第83話 ともだちとは
翌日はすっきりと目が覚めた。まだ朝早い時間のはずだ。目を開けると目の前のキュロスは安らかな寝顔のままでホっとした。このまま安静にしていれば回復するだろう。背後を確認するまでもなく背中の感触でシェリルが俺を抱えるように寝ていることがわかる。腕枕までされている。俺、ちゃんと寝相良く寝ていただろうな? どうやら俺が動いたので起こしてしまったようだ。目の前のシェリルが無言のままニコリと微笑んだ。俺も笑みを返して人差し指を口に当てながらゆっくりと起き上がりシェリルの身体を乗り越えてベッドを降りる。
「シェリルさんはもう少し寝ていてください」
どうせこのひとは遅くまで俺たちを見守っていてくれたはずだ。まだ寝ててもらっていい。ベッドの上にサリアの姿はなく、オルカが横になったまま俺のことを見ている。うん、もう完全に起きてる目だねそれ。俺のいなくなった隙間を埋めるようにキュロスによりそうシェリル。うーむ、美しい。三人並ぶ寝姿が芸術作品のようだ。微かに開けてある分厚いカーテンの隙間から朝の光が差し込んで部屋の中は薄っすらと明るい。ベッドを周り込んでオルカの方に手を伸ばすと音も無くこっちに来る。ベッドを四つん這いで尻尾を振りながら笑顔で近寄ってくる姿に思わず頭を撫でてしまった! なにこのかわいい生き物! うう、あごの下も撫でたいけどさすがにそれはガマンだ。昨日の夜は厳しい言葉を掛けたまま寂しい思いをさせてフォローもそこそこに寝落ちてしまった。申し訳ない。甘やかさなければ!
最後にもう一度キュロスとシェリルを振り返ってオルカと手を繋いで寝室を出る。ダイニングテーブルに風呂上りらしいサリアが朝食中らしく優雅にお茶を飲んでいた。
「サリアさん、おはようございます」
「オハヨウゴザイマス」
オルカもちゃんと挨拶できて偉いね! と頭を撫でながら褒めることを忘れない。誰かと暮らした経験などないオルカはまだまだ知らないことがたくさんだ。
「ふたりともおはよう。早いのね。それと仲が良くてなによりだわ」
ちょっと呆れ気味だ。しょうがないよ。俺たち付き合い始めたばかりのバカップルみたいなもんなんだから。
「そんなに寝てないはずなのになにか妙に調子が良いんですよ。やたら元気というか。サリアさん、昨日のお風呂で本当に俺に何もしてないですか?」
「なぁにぃ? わたし、なにもしてないわよぉ」
朝食の野菜スティックを指で摘まんで舌を出して齧りながら答えるのだが、そのアゴを少し上げた挑発的なお顔が……
オルカが俺の腕にしがみついたまましっぽと耳をピンと立て、目を丸くしてサリアを見ている。お前は何に興味を持っているんだまったく。ああいうのは良い子は真似しなくていいからね? サリアに誘われてリビングのソファーに座るとオルカと一緒に頭に布を巻かれる。
「せっかくいつでも入り放題のお風呂があるんだからふたりでさっぱりしてらっしゃい」
「いっしょに入らないんですか」
「わたしはそんな野暮じゃあないわよ」
と、手をひらひらさせながらダイニングルームに戻ってしまった。朝食を準備する間に風呂に入ってこいってことだな。オルカと顔を見合わせて風呂場に向かった。
オルカが脱衣所の扉を閉めた瞬間にふたりのガウンを『収納』してみた。オルカは一瞬、キョトンとしたあと花が咲くように破顔した。手品を見せられたこどものように屈託のない明るい笑顔に癒される。脱衣カゴにガウンを戻してふたりで風呂に向かう。外扉を開いて確認するが嫌な臭いはしない。朝風呂は昨夜入れなかった露店風呂にした。掛け湯をして明るい朝の陽射しの中で湯舟に浸かると自然と声も出る。かけ流しのきれいなお湯で顔を洗うとさらにさっぱりだ。風呂の中の階段に並んで座るオルカが真似をする。
「顔を水に浸ける時は口も鼻も息を止めるんだよ。吐くのはいいけど吸うと大変なことになるからね」
