第二十四話 主従、マグロになって泳ぐ
グルンと180度回って、モゾモゾして背中をクラウディオさんの胸にくっつけると、お互いの汗が混じってしっとりとくっついた。
シーツも体に張り付いてくる。
気持ち悪くて少し体を捩ると、太ももの裏あたりになにかが当たった。
大きな体がビクリと跳ねて、慌てたように腰を引いた。
どうしたんだろう?
「どっか痛かったの?」
「……いいえ、大丈夫ですよ」
「じゃあいいか」
後ろ頭をクラウディオさんのアゴに擦り付けると、また髪を撫で出した。
生暖かい吐息が頭にあたっている。
シホちゃんが言ってた感じと違うなあ。
どこまでいっても胸のときめきの様なものは感じない。
だけどぜんぜんイヤな気分じゃない。
これってなんなんだろう。
「クラウディオさん、一人で、その……したことある? エッチなこと」
「んんっ……ございません」
「あっ、そうなの? わたしもないんだよ、おんなじだね」
42歳がしてないなら18歳でやってなくても恥ずかしくない。
ふいーっ、なんか安心したよ。
太いため息が頭を温める。
クラウディオさんがわたしの髪に口元を沈めている。
「淫魔のルールみたいなものです。
淫魔が一人でやるのは、社会的義務の放棄だってね」
「えー、なんで?」
「人に悦びを与えるのが淫魔の使命! ムダ撃ちは悪!
要は、わたくしなりの意地でした」
「意地?」
「童貞のわたくしですけれど――自分はインキュバスだぞってね。わけがわかりませんよね、なにもできてはいないのに」
低い声がもっと低くなった。
暗い顔をしているのが手に取るようにわかる。
「はーっ、大事なことって、ホント人それぞれだね。わたしにはよくわかんない」
後ろから自嘲げな声が聞こえる。
「そうですよね、わたくしにもよくわかりません」
血管の浮き上がった二の腕をポンポン叩く。
わたしの知ってる二人の淫魔。
性格は全然違うけど、きっとお互いのことをが羨ましいんだ。
「わたしにとってはエッチなラウラさんも、エッチじゃないクラウディオさんも、100点満点の淫魔さんだよ。
それだけは忘れないでね」
「……ありがとう」
クラウディオさんはお礼を言う様にわたしの頭を抱きしめた。
被せられた太い腕にしがみつく。
短い付き合いだけど、この人との関係は家族が近いかもしれない。
くっついた背中から伝わる体温。
目を閉じて、髪を撫でてくれる手の感覚に集中する。
低い声。
大きな体。
大きな手。
優しい心。
いじっぱり。
ふと、吸い付くような音がした。
わたしだ。
気付かないうちに、唇に当たっていた自分の親指の先を吸っていた。
肩が揺れて、シーツがカサカサと音を立てる。
ひっそり笑いを堪えていると、後ろで首を傾げる気配がした。
――わたし、多分クラウディオさんみたいな父ちゃんが欲しかった。
どうりでエッチな気持ちにならないんだ。
どうりでこんなに好きなんだ。
「クラウディオさん――バフ、掛けてよ」
「……はい」
撫でる手がほんの少しだけ強張って、低い声の返事が返ってきた。
抱える腕に力が入ったのがわかる。
熱い。
クラウディオさんも熱い。
くっついた背中とお腹は、生地を通してお互いの体温を交換し合っている。
――あっ。これ。
あの、甘い香りが鼻腔をくすぐっていた。
体に溜まっていた眠気が、ゆっくり疼きに塗り替えられていく。
擦り合わせた脚が汗でぬめっている。
「ラウラさんが言ってた。一番簡単なエッチなことは、一人でできるやつだって」
――お互い、一人でヨロシクやったらどうですの?
――うん、それはそれでイイわね……
舌なめずりするエッチ師匠の顔がよぎる。
ラウラさんは一人でするのも大好きらしい。
ねえ、真面目に我慢してるのってあなただけなんじゃないの?
立派なインキュバスはあなたの方なんじゃないの?
ヒカルは一生懸命勉強してるだけで、勉強オタクだってからからかわれてる。
わたしは立派だって思うよ。
「わたしたちは二人とも若葉マーク、人のことに構っている余裕なんかない」
「確かに、そうですね」
「お互い頑張ろうね」
目を瞑って、ぎゅっとシーツを握る。
体の奥が、じわっと熱くなる。
顔が熱い。
聞こえちゃったかな? 恥ずかしいよ。
でも、我慢できる。
あ……うまく息ができない。
でも、離れたくなかった。
「は、ハジメさん……」
「く、クラウディオさんっ、おうえんしてっ」
「は、はい?」
「……がんばるから、応援して」
自分でも、なにを頑張るのかよく分からない。
でも、そう言いたくなった。
頭を抱える腕に力が入る。
撫でる手が、頬に張り付いた髪を後ろに流して耳にかけた。
耳に触れそうな距離で、大人の、男性の低い声が響いた。
「がっ、がんばれっ」
「――う、うん! うん!」
「がんばれ、がんばれ、ハジメさんっ」
「あっ、あうっ、うう」
デカ女!
貧乏人!
暴力女!
全員ゲロを吐かせたけど、家に帰って泣いていた。
母ちゃんには言えないよ、母ちゃんにご飯を食べさせてもらったから大きくなって、そのせいで貧乏で、それを馬鹿にされたくないからぶっ飛ばしたんだ。
――父ちゃんがほしい。
「がんばれ、がんばれ」
頭、顔、肩、背中。
大きな体に包まれていると、ぽっかり空いた穴に、あったかいなにかが流れ込んでくる。
空いた手で、しがみついた腕に、そっとかみつく。
力一杯つむった目尻から涙の雫が飛び散った。
少ししょっぱい。
ちゅうちゅうと音を立てて吸い付く。
「ハジメって、よ、よんでください」
「――ハジメ」
音が消えた。
部屋が一瞬、静寂が降りた。
「うんっ!――ほ、ほめて、ほめてぇっ」
ずっと我慢していたものが体から出ていった。
歯が太い二の腕に食い込んでいく。
恥ずかしいよ、恥ずかしいよっ。
「――いつも頑張っててえらいね、ハジメ」
「うううっ」
身を捩る。
たくましい腕の中、ビチャビチャの汗で顔がすべる。
目の前が少し滲んだ。
うまく息が吸えない。
「ハジメ――もう、大丈夫だよ」
耳に、そっと声が落ちた。
「もう心配いらないからね」
「あっ……ああ……え? なっ、なに? あっ……なんで、すかっ?」
「わたくしが必ず、ハジメをおうちに帰してあげるからね」
「あ――あ――ッ! ――ッ!」
すき。
すきだよ。
これが、なんなのかはわからない。
でも――あったかい。
これが……気持ちいいってことなの?
わたしが、わたしたちが今やっているのはエッチなことなのかな。
ラウラさんの言うことが少しわかった。
こんなに満たされた気持ちを与えてくれるなら、淫魔って、いい種族なのかもしれない。
迷宮都市ラビリオスの夜空を、マグロになったわたしとクラウディオさんがスイスイ泳ぐ。
屋台の光が灯る地上を見下ろして、わたしたちはお互いのウロコを擦り合わせて笑った。
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