第41話 ビバノンノン
それではごゆっくり、とユセフが部屋を出て行った。
オルカの手を引いて室内に入り、脱衣所の中まで案内する。ミリィさんも付いて来るが、昨日と違って止めない。
「というわけでオルカ、ここが脱衣所だ。ここで服を全部脱いで裸になるんだ。で、次はこっちの部屋な」
とりあえずドアだけあける、ふわっと温かい湯気が流れ込んでくる。オルカが身を引いて避ける。
「ここが風呂場だ。あそこには温かい湯が入ってる。まずはあの湯を使って全身を綺麗に洗うんだ。洗い終わったら最後に湯の中に浸かる。気持ちいいよ。ミリィさんが手伝ってくれるからなにも心配しなくていい。それと、途中で綺麗にしてくれるのを手伝ってくれる人も来るかもしれないから。とにかく全部他の人の言う通りにしていれば大丈夫だからゆっくり楽しんでおいで」
ではごゆっくりと言ってミリィさんと目配せをして部屋に戻る。ブーツを部屋用のサンダルに履き替えて、さてリラックス、と思ったらミリィさんが出てきた。
「ロック様、ちょっと問題がありまして……」
「どうしました?」
ミリィさんが言いづらそうにしているので脱衣所に向かう。恐れていた、いや、予想された事態だろう。
「やはり、私では難しいご様子でして」
中を見るとオルカが困ったような顔をして立っている。さっき別れたままの恰好だ。
「オルカ、大丈夫か? なにも心配することはないからちょっとそのまま待っててくれ。ミリィさん、昨日と同じようにソファーで座って待っててください。テーブルの果実水は氷が溶けるのがもったいないから飲んじゃってください。お願いします」
笑いながらそう言うとミリィさんも笑顔になって「では遠慮なく」と言ってドアを閉めた。こんな変な客も珍しいだろうに、もう俺への対応は慣れたものだ。ミリィさんが気さくな人で助かっている。大変優秀である。
「オルカ、どうした? 大丈夫か? なにかあったか?」
「ロック、これはわたしはできないかも」
「あー、装備外して無防備になるのが怖いのかな?」
そういうと困った顔で少し頷いた。そういう可能性も想像していた。なにせ野生児と変わらない。野生の狼を風呂に入れようたってそんな簡単なものではない。それとなんら変わらないからだ。でもまぁ、狼だって行水くらいはするだろ!
「オルカ、俺と一緒に生活するということはこういうことだ。清潔こそは絶対なんだ。少しずつでいいから慣れていこう。大丈夫。オルカなら出来るから。よし、じゃあ今日は一緒に入ろう。えーと、風呂場に武器を持ち込むと錆そうで嫌なんだよなぁ。まぁあとでしっかり整備すればいっか。俺はこのナイフを持って入るからオルカは投げナイフを一本だけ持って行けばいい。他の装備はここに置いて行く」
言い終わったら俺はさっさと服を脱ぎ始める。ここで恥ずかしがったり躊躇するのは絶対にナシだ。軍隊のシャワールームみたいなもんだ。あっちは成人の男女が一緒だぞ? この野蛮な異世界で子供同士でなにを遠慮する必要がある! いや、ない! 昨日のシェリルたちを思い出せ。今必要なのはあの大胆さとホスピタリティだっ!
あっさりと素っ裸になる。なにも隠さない。手にはナイフ一本持ってるけど。俺はおずおずしているオルカに微笑みを湛えて向き直る。すると、ハっとしたオルカが服を脱ぎだす。脱ぐのを渋っていたのは羞恥からではないことを俺は知っている。それは単に『武装解除』への警戒なだけだ。群れのリーダーである俺が率先して全裸になることで、ここが安地であることを示したのだ。
「オルカ、服は明日の朝には全部新しいものが手に入るんだ。その今まで着ていた服はなにか思い入れとかある大事なものか?」
オルカは、足元に脱ぎ散らかした服を見てから首を横に振った。
「全部捨ててしまっても大丈夫か? 取っておくこともできるけど」
「ううん。新しいものが手に入るなら捨てても大丈夫」
「よし、じゃあそれはそのままでいいや。さぁ、中に入ろう」
そういってさっさとナイフを持ってない方の手を取って風呂場に向かう。このあとはもう勢いで乗り切るしかない! これはぜーんぶ普通のこと! っていう演出が大事だ!
