第80話 沈黙でこたえて
ドラマやアニメでよくある描写で、首筋に手刀入れたら「うっ」とか言って気絶するっていうやつがあるじゃないですか。あれね、嘘だから。意識を失うほどの衝撃を首筋に与えるんですよ? 下手したら死ぬか後遺症残るから。マジで。どういう理屈だよまったく。それと同じでみぞおちあたりにグーパン入れて昏倒させるやつ。胃の中身全部ぶちまけて悶絶するだけだからね。ヒロインにそれやってみ。ゲロまみれでのたうち回る腹に青あざくっきりのヒロインになるけどいいのかそれ。
ということで実はキュロスを止める方法はありません。首筋の頸動脈を押さえるというのが最も理想的な落とし方ですが……体格に差がありすぎ。いや、それしか方法ないか? 他にできることはせいぜい時間を稼いで殺しの対象者であるギルド長のノエルが死ぬか撤退命令が出るかうるせー! 知恵と工夫でなんとかしろ今の俺!
全力疾走でキュロスに突っ込む! 短剣は右下に向けてある。ほら、俺の頭ががら空きだぞ! 斬れよキュロス!
キュロスがどこの示現流ですかっていうぐらいの裂帛の気合で片刃長剣を振り下ろしてくる! 恐いなおいっ! しかしさっき全力疾走って言ったのは実はウソだ! ここからさらに加速! キュロスの間合いのさらに内側に入り込む! この懐に飛び込んだタイミングで短剣を鎧の隙間に突き立てるなり手足の一本も落とせば俺の勝ちだ。もちろん出来ない。
俺は短剣を掬い上げるようにしてキュロスが握っている片刃長剣の根本にしっかりと刃を立てる。
キーン!
完璧に刃が立った短剣がキュロスの持つ片刃長剣の刀身を根本から斬り飛ばす! 泣きながら譲ってくれた武器屋のおっさん! いい仕事だったぜ! 今度こいつを造った職人を紹介してくれよな!
俺は片刃長剣を斬った勢いのままキュロスの脇をすり抜けて『出納』から森のキャンプの寝床として使っていた網をキュロスの真上に『排出』する! 同時に網を固定するために使っていた丈夫な細糸も『排出』してキュロスを網ごとぐるぐる巻きにする! キュロスが両刃短剣を取り出して網が傷つけられるが自由の効かないキュロスの両手を巻き取る方が早い! 上半身の自由を奪ったら次は足だ! キュロスが横倒しになるがロープでぐるぐる巻きにするのを止めない。身体強化でキュロスを押さえつけながら網ごと両手を後ろ手に縛り上げる。そのまま足首も縛る。足首を結んだロープと後ろ手に縛った手首とをきつく結んで膝も折りたたんだ状態でギチギチに縛り上げる。網だけを『収納』して頭巾を脱がして麻布でさるぐつわも掛ける。奴隷の誓約が掛かってて自死はしないが、大声を出されて仲間を呼ばれるのは避けたい。
「キュロス、俺がぜったい助ける! しばらく苦しいが我慢してくれ!」
完全拘束完了。かなり苦しいと思うが本人はもう何もできない。ノエルはここからだいぶ離れている。『走査』の端の方で逃走を続けているってことはまだ生きているのだろう。俺がキュロスとやりあっている数分で主戦場はだいぶ移動した。街の住人や衛兵、地元冒険者が火事への対処で大騒ぎだ。このあたりの住人は貴重品を持って逃げるか消火活動に向かっている。延焼を抑えるための建物の破壊音が聞こえてくる。俺はずれていたフードをきちんと被り直してキュロスを毛布で包んでそれも軽く縛ると持ち上げて移動を開始した。
「キュロス、苦しいけどがんばれ。命令が解除されるまでそのままだ。気絶しててもいいぞ」
このまま連れて逃げたいができない。命令解除が出来ていないからだ。暗殺が完了するか指令が解除されるまでこのままだ。俺はキュロスを抱き上げたまま再びノエルを追う。身体強化で重さ的には持ち上げるのはどうってことないが、大きさが問題だ。毛布を引っ掴んでなんとか持ち上げている。今からキュロスをできるだけノエルに近付かせて撤退命令が出るかノエルが殺されるのを待つのだ。
これだけギチギチにしているのに抵抗しようとしているのがわかる。手足を縛りあげている時に見つけた武器は全部取り上げて収納してある。時々毛布をはがしてキュロスの様子を確認する。かなり無茶な移動をしているのでキュロスもボロボロだ。涙と鼻水とヨダレでぐちゃぐちゃになっている。暗殺司令を実行するための体力回復を優先する思考回路が働くのだろう。暴れ疲れると体力温存モードになる。時々手首や足首などのロープをずらして血行障害が起きないようにチェックする。強張った筋肉もマッサージする。顔を拭いて水を飲ませる。気を付けないと噛まれて指が失くなる。
