第81話 後悔
戦場に動きが見える。襲撃側の奴らが引き始めている!
「キュロス! 終わるぞ!」
俺は再びキュロスに毛布を被せて抱きかかえて主戦場に接近する。襲撃側の集団に近付く。影に潜みながら毛布を剥がしてキュロスの耳元で強く囁く。
「キュロス! 聞け! 命令だ!」
ゲットーファミリーの奴らがバラバラと走って来る。そのうち現場は逃げ出すチンピラで騒然としてくる。最前線で足止めのために戦ってるのは命令を受けたゲットー側の奴隷だろう。死兵だ。奴隷はここでも使い捨てだ。
「撤収! 撤収!」
そこらで口々に叫んでる。俺はキュロスを抱え起こして瞳を覗く。撤収の声はもうキュロスにも届いたはずだ。
「キュロス! 聞こえるか! 撤収命令が出た! 暗殺命令は解除だ!」
冷徹な殺人マシーンだった感情の無い視線が溶けていく。ゲットーファミリーの連中が撤退と叫びながら走るのを自分の目で見て聞いて呪いが状況を理解したはずだ。強張っていた身体の力が抜けた。目は開いているが感情が読み取れない。拘束していたロープと猿ぐつわを『収納』を使って瞬間的に解除する。口中に溜まっていたヨダレが垂れるだけで一言も発しない。くそくそくそ! 強烈な誓約の強制命令に対して攻撃を止めようと精神的に抗った反動だ! それがなければ最後の斬撃は苛烈さを増して俺は真っ二つにされていただろう。命令は解けている。あとは時間を掛ければ戻るはずだ。だが今のキュロスは自力では動けない。こんなところでじっとしている場合じゃないぞ。あと何時間かしたら日が昇ってしまう。
「キュロス! 戻って来い! よくがんばった! 終わったんだ!」
毛布に包みながら瞳を覗き込んで声を掛けるが反応は無い。とりあえずここを離れてどこかに立てこもるか。ノエル側の私兵が残党狩りを始めるのも時間の問題だ。いっそ事情を話して保護を求めるか。
俺はいざとなったらグランデールそのものを相手にすることも覚悟している。今のうちに攻撃に使えそうなものはないかと無意識に視線だけで打ち捨てられた死体を見ていた。落ちている剣やナイフ、槍をかたっぱしから『収納』する。視界の範囲にあるものはそんなに多くはない。あっという間に回収完了だ。しょうがない、キュロスにはまた窮屈な思いをさせるが抱えて移動を開始しなければ。
逃走方向を探ろうと『走査』を飛ばすとなにかを探すように移動しているひとがいる。速い。その人物が俺たちの元に真っすぐ向かってくる。『探索』持ちがいたか。まだ距離があるところでわざわざ月明りの下に出て姿を晒しながら近付いて来た。
「キュロスを見つけたのか」
バーズだ。仕事を終えたらしい。
「はい。なんとか。襲撃が終わるまで拘束し続けた影響でまだ戻って来てません」
俺はキュロスを抱きかかえたまま答える。バーズが俺たちの前に跪いてキュロスを覗き込む。
「わかった。戻ろう。ロック、俺がキュロスを運ぶ。いいな」
くそー。また子供の身体のせいだ! 誰にも触らせたくねーんだよ!
「すいません。お願いします。キュロス、みんなのところへ帰ろう。俺だとキュロスを上手に運んであげられなくてごめんね。バーズさんが運んでくれるから心配しないで。俺もすぐ隣にいるから」
バーズはフードを目深に被ると、毛布に包まれたキュロスをやさしく抱き上げる。そして、俺のことを一度見てから走り始めた。速いが揺れを抑えたやさしい疾走だ。
バーズはノエルのところに残らなくてもいいのだろうか。それともウォーカーのところに戻るついでなのだろうか。いずれにせよ俺たちのことなど放っておいてもいいはずなのに手伝ってくれている。しかも、立場を考えればかなり危ういことをしているはずだ。まぁ、キュロスの意識が戻れば証言が充分な証拠になるとか打算があるのかもしれないが。理由は何であれ助かる。
キュロスの奴隷紋は消えていない。今回のことで解放条件は達成できていないことだけは確かだ。命令や条件がわらないが動けるようになったら契約者の元に戻ろうとする可能性は高い。その場合は無理に引き留めるのは無理だろう。いかん。先のことを考えすぎるのは前世記憶に引っ張られてる俺っぽいなぁ。でも、キュロスを戦闘奴隷に仕立てた奴は俺がこの手で必ず殺してやるからな。
ゲットーファミリーの奴らはどこに向かって逃げているんだ? 逃走経路を調べるのに『探索』すると防壁ではなく西地区に向かって走っている。
「一旦このまま西地区まで行って、そこから壁を越えて戻るつもりでしょうか」
「恐らくそうだろう。防壁の門にも細工があるんだろう」
バーズの言う通りだった。西地区の大通りまで来るとそのまま今度はスラムのある外周方向に向かって進み始めた。西地区に入る途中では南地区の兵と思われる死体がいくつも転がっていた。逃走経路はあらかじめ確保済みだったらしい。かなり計画的な作戦だな。その割に派手に失敗したけどな。ざまあみろ。
西地区に入ると巡回の兵士もいないようだ。敗残の兵は先へ先へと急ぐ。俺たちは裏路地の暗がりを進んでいたが、防壁の手前で敗残兵に紛れ込む。フードを目深に被り、顔は麻布で覆い隠す。負傷していて周りが見えていない奴らにくっついて門を潜る。門には灯りもなく、門兵もいない。防壁の上にも見張りはいない。デミトリーの工作だろう。
