第二十七話 白帯淫魔、おやつを食べる
笑顔で駆け寄ってくる大男とハイタッチをすると、弾けた手のひらから緑色の粘液が飛び散って、二人の顔に飛び散った。
ハッと気づいたクラウディオさんが、わたしの頬についた汚れをハンカチで優しく拭った。
「リベンジできたね!」
「お、おす! ありがとうございました!」
わたしが胸に飛びつくと、涙ぐんだクラウディオさんは鼻息荒くお礼を言った。
ただいま迷宮1階層!
我が使い魔は以前敗北したスライムと一対一の戦いを始め、勝利を収めた。
決まり手は、ひきちぎり。
襲いかかってくる粘液の塊を掴んではちぎりながら、核をまでたどり着いて握り潰した。
ステータスの勝利だ。
レベル3のクラウディオさんはもはや一般人ではない。
立派な冒険者として歩き出したんだ。
鍾乳洞のようなダンジョンを二人で進む。
スライム、コウモリ、角兎、それぞれ一匹でいるところを狙って、クラウディオさんが飛びかかっていく。
わたしたちは初めて迷宮に入った日の焼き直しを、逆の立場になってもう一度やり直していた。
「がんばれー!」
「う、うわあああ」
気の抜けそうな叫び声をあげて角兎に向かっていく。
いまいち腰の入っていない下段回し蹴り。
当たってるけどそんなに効いてはないね。
目の前のウサギVSインキュバスの泥試合を見ながら腕を組む。
これからクラウディオさんも戦闘に参加する。
ヒルダさんは後衛として育っていくんじゃないかと言っていたが、実際どうなるかはわからない。
「うーん」
本人が前衛をやりたいらしいから空手を教えてみたけど、わたしが見る限りセンスがない。
というか闘争心の問題だね。
結局クラウディオさんは、ウサギの首を太い腕で抱いて締め殺した。
「やったね!」
「おっ……お……はあ、はあ……お、おす!」
アゴを上げて胸いっぱいに空気を取り込んでいる。
喉元に大粒の汗がたくさんくっついていた。
空手なら反則負けだけど、ここは迷宮、勝てばヨシ!
少し進むとゲートキーパーのラージスライムが階段の前に居座っていた。
震えながらもしっかりファイティングポーズを取る相棒。
わたしはレザージャケットの上から背中をそっと叩いた。
「わたし一人で行ってくるよ」
立派な角の生えた頭がうなだれたが、ハッとしたようにブンブン首を振ってこちらを見た。
「おす!」
――ハジメ、雑にやったらダメよ。
師範が道場の裏でゲロを吐くわたしに優しく教えてくれた。
格上に勝てないからといって、無謀に突っ込んではいけない。
かといってなにもせず諦めてもいけない。
クラウディオさんはとっても弱いけど、そこはちゃんと分かっている。
粘体の小山に向かって歩いていく。
あと一歩進めば粘弾が飛んでくる距離だ。
わたしは腰を落として槍を握り込んだ。
「きほんの『き』!」
刻まれたルーンが黄金に輝き、穂先に青い風が巻いた。
髪が、服が、風にさらされてはためいている。
「前で定めて、後ろで突く!
――うりゃあっ!」
押し出すように槍を突き出して、腕が伸び切る寸前で引き戻す。
穂先から飛び出した風の刃がラージスライムの核を穿って、その後ろの岩壁に大きなヒビを入れた。
核を失った巨大な軟体が震えると、バケツをひっくり返したように地面にぶち撒かれていった。
「う……うわあ」
後ろから制作者様の声がする。
なにを引いているのかわからないけど、作ったのはクラウディオさんだよ。
つっても、もうわたしの槍だけどね! へへ!
クラウディオさんはもう刻む隙間がないほど、この槍にルーン文字を入れ切った。
最後のスペースには『ハジメ=アサヒナ』と刻み込んだ。
ヒルダさんに見せると、鑑定結果は『ハジメの槍』。
わたし以外にこの槍を装備できる人間はいない。
買取額は激減していたが、わたしにとっては100点満点の宝物だ。
ヒルダさんはクラウディオさんを褒めた。
わたしがほうぼうで見せびらかすので盗難の危険もあったらしい。
ゲートキーパーを倒したら階段前はセーフゾーンになる。
くるくるとお腹が鳴った。
休憩しよう。
洞窟はさむい。
遠足で行った秋芳洞もひんやりしてたなあ。
火に手をかざして体を暖めていると、クラウディオさんは休まずに正拳突きをしていた。
軸がブレてるし、股関節がぐらぐらしてる。
体が大きいから圧力にはなるだろうけど、効かせるように打つのはまだまだだね。
床をペンペン叩くと、ため息をつきながら大きな体がわたしの横に座った。
「カラテというのは難しいですねえ」
「クラウディオさん、戦うの好きだったんだね」
「――好きじゃないですよ。でもやりたいんです」
「……わたし、一緒に潜ってくれるだけでいいんだよ?」
「……それでいいと思う相棒はいるんでしょうか」
目の前で薪がパチン、と弾けた。
一瞬強く火が燃え上がって、周りを照らした。
横を見るとクラウディオさんは口をへの字に曲げていた。
――人の気持ちになって考えなさい。
わたしは素直に頷いた。
自分だったら耐えられない。
頭を隣の大きな肩に預ける。
「そうだね、ありがとう」
頭を擦り付けると大きな手がわたしの髪を撫でた。
闘争心はなくてもガソリンは人それぞれ。
この大きな体はあったかいなにかで動いている。
焼け落ちた薪が崩れて火が弱まった。
「おっと、薪を足しますね」
クラウディオさんが角兎の角を強く握って振り下ろすと、持っていた角が乾いた薪に変わっていた。
「それ、どうなってんの?」
「ふふ、野営術の乙種持ってたら、みんなできますよ」
「へー、やっぱりイセカイの資格ってすごいんだね!」
日本の資格では物理法則を曲げることはできないよ。
わたしもこっちでなんか資格取ろうかな。
焚き火の上で火にかけていたスープがグツグツいっている。
スパイシーな香りが鼻をくすぐる。
わたしたちは気持ちだけでは動けない。
「いただきます!」
「いただきます!」
二人で手を合わせて、ガツガツとかき込んだ。
お腹をさすって立ち上がり、インベントリから取り出した敷き布を引く。
クラウディオさんがわたしを見上げて首を傾げた。
なにをボサっとしてるんだ。
「わたしたちは最短距離で迷宮を攻略するんだよ」
「は、はあ……」
「手伝ってくれるんだよね?」
「も、もちろんですよ! わたくし頑張ります!」
大きな握り拳を体の前に持ってきて、クラウディオさんは勇ましく笑った。
うんうん。
だったら――いっぱい食べて大きくなってもらわないと。
「……おやつを食べよう」
「――は、はい?」
「……クラウディオさんのね」
レザーパンツの太い足の間に背中を捩じ込んで、体重を預ける。
振り向いて様子を伺うと、気絶しそうなほど目を回して真っ赤になっていた。
いつまで照れてんの。
ご飯食べないと成長しないよ?
階下から吹き上がる風が顔を撫でると、唇がなんだかひんやりした。
わたしは、気がつかないうちに舌なめずりをしていた。
「いただきますは?」
「ううっ、うううっ」
「ねえねえねえ!」
「……い、いただきます」
――あれ?
目を閉じて、指を伸ばしながらふと、頭をよぎった。
――あの甘い香りがしていない。
体はどんどん熱くなっているのに、どういうことだろう。
わたしはなんだかソワソワしてしまって、クラウディオさんにバフをいっぱいかけてもらった。
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