第三十話 しょんぼり少女、おやつをせがむ
洞窟に、鈍く重い金属音が響き渡った。
緑色の鱗に覆われた手がだらりとぶら下がって、かぎ爪の生えた四本指の足元に湾曲剣が転がっている。
「えいっ!」
クラウディオさんが気の抜けた掛け声を上げると、白目を剥いたリザードマンの頸椎が砕ける音がして、やがて動かなくなった。
クラウディオさんは裸締めを解いてそっと岩肌に寝かせてあげると、膝をついて祈りを捧げた。
「お見事!」
「二人の勝利です」
「……どうだろ?」
ゲートキーパーの硬い鱗に弾かれて、わたしの槍はほとんど有効打を与えられなかった。
構えも溜めも突きも引きも、問題なかったと思う。
単純にSTRが足りていない。
硬い鱗に突きを繰り返した反動でピリピリと痺れ、握力がほとんど失われている。
握りしめているはずの槍が、手からこぼれていきそうだった。
「今のレベルだと……この辺が限界かな」
目の前でリザードマンの亡骸が魔素になって粒子に変わっていく。
迷宮で死んだら迷宮のご飯になる。
なんとか8階層を攻略できたけど、これ以上進んだら、わたしは迷宮に食べられてしまうかもしれない。
「そうですか? いい戦いでしたよ」
「そうかなあ」
クラウディオさんは座り込んでメモを取っていた。
あぐらをかく相棒の背中にへばりついて覗き込む。
探索31日目
・レッドホークを5匹
・ワイルドスネーク12匹
・ラージスライム7匹
・リザードマン有効打3ヶ所
・警戒行動 ◎
・被有効打なし
・野営準備お手伝い ◎
・料理 ◎
・片付け ◎
・まわりへのあいさつ ◎
・やさしさ ◎
・げんき △
クラウディオさんのハジメ観察記録だ。
ここからレベル問題のヒントを探しているらしい。
「これって後半関係あるの?」
肩の上にアゴを乗せて、横顔を指でつつく。
「なに言ってるんですか、淫魔みたいな変なレベルの上がり方をする種族だっているんです。なにでレベルが上がってもおかしくないですよ」
「異界のヒューマンは、お手伝いでレベルが上がるって?」
頬をつねり上げようとした指がヌメッと滑る。
クラウディオさんは粘液で斬撃をいなしながら、無傷でゲートキーパーを締め殺した。
「わかりませんけど、手伝ってくれて嬉しかったです」
クラウディオさんはお礼を言ってニコニコ笑った。
「……じゃあこれは? 有効打なんてあった?」
「鱗のない腹部に2ヶ所、口内に1ヶ所、ちゃんと狙いを切り替えて戦ってましたね。ルーン槍だとゴリ押しでやってるところ、冷静で素晴らしかったです」
うっすら開いたまぶたから優しげな瞳がこちらに向けられている。
尖った唇が引っ込んでいく。
「わたし――役に立ってるかな?」
ボソボソ呟くと、メモのページが昨日、一昨日と捲られていく。
何枚めくっても、そこには目が痛くなるほどの二重丸が並んでいた。
「一つずつ説明できますけど?」
「……いいよっ」
両手いっぱい背中にしがみつく。
首筋に顔を埋めると、近所の古本屋に入ったときみたいな匂いがした。
シホちゃんは父親の匂いみたいであんまり好きじゃないらしい。
「弱気になってもいいですよ」
「でも、早く帰らないと」
「はい。お約束した通り、前例のないスピードで迷宮を攻略します」
「でも……レベル、上がらないよ?」
「なんとかするから大丈夫!」
クラウディオさんはわたしを背負ったまま立ち上がって、おぶりなおした。
歩くたびに体が揺れる。
閉じたまぶたの裏に夕焼けのオレンジが浮かんだ。
ヒカルをおぶって帰った河川敷の道を、ちっちゃなわたしはいつも一人で歩いていた。
「どっちがいいですか?」
うっすら目を開けると、帰還用の魔法陣と、9階層へ降りていく階段があった。
「どちらでもいいですよ」
イセカイの街に帰るのか、それともあの六畳間を目指すのか。
クラウディオさんとわたし。
差が開いていくほどクラウディオさんは優しくなり、わたしは子供になっていく。
――母ちゃん、ヒカル、会いたいよ。
ラビリオスに来た日に、わたしはベッドで泣いたんだ。
でも、最近思うんだよ。
自分でも嫌なんだけど、思っちゃうんだ。
家に帰っても――クラウディオさんはいない。
……父ちゃんはいない。
枯れ草の匂いを嗅いで、答えを出さないまま、顔をうずめた。
あの部屋に帰っても、この匂いはしないんだ。
「……おやつがいい」
おやつの時間だけは、わたしは対等なんだ。
親子でもない、主人と使い魔でもない、異界人でもない。
ただのクラウディオとハジメ。
……いいじゃんね。
わたしはこんなイセカイに飛ばされてカワイソウなんだから、クラウディオさんと楽しくやったって。
行きたくない。
戻りたくない。
ここが、一番いい。
……今のわたしを師範が見たら、ゲロ確定だね。
服を整えているとなんだか体がだるくなっていた。
でも、それはそれで悪い気分じゃなかった。
クラウディオさんに寄りかかるみたいに歩いて魔法陣を踏んだ。
レベルは上がっていなかった。
読んでいただきありがとうございます。
もしよろしければ、ブクマ・評価いただけると励みになります!
土曜日定期更新です。




