第58話 通常運転
「それで、この 草原狼をどうせよと」
正気を取り戻したらしい『地竜の背中』のジェガンが副ギルド長のパーシルに問うた。
「先ほども申したが、この完璧な 草原狼を邸宅の壁に飾りたいと思っている。ぜひ加工を頼みたいのだ。これほどの素材を任せられる人物を私はジェガン以外に知らぬ。頼む!」
貴族が一介の革職人の工房に来て頭を下げた。さすがのジェガンも昔馴染みのここまでの頼みを断ることはできなかった。
「パーシル様、頭を上げてください。わかりました。やらせていただきましょう。ただし、商業ギルドの仕事を後回しにすることは出来ません。可能な限りがんばらせていただきますが、最優先で仕上げるということは出来ません」
「ああ、ああ! もちろんそれでいいとも! 私はこれが形にさえなってくれればそれで良い。そうして初めて彼女にも面目が立つというものだ」
彼女とは何者なのか気になったがそこまで突っ込んで話を聞ける相手ではなかった。
「これだけの素材です。多少時間はいただくかもしれませんが、決して手を抜くような愚かな真似はいたしません。仕上がりを楽しみにお待ちください」
そういうとジェガンは一旦、母屋へ戻り 草原狼を運び込むためにふたりの息子を連れて来てパーシルに紹介した。
草原狼は『地竜の背中』の三人の手によって密かに工房に運び込まれた。まずは毛皮を剥いでしまわなければならない。パーシルに肉はどうすれば良いかと聞いたら、肉はすべて好きにしてよいとの返事をもらった。これだけの肉があれば当分食料に困ることもないとありがたく受け取った。魔石だけは先に渡しておきたいということでその場ですぐに処理が始まった。
「それではパーシル様、こちらが魔石になります。お持ち帰りください」
立派な緑色の魔石だった。いずれ毛皮が出来る日まで大切に保管しなければならない。自宅の書斎に置きたいが目立つところに置くのも怖い。さて、どこに置いたものか。贅沢な悩みだ。
「ジェガンよ。今の今まで疎遠にしていた私を許しておくれ。すまなかった。そしてありがとう」
「お気になさらず。そういう時代だったというだけのことです」
パーシルは長年の罪が許されたようなそんな気がした。そして、これでよろしく頼むと綺麗な麻袋をジェガンの手に握らせて馬車に乗り込んで去っていった。
「親方、いくら入ってるんだい」
ジェガンがさして興味もなさそうに袋を握るとチャリと音が鳴った。それを息子に投げて寄越すと母さんに渡しておきなさいと言って 草原狼の毛皮処理に向かった。
「お、親父!」
「サガン、工房では親方と」
「これ! これ、銀貨が五枚も入ってる」
ジェガンはもうほとんど見えなくなった馬車を遠い目で見るとサガンに向き直って「母さんに渡してきなさい」ともう一度言った。長男のサガンは麻袋を手に母屋へと走った。次男のハーガンは「早く 草原狼の処理をしようぜ」と目で訴えていた。ジェガンはニヤリと笑うと次男の頭をクシャリとやって今度こそ工房へ向かって歩き出した。
ほとんど徹夜で動きっぱなしのパーシルはジェガンが毛皮の処理を引き受けてくれたことで一気に疲れが襲ってきたのを感じた。今から冒険者ギルドに行って通常業務に戻らねばならない。そのほとんどが依頼者からのクレーム処理だが今はそんなことはどうでもいいような気分だ。馬車の揺れが心地良かった。ギルドに着くまで少しでも休んでおこうと睡魔に抗うことなく身を委ねた。こんなに穏やかな気分で眠りにつくのはいつぶりだろうか……
「……様、旦那様」
御者の呼ぶ声で目覚めたパーシルは短い時間の睡眠だったが久しぶりの熟睡で目覚めの気分は悪くなかった。その馬車が目に入るまでは。
「なんということだ」
開け放たれたドアから見えるのは真っ赤に塗られた箱馬車だ。こんな下品な馬車を見間違うわけがない。西地区冒険者ギルド長、デミトリー・カルチェンコの飼い犬、ポメラ・マルチーズの箱馬車だ。ということはなんらかのメッセージを携えているということだ。吉報なわけはなかった。溜息をひとつ吐いて箱馬車から降りた。
「あ、副ギルド長ご苦労様です」
