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第三十一話 ハジメ、卵にかえる



 五つ目の中魔石をカウンターに置いたとき、ヒルダさんの眠たげなまぶたの奥が冷たく揺らめいた気がした。

 背中に冷や汗が伝って、太ももの上で握った拳の中がじっとり湿っていく。

 わたしは就活の面接みたく、目線は逸らさずに焦点をぼやかした。

 

「す、すごいでしょ!」

「……11から15階層までの攻略、おめでとうございます」


 言葉とは裏腹に、淡くマニュキアを塗った指がカウンターを叩いている。


 ――少し、休まれてはいかがですか?


 こちらを気遣う言葉を毎日受け取りながら、ひたすら迷宮に潜った。

 優しい問いかけは、今朝には警告めいたニュアンスに変わっていた。

 そして、わたしたちは今日、迷宮を5階層ぶち抜いてしまった。

 怒るのも当然だ。


「……昨日いいスキルを覚えまして、無理なく攻略できたと思っております」


 前方からの圧力を引き受けるようにクラウディオさんが割り込む。


『アドレナリン』によるステータス強化と『挑発』によるヘイト管理は、もっとわたしを安全にして、もっとクラウディオさんを強くした。

 わたしは後ろからモンスターを突っついただけ。

 決まり手はすべて、締め殺しだ。


「今回の連続攻略、どちらのご判断ですか?」

「ハジメさんは――」

「あなたに聞いておりません」

 

 ヒルダさんはこういう時にクラウディオさんを――使い魔を見ない。

 『冒険者第一!』の張り紙が目端に映って、わたしは唾を飲み込んだ。


「わ……わたし、です」

「問題ないと思ったのはなぜですか?」

「……クラウディオさんが言った通りだよ。本当に余裕だったんだ」

「なるほど。ではあなたはなにを頑張りましたか?」

「け、警戒行動と援護、あとは野営の手伝い、とかです」

「なるほど。あの槍は使いましたか?」

「つかってません」


 なんだよ、ホントに面接じゃん。

 なんなんだよ、なにが言いたいんだよ。

 

「ご立派です」

「――へ?」

「判断も、立ち回りも問題なし。日々の立ち姿、訓練場での動きから見てもわかります。あなたはちゃんと強くなってます」


 ポカンとしているとクラウディオさんが肘で小突いてきた。

 口がパクパク動いてる。

 いい人ですよ!だって。

 そんなことはわかってる。


「焦るのはわかります。ですがどうか無理はしないように」

「……はい」

「なにかご不安、ご不満があればいつでもギルドへどうぞ。……あとこれ」

「?」

「わたしの住んでるアパートです。いつでも話聞くから」

「……っ!」

「は、ハジメさんっ!?」


 住所が書かれた紙と、カウンターに出された金貨袋掴んで、わたしはギルドを飛び出した。

 屋台のテントの上に星いっぱいの夜空が広がっている。

 広場には人がいっぱい集まっていた。

 顔を伏せて走るわたしに声がかかる。


 こんばんは

 焼きたてだよ

 ハジメちゃんおつかれさん!

 また寄ってね

 毛皮取りに来いよ


 全部に笑顔で手を振った。

 鼻腔をくすぐる、甘じょっぱそうなタレの匂い。

 肉の内海のコロッケはないけど、グレンさんが焼いた骨付き肉はある。

 マリちゃんもシホちゃんもいない。

 でもヒルダさんもラウラさんもいる。


 宿舎に駆け込んで内階段の途中で座り込む。


「……焦るに決まってるだろ」


 家族、友達、尊敬する人、優しい人、全部ここにもあるんだよ。

 父ちゃんまでいるんだよ。

 

 昨日家族三人で眠る夢を見た。

 川の字で眠る二人の顔にモザイクがかかっていた。

 母ちゃんは、ヒカルは、どんな顔だったっけか。

 早く潜らないと、急がないと、わたしの思い出が――ラビリオスに食べられてしまう。


 帰りたい。

 ここにいたい。

 わたしはイセカイに来て、不幸なの、幸せなの?

