第十八話 サキュバス、異界人にラベルを貼られる
「でも、でもね」
「ええ」
「クラウディオさんのレベルが全然上がらないの。
それをラウラさんに聞きたかったんだけど……」
槍を壁に立て掛ける。
ベッドに腰を落として足を抱えた。
「でも迷宮潜ったことないなら、わからない、かな?」
背中を丸めて様子を伺うと、ラウラは前屈みになってこちらを凝視していた。
「なに見てんの?」
「パンツですわ」
――は?
部屋の角に置いた背の高い姿見に、自分の姿が映っていた。
ベッドの上、立てた膝に長衣がたくしあげられて、真っ白な太ももの裏と白い下着が露わになっている。
飛び上がって正座に座り直すと、ラウラが舌打ちをした。
「ハジメちゃん。
あなた自分のことをいやらしい目で見るヤツがいるなんて、考えたことないでしょ? それ、イイね」
「……ラウラさんの言ってることよくわかんないよ」
グチャグチャにしたいとか、イイねとか。
ちょっと苦手なタイプかもしれない。
「転移してから2週間だったわね。
ハジメちゃんを襲えるタイミングなんていくらでもあったはずよ。
こんな隙だらけの処女に手を出さないなんて、同じ淫魔として許せないわ」
「クラウディオさんは紳士なの!」
ラウラはこちらを気にした様子もなく、摘まみ上げた紙切れをひらひらさせて、つまらなそうにテーブルに置いた。
「ホントは関わりたくないけれど、友達の頼みだしねえ」
「このっ……」
カッとなりそうなところ、無理やり唾を飲み込む。
ヒルダが繋いでくれた縁、クラウディオの展望、つまらないことで手放しちゃダメだ。
呼吸を整えるんだ、冷静になるんだ。
「私のレベルは140くらい」
――え?
「一流冒険者ほどじゃないけれど、なかなかのものでしょう?」
桃色の髪を後ろにかきあげると、細い首筋と、真っ白な二の腕が露わになった。
文芸部のマリちゃんより華奢に見える。
「は、はは! う、嘘じゃん! 迷宮に入ったことないって!
顔を上げた自分の口元が、ピクピク痙攣しているのがわかった。
「――淫魔には迷宮は関係ないかもしれませんわね。
エロいことをすることでしか経験値が入らないのかも」
……なにいってんの?
窓際に置いてある作業机。
クラウディオは探索から帰ってきた後も、毎日毎日寝る間を惜しんでルーンを刻んでいた。
休みの日もギルドの図書室にこもって勉強している。
握り込んだ手のひらに、爪がどんどん食い込んでいく。
こ、この世界はどうなってんだよっ!
「そんなことある? バカみたいな……
あの人は迷宮で――死ぬほど頑張ったんだよ?
自分の治療もしないで薬を残してさあ」
口角が震えながら下がっていく。
目の奥に暗い炎が灯る。
あ、なんか久しぶりだ。
新品のランドセル。
夏休み明けの旅行の話。
父親と手を繋いで帰るシホちゃん。
――わたし今、嫉妬してるんだ。
ラウラは鼻息一つしてアゴを撫でた。
「バカ、ですか? 普通のサキュバスもインキュバスもエロいことをしないと死にますわよ」
ハジメは異論を口に挟もうとして、強い視線に縫い止められた。
ラウラの目は、真剣だった。
「オーガやデーモン、ほとんどの魔物は戦うことを喜びとします。
でも私たち淫魔はエロいことをしてあげて、されてあげて、そういう形でしか、生きていく糧も喜びも得られません」
俯いた顔に長いまつ毛が影を落としている。
照明に照らされた細い首筋に、吸い付いたようなアザがあった。
なんの跡かはわからないけど、なんだかとてもエッチなものに見える。
「いやらしいですか? けがらわしいですか?
こっちはそういう生き物なだけです」
顔を上げたサキュバスには、なんの負い目も見て取れなかった。
毎朝鏡で見る顔に似ていた。
肩の力が抜けていく。
瞳にこもった熱は、いつのまにか引いていた。
「だからわたしたち淫魔たちは、全然エロいことをやらないクラウディオさんが聖人認定されているのが悔しいのですわ。
……だってそうでしょう?
わたしたちの生き方を――世界がけがらわしいって言ってるみたいで」
ラウラはテーブルに置かれた紅茶を手に取った。
口元で傾けたカップ越しにこちらを見ている。
カップをテーブルに置くと、困ったように笑った。
顔に出てるのかな。
そうだね。
わたしは今、ムカついている。
「友達を悪く言ってごめんなさいね」
「違うよ」
「はい?」
「全然違うね、そんなこと言ってるんじゃないよ。
クラウディオさんが気にいらないっていう――その理由が、なんかヤだね」
ラウラは強い視線を受けて目を細めた。
「……それ、どういう意味ですの? 神様の言う通り、私たちが、けがらわしいって言いたいの?」
睨みつけてくるラウラ。
息もできないような濃密な怒りの気配が、真っ正面から吹きつけてくる。
冷や汗がこめかみを伝う。
ねえ師範、イセカイは強い人だらけだよ。
でもわたしは、言いたいことは言わせてもらう。
ベッドから降りてラウラの元に向かう。
「神様が誰に100点つけようがどうでもいいじゃない。
さっきラウラさんに抱きしめてもらった時、とっても優しい人だなって思った」
わたしの知っている淫魔は二人とも優しかった。
「だから私にとってラウラさんは100点満点の優しい人だよ。それでいいじゃないか」
誰かが貼ったラベルなんてどうでもいい。
その一枚が神様が貼ったものでもおんなじだ。
私はそう思うんだけど――ダメなのかな?
ラウラは拍子抜けしたような顔でこちらを見上げてくる。
「……私の質問、聞いてた?」
「う、うん」
「それで、今の答えなの?」
「……はい」
顔が火照り出す。
まーた見当違いのことを言っちゃったかも。
――賢くなりたいよ、クラウディオさん。
自陣満々で張った胸を肩で丸めて、ゆっくりベッドに戻ろうとすると、ラウラがクスリと笑った。
「でも、嫌いじゃない、嫌いじゃないわ」
ゆっくり立ち上がって、柔らかく微笑んだ。
「ハジメちゃん、私とも友達になってくださらない?」
真っ白な手が差し出される。
エッチな人は苦手だけど、マリちゃんとだって親友になれた。
ハジメは少しだけ迷って、それを握った。
少し開けた窓から風が吹き込んで、天井のペンダントライトが微かに揺れた。
握られた2つの手のシルエットがテーブルの上で踊っていた。
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