暗がりでまた裏道へ潜り込み先を急ぐ。防壁の門が目的地なのだからノロノロと進む怪我人に付き合う必要はない。俺はキュロスが気がかりで防壁内の街の様子を見る余裕はないが、スラムのような異臭が無いことが不思議だった。あっという間に最外周防壁に到着。俺が抜けて来た時と同様、門兵はおらずもぬけの殻だ。
門を抜けた先はスラムだ。大通りを堂々と走る。暗がりに紛れようとする何人かがこっちを見ているが声も掛けてこない。どいつもこいつも生きて帰れたことに安堵して、これ以上の揉め事は勘弁といったところなんだろう。
バーズがスピードを上げる。もう遠慮はいらない。今夜はスラムもいつもより静かな気がする。『夕暮れの泉亭』にするか『一夜の夢』に行くか……この状態のキュロスを他人に預ける気にはなれない。
「バーズさん『夕暮れの泉亭』にお願いします」
バーズはこちらを見ることもなく「わかった」とだけ言った。円形広場を抜ければ『黄昏の泉亭』はすぐそこだ。バーズはキュロスを抱えたまま外壁を蹴って三階の貴賓室のテラスに直接降り立つ。俺もその後を追い、先に扉を開けて中に入る。オルカが胸に飛び込んで来る。
「待たせた。キュロスを連れて来たベッドを空けてくれ」
直後にバーズがキュロスを抱き抱えて部屋に入ってそのままシェリルとサリアが先導して寝室に向かう。俺もバーズの後に続く。
「オルカ、待っている間なにもなかったか」
「うん、こっちは大丈夫」
西地区の街中やスラムのあちこちに怪しい奴らは何人もいた。おそらくこっちの動きを見張るためのデミトリーの私兵だろう。今夜はデミトリーもゲットーファミリーも襲撃に手一杯でウォーカーやオーサーまでは手が回らないはずだ。
ウォーカーが心配そうにこちらを見ている。
「すいません、キュロスを連れて来ました」
「そんなことは気にするな。必要なら医者でもなんでも呼んでやる。遠慮なく必要なものを言え」
「ありがとうございます」
裏にどんな打算があっても、もういいや。あんたは俺の味方認定だ。いつかこの借りは返そう。
寝室では横たえたキュロスから毛布を取っているところだった。バーズが部屋を出ていく。
「バーズさん、ありがとうございました」
すれ違いざまに頭を下げると俺の頭をくしゃりとひと撫でして「気にするな」とだけ言って扉を閉めながら出て行った。
ベッドを見ると二人がキュロスのボディスーツを脱がすところだった。ボディスーツは身体に密着する革製だ。他人が脱がすのは大変だ。切るにしても身体に傷を付けてしまいそうだ。
俺はオルカを見て次に扉を見てうなずく。オルカが察して扉に鍵をかける。俺はそれを見届けるとキュロスに向き直りボディスーツに『収納』を使った。
ボディスーツに手を掛けどうしようかと眉間にシワを寄せていた二人が息を飲んだ。
「俺がやりました。キュロスさんはどんな感じですか」
ベッドに歩み寄りながら声を掛ける。ふたりは俺の方を見ながら呆然としている。俺は自分のブーツとフードマント、胸当てなどの防具を『収納』しながらベッドに乗り、裸で横たわるキュロスに清潔な毛布を掛けて顔を覗き込む。キュロスの額に掛かる髪を掻き上げ額に手を当てる。熱はない。少し厳しい顔つきだが呼吸は落ち着いている。多少の悪夢にはうなされるかもしれないがとりあえずの窮地は脱した。なんという精神力の強さだ。あとは可能な限り安静にするだけだ。
シェリルがサリアに何か指示をしたみたいで、サリアがオルカを誘って部屋を出た。ふたりは俺のこの異常な能力のことを追求しようとはしない。不自然だ。奴隷である自分の身分を考慮して、必要以上に俺の情報を蓄積しないようにしているのではないだろうか?
「今、お湯と布を取りに行ったわ。汚れてしまったからキレイにしてあげましょう」
シェリルがキュロスの顔を覗き込みながら優しく話しかける。俺はキュロスの顔を見ながら、やっぱりあの時、さっさとノエルを殺すべきだったと後悔の念に囚われていた。
「ロック。キュロスを助けてくれてありがとう」
声のする方を見るとシェリルが優しい顔で俺を見ていた。いや、違うんだ。俺にはそんな風に褒められる資格なんかないんだ。キュロスになにかあったら俺は自分を許せないだろう。
「いや、シェリルさん、違うんだ。俺は、俺はもっとうまくやれたはずなんだ」
悔しさと後悔の念に押しつぶされそうだ。
「ロック」
キュロスの目が薄く開いて俺を見ている。
「キュロスさん……」
毛布が微かに動いている。俺は毛布の中の彼女の左手を両手で握る。
「ゴメンね、ありがとう」
今、この時点で現実世界の俺に向かってこれだけのことを言うのにどれほどの精神力が必要なのか俺にはもうわからない。ただ、それほどの強い意志を込めて俺に掛けられた言葉がこんなにも優しいのか! 俺は自分の目から涙がこぼれるのを止められない。
「あやまらないでください。おれ、の、ほうこそ。うまくやれなくて、ゴメン」
キュロスは微かに微笑みながらゆっくりと首を振った。
「キュロス、もう大丈夫よ。ここにみんないるわ。ゆっくりとおやすみなさい」
シェリルがそう言うとキュロスはそっと目を閉じた。
先ほどよりやすらかな寝顔なのだけが救いだった。