 ……もうわからないよ。

 

 うずくまるわたしの隣に誰かが座って、優しく肩を抱いた。

 枯れ草の匂いがする。


「使い魔を置いて行ったらダメですよ」

「……ごめんね」

「ヒルダさんが気にしないでいい、と仰ってました。明日一緒に謝りましょう。それでオッケー!です」

「……ははっ」


 二人で座ってぼーっとしていると、廊下の奥から女性の泣いているような声がした。

 ここは2階の踊り場だ。

 ラウラさんがご飯を食べているのだろう。

 ……ホントにえっちが好きなんだな。

 ずっと一人でよろしくやってるわたしたちに、あの人はなにか言ってた気がする。


 ――あげて、受け取って、それでこそイイ!のですわ!

 ――一人でやっても、巡りません。


 ……あれ?


 おやつを食べた後、体が軽くなるのに、どこかがスカスカになる感じ。


 ――一人でやっても、巡りません。


 喉の奥がひりついた。

 ……これって。

 

「帰りましょう」


 帰る? かえる、そうか301号室だ。

 向けられた大きな背中にしがみつくと、クラウディオさんは反動もつけずにすっと立ち上がった。

 60Kgはあるんだけどな。

 桁外れのSTRが大きな体に詰まっている。

 今この人に襲われたら、わたしはなんの抵抗もできないんだ。

 もうこの人の方がわたしより強いんだ。

 

 ――でも。


 回した手をレザージャケットの中に差し込んで、肩の皮を軽くつまむ。


「……いい?」

「……だめです」

「いやだ」


 少しずつ力を入れていくと、眉間に入った皺が深くなっていく。

 じっと横顔を観察する。

 あの顔してよ。


「えい」

「――うっ!」

 

 親指と人差し指がくっついちゃうくらい捻りあげると、クラウディオさんのアゴが跳ね上がった。

 わたしを慰めていた優しい眼差しが、鋭い刺激に歪んでいる。

 体が熱い。

 この人はわたしのもの。

 わたしはこの人のもの。


「クラウディオさん、明日も迷宮だよ」

「は、はい。まだまだ余裕はありますよ」

「ううん。ピクニックしようよ」

「ピクニック?」

「そう、ヒルダさんの言う通り、休憩しようよ。

 いっぱいお弁当とおやつ持ってさ。きっと楽しいよ」


 クラウディオさんは階段を登りながら、少し唸ってから頷いた。


 翌日迷宮でおやつを貪った。

 こんなんじゃダメだってわかってたけど、やめられなかった。

 

 朝から夕方まで一日中、二人でくっついた。

 ハジメ観察記録には、おやつをいっぱい食べたことしか書かれていない。

 

 フラフラの体でステータス水晶を覗くと、わたしはレベル1になっていた。

 

 隣に座っていたクラウディオさんが、ロザリオを掴んで、大声で泣き出した。

 全部おやつのせいだった。

 食べたものは吐き出せない。

 ゲロを吐かせてくれる師範はラビリオスにいない。

 ……どうしたらいいの?

 もう一回(リロール)? ここに来てから何日経ったんだよ。

 

  『五十鈴(いすず)の氏子』 異界の神の加護がある。LUCにプラス補正。


 500段の石段の頂上、五十鈴神社から見下ろす街並み。

 その記憶はイセカイの砂漠の向こうに消えていた。

 ……わたしはどこに帰るんだっけか。


 ここでもない、あそこでもないなら――


 ……じゃあどこでなら、わたしはお腹いっぱいで生まれてくるんだろう。

 

 ――どうせやり直すなら、クラウディオさんの卵から産まれたいな。

 

 なにも考えずに父ちゃんだって、呼べたなら。

 

 わたしはカウンターに倒れ込んで、意識を失った。


 

読んでいただきありがとうございます。

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土曜日定期更新です。

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