第三十三話 クラウディオ、知らないおじさんになる
――どんなに優れた冒険者でも、必ず一度は、そのツケを払う瞬間が来ます。
昔ヒルダさんに教えてもらった金言だ。
あの時、無理を言ってレベル1のインキュバスを迷宮に連れ込んで、クラウディオさんは丸焦げになった。
そして今、レベル1のヒューマンに迷宮に攻略させるために奮闘したクラウディオさんは、過労と心労でぶっ倒れた。
ヒルダさん。
わたしは二回とも、クラウディオさんにツケを払ってもらったよ。
「クラウディオさん……ごめんね」
窓の外はすっかり暗くなっている。
ガラスの向こうにまんまるのお月様が見えた。
アルコール消毒液と包帯の匂い。
わたしたちはギルドの医務室に居た。
ベッドから丸太のような腕がはみ出している。
しがみつこうとすると、ラウラさんが肩に手を置いた。
……そうだ、そうだね。
手仕事で荒れた指先がぴくりと動いた。
手を取ってさすっていると、寝息がだんだん整っていった。
呼吸するたびに、胸までかけられたシーツが乾いた音を立てる。
最後にこの人の寝顔を見たのはいつだっけか。
「淫気がよどんでクッサいですわ。過労よりこっちね」
ラウラさんはベッドの向こう、窓際に立った。
扇で顔の下半分を覆って眉をしかめている。
「いんきってなに?」
「ハジメちゃんが――ああんっ!? ってなった時に出るヤツ、淫魔のご飯です」
「変な言い方するなよ」
「……美味しいんですのよぉ?」
体を抱いて身を捩ると、大きくスリットの入ったドレスから、陶器のように白い足が露わになった。
今はこの人に付き合う気分じゃない。
そっぽを向くわたしに、問い詰める様な声が飛んだ。
「ご主人様として、ちゃんとご飯、あげてました?」
「……いっぱい食べてたもん」
「どうせ一人でヨロシクやっただけでしょ?」
ラウラさんは白魚のような指をこちらに向けて、ぐるぐると回す。
師匠、なんでそんな言い方するんだよ、友達じゃんか。
拗ねてにらみつけると、ラウラさんは視線をはねのけるように指を突き出した。
「言いましたわよね? エッチはぐるぐるだって」
真っ赤に尖った爪先がまあるい円を描く。
目で追っていると、頭が重くなる。
「あなた童貞のインキュバスにおあずけして、一人で耽ってただけじゃありませんの?」
「――なっ!?」
「ハジメちゃんは聖人様になにをさせてあげたの? この人パンクしちゃったじゃない」
な、なにって?
そんなの決まってるよ……ねえ?
くっついて、頭を撫でて、体を撫でて、それから……それから?
「入れさせてあげた?」
「チューしてあげた?」
「触ってあげた?」
「舐めてあげた?」
「飲んであげた?」
「きっ――きたないよっ」
――あっ。
満月を背景に佇むサキュバスの目が、悲しげに揺れた。
「ご、ごめんなさい。そういう意味じゃないんです」
ラウラさんは汚くない、いつも自信満々で綺麗だ。
わたしどうしちゃったんだろう。
こんなこと言う人間じゃなかった。
――いや、もともとそうだったのかな。
視界が涙で滲んでいく。
「わかってるわ。でもわたしのいうこともわかってね。
犬を飼うなら散歩は必要。淫魔を飼うならエッチをしなよ」
「ううう」
「ハジメちゃんは淫魔の主人に向いてないわね」
「そっ、そんなことないです」
ヒールが石床を叩いて、わたしの前で立ち止まった。
メソメソしてもラウラさんは抱きしめてくれなかった。
「聖人様とエッチする?」
「こ、こわいよ」
「じゃあ――卵交換する?」
「い、いやだあ」
「じゃあ――」
ラウラさんがわたしの体に飛び込んできた。
「手伝って、あげようか?」
首筋に唇が当たっている。
なにかが鼻をくすぐったかと思った瞬間、濃密な甘ったるい香りに包まれていた。
――あ。この匂い。
「このままじゃ、壊れますわよ」
――え?
