Substory 04 持つ者と持たざる者
森の中、小鳥のさえずりで目が覚めた。目の前に寝顔がある。つい先日まで他人の寝顔なんか見たことなかった。それが今、目の前にある。これが二歳年下の、しかも男の子にはまったく見えなかった。長いまつ毛に通った鼻筋、血色も形も良い薄く開いた唇。思わず唾を飲む。その音で彼が目覚めてしまうのではないかと思ってドキドキした。
この美しい男の子と出会ってまだ二日しか経っていないのが信じられない。出会いは最低だった。足の間にナイフが突き刺さった時、これで死ねると思った。苦しまずに死ねそうだなと思った。もう隠れて生きていかなくてもいいんだ。楽になれる。この人が私をこの地獄から救ってくれるんだ。
名前を呼ばれて嬉しかった。早く……殺して……。
でも殺してくれなかった。いきなり串肉を持たされて、見てたらやっぱり食べたくなって、そんな自分が嫌になった。もうルシアのことはどうでもいいと思ってる自分のことも嫌だった。
肉を食えと言ったから食べた。こんな時でも肉は美味しいのかと泣きたくなったけど涙は出なかった。
ルシアの兄のライズが来てフードが取られた瞬間、息を飲んだ。こんな美しい娘がいるのかと。なにもかも負けた。全てだ。彼女はわたしの欲しいものを全部持っていて、わたしには彼女がいらないと思うものしかないんだとわかった。
でも違った。彼女は彼だった。そこからは正直よく覚えてない。気がついたら彼がわたしの名を呼んでた。わたしの名前に特に意味はない。ルシアと知り合って名前がないと不便だからその場で適当に思いついた言葉を名乗っただけだ。その名前を彼が呼ぶ。わたしのことだ。わたしの名前に意味ができた気がした。串肉当ては楽しかった。この世にはこんなに楽しいことがあるんだって初めて知った。彼はどうしてこんなことを知っているのだろう。もし、もし彼と一緒にいられたらもっといろいろ楽しいを知ることが出来るのかな。
彼は強かった。言ってることのほとんどはむずかしくてわからなかったけど、わたしのためにいろいろ教えてくれてるということがうれしかった。
この街で一番ヤバいのが現れた。いつもならとっくに逃げてた。あの時、わたしは歩くこともできないほどヘバっていたけど。こんなに強い彼が負けるわけないと思っていた。もし彼が負けたらわたしの負けだと思った。彼が負けるのならわたしがこの先、生きていけるはずがない。彼が死んだらわたしも死のうと思った。彼は負けなかった。ちがうわ。ふふっ。圧倒的に殺したのよ。今まで感じたことのない何かがお腹のあたりをジンジンと熱くするのを感じた。わたしはおかしくなったんだと思った。わたしはあの時からおかしくなった。
彼のぜんぶが見たかった。わたしを見てほしかった。
ああ、お別れの時が来てしまった。でも、別れたくなくて足が動かなかった。どうしていいのかわからなかったから動けなかった。彼が話しかけてくる。彼がわたしに話しかけてくる。なんて答えればいいの? わたしはなにを答えているの?
彼がわたしの服を覗き込んだ時、もっとわたしを見てほしいと思ったのはなんでだろう? ジンジンしていた。
そして彼から信じられないことばを聞いた。理由なんか知らないしどうでもよかった。このままどこかで殺されてもよかった。彼になら喜んで食べられてもいいと思った。
彼とずっと一緒にいられる方法を考えた。わたしはばかだから難しいことはわからない。でも、突然ひらめいた。なんて素晴らしい方法なんだろう! そうすればぜったいに一緒にいられる!
奴隷になりたかったからそう言った。彼は真剣な顔でわたしに言った。ダメだと。わたしは彼の奴隷になる価値もないんだと目の前が真っ暗になった。
彼はわたしの頭に手を置いてやさしく言った。うれしいと言った。わたしが奴隷じゃなくてうれしいの? どうして?
そこからはまたふわふわとしか覚えていない。初めてこんなに大きな建物に入る。彼が手を繋いでくれてなかったら一歩も歩けなかったと思う。
目の前に世界が広がっていた。なにもなかった。遠くまで見えていた。こわいこわいはずの森なのにとてもとても美しかった。世界は美しかった。彼が見せてくれた世界だ。わたしひとりではこれを見ることは死ぬまでなかった。
はじめて飲んだじゅうす。これがあまいなの? わたしはまた狂ってしまうと思った。彼に出会ってからいくつめの知らないを知ったのだろう。
彼の期待にこたえられないわたしはどうすればいいかわからなかった。知らないひとの前でナイフが捨てられない。彼の望みなはずなのに。ああ、わたしは奴隷にもなれやしなかったんだ。
でもそんなわたしの目の前で彼はぜんぶを捨てた。彼の全てが目の前にあった。信じられなかった。彼はやっぱり綺麗だった。あわてて彼の真似をした。手を引かれておふろに向かう時。汚れた自分の身体を初めて恥ずかしいと思った。彼とわたしは違うんだ。わたしは汚いんだと初めて知った。きれいになりたいと思ったその時……
彼が女神と言う女の人が目の前にいた。これが人間なの? 違う。この人が人間ならわたしはただの獣だ。わたしが人間ならこのひとは……彼の言う通り女神だ。ああ、なんてこと。彼女が奴隷なの?! 彼がわたしを奴隷にしない理由がわかったわ。そうよ、わたしには彼の奴隷になるなんてそんな大それた望みを持っていいわけがないじゃない……
美しい女性から目が離せなかった。彼のそばにいるべきは彼女だった。うらやましい? そんなこと思うわけがなかった。思えるわけがなかった。だって、彼女は美しかったから。美しい彼と並んでいいのは美しい彼女だけだから。
わたしのそばにいたやっぱり美しい女の人たちが騒いでいた。なにを騒いでいるの? 彼がわたしを触っている。なに? なにを? かみのけ? わたしのこと?
彼がわたしの髪をほめてる。なんで? なにが起きているの? わたしがきれいだって言ってるの? こんなわたしにもきれいなところがあるの? うれしい。うれしい。うれしいうれしいうれしいうれしいうれしいうれしいうれしいうれしいうれしいうれしいうれしい! 彼がほめてくれた! もっとほめられたい! きれいだって言って欲しい! どうすればいいの? わからない。わからないなら聞いてみよう。この美しいひとたちに聞いてみよう。どうせわたしにはなにもないのだから。すべてを聞いて知って手に入れよう。欲しいものを手に入れなければ。彼にほめてもらえるようにやれることはぜんぶ、ぜんぶやるのよ。
あたたかい。ここはどこでわたしはなにかもわからずただただしあわせにしずんでいたもうめざめなくてもいいしあわせだからもうおきないままおわってもいい
彼の秘密を知った。よくわからなかった。すごいと思うけど。彼のやることだもの。すごいに決まってるわ。だから普通のことよ。
わたしはわたしの欲しいものをすべて手に入れる。
きのうの朝、おふろでなにもかも持っている美しい彼女たちに言われた。あなたがうらやましいと。あなたは彼について行けるのねと。わたしは雷に打たれたように感じた。なにもかも持ってると思った彼女たちが欲しくてたまらないものをわたしが持っている。だからお願いと言われた。わたしたちの分もお願いねと。彼女たちは彼女たちのすべてをわたしにくれた。だから今わたしは四人の女。もうなにもこわくないわ。
彼の美しいくちびるにそっと自分のそれを合わせた。




