第82話 疲労回復には
キュロスが再び眠ったタイミングでサリアとオルカが湯と布を持って部屋に戻ってきた。サリアがシェリルの側に来ると小声で問いかける。
「どんな感じ?」
「一度目を覚ましたけれどもう大丈夫そうよ。強い娘だわ」
それを聞いたサリアは安堵のため息をひとつ吐いた。シェリルがお湯に布を沈めて濡らし始めた。サリアが今度は俺の方を向く。
「ロック。ご苦労様。キュロスはシェリル姐さんに任せてあなたはわたしとお風呂よ」
「そうね。今夜はしょうがないわね」
シェリルが少し苦笑いでそう言いながら布を絞って俺を見る。
「ロック、あなた、ずいぶん汚れているわ。早く入ってらっしゃい。キレイになったら隣で寝かせてあげるから」
キュロスは心配だが俺のカッコも相当酷い。髪と顔は煤と煙で汚れ放題だ。おまけに涙の跡でぐちゃぐちゃだろう。このままこの部屋にいるわけにはいかない。俺が繋いでいたキュロスの手をオルカが繋ぐ。片手で手を繋いだままもう片方の手で優しくキュロスの腕を拭き始めた。俺はオルカの頭を撫でようとして、手が汚れていることに気付いて、引っ込めた。それを見たオルカがにっこりと微笑む。たった二、三日でこんなにも変わるのかと、この娘の変化に驚く。きっとこの優しい笑顔こそがこの娘の本来の姿なんだろう。どんなことにも無表情だった孤独な狼はもういない。オルカの笑顔に救われながらシェリルに優しく顔を拭われるキュロスをもう一度見てゆっくりとベッドから降りた。
ベッドから降りた俺にサリアが慌てて駆け寄って来て身体を支える。なんか足元がふらつく気がする。サリアに肩を借りながら寝室を出てリビングに入ると、そこにはもうウォーカーもバーズもいなかった。代わりに女中さんや守備兵の人達が静かに撤収作業をしていた。だいぶ気を使わせているな。
「みなさん、ご苦労様です。寝室は防音が効いているので音は出してもらっても大丈夫ですので、お気遣いなく」
声を掛けられたみんながニッコリと笑ってくれた。するとミリィさんが汗をかいたグラスを持って駆け寄って来た。
「ロック、あなた酷い顔色よ」
そう言ってグラスを渡された。ミリィさんの親戚のおばさん感に癒されながら微かに震える手でグラスを受け取りひと息に飲み干す。冷えた水がうまい。そうか、自分の水分補給を忘れていたのか。これじゃあオルカに偉そうなこと言えないな。
「ふぅ。ミリィさん、ありがとうございます。おいしかったです」
グラスを心配顔のミリィさんに返してサリアに支えられたまま脱衣所に入る。サリアが扉を閉めた瞬間、ふたりの着衣を全部『収納』する。
「きゃっ」
ふふ。なんともかわいい女の子らしい悲鳴が聞けてつい笑ってしまった。
「ロック〜、あなたねー。もう、しょうがないわねぇ。今回は緊急事態だから許してあげるわ」
俺の名前を呼んだあたりからもういつものサリアだ。俺の前でも裸でいることをこれっぽっちも恥ずかしがりもせず、腰に手を当てアゴを上げ気味にして堂々と仁王立ちしている。収納した衣服を脱衣カゴに『排出』。サリアが「便利ね」と呟いて感心している。もう順応したのか。すごい度胸だ。
「サリアさん。女の子が裸を見られて恥ずかしがるのを見るのも男にとっては浪漫があるものなんですよ。だから今のサリアさんはとてもかわいくて良かったです」
そう言うと顔を赤くしながら「生意気言うんじゃないわよ」と小さい声で言った。「顔、赤いですよ」って言ったら「うるさい! あなたそんなことばっかり言ってると、姐さんのいないところでイジメちゃうわよ」と言って舌なめずりをした。こ、これは貞操の危機を感じる。
「あなた、口は達者なのに体はフラフラじゃないの!」
軽口を叩き合いながらもしっかりと介護してくれるサリアさんに感謝。サリアさん、俺と同じか少し背が低いよね。なんかこの人、独特の雰囲気……色気があるのなんでだろう? ここだけの話、微双丘だけど形は美しいし、下半身はちゃんと女性っぽいけど、全体的に背が低いからなのか童顔のせいなのか幼い印象に見えるんだよなぁ。なんだろう? パッと見のイメージとじっくり見た時の印象が違う? いや、年頃の女性の裸なのでじっくりは見てないんだけどね。
うーん、それにしてもふらつく。手足が筋肉疲労の極致のようにプルプルと小刻みに震える。身体強化を長時間に渡って酷使し過ぎた反動が来ている。さすがに魔力不足か? 痩せギスで元の体力が無いのが問題だ。俺は身体強化に必須の魔力だけは人並み以上にあるけれど、スキルで強化された身体強化による生身の身体へのダメージに耐えられないのだろう。奴隷から解放されてからはオルカのこともあるし身体作りに気を使っているが、いかんせんまだまだ鍛えるには日数が足りていない。
やっとのことで風呂場に入って風呂椅子にどっとばかり腰を降ろす。
「うーん、せっかくのふたりきりのお風呂なのにこれじゃ本当になにもできないわね」
元気だったら十歳のこどもの俺にいったい何をするつもりだったのやら。実はこの手のことはサリアが一番恐ろしいのではないかと薄々思っていたのだが果たして当たっている気がする。怖いから黙ってよう。
「なによ。黙ってないで何か言いなさいよ」
おっと。一人での下ネタは恥ずかしいのかな。
「いやあ、サリアさんにそんな風に言われちゃうといろいろ想像して緊張しちゃったんですよねー」
「あ、あなたねぇ。その顔で口を開けば開いたで……そうね。ふふふっ。いつか、ね。姐さんがいいって言ったらいろいろ教えてあげるわ」
サリアが掛け湯をしてくれる。はー、気持ちいい。サリアってずいぶん若く見えるけど一応成人してるって言ってたよな?
