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第二十九話 主従、逆転する



 3階301号の自室に帰る傍ら、2階で一旦登るのをやめる。

 用があるのは最奥の209号室。

 先日はラウラさんのお食事中にお邪魔してしまった。

 なにか物音がしたなら回れ右をして帰ろう。

 耳に集中しながら、ヒタヒタと足裏を貼り付けるように慎重に歩を進めていく。

 警戒して進むわたしにクラウディオさんは苦笑いしている。

 

 笑い事じゃないんだよ、大変だったんだから。

 脇腹をつねると大きな体を跳ねさせて体を捩った。

 律儀に口に手を当てて声を出さないようにしている。

 ふーん。

 少しずつ力を入れていくと、鋭い刺激に横隔膜が引き攣っていくのがわかった。

 うっすらシワのある目尻に涙が滲んでいる。

 ……ふんふん。

 わたしは足を止めて、じっと相棒の耐え忍ぶ顔を見つめた。

 引っ張る方向を変えるたびに、しかまった眉が深みを変える。

 湿った、すがるような目が、揺れながらこちらを見つめている。

 なんか……楽しいかも。

 おりゃ!


「――い、痛いですっ……謝りますっ……」

「だめ……ゆるさないよ」


 顔を近づけて、アゴを上げながら情けない顔を睨みつける。

 震える唇を見て、思わず自分の上唇を舌でなぞった。

 

「す、『スライムアーマー』!」

「へ?」

 

 脇腹を掴んでいた指が突然すべった。

 皮を引っ張ろうとしてもどうしても掴めない。


「なっ、なにこれ」


 手のひらを見ると、ヌメヌメの粘液が手を覆っていた。

 親指と人差し指を合わせるとクチュリ、と音が鳴り、指を離すと重力で弛みながら粘液のアーチを作った。


「ど、どうです! わたくしのスライムアーマーは」

 

 クラウディオさんは全身ネチャネチャになりながら、脇腹をさすっている。

 生意気そうな目でわたしを見ている。


「なになにその顔! 許せないんだけど!」


 体に飛びついても、掴もうとしても粘液で滑ってどうにもならない。

 なんだよこれーっ!


「ふふふ、最近のハジメさんはオイタが過ぎましたからね」

「こ、こんな技覚えるなら聖職者でやり直してよ! リロールしろ!」


 足を引っ掛けてぐっと押すと、抵抗することなく巨体がゆっくり床に尻餅をついた。

 薄い口端が上がっている。

 ううっ、来るなら来いってか!

 

 わたしはあちこちに手を伸ばした。

 脇もほっぺも上手く掴めない。

 ちょっと余ったお腹のお肉さえ、指と指の間をすり抜けていく。

 もうあの、情けないお顔は見えないの?

 

「ううう」


 廊下のど真ん中で大男にまたがり、分厚い胸板に指を滑らせながらうんうん唸り声をあげていると、階段のあたりに人影が見えた。

 だぶついたウエストと張り出した腰回り、ゆったりしたドレスの上からでも美しいくびれがイメージできる。

 角の生えた女が、身を捩りながら太ももを振り合わせていた。


「はぁ、あっ……はあっ……くそっ……くそっ!」


 荒い呼吸が聞こえる。

 ラウラさんが爪をかみながらこちらを睨みつけている。


「無知系強気ショートカット? 朴訥大柄お人好し?

 わたしをだましましたわねっ!?」

「ら、ラウラさん?」

「あっ……あっ……! ろ、廊下でローション使うなんて、私でもやったことありませんわ! んんっ!」

 

 ラウラさんはギャーギャー騒ぐわたしたちを見ながら、食事をとっていた。

 頬を上気させて、震える足で一歩、また一歩とこちらに近づいてくる。


「どうぞ! 続きをどうぞ! お邪魔は致しませんわ!」

 

 頭がクラクラするよ。

 これのなにがエッチなの?

 

 クラウディオさんが仰向けのまま、首を傾げて周りを見ようとしている。

 その角度では見えないよ。

 とにかく食事中のエッチ師匠は、聖人様には目に毒だ。

 立ち上がって忙しなさそうな細い腕を掴む。

 

「師匠、人前でエッチなことしたらダメだよ」


 赤い瞳のアーモンドアイが、信じられないものでも見たように大きく見開かれていく。


「ハジメちゃん――やっぱりイイわね!」


 ハート型の穂先の尻尾がわたしのお尻を撫でた。

 やめろって、もう。

 未だヌルヌルの手のひらで黒い尾っぽの中程をぐっと掴む。

 うなぎみたいに指の輪っかの中を滑ったが、ハートの穂先に引っかかってなんとか握りしめることができた。


「ああんっ!」


 ラウラさんが腰を抜かして床に座り込んだ。


「し、尻尾はダメですわーっ!」

 

 程よい硬さと弾力性!

 穂先をグニグニ握りながらチラリと相棒の方に目をやると、自分の尻尾を抱えてプルプルと震えていた。

 

 へー、尻尾は弱点なのか。

 へー、へー、へー。

 

 クラウディオさんが目を逸らして唇を噛んだ。

 どうしたのその顔は? さっきの顔はなんだったのかな?

 お腹がくるくると音を出した。

 口の中に唾が溜まっていた。



 

「ハジメちゃんまた今度ね! 聖人様もごきげんよう!」

 

 ラウラさんは居ても立ってもいられないようで、帰ってきたばかりだというのに、日の落ちた街に飛び出していった。

 ちゃんと挨拶したかったけど、またにしよう。

 209号室の前に袋に入れたビッグボアのお肉を置いていく。

 

 ラビリオスの夜は肌寒い。

 出たことはないけど街の外には広大な砂漠が広がっているらしい。

 スパイシーな味付けのボタン肉を頂いたわたしたちは、おやつを食べながらお互いを温め合った。


 しっかりご飯を食べて、迷宮にがっつり潜って、おやつもいっぱい食べて、毎日が過ぎていく。

 守るべき相棒はどんどん力をつけていく。

 

 自分を焼き殺したスケルトンメイジをバラバラに解体した頃には、クラウディオさんのレベルは20に達していた。

 

 ――だというのに、クラウディオさんの顔はどんどん曇っていく。

 

 ステータス鑑定の水晶の前、わたしは自分のレベルが浮かび上がっている部分を指でなぞった。


 ――――――


ハジメ=アサヒナ 18歳

種族ヒューマン♀

身長172cm

体重62kg

B85 / W62 / H88

 

槍士レベル11


 ――――――

 

 何度見てもレベル11。

 前はレベル12だったんだよ?


 ――人の気持ちになって考えなさい。


 クラウディオさんが俯くわたしの頭をふんわりと抱いた。

 自分をお荷物だと思い込んでいたクラウディオさんは、ちゃんと気持ちをわかってくれてる。

 わたしよりも悔しがって、人に、資料に、手当たり次第活路を探し求めている。

 

 迷宮挑戦、記念すべき一ヶ月目。

 わたしは今――クラウディオさんより弱くなっていた。


 

読んでいただきありがとうございます。

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土曜日定期更新です。

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