第十九話 初心者ハジメ、師匠を得る
座り直したハジメはうーん、と唸り声を上げた。
お腹をさすって想像してみる。
食べると元気、食べないと死ぬ。
単純な足し算引き算なのに、なんでこんな答えが出るのかわからない。
「じゃあクラウディオさんはどうやって生きてるの?」
「わかりません。気合いで我慢しているのでしょうね」
いや、そんなの納得できないよ。
そう思ったが、目の前のサキュバスがこっち以上に納得できない顔をしている。
ため息が出る。
「気合いって……ご飯食べなきゃ死んじゃうじゃん」
「そう。だから奇跡、だから聖人なんです」
シーツに手をついて、ぼーっと天井を見上げた。
ごはん、ごはんか。
カレー……ハンバーグ……あとチャーハン!
クゥッとお腹が鳴った。
思い浮かべるだけで唾液がどんどん湧いてくる。
食べることが大好きだ。
自分の身長は172cm。
母ちゃんは飯だけはお腹いっぱい食べさせてくれたから、こんなにもスクスク育った。
漫画もゲームもない。
空手と食事が娯楽だった。
クラウディオは淫魔としての食事をしない。
お腹いっぱいの幸せを知らない。
人の役に立てたのも初めてだって言っていた。
……あれ?
傾けた首が肩につきそうになる。
組んだ腕、脇に仕舞い込んだ指で脇腹を叩く。
……あれれ?
いくら考えても、答えに辿り着けなかった。
「ねえラウラさん。
クラウディオさんは、なにを楽しみに生きてきたんだろう」
――ん? 今なんて言った?
思わず手で口を覆った。
な、なんて失礼な口なんだ!
「いっ、今の忘れて! おねがいおねがいっ!」
ベッドを飛び降りて、ソファーに腰掛けるラウラの足に縋り付く。
「あらあら」
ほっそりとした指が伸びて、わたしの長衣の首元を手前に引っ張った。
真剣な目で胸元を覗き込んでいる。
面倒だったのでインナーは着けていない。
「大きさ、形、色、全てよし。イイね!」
「よくないよ、日本なら捕まってるよ」
ラウラは目尻から星が飛び出そうなウインクをした。
「残念ここはラビリオス!」
行儀の悪い指を掴んで外側に回す。
「あ゙ーだーだーっ!?」
手首を軸に体が傾いて、ソファーから転げ落ちた。
「なっ、なにをしましたの?」
「うん、関節を前にレベルなんて関係ないね」
遠く窓の向こうに目をやる。
ラビリオスにも月はある。
――マリちゃん、捕まってないといいけど。
「あらっ、折れたと思ったのに意外と……」
エッチな友達を咎めるためだけに覚えた護身術だ。
イセカイで使うことになるは思わなかった。
「次は折るよ、わたしウソはつかないから」
凄んで見せると、ラウラはキリッとした目で言った。
「指を折られてもハジメちゃんのおっぱいは見ます。
私も嘘はつきませんわ」
「……えぇ……」
思わず一歩後ずさると、ラウラは裾を払って立ち上がった。
テーブルの上の残りの紅茶を優雅に飲み干す。
上がったアゴのラインが美しい。
「なにを楽しみに生きている……でしたね」
「ちょっ! やめてよー!」
「今度あの方、クラウディオさんと一席設けてくださる?
それを聞いてみたいと、私も常々思っておりました」
椅子に掛けていた布を肩にかけながら、ため息をついている。
「クラウディオさんのレベルを上げてあげたいなら、後はエロいことしかありません。聞く限り、あなたたちはできることはすべてやりました」
脳裏に浮かぶこの2週間の記憶。
頷きたくはないがその通りだと思う。
人事は、尽くした。
まだ残っているとすれば……。
俯いていると、柔らかな手が頬を撫で、目にかかった髪先を耳に流してくれた。
「もちろんお勧めはしませんよ、友達に辛い思いをしてほしくはありませんしね」
「……う、うん」
ラウラは背筋を伸ばすとお腹の辺りに両手をやって、たおやかに頭を下げた。
「その槍があれば貴方一人でも良いところまで行けるんじゃないですか?」
「で、でも一人なんて嫌だよ、クラウディオさんと一緒がいいよ!」
「ではごきげんよう」
「ちょっ、ちょっと!」
ラウラは振り返ることなく部屋から出ていった。
テーブルの上の二つのカップ、ハジメの紅茶はすっかり冷め切っている。
――セックスです。
なに言ってんだ、そんなことできるはずがない。
それにエッチなことなんて、なにをやったらいいかもわからない。
人生で忙しくそういう知識が一切欠けているのはコンプレックスではあった。
腕を組んで目を閉じる。
分からないまま想像してみる。
手を繋いで、口づけをして、裸になって、い、いれるんだろ?
そっと下腹部に手をやる。
弟のは見たことがある
まあちょっと大きさは違うんだろうけど、大したことないでしょ。
それにしても、その初めての相手がクラウディオさんか。
壁際の作業机。
その前で丸まった大きな背中
睡眠導入にぴったりの小難しい話。
ベッドに倒れ込んで天井を見つめる。
――いや、ないな。
肩をすくめて唇を突き出した。
あの人のことは尊敬しているが恋愛感情はない。
そういう相手としてはまるで見えないよ。
――でも!
そうだ、逆に考えよう。
なにだったらあの人にしてあげられるんだろう。
冷えた紅茶を一気に煽って、ひとまずシャワールームに向かった。
スッキリと身を清めたハジメは、屋台で買った抱えるほどの骨付き肉の袋と、謝罪の一筆を209号室の前に置いた。
自分の部屋に戻って、袋から取り出したスペアリブにかぶりつく。
みんなお肉は好きだろう。喜んでくれるはず。
……だよね?
スパイスの香りが鼻に抜け、歯応えのあるお肉は噛むほどに旨味と油が染み出してくる。
口元がベッタベッタになるけど関係ない。
――はぁーっ……美味しいっ!
この幸せを少しでいいから教えてあげたい。
明日、ラウラさんに一番簡単なエッチなことを教えてもらおう。
単純が取り柄だ。
やると決めたら、あとはやるだけ。
どんなに困難な問題でも、やることを一つずつ決めていけばどんどん明快になっていく。
目を閉じると、あっという間に微睡の中に意識が消えて行った。
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