第43話 はじめてのぼうけん
お風呂を上ってリビングに入った瞬間、唐突に思い出した! 行かなければ! 間に合うか?! でもまぁ、あのお風呂天国の時に思い出していたとしても無視しただろうからなにも問題はないけどな!
「服服服! あれ?! ない! どこだ?!」
俺が慌てて服を探し始めたのを見てサリアが、
「お洋服ならお洗濯に出してあるわよ。明日の朝には戻って来るから大丈夫よ」
「なんと!? あ! サリアさん! その服を貸してください!」
「え? いいの? わーい、着て着てー」
この中でサイズが近いのはサリアさんしかいない! いけるか?!
サリアさんのワンピースを頭からすっぽりと被るように着る! サリアさんはソファーに乗っかっていたので、足元に置いてあるサンダルも借りる! できた! いける! サリアさんが「かわいいー」と手を叩いている。他のみんなはあっけに取られたようにぽかーんとしている。
「すいません! ちょっとお使いで外に出ます! すぐに戻るのでオルカのことを頼みます! オルカ! ここで待機だ!」
そう言って頭を覆っていた布を取り払うとそのままドアを出る。廊下に待機している女中さんに笑顔で挨拶しながら一階へ急ぐ! 女中さんの表情はあえて見ないようにする! 階段はジャンプで降りる! フロントに外に出る旨を告げてそのまま玄関を出る! 玄関の警備員にも「こんばんは」と挨拶しながら徐々に速度を上げていく! 角を曲がった瞬間からフルブースト! 風魔法を纏って髪も乾かしていく! ワンピースが足元からすーすーしてなんとも頼りないね!
行き先は冒険者ギルドだ!
人っ子ひとりいない裏路地の影の中を音も無く駆け抜ける! 『走査』も全開だ! サンダルが走りにくいよー!
それでもあっという間に冒険者ギルドに到着すると少し離れた物陰に身を潜める。冒険者ギルドは戸締りされて暗くなっているみたいだ。間に合わなかったか。いや、建物の横に一台、箱馬車が停まっている。まだ誰か中にいるということだ。『走査』を冒険者ギルド内に向ける。いる。二階から降りてきている。解体所のドアを抜けるようだ。ということは裏口になる解体所から出るつもりだろうか。
完全に気配を断って馬車の馬と御者にバレないよう移動開始。解体所の通用口を注視。出てきたのは副ギルド長だ! あの人、こんな時間までひとりで残業してんの? 管理職は大変だね。パソコンもメールもないから余計に大変そうだ。
副ギルド長に音も無く近寄りながらそんなことを思う。
「こんばんは、副ギルド長様。遅くまでお仕事ご苦労さまです」
ビクッ! となって振り返る副ギルド長。
「だ、だれだ!」
影からふたつの月の明かりの中へと進み出る。こういうのは演出も大事だからね。
「約束を果たしに参りました。副ギルド長様はご準備よろしいですか?」
「や、やくそくだと? いったいなんの……君は」
俺が誰かなんてどうでもいいだろう。男だろうが女だろうが昼に話したというその一点だけで納得してもらおう。
「荷馬車はどちらですか?」
「昼の……」
スラムで突然声を掛けられただけでも怖いよね。この人、戦える人じゃないし。ちょっと不用心だな。心配になるよ。
『走査』を掛けると解体所の中に何台か荷馬車が置いてあるのがわかる。
「荷馬車は解体所の中ですね」
俺はそう言うとするりと副ギルド長の脇を抜けて解体所の中に入る。中は真っ暗だ。盗難防止で屋根まであるからだ。解体所はギルド建物の何倍も広い。グランデールのメインの素材集積所だから当然だ。暗闇だろうが目を瞑っていようが本気の『走査』で全てが見通せる。
一番手前のすぐに外に引き出せる場所にある荷馬車の上に飛び乗ってグレーの森狼を『排出』する。
副ギルド長が恐る恐るという感じでドアから中を覗き込む。
「き、君は昼の子なのか」
子供の容姿が初めて良い方に転がったな。相手の警戒心を削ぐのはやっぱり子供だよなぁ。
「はい、そうですよ。ふふふ。約束したではないですか。銀貨二十枚はご用意いただけていますか?」
空っぽの解体所の中で響く声。
「な、なにを言っとるのだね君は。じょ、冗談ではすまなくなってしまうぞ」
「冗談? なんのことですか? 私はここにこの通り、ちゃんとお約束のものをご用意いたしましたよ?」
暗闇の中、副ギルド長には見えない。
「い、いいかげんにせんか。そんな子供でもつかん嘘を言っていると本当に」
「嘘?! 嘘はわたしが生きていく上で最も忌避すべき事柄のひとつです。ご自分の目でどうかご確認ください」
副ギルド長は最近どこかで同じことを聞いた気がしながら、胸中にとても不安なものが沸き起こるのを感じた。その言を信じなかったばかりに起きた喪失がなかったか? 今度こそ信じなければならないのでは?