キュロスも頭の中では俺を認識している。なにをして、なにをされているのかも全部わかっているはずだ。ただ、それを表現できず、暗殺司令だけが行動原理として有効になっている。これだから奴隷制度が許せない。まるでプログラムされたロボットだ。人間の尊厳が踏みにじられる。命令解放後も精神負担による心身への悪影響が心配だ。
集団で防御しながら逃走しているノエルにはキュロスを抱えたままでも追い掛けるのは難しくない。近付いては離れてを何度か繰り返し、俺達も襲撃を受けているが、その都度『出納』で撃退している。夜で暗いから『出納』がバレる心配もないし瞬殺だ。殺してないけど。俺たちが攻撃されそうになるたびにそいつらはなぜか背後から矢や投擲ナイフが飛んで来て負傷して戦線離脱を余儀なくされるのだ。
ノエルがついに援軍と合流したようだ。俺たちの周りにはもう誰もいない。襲撃側が総攻撃を命じたのだ。こちらでは待機している間に拘束ロープをきれいに結び直している。手足が後背でひとくくりになってなんとなく背徳感のある恰好になってしまっているがこれが正式な拘束であってあっちがそれを真似して取り入れているだけだからしょうがない。暴れて拘束ロープで傷ついた手首と足首にポーションをかけて治療する。
拘束し直したことで胸の圧迫も解放できた。跡が残ってないか心配だがそれは俺が確認することはできない。スーツの上と首の隙間からポーションを流し込んでおく。キュロスは体力が尽きたのか今は目を閉じて大人しくしている。俺はキュロスの後ろ側から右肩を軽く抑え込んでいつでも取り押さえられる体制を取りながら膝にキュロスの頭を置いて黄色い髪を撫でている。顔の前には手を持っていかない。猿ぐつわがあるからたぶん大丈夫だが、隙を見せれば食いちぎられる。
俺はこれ以上襲撃が長引くならキュロスを解放するためにやらなければならないと半分覚悟を決めている。いや、むしろ最初からそうすべきだったのではないかと後悔し始めている。キュロスを無駄に苦しめてしまったのではないか。
最初の段階で俺がノエルを潰して殺しておけばキュロスは苦しまずに済んだんだ。心がザラつく。最初からそれはわかっていたが街の人々のこと、ウォーカーたちのこと、世の善悪を考えてしまった。考えれば考えるほど失敗したという思いが大きくなる。まだか! まだ終わらないのか!
俺個人の戦闘が終わり魔力に余裕ができたので『走査』の範囲を広げる。何人か動きのおかしなのがいる。そいつらが動くたびにその行先の人間の反応が無くなっていく。減っているのは襲撃側の奴らだ。
「キュロス、この暗殺は失敗だ。ノエルは私兵と合流した。ゲットーファミリーも自分のところの兵隊を全滅にはできないはずだ。たぶんもうすぐ撤退命令が出る。そうしたら一緒に帰ろう」
キュロスの反応は無い。ターゲットが目の前にいて攻撃衝動は耐え難いほどに強まっているはずだ。絶えずキュロスにこれが終わったあとの希望を話し続ける。
大丈夫だ。
みんなが待ってる。
心配するな。
俺がいる。
お前は独りじゃない。
キュロスと最初に会った時ってお互い裸だったよね。
じつはさ、あの日、あの時の何時間か前までさ
俺も戦闘奴隷だったんだぜ
マジでマジで
俺、五歳の時に捕まってさ。その時から奴隷!
ホントだって!
でさ、七歳で売られてさ
キュロスと会ったあの日までの三年間
南スラムで戦闘奴隷の先行斥候だったから
おれの人生もけっこう派手でしょ
だからさ
俺が自由になった日にさ
キュロスが俺のこと洗ってくれたでしょ
ありがとう
俺はあのとき人に戻れたんだよ
だから今度は俺がキュロスを
奴隷じゃなくなったキュロスを洗うから
それはもうそういう権利が俺にあるっぽくない?
え? ない? ないかなぁ ありそうだけどなぁ
じゃーさ
俺がキュロスを奴隷から解放するよ
それだったらいいでしょ?
それでいいならこのまま沈黙で応えてね




