第90話 狂狼
カレンさんに絡もうとしていたひょろっとした背の高い集金係は、突然チンピラ呼ばわりして罵声を浴びせてきたのが幼い子供の声だったことから自信満々に振り返った。だが、こちらを視認した瞬間に明らかに困惑していた。美しい少女二名、装備が異様に良い。誰だこいつら? だろう。あと、俺の隣にさっき作ってしまった氷柱も立ってる。このまま尻尾を巻いて逃げられてもつまらん。少し遊んでやらなければ。
「カレンさん、どーですねかー?」
「あ、大丈夫よ、商売していればいろいろあるから」
あら。カレンさんは俺が危ないからって自分で対処しようとしてるな。まぁ気持ちはわかるけどね。ライズは家でちゃんと話していないのかな。年頃の子供は難しいね。あとでちょっと説教だな。
「あー、いえいえ、カレンさん、そんな気を使わなくていいんですよ。こんな奴らカレンさんに相手させるわけには参りません。お願いですからこんな汚くて気持ち悪い連中と話しなんかしてやらないでくださいね。おい、そこの汚いの。お前らに言ったんだ。早く失せろ。社会のゴミが俺の大事な人に近付くんじゃねーよ」
俺の左腕にしがみついたオルカがうれしそうに「うふふふ」と笑っている。俺がしゃべっている間は上気した顔で俺のことをうっとりと見ていた。チンピラは俺の言葉よりもオルカに目線が釘付けになっている。完全武装の冒険者を前にこのチンピラたちはずいぶん余裕だ。子供だと思ってナメてんのかな。
ゲットーファミリーの奴らは一対一の場面では基本的に冒険者には手を出さない。どんなスキルや身体強化を持っているか見た目で判断できないからだ。要するに怖いのだ。街のクズどものほとんどがこの手合いだ。スラムでの認識では『冒険者にもなれなかった弱い奴がゲットーのチンピラになる』だ。もちろん、そんな奴らばかりじゃない。普通に冒険者だったやつが身を落とすこともあるし、スキルや身体強化を使える者もいる。
見たところこいつらは、実力はあるけど人間性が終わっててクズになった外道ってところだろう。ヒョロ長は腰に両刃短剣、看板を蹴ったデカいのは片手用の戦闘斧を装備している。戦闘斧を装備しているのは完全に元冒険者だ。街中でこんなもの何に使うんだって話だから間違いない。
デカブツが屋台を周り込んでこっちに来る。なるほど。力仕事はまずこいつなのね。ガマンは身体に毒。今のオルカを見ているとそんな言葉がぴったり来る。昨夜は森で鍛えた実力を発揮することもなく『待て』を命じられた。俺が戻るまでガマンにガマンを重ねていたことで相当にストレスが溜まっているのだろう。ガス抜きが必要だな。
「オルカ、あのデカブツは任せるよ。話しをするのに口は二ついらないからね。好きにしていいよ」
オルカの顔にゆっくりと花開くように笑顔が広がっていく。そしてぎゅーっと目を閉じながら俺の腕に力いっぱいしがみついてからパっと離れた。もう止まらない止められない。俺の「社会のゴミ」という言葉を聞いてからこちらに歩いてきていたヒョロ長の目の前を、オルカがまるでスキップでもしそうなほど軽い足取りで通り過ぎて行く。オルカは両手を後ろで結んでお花畑の中を散歩しているように見える。自分の存在を完璧に無視されたヒョロ長がそれを『正気か』という顔をしながらも手を出さずに見送る。自分の相棒の実力を疑っていないのか、俺たちのことをなんとも思っていないのか。
ニヤニヤして腰の戦闘斧を抜きながらのっしのっしと歩いてくるデカブツ。残り五メートルとなった時、オルカはひとつ、トーンとその場でジャンプした。着地した時には後ろで組んでいた両手は両脇に力なく垂れていたが、いつの間に抜いたのか両刃短剣を摘まむように持っていた。そこからひと呼吸もない間でオルカの姿が消えた。身体強化を掛けっぱなしの俺には全て見えているが、チンピラたちにも見えていただろうか。