ギルドに入って開口一番、それ以上何も言わない受付嬢の気遣いがうれしかった。うむ。やはり彼女は可愛い部下だ。と、内心で思ったが決してそれは言葉にしてはいけないことは先日来の教訓だ。ひとつ頷いてカウンターの彼女の前まで歩く。
「一時間ほど前から一番でお待ちです」
必要にして最低限。すばらしい。
「ありがとう。あとは私の方で対処しよう」
一番応接室を通り過ぎて自分の執務室に入って中から鍵をかける。帽子とコートを掛けて金庫に銀貨二十枚を戻す。これで毛皮の件は完全に完了だ。襟を正すと執務室を出て一番応接室へ向かいドアをノックする。すぐに中からドアが開けられる。中には事務員のシンディがいた。真っ青な顔をしていた。ちょっと席を外させてやるかと思ったパーシルがシンディに「お茶のお代わりを」と声を掛ける。シンディは涙目になりながら一礼してパーシルと入れ替わりに部屋を出て行った。
「これはポメラ様、ようこそいらっしゃいました。お待たせしてしまい申し訳ありませでんした」
「ん~ふふふふ。先触れもなく来たぁのはぼぉくのほぉうだからぁねぇ。しょ~がないよぉ」
目礼してポメラの前のソファーまで進む。しかし、ソファーには座らず横に立ったままだ。たっぷり三つ数える間があってからポメラが手でソファーを指し示す。
「失礼いたします」
と言ってソファーに腰掛ける。
「わざわざポメラ様にご足労いただけたということは由々しき事態があったようにお見受けいたしますが、いかがなされましたか」
このあたりはパーシルも慣れたものだ。ポメラの自尊心をくすぐってやるぐらいで会話の流れを少しでも良い方向に持って行けるなら安いものだ。
「んふふふ。そぉなんだよぉ、ちょぉ~っとやっかいな仕事を抱えてぇしまってぇねぇぇぇ」
「ほう。ポメラ様のお手を煩わす事態ですか。気になりますな」
「アッシュ」
ひとこと言うと黙る。パーシルにはなんのことだかわからない。
「んふ~ん。『赤竜の爪』、という冒険者パーティイに聞き覚えはあるかなぁン」
パーシルの記憶にはなかった。ウチの案件ではないことが察せられた。パーシルの脳内がフル回転を始める。冒険者ギルド長デミトリー絡みだ。気を付けろ、と。
「いえ、知りませんな。西スラムの登録パーティーにそのような名前のものはいなかったと記憶します」
それ以上何も言わずポメラの発言を待つ。
「ん~ん。なるほどぉ。ところでぇ~ここ二日間でぇ妙なことはありませんでしたかぁ?」
それは思い当たりまくった。
「妙なことですか? うーん、たとえばどのようなことでしょうか。如何せんウチは問題児ばかりでして。妙なことばかり起きると言えばその通りかもしれません。毎日残業で家に帰るのも遅くなってしまっております。昨日の分の書類はまだ全部に目を通しておりませんでした。ちょっとその件についての書類を探して参りましょう」
そう言って腰を浮かしかけるとポメラが先に席を立った。
「いやぁそれにはおよばないよぉ。それよりもぉ。さきほどのぉ名前が出て来るようなことぉがあったらぁ、ぼぉくのところぉに連絡をおくれでないかいぃ」
名前は出したがそれが書かれた書類は存在しない。なんともキナ臭い話だ。
「かしこまりました。記憶に留めておきましょう」
パーシルも立ち上がりながら答えるとノックの音と共に受付嬢のコリーがドアを開けて、その後ろにジェニファーがお盆を持って付き従っていた。パーシルは「これではどっちが上役かわからんな」と思いながら声を掛ける。
「ポメラ様はお帰りになる。皆でお見送りの準備を」
「あ~ぁ、そういうのは今日はいいよぉ。急に押しかけてぇ悪かったぁねぇ?」
パーシルは、こいつは時々尻尾を振るからやっかいだ。と思いながらきちんとポメラの馬車が見えなくなるまで見送ってから執務室に戻った。
『赤竜の爪』という冒険者パーティーと『アッシュ』
ちょっと迷ったが私物の手帳にデミトリーとポメラの名と共に二つの名前を記した。そのメモを見つめながら考える。ここ二日間で起きた妙な事。ありまくりだった。どうする? 動くべきか? そんなものは迷うことなく決まっていた。
『動かない』だ。こんな胡散臭い話はない。自分から首を突っ込むなど自殺行為だ。
ロックもライズのパーティーもぜんぜん大したことではない。
妙なと思えるほどのことはなかった。
それが答えだ。




