお坊さんでもあった。

 

 すれ違う人や屋台の店主たちがクラウディオに頭を下げている。

 軽く会釈を返す様は、ずいぶん手慣れていた。

 たまに教会に頼まれて説法をやっているらしい。


「簡単じゃないよ。好きな人だけだよ」

「ありがとうございます」


 わたしが好きだって言っても、この人はドギマギしない。

 好きの意味をちゃんとわかってないことを、わかってくれてるんだろう。

 そういうところも好きだ。

 

 ……好きじゃないと、チューしてあげようなんて思わないよ。


「あなたのような人は、どんな悪い人にでもいいところを見つけて好きになるでしょう。それはわたくしも見習うべき美徳ですが、チューとは分けて考えなさい」

「誰でも好きになるから、誰とでもチューするって? そんなバカな」


 クラウディオは苦笑いをしてロザリオを握りしめた。

 

「わたくしもお胸をのぞいてしまう悪者ですよ」

「ハハっ! クラウディオならそのくらい、見せてあげるよ」


 おどけて長衣の胸元を引っ張ると、おでこに優しく手刀が降ってきた。

 でも、目が泳いでいるのもわかる。

 この顔、もっと見たいんだよね、よくわからないんだけど。

 

 クラウディオは大きな肩をすくめると、わたしより先に歩き出した。

 揺れる尻尾を見ていると、体の奥で火が灯ったような気がした。


 熱を飛ばすようにブンブン顔を振る。

 今のわたしたちの問題はエッチなことだ。

 これが解決しないことには、わたしは迷宮には潜らない。

 淫魔と一緒にやっていくんだから曖昧にしちゃダメだ。

 

 ラウラさん、お家にいるかな。

 ギルドからの帰り道、グレンさんからもう一袋、骨付き肉を注文した。


 

読んでいただきありがとうございます。

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土曜日定期更新です。

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