消えたオルカは地を這う低さでデカブツに向かって行く。五メートルの距離を詰める間に三回フェイントを入れていたがデカブツはそのフェイントを認識も出来ずにただ身体を強張らせただけだった。オルカはその速度のままデカブツの足の間を通り過ぎながら両太ももを内側から切り裂いていた。そこ、鎧が無い弱点だよね。ボアの血抜きで見つけた動物の弱点かな? 教えてないんだけどなぁ。優秀な生徒で先生うれしいよ。
なにかが自分の足の間を通り過ぎたことぐらいは認識できるだろう。しかも、取り返しがつかないほど深くざっくりと斬られたしね。その逸品の両刃短剣なら刃の長さ分深く斬れるだろう。
デカブツの足の間を抜けたオルカが姿を現した時、ダッシュを開始した時と同じように両手に両刃短剣をぶら下げてトーンとひとつジャンプしていた。こちらに背を向けたまま顔を上げて薄く目を閉じているが、口元だけは解放感の快楽に酔って口角が上がっていた。スローモーションのように見えたジャンプから地面に足が着いた瞬間、再びその姿が消えた。
次にオルカが姿を現したのは俺の目の前の上空だ。空中で逆さまになった笑顔のオルカと視線が合う。一度着地してその足で地面を蹴ってヒョロ長の目の前に降り立つと、逆手に両刃短剣を持った両手をヒョロ長の目の前に持ち上げた。両刃短剣と一緒に摘まんでヒョロ長に見せつけているのは肌色の肉片だ。
ヒョロ長はニコニコと微笑む艶煌銀青の髪が眩しそうにしていたが、両手にぶら下がるものが何なのか認識すると、答え合わせを求めるように慌ててデカブツを見る。
「ジェリル!」
それがデカブツの名前なのだろう。だがジェリルがその声を聞くことはもうない。
オルカはもう遊びは終わりだというふうにクルリと俺に向き直るとゆっくりと歩いて帰って来る。途中、音をたてて倒れ込むジェリルに向かって耳を投げ返してやっていた。ちゃんと借りたものは返す賢い狼を俺は笑顔と抱擁で迎える。
「オルカ、俺は君が誇らしいよ。言われたことをちゃんと守れる、とってもいい子だね」
抱擁しながら陽光に煌めく艶煌銀青の髪を撫でる。ああ、至福だ。
「お、お前ら、なに者だ。自分たちが何をやったかわかってんのか」
おお、なんと無粋な輩か。子弟の感動の瞬間に水を差すとは! お前ら異世界人の野蛮人は空気の読み方も知らんのか。俺は溜息をひとつ吐く。気持ち良く過ごしていた瞬間を邪魔されたオルカが俺から離れて振り返ると今の今までと違いすぎる自分を見る感情の抜けた狼の視線にヒョロ長がビクっとなった。
「はぁ、ビビるぐらいなら最初から声掛けてくるんじゃないよ弱虫君が。おい、ゴミムシ。今日集めたモンを全部置いていけ。そこで寝てるジェリル君の持ち物も全部な。ああ、あと装備も全部置いていけ。それとブーツもだ。服は許してやるからありがたく思え」
ヒョロ長は言われたことの内容が理解できないみたいでぼーっと立っている。
「誰か、あそこのカゴ持って来てくれるか」
屋台に置いてあるお金を受け取るためのザルカゴを持って来るように頼む。それを聞いていたスピード自慢のウィルが身体強化を使ってザルカゴを持って来てヒョロ長の足元に落として元の位置に戻った。さすが『銀狼の牙』のメンバー。何かするたびに何かを吸収していく感じが乾いたスポンジのようで気持ちがいいね。が、お前はダメだ。言われたことはすぐやれヒョロ長。
「おい、お前。一度でわからない時は『わかりませんでした。もう一度お願いします』ってちゃんと言え。そんなんじゃいつまでたっても成長できない下っ端のままだぞ」