再びドアを押し開いて温かい部屋の中に入っていく。オルカの不安が繋いだ手から伝わってくる。俺が遠慮なく進むことで付いて来ているだけだ。
「ここは風呂という場所で、身体を綺麗にするための部屋なんだ。身体が綺麗になったらこのお湯の中に入るんだよ。この国ではたぶん、あまりこういうことはしないと思う。でも、俺はこれがものすごーく好きなんだ! もう、これなしでは生きていけないってくらいにね!」
俺のはしゃぎっぷりと猛烈好き好きアピールでオルカも少し興味を持ってくれたみたいだ。ふたりのナイフを直接水がかからない、すぐには手の届かない窓辺に置く。そして湯舟に近付いて手桶にお湯を汲むとそこに手を入れておおげさに気持ちいい顔をする。
「は~、あったかくて気持ちいい」
そのお湯をそのまま床に流し捨てる。オルカが湯舟の淵から溢れるお湯にいまだショックが隠せない様子だ。こんな贅沢、見たことも聞いたこともないよなぁ。新しいお湯を手桶に汲むと、今度はオルカの手を取って一緒にゆっくりと沈めていく。すっかり手がお湯に入るとオルカの口が開いたままになる。
「ね? あったかくて気持ちいいでしょ?」
オルカの顔が少し笑顔になる。湯舟のそばに風呂イスをふたつ持って来てふたりで並んで座る。もう一度手桶に湯を汲むとオルカから見えるように自分の足の指に掛ける。
「じゃあ次はオルカの足に掛けるよ」
そういって手桶にお湯を汲んで足の指の先の方にお湯を少しずつこぼしていく。
まだ直接は掛けない。足の指にお湯が流れついた瞬間、オルカが俺の肩を掴んで足を上げて逃げた。それを見て俺が笑うと、びっくりした顔のオルカの顔が笑顔になって、そして足を降ろす。ゆっくりとオルカの足にお湯を掛ける。
「どう? 気持ちいいでしょ?」
「なんか変な感じ。くすぐったい」
少しずつ掛ける量を増やしていく。足に慣れたようなので、今度は自分の座っている膝と太ももに掛ける。それを数回繰り返して、今度はオルカの膝にゆっくりと掛ける。オルカは俺の肩に手を置いたままだ。そして、不思議なものを見るように濡れていく自分の足を見ている。俺もオルカも足を閉じても足の付け根にお湯は溜まらない。ふたりとも太ももが合わさるほどの肉付きがないからだ。汚れ痩せ細ったオルカの身体を見てしまうと眉根にシワが寄りそうになるのを必死に我慢して笑顔を続ける。くそ。俺はやっぱりこの世界が好きになれそうもない。
さあ! いよいよ上半身にお湯をぶっかける時が来た! このタイミングでオルカにも手桶を渡す。まずは自分でお湯を掛けるのだ! そうだ、足からでいいぞ、遊びの感覚でいい! 俺がオルカの足に掛けるとオルカが俺の足にお湯を掛ける。それだけでこの世界では極上の贅沢な遊びだ。なんなら風呂を知らん馬鹿貴族共でさえやっていない遊びだぜ!
頃合いとみて俺が自分の肩の下の腕にお湯を掛ける。オルカも真似をする。左腕、右腕と繰り返す。そして少し身体を反らせて胸に向かって掛ける。オルカも真似をする。
「はぁ~」
オルカの口から溜息が漏れる。温かい湯を浴びる快感に自分が声を出したことにも気付いていない。これは指摘しない。気付かないフリで自分自身にお湯を掛ける。何も言わず肩口から自分の背中にお湯を掛けると、それを見ていたオルカも真似をする。何度も掛け湯をする。俺もオルカの背にやさしく湯を掛けてやる。顔や頭はまだお湯につけなくていい。たぶん、まだ無理だ。さて、そろそろ役者が揃ったみたいだ。
昨日の俺の時とは違って浴場のドアをノックする音が聞こえた。
「はい、どうぞ」
声を掛けると昨日見たのと同じ光景が現れた。おおぅ、俺の女神よ。なんと神々しい光景なのだ。まさに神にしか現わせぬその造形美よ! いや、あのムカつく神ごときではこの芸術作品は生み出せまい! ふはははは! その時、俺の左肩を掴む感触があった。あ、やべえ、ここにナイフ置いてあるよな! バっと振り返って咄嗟にオルカを抱き寄せる! あぶねー! こいつ持ち込んでるの投げナイフだぞ! 抱きしめながら窓辺に視線を走らせる! あった! ナイフはふたつとも置いた時のままだ。ってことはオルカはナイフを投げてないし持ってないってことだ。緊張が解けた。あせったー。いきなり無防備なところで侵入者があったらこの野生児、問答無用で攻撃するかもしれん。
「ロック?」
ビクっ! 温かい風呂場のはずが背筋を悪寒が走った。なんだこれは?! さっきまでの淡いアオハルな世界観が突如崩壊し、先行斥候の俺の警戒信号がビンビンにメーターを振り切っていた!
ゆっくりと声の方を振り返る。
俺は見た。
『怖い笑顔』ってあるんですね。