不安な胸中を落ち着かせるかのように、唐突に愛娘のことを思い出す。その彼女が笑っている気がした。そして無意識に光源の魔法を使っていた。生活魔法止まりだった彼の魔法の才能の中でも光源だけは得意とするもので、彼が遅くまで残業出来るのも、暗闇の中、階段を踏み外さずに歩けるのも、この唯一得意と言える光源の魔法のおかげだった。そしてこの光源は彼女の愛娘のお気に入りの魔法なのだ。彼女は彼が唯一自慢の光源を綺麗だと彼を喜ばせ、その光が優しくて好きだと言ってくれるのだ。
いま、その優しい光が殺伐とした解体所の中で一台の荷馬車の積荷を照らす。
浮かび上がるのは真夜中色に銀糸を散りばめたワンピースを着て艶やかに光を照り返す漆黒の髪と瞳の少女だ。夜を纏う姿がまるで月の女神だと思った。その女神の視線が下がる……その視線の先にあるのは横たわる巨大な肉食獣だ。牙を剥き出しにして今にも起き上がって襲い掛かろうとしているかのような灰色の草原狼だ。
あまりにも現実感のない光景だ。ありえない。いったい自分は何を見ているんだ?
漆黒の女神がパンと手を打ち鳴らして彼の意識は現実世界に戻された。
「さぁ、副ギルド長様、私は嘘はつきませんでしたよ? 貴方はどうですか?」
草原狼が欲しいとかじゃない。女神との約束を違えるなどありえなかった。約束を違えればどうなるのかは明白だった。そうすれば女神だったはずの彼女は、今度は死神になるのだ。ああ、なぜ先ほどまでは漆黒のその姿が女神だなどと思ったのだろう。彼女こそ夜を統べる死の姫君ではないのか。
「わ、わかりました。いますぐ! いますぐご用意いたします! どうか、どうかしばしお待ちを!」
そう言うと副ギルド長は震える手で上着のポケットから鍵を取り出してガチャガチャとギルドへの通用口のドアを開けようとした。なんとかドアを開けると光源を出すのも忘れて暗闇の中、執務室へと向かう。両手を着きながら階段を上り、執務室の鍵を開けようとして光源が点いていないことに気が付く有様だった。その後、やっとの思いで金庫を開けて銀貨を取り出す。彼が手を付けているのはギルドの公金だが、翌日の朝に戻しておけば誰にもバレない金だった。
彼にとっては最短全速で解体所へ戻った。幸いなことに死女神はまだそこにいた。荷馬車から降りて荷台に横たわる草原狼の頭をやさしく撫でていた。
ごくりと唾を飲み込む。倒錯した世界を思い描きそうになり慌ててその想いを頭から追い出す。内心の恐怖を乗り越え彼女の前まで辿り着くと震える両手で二十枚の銀貨を彼女の小さな手のひらに移す。彼女が銀貨を目線だけで数えている間、自分の真横で草原狼が大口を開けていることに気付いた。恐ろしい。まるでついさっきまで息をしていたかのようだ。それが証拠にその狂暴な瞳も口中の牙も乾いてなどいないではないか。触ればまだ熱を持っているのではないか?
「たしかに」
彼女の言葉にビクリと反応する。
「今ここに約定は成されました。副ギルド長様、この度はお買い上げ頂き誠にありがとうございました。またの機会がありましたらその節もよろしくお願い申し上げます。それでは失礼いたします」
そうして彼女は副ギルド長の知らぬオークションかフリマの定型文にありそうな挨拶をして首を垂れると、音も無く軽やかな足取りでドアを出て行った。我に返り慌ててあとを追ってドアを出るが、もうそこに彼女の姿はなかった。夢ではないことを確かめるように振り返ると、そこにはたしかに横たわる草原狼の姿があった。
力が抜け震えるが、今夜やらねばならないことは執務室の書類と同じく山積みだ。平凡な自分の身に特別な事が起きた。これまでの人生において冒険とは無縁だった冒険者ギルドの副ギルド長のこれが初めての冒険だ。この任務だけは是が非でもやり遂げなければならない。
まずは開けっ放しの金庫の扉を閉めるところからだ。
なぜか風呂上りのようないい匂いだった女神を思い返しながらパパはがんばろうと思った。




