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第三十四話 夢見る少女ハジメ、朝を迎える



 夜のギルドホール、わたしと夜勤のヒルダさんしかいない。

 カウンターに置かれたコーヒーから湯気が立ち上がっている。

 それを目端に捉えながら、わたしは渡された書類の標題を目で追った。


 『卵交換(リロール)同意書』


「色んなケースがありますが、相性が良すぎてリロールをおすすめすることになるとは……人の縁は不思議なものですね」

 

 なにも頭に入ってこない。

 スマホを契約した時みたいな、よくわからない約款が続き、一番最後に署名をするところがある。

 記名欄は二つ。


 ――クラウディオ=ベネディクトゥス


 片方はすでに埋まっていた。


「……これ、いつ書いたんだろう?」


 呟きながら、頭の中にラビリオスでの日々がぐるぐる回っていた。

 地上、迷宮、ベッドの上、キッチン。

 知っているクラウディオさんはいつもわたしのために頑張っていた。

 父として。

 母として。

 使い魔として。

 友達として。


 ――一人で耽ってただけじゃありませんの?


 初めて『食事』を取った、あの日だろうか。

 あれからずっと我慢してたのかな。


「初日ですね」

「……え?」

「ハジメさんの使い魔になった日の夜です。夜勤の課長が書類を受け取りました」

「な、なんでよ」


 あの時あの人は泣いてたんだ。

 人の役に立ちたいけど、自分じゃ力不足だって。

 なんでその日に帰りたくなるんだよ。


「わたしに――嘘ついてたわけ?」


 家族じゃない、使い魔でも友達でもない。

 じゃあ、あの人はなんなの?

 

「さあ、それはご本人にお聞きください」

「……そうするよ」


 カウンターの上、同意書を滑らせて突き返す。

 全身に絡みついていた不安が、頭にかかっていたモヤが、代わるようにやってきた怒りに焼き尽くされていく。

 冷えていた体に血が巡りだす。

 頭が熱い。

 今日寝れるかな。


 怒気を押し込めるように細く息を吐き出す。

 ヒルダさんの言う通り、本人に聞かないとわからない。

 コーヒーカップに手を伸ばそうとして、ふと視線を感じた。

 ヒルダさんは唇に手を当てて、わたしの口元を見ていた。


「……一つ、いいですか?」


 真剣な眼差しに、伸ばした手をカウンターに戻す。


「あ、はい」

「なんでそんなに厳しいんですか?」

「は?」


 誰が? わたし?


「みんなに優しいあなたが、なんであの人にだけ厳しいんですか?」

「なっ――なにがだよっ!」


 立ちがった足がカウンターに当たる。

 コーヒーの黒い水面が揺れて、皿に飛び散った。

 ヒルダさんの指先がゆっくりテーブルを叩く。


 家族。

 主人と使い魔。

 友達。

 ……恋人。


「私の知るあなたたちは、そのどれでもなかった。でも最近は、その全部に見えます」

「……それのなにが悪いの?」


 気がついたらここにいたんだ。

 外国人だらけの街。

 ゲームみたいな迷宮。

 なにもわからないイセカイに放り出されて、なにもわからないままどうすりゃいいんだよ。

 寂しくて泣いてたら、奇跡みたいに優しい人がわたしのところに来てくれたんだ。

 頼って、なにが悪いの。

 

 ――お前、父さんいないんだろ?


 わたしは子供みたいに唇を噛んで、コーヒーを飲むヒルダさんを睨みつけていた。

 

「あなたにとって私はなんですか?」

「ひっ、ヒルダさんはヒルダさんだよっ」


 眠たげな瞳。

 会った時からクールだけど、ずっと優しかった。

 ヒルダさんにもらったアパルトマンの番号の紙は、クローゼットの奥、大事なもの入れにしまってある。

 

「じゃあクラウディオさんは?」

「クラウディオさんは――っ!」


 初めて会った日、泣いていたクラウディオさんは?

 さっき医務室で爆発したクラウディオさんは、だれ?

 椅子に座り込んで顔を覆った。

 

「……うううっ」


 わかってた。

 クラウディオさんは、クラウディオさんだ。

 覆った手のひらの中に水が溜まっていく。


「現実を見なさい、ハジメさん」

 

 真っ暗の視界のまま、顔をブンブン横に振る。

 わたしはイセカイの砂漠で、都合のいい夢だけを見ていた。


「見なさいっ!」


 なにを見るんだよ。

 もう嫌になるくらい見てきたんだよ。

 細い指が手首を掴んだ。

 手のひらが顔から剥がれていく。


「やあっ!?」


 目の前にヒルダさんの顔があった。

 カウンターに身を乗り出してわたしを睨みつけている。


「――なんでウチに来なかったの?」

「……え?」

「話を聞くって言ったでしょ?」


 横一文字に結ばれた薄い唇が、悲しげに震えていた。


「ずっと心配してたんだよ? 待ってたんだよ?」

 

 見慣れた瞳が潤んでいるのがわかって、胸が締め付けられた。

 ちゃんと目を開けると、目の前には、周りには優しい人だらけだ。

 

 ヒルダさん。

 ラウラさん。

 クラウディオさん。


 わたしにはちゃんと、必要なものが差し出されてた。

 駄々を捏ねてたんだ、この形じゃ嫌だって。

 

「……ごめんなさい」

「いいですよ、わたし――」


 ヒルダさんは重そうなまぶたで、下手くそなウインクをした。


「――妹、欲しかったから」


 広場から聞こえてくる屋台の喧騒は、いつの間にか消えていた。

 わたしたちは二人で笑って、帰り支度をした。

 そのまま手を繋いで真っ暗な街を歩いて、その日はヒルダさんの家で泊まった。

 家には元孤児の女の子が五人いて、みんなでぎゅうぎゅうで寝た。

 

 久しぶりに家族の夢を見た。

 母ちゃんとヒカルの寝顔がはっきりと、浮かんでいた。

 いつも二人を起こさないようにそっと家を出て、石段を登る。

 ……わたし、あの街に帰りたいな。

 キッチンから包丁の音と、パンの焼ける匂いがする。

 わたしは袖を捲って、ヒルダさんの隣に並んだ。


 

読んでいただきありがとうございます。

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土曜日定期更新です。

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