俺が何度も顔を洗うのを見てやり方を覚えたようで、洗顔も問題なくできるようになった。顔を洗うだけなのにとても楽しそうだ。こうしていると昨夜戦場を走り回っていたのが遠い昔のことのようだ。思い出そうとすれば思い出せる。燃える建物、うつぶせのまま動かない知らない誰か、黒い水たまり、火事を消そうと必死に叫ぶ人々、臭いと熱。きっと一晩経ったぐらいじゃあのあたりは地獄絵図のままだろう。でもそれは俺の心を蝕むほどのことではない。悲惨だとは思うが、テレビニュースで知った海外の出来事ぐらいの感じで処理できてしまう。冷たい? 異常? いやいや、当たり前すぎて何も思わない。一歩間違えればその当事者は自分だったかもしれないのだ。そうじゃなかったのだから俺にとっては「良かった」ことだ。俺には今この場にいる身近な存在に思える人が無事であればそれでいい。被害に遭った人々をかわいそうにねと思うぐらいでちょうどいい。俺は自分の精神状態に満足した。この世界の俺はこれぐらいでいいだろう。
「朝のお風呂は気持ちよくて楽しいね」
オルカに向かってなんとなく自然と言葉が出た。そこには昨夜の地獄を感じさせるものはなにもない。
「うん。しあわせだね」
「そうか。これってしあわせなんだね」
湯舟に浸かりながら露天風呂の天井を見上げて目を閉じる。閉じたまぶたの日が陰った気がして薄く目を開けるとそこには微笑むオルカの顔があった。ああ、たしかに幸せだなぁ……
朝風呂を上がってダイニングに行くとサリアがお茶を飲み終わるところだった。
「シェリル姐さんと代わるわね」
「はい、お願いします」
そう言って寝室に消えて行った。オルカと並んで朝食を食べているとシェリルさんが寝室から出て来た。
「おはようございます。少しは寝られましたか」
「おはよぉ。だいじょうぶよぉ。よくねたわ」
風呂場に消えていくシェリルさん。付いて行きたいがグっとガマン。オルカと「おしいねー」などと言い合いながら朝食をいただく。オルカは朝から食欲旺盛だ。うむうむ。いっぱい食べて大きくなれ! 俺はこっそりとパンなどを『収納』しておく。この辺のものをテイクアウト購入できるように話し合わないとなぁ。
オルカはまだ食べているが俺は食後のお茶だ。シェリルが風呂から出て来て俺の横に座る。最近、俺の右側がシェリルの定位置となったらしい。なんか最近気が付いたらそうなっていた。左にはオルカがいる。いつからだろう?
そろそろオルカとシェリルが食事が終わりという時に玄関ドアにノックがあった。ミリィさんが出てくれて「支配人が来ています」と告げられる。もちろんすぐにお通し下さいと中に入ってもらう。
「ロック様、おはようございます。朝早く、お食事の最中にお邪魔して申し訳ございません」
そんなことはまったく気にならないけど何用かは気になるので問うと。
「ロック様、当館の主より言伝でございます。昨夜の契約書の返礼として、まずは当館のこちらのお部屋を今後、期限を設けずご自由にお使いいただきたいとのことですがいかがでございましょうか」
「はい? えーと、平易な言い方に変えてしまって申し訳ないのですが、昨日の契約書の対価として、この部屋を今後? いつまでも? 自宅のように自由に使ってよい、と聞こえたんですけど」
「はい。その通りでございます。期限は設けておりませんのでいつまでもご自由にお使いください」
「いや、えーと。それはいくらなんでも私がもらいすぎだと思うのですが」
そういうとユセフは上品に笑い「御冗談を」ですってよ! 俺には理解できない話だったのでユセフに嚙み砕いて説明してもらったところによると、昨日のデミトリーの襲撃失敗により今後ますます戦火の拡大があるだろう。それについて俺に証言など頼むこともあると。昨日の襲撃失敗はバーランド辺境伯を超えて皇帝側にも伝えることになるので、このままデミトリーを失脚させるから、そうしたらとんでもない利権がこちらに入ることにもなる。ということらしい。まぁ、今のところ机上の空論だけどね。
でも、俺にデメリットはない。政変に失敗したら逃げればいいだけだから。その政変の前に三人の奴隷解放を済ませるのが俺に課せられたミッションだ。それにはウォーカーの力を大いに利用させてもらおう。それでこそお互い様だろう。
だって、ともだちだもんね!