「うーん、なんか不思議ですね。たまにサリアさんがあのお二人より大人っぽく見える時があるんですよ」
彼女からは時々なんか妙な色気を感じるんだけどそれは黙っていよう。
「あら、あなたアレがわかっちゃうの? へー、おもしろいわね」
いったいなんの話なんだこれは。頭にお湯を掛けられ始めて会話が中断する。最後の会話が何か不自然で腑に落ちない気がするがそれが何かを考える余裕が無いほど疲労が思考を邪魔し始める。腕を上げるのもダルくて頭を洗うのも億劫だ。と、思ってたら黙ってサリアさんが洗ってくれている。
「サリアさん、髪洗うの大変だからこう、バッサリ短くしようかと思」
「ぜったいダメ」
「あ、はい」
瞬殺された。また別の機会にプレゼンしよう。
「あなたの顔がみんなを狂わせてるんだから大事になさい」
えーと? なにそれ? 狂う? 誰が誰を誰に? 思考がループして頭を洗われるのが気持ち良くて……
ぼんやりしていたら頭に布を巻かれリンスまで終わっていた。あれ?
「あー、すいません。ひょっとして俺、寝てました?」
「寝てたの? 気付かなかったわ」
ぺろりと桃色の唇を舐めながら返事をするサリア。気を使ってくれてるのかな。どれぐらい寝落ちしていたんだろう。気分が良くて自然と笑顔になるね。
「なんだかすごく気持ちがいいです。すいません、きれいにしてもらっちゃって。俺、こどもみたいだなぁ」
「ふふふっ。おかしなこと言うのね。あなたまだ子供だったわよ」
顔を拭かれているのをいいことに返事はしなかった。俺が『大人こども』だって知ったら怒られるかなぁ。
そのあとは露天風呂に入る気力まではなく、内湯に軽く入ってから風呂を出た。風呂に入った時よりなにか気力が充実している感じがする。足取りのフラつきもなさそうだ。
「サリアさん、なんか身体の調子が良くなりました。風呂に入って疲れるんじゃなくて元気になるなんてなにか変な感じです」
「あらぁ、元気になったんならよかったじゃないの」
また例の小悪魔笑顔で言われて返答に困った。十五の言動じゃないんだよなぁ。見た目はもう少し下っぽいのに。これがギャップ萌えなのか?
身体を拭いて、用意されたガウンを羽織ってリビングに出ると、そこはすっかりキレイに片付いたいつもの清潔な部屋だった。ミリィさんが俺たちの風呂上りに気が付いてまた飲み物を入れてくれたのを二人で飲んだ。飲み終わるとサリアさんが髪を乾かしてくれた。俺のが終わったのでサリアさんのブローをしようとしたらダメに決まってるでしょと軽く叱られた。
「いや、サリアさん、聞いてください。俺はこれに命とプライドを懸けているんです。どーしても、うなじじゃなくてドライヤーが掛けたいんです」
「あー、なるほど、ね。あなた、とんでもないわね。さすがに命を懸けるのはやめなさい。気持ちはわかったし私もうれしいけど今日は本当に命に関わりそうだからガマンなさい。また今度好きにやらせてあげるから」
ミリィさんが俺たちの会話に若干引いていたように見えた。俺はさすがにここまではっきりとダメを出されたら引き下がるしかなかった。サリアのブローはミリィさんがするらしい。高級宿って女中さんもハイスペックなんだなぁ。しょうがないから一足先に寝室に戻る。
部屋は明かりが落とされシェリルが俺が部屋を出ていった時のままキュロスの横でイス座って看ていた。オルカはキュロスの枕元に座ってまるで二人を守るかのように目を光らせていた。俺はシェリルの近くまで行って声を掛ける。
「シェリルさん、ありがとうございました。お陰様で元気になりました。代わります」
「サリアのお陰ね。私は大丈夫だからあなたも横になりなさい」
いつぞやの風呂の時のようにやさしく身体を押されているだけなのだが、なぜか抗えずベッドに転がされてキュロスに寄り添うように寝かされる。毛布の中でキュロスと手を繋ぐ。キュロスを挟んで反対側にオルカの光る眼と髪が見える。
「オルカ。俺がシェリルさんを頼むと言ったことを守ってくれていたんだね。ありがとう」
その日の俺の記憶はそこまでだ。