もう一度声を掛けられてヒョロ長がこっちの世界に戻ってきた。目に光が戻った。
ヒョロ長の目の前ではオルカが両刃短剣の拭き掃除をしていた。ついさっき自分の相棒を斬った武器だ。それを目の前で手入れしている。なぜだ? そんなの決まっている。『自分の仕事はもう終わった』からだ。使わないのだから仕舞うだけだろう。じゃあ俺の相手は誰だなんだ? それも決まっている。この狂った狼少女をアゴで使う口を開けば誰よりも尊大な言葉を吐く黒髪の美少女だ。こいつが狼使いだ。この猛獣使いが『行け』と命じればこの狂った美しい狼がまた喜んで疾り出すのだ。黒髪の少女が怖かった。得体が知れなかった。こんな年端も行かぬ少女をなぜ怖がるのかわからない。わからないから怖かった。
「おい、どうするんだお前。俺はどっちでもいいぞ」
ヒョロ長は恐怖と屈辱の中、手に持っていたセカンドバッグをザルカゴに落とす。無意識に装備ベルトを外して足元に落とし、ポケットをまさぐって金をザルカゴに入れるとブーツを脱いだ。そのままザルカゴを持って夢遊病患者のようにひっくり返った相棒の元へと歩くと装備を外し、金をカゴに入れてブーツを脱がし終わるとこっちを見た。
「はい、ごくろーさま。ジェリル君連れておうちに帰りなさい。俺に用があるなら明日のこの時間にまたここに来い。相手をしてやるから」
ヒョロ長は壊れた操り人形のようにコクリと頷くと身体強化を使ってデカブツを担いで歩き始めた。その足は段々と速くなり、公園を出るころには全力疾走になっていた。組織の元に行けば助かるかもなーなどと思った。奴らの最後にいた場所を見ると耳は落ちていなかった。ヒョロ長がちゃんと拾って持って帰ったらしい。
あとに残ったのは二人分の装備とブーツ、カゴに入ったセカンドバッグと結構な金額の現金と大量の血だまりだ。俺は装備には興味がないのでザルカゴを拾い上げてカレンさんを見る。
「カレンさん、串肉大丈夫ですか」
「え。あ、え、はい。ああ、焦げちゃう焦げちゃう」
慌てるカレンさんがちょっとかわいくて笑ってしまった。ザルを持って見に行くとちょっと焼きすぎの肉があった。
「それ、食べちゃいましょう。おーい、ちょっと焼きすぎちゃったからこの肉食べていいぞー」
後半を『銀狼の牙』に向かって言うとウィルとキリエがまっさきに「やったー!」と喜びながら駆けてくる。カレンさんは肉から串を抜いて切り分け始めた。この程度でビビる者は『銀狼の牙』にはもういない。
ライズとルシアは自分の剣に手を置いてなにやら思案顔だ。オルカの戦い方に感銘を受けたのかもね。でもアレは君たちには参考にならないだろう。アーノルドとバルは二人が落としていった武器装備とブーツを回収してくれている。オルカはボア肉に群がってうめーうめーと食ってる少年たちを眩しそうに眺めているがその輪に入って自分も食べようとはしない。こういうものは自分はもういつでも食べられると完全に認識して、意識も出来ているってことだ。この時ばかりは、この娘にそう思わせることができた自分を褒めてやってもいいと思えた。
もう今日は店じまいにしよう。円形広場デビューとしては上々だろう。それに、俺は早めに帰って大事な家族会議があるのだ。カレンさんに声を掛けて、最後にテストで一度に焼けるだけの串肉を焼いて終わりましょうと伝える。
俺は近くの円卓に座ってバッグとザルカゴの金を数える。ふーん。すげーなこれ。そこら一帯の儲けの半分近くを回収してるだろ。やったぜ! 大儲けだ! 数えるのがめんどくさくなったし意味がないので現金は背嚢の中にざーっと流し込む。重いから流し込みながら三分の二は『収納』してしまう。アーノルドとバルが回収品を運んで来てくれた。




