第57話 邂逅
ここ数日まったく気忙しい。
昨夜は登録冒険者の後始末といういつもの書類仕事に忙殺されながらいいかげん集中力の限界を感じて帰宅することにした。
ところが! いつものように裏口を出たところに居たのは白の月の女神か青の月の魔物の王女かと見紛う黒髪の美しい少女だった。そしてそこで信じられないことが起きた。欲しくてたまらないと思ったものを手に入れるという願いをその少女が叶えてくれたのだ。
しかし、いけないことと思いつつ公金の銀貨に手を付けてまでそれを手に入れたのはもはや私利私欲のためだけではなかった。それは約束、いや! 契約だったのだ! 違えば我が身だけならまだいい! あの時、顔を思い浮かべた娘の身になにかあってからでは遅いのだ。
そこからが大変だった。義実家に戻って馬車を動かせる使用人に特別手当を与えることで密かにギルドまで戻り荷馬車を義実家の馬車置き場に隠し、眠れぬ夜を過ごした後は家人が起きる前の早朝に伝言だけ残し、郊外にある馴染みの毛革職人の工房まで通勤用箱馬車と荷馬車とで連なって出発したのだ。
この工房に来たのは何年ぶりだろうか……
「親父、貴族の馬車が近付いて来る!」
顔を洗っていると長男のサガンが慌てたように呼びに来た。代々この場所で革の加工を生業としている『地竜の背中』の大黒柱のジェガンは二人の息子に家に入っていなさいと言って馬車を出迎えに向かった。
ジェガンが工房敷地の入口に着くとそこには見慣れぬ紋章の見慣れぬ箱馬車が停まっていた。箱馬車の後ろには西冒険者ギルドの荷馬車もいる。
だがその時、箱馬車の扉が開き降りて来た人物にはどこか見覚えがあった。
「ジェガン、ずいぶんと久しぶりだ。息災だったか」
いきなり名前を呼ばれ顔を知ってる貴族にはこのような人物はいないはず、と思ったところでひとりの名前を唐突に思い出した。
「パーシル様、でございますか」
もう数十年は経っている。よくも名前が出てきたものだが、彼は父親との狩りの帰りに獲物を持ってよくここを訪れていたのだ。そのころの貴族らしからぬ屈託のない笑顔が印象的だったことを懐かしく思い出した。
「おお、おお、我が名をまだ覚えていてくれたか! そうだ、パーシルだ」
そういうと貴族には珍しくジェガンの元に駆け寄ると両手を取って懐かしそうに笑いかけた。
「パーシル様、ご無沙汰しております」
「うんうん。アラモンド家に嫁いでからは仕事も忙しく、いや、家を離れてからはここに来ることが出来なくてな。父について狩りに行って帰りにここに寄ることが私にとってどれほどの楽しみであったか。ご母堂は健在か?」
「母は三年前に亡くなりました。」
「なんと、そうであってか。そんなことも私は知らずに……。ご母堂のシチューは絶品であった。優しい素晴らしい母君であったな。惜しい方を亡くした」
本当にこれが貴族かというほどの言動だった。それは、彼がここを訪れていた頃のまだ貴族社会に染まり切らぬ子供時代に戻っているからなのかもしれない。そして、彼がここを訪れなくなった直接の原因は、彼自身に森で狩りをする能力がなかったことに起因することはわかっていた。
「それで、パーシル様、このように朝早くからどうされました」
パーシルは、質実剛健を地で行くいかにも職人気質なジェガンの物言いが相変わらず小気味好く感じた。そして、貴族相手にも不必要にへりくだることのない態度に「こいつは変わらないなぁ」と内心でうれしく思った。
「ここに来たからには話はひとつだ。毛皮の加工を頼まれてはくれないか」
「パーシル様、貴方様はたしか」
「そうだ。私は西スラムの冒険者ギルドの副ギルド長だ」
「それは」
ジェガンにしてはいささか歯切れが悪い。それもそのはず『地竜の背中』は今や商業ギルド御用達の工房なのだ。五年前の戦争で工房への仕事が減り、廃業の危機に立たされた折り、いち早くそれを聞きつけた商業ギルドが全面バックアップを申し出たのだ。そのおかげで工房は潰れずに済み、商業ギルドは腕の良い工房に仕事を優先的に発注できるという恩恵を受けることに成功した。
ギルド長戦死という組織の大混乱の渦中にあったパーシルは、騒ぎが落ち着いたあとにそのことを知り、周りが見えていなかった自分の力量不足を大いに嘆いた。そこから冒険者ギルドが懇意にしていた工房や職人の安否や経営状況を精査し、何人もの危機を救った経緯がある。
「立場的にまずいという自覚はある。だが、この仕事だけは『地竜の背中』にしか頼めないのだ」
「いったい何があったのかお聞かせいただくことはできるのですか」
己の信念に準じて立場を鑑みず、即座にこういう物言いができるのがジェガンという男のすごいところだった。
「ああ、これは冒険者ギルドの副ギルド長としての仕事ではない。私の個人的なわがままだ。まず、作ってもらいたいのは私の嫁ぎ先であるアラモンド家当主である義父への贈答の品だ。贈ったあとは屋敷に飾られることとなること間違いなしだ。いずれは私が跡を継ぐので私のものになるものとも言える」
そういうとやっと握っていた手を離してギルドの荷馬車へと歩き始める。いったいなにを求めているのか。架台に来るとパーシルは御者たちを人払いした。彼らにもこの荷台に載るものを知らせていないのか。御者が充分離れたのを確認すると掛かっていた帆布を捲ってジェガンに中を見るように促す。
「こ、これは!」
一目見てその獲物の異様さには気が付いた。美し過ぎる。ジェガンはパーシルが何かを言う間もなくその獲物の全体を確かめるように帆布の中に潜り込んで行く。暗くて見えないとなると帆布を更に捲り上げた。
背中が黒、そこから腹に掛けてグラデーションのようにグレーになる 草原狼が朝日に照らされるように輝いた。横たわっているから半身しか確認できないが、職人の勘ではこいつは極上品だった。
「どこにも傷一つないだと……」
一流の職人がそっと 草原狼を撫でる。ついさっき死んだばかりのように新鮮だった。そして見た瞬間にはわかっていたが、触って確信した。
毛皮が美し過ぎる。生きた虫一匹付いていない。いったいどうやったらこれができるのだ? 首筋を触って死因だけはわかった。骨が砕けている。これが致命傷か。だとすれば当然、体の反対側にも傷ひとつ無いはずだ。
「パーシル様、すみませんでした。つい」
「あーいやいや、構わないのだよ。ジェガンがそこまでのことになるということはやはりこれは良いものだと再確認できてうれしく思うだけだ」
「パーシル様はお気づきでしたか。この 草原狼の死因が首の骨折であることを」
「いや、私にはなにがどうなっているのかは皆目わからない。ただこれがウチに持ち込まれるどんな獲物より美しいということだけしか」
「首のここに打撃痕がございます。首の骨が砕けるように折れています。これが死因でしょう。ただ、どうやってこれをしたのかはわかりませんが。そしてわたしにとってはそれもどうでも良いことです。パーシル様、ここまで美しい 草原狼は見たことがありません。仮に自然死した 草原狼を草原で見つけたとしてもこうはいかんのです!」
めっちゃ早口だった。
パーシルは「ジェガンってこんなやつだったっけ?」とちょっと思った。