「聖人様との初エッチ手伝いますわ」
「――あっ、いやあっ!」
首筋にチロチロと湿ったなにかが這っていく。
肩のラインからゆっくり上がって、滲んだ汗を舐め取りながら、耳元に辿り着いて、耳たぶを強く噛んだ。
絞った目尻から涙が飛び散った。
「このままここでやっちゃいましょうよ」
ラウラさんが小さな頭をベットに振り向けた。
芳香に当てられたのか、無意識に山が盛り上がっている。
「……あっ、はぁっ」
うずく体に身を捩りながら、責めるように視線をやって、わたしは息を呑んだ。
ラウラさんは涙を流していた。
「元気なハジメちゃんに戻ってくれるなら、嫌われても構いませんわ」
「ラウラ、さん……」
「嫌われてもいい。でもその時はもう一回、また一から友達になってくださいましね?」
「――嫌いになっても、ラウラさんは友達のままだよ」
「……こんなやり方しかできなくて、ごめんなさいね」
ラウラさんは顔を隠すようにわたしに縋り付いて、甘い匂いがもっと強まった。
指の先から疼きがじわじわ溜まっていく。
皮膚の輪郭がぼやけて、夜の湿った空気がそのまま肉に触れてくるみたいだった。
ラウラさんの髪をすくように撫でる。
もう抵抗はできない。
リロール。
ぐちゃぐちゃになったわたしとクラウディオさんも、やり直せるんだろうか。
それとも、わたしがこの形のままなら、また同じ形になるんだろうか。
あの槍を入れたらわたしはどんな形に変わってしまうんだろう。
でも、どうせやるなら、クラウディオさんとちゃんと二人でお話ししたかったな。
「嫌だなあ」
「だあめっ!」
もう割り切ったのか、ウキウキのラウラさんがわたしの頬を舐め上げた。
頬を上気させて舌なめずりをしている。
「処女は聖人様にあげよう。キスくらいはもらっていいよね!」
「やめてよ、ファーストキスだよ」
「ふふふ」
迫ってくる唇を見ながらふと思った。
あれ、このままくっついても、別にそこまで嫌じゃない。
ラウラさんなら世話になってるし一発くらいならいい。
したいと思ってくれるなら、嫌がるのもかわいそうだし。
気がついたら、わたしは目を瞑っていた。
エッチな友達への感謝の印だ。
……?
――じゃあ、クラウディオさんなら?
それが、お、おちんちんなら?
あれ?
家族って、友達って、なんなんだ?
――エッチって、なんなんだ?
目を開くと鼻の穴を大きくしたラウラさんが口を突き出していた。
「いただきまーす」
「ラウラさん、ごめん! ちょっと待って! 後でさせてあげるから!」
「やだよ!」
ちゃんと逃げずに考えればよかった。
クラウディオさん、ごめんっ!
わたしはギュッと目を瞑った。
……?
「ぐ……っ、は……っ」
キシキシと、なにかが締め付けられるような音がする。
「ひゅ……っ、ひゅ……」
細い管に無理やり空気を通すような呼吸。
まぶたの裏に照明を感じない。
なにかの影が被さっている。
「……は……っ……」
目を開けると、顔を真っ赤にしたラウラさんが白目を向いていた。
涙と鼻水があふれて、口から泡を吹いている。
小さな顎の下に差し込まれた太い腕が、力が巡って爆発寸前で膨らんでいる。
裸締めが、完全に決まっていた。
細身のサキュバスが首を極められたまま浮かび上がっていく。
月の光がレザージャケットにテラテラと反射していた。
「――ハジメから、はなれろ」
技を決めているクラウディオさんも霞んだ目で朦朧としている。
腕を掴んでいたラウラさんの手が、だらりと垂れ下がった。
肩がストンと落ちて、口から舌がこぼれてきた。
――あっ、まじで死ぬっ!
「タップ! タップ!」
二の腕をバンバン叩いても、腕は軋み続ける。
止まれ止まれ止まれ!
聞いてっ!
「たっ――助かったよクラウディオさん! もう大丈夫!」
ミチミチと首にめり込む革の音がした。
唾を飲む音が、やけに大きく聞こえた。
「……だい、じょうぶ……はい……」
クラウディオさんは電池が切れたようにゆっくり静止した。
拘束が緩んでいき、二人の体が床に倒れていった。
わたしもペタリと床に座り込んで、胸の鼓動がおさまるのを待った。
気絶したように眠るクラウディオさんの頬をそっと撫でる。
――すごい顔してたな。
家族の顔、友達の顔、相棒の顔。
どれだけ記憶のページをめくっても、あの顔を見つけることはできなかった。
あの人は、誰だったんだろう。
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