第40話 狸たちの皮算用
ユセフさんいた! たのむ! 助けてくれー!
「これはロック様、いらっしゃいませ。お話しは承りました。なにも問題ございません。ご用命いただけて大変光栄です」
ユセフはこちらが何も言う前に全てを受け入れてくれた。シゴデキ最高かよ! いきなり難題が解決したようで肩の力が抜けるのがわかる。この荒れた世界でここだけはまるで現代日本にいるかのような錯覚を起こさせてくれる。たぶん、この世界で俺が守るべき大事なもののひとつに違いない。
「ありがとうございます。助かります。それでお部屋なのですが」
「今夜も昨日の部屋が空いておりますし、他の部屋でも大丈夫ですよ」
「昨日と同じことになるかと思いますので、人数がひとり増える分、二倍お支払いします。それで今夜の部屋は二人部屋でお願いします」
「ロック様、お気遣いいただきありがとうございます。ですが、今宵からは正規料金で参りましょう。ロック様はもう一見のお客様ではありません。これからはここを我が家と思ってお過ごしいただきたいのです。ですから、二人部屋は大銅貨四枚で結構です。特別室は五人までで銀貨一枚となっております」
おお! やっぱりあの部屋ってば銀貨一枚だよ! たっか! え? でも一部屋五人って言った?
「昨日の部屋は五人まで泊まれて、何人で泊まっても銀貨一枚とおっしゃったんですか?」
「はい。そのようになっております」
「お湯代とかは」
「湯と石鹸ひとつまでは部屋代に含まれております」
「それでは今夜も昨日と同じ部屋でお願いいたします! 湯と石鹸は昨日と同じ量が必要になると思います。あー、あとですね、昨日と同じことであの方々に来ていただくことは可能でしょうか?」
風呂を知らないオルカでは俺以上にひとりではぜったいに何もできないはずだ。俺の手だけでは足りない事態になるのは間違いない。せめてひとりかふたり、手が欲しい。
「人をやって相談させていただきましょう。彼女たちが来られるかはわかりませんが、うちにも女中がおりますので対応可能です。お任せください」
あ、なるほど! それは助かる! そのあとは部屋着と食事、明日の服、可能なら武器と防具の手配をお願いした。武器と防具に関しては、相当な無茶を言っているので、決して無理をしないでと言っておいた。とりあえず手付としてその場で宿泊費の銀貨一枚を支払う。もっと常連にでもなれば部屋なり帰りでいいだろうが、今日のことろは高い部屋だし先に払っておく。残りはチェックアウトの時だ。
ユセフがいろいろ手配をする必要があるので、裏口までの案内に用心棒をひとり着けてくれた。自分たちだけで行けると言ったが笑顔でダメって言われた。オルカの元に走らないように気を付けながら急ぐ。いきなりいなくなってそうでまだ安心できん。
玄関を出るとオルカは別れた時と同じ場所に立っていた。なんかものすごくホッとした。用心棒が話しかけていてくれたみたいだった。……一応あとでなんの話しをしていたかチェックしておくか。オルカに泊まれることになった報告をして手を繋いで裏口へと歩く。最初に宿に連れ込む時は手を繋がないとダメなことを紳士の俺は知っているからだ! やましい気持ちなんか無くても、前知識無くこんなところにいきなり連れ込まれるならオルカも不安になるに決まってる。野良犬みたいな生活をしていたとはいえ正味十二歳の子供だ。気は使えるだけ使っていい。
案内をしてくれた獣人の用心棒は俺と話しがしてみたかったらしく、昨日は最高だったとうれしそうだった。うむ。もうね、喜んでくれたんならよかったよ。ついでにオルカのことも仲間なんでよろしくと紹介しておいた。奴隷ではない獣人のパーティーメンバーということでそこらへんも気に入ってくれたように見えたけど気のせいかもしれない。
建物に入ってからは女中さんの案内に代わった。オルカは、建物に入るあたりから警戒信号が出始めて、足を洗う時にはかなり困惑していたが、俺が指示をすると困惑しながらも素直に従った。「座って」「動かないでサンダル脱がしてもらって」「足をお湯に浸けて」「洗ってきれいにしてもらって」とかそういう感じ。魔獣狩りのパーティー戦の指示みたいなもんだった。困惑してようがリーダーの指示に従うっていうのがなぜか一匹狼のくせに出来てるから不思議だ。無理をしているのかもしれない。ストレスが掛かってないか要注意観察だな。しばらく目が離せないぞ。
俺は昨日まで五年間の奴隷生活だった。前世の記憶が入ってきて、奴隷時代の記憶に汚染されつつも、長い平和な国の記憶で中和もされた。彼女のこれまでの十二年間がどんな生活だったか、どうやって生きてきたかはわからないし、今後もわかる日は来ないかもしれない。だけど、ここからは違う。チート持ち現代人の俺がいるのだ。ふっふっふ。覚悟するがいいさ! お嬢ちゃん! 血なまぐさいことはこれから山ほど起きるだろうが、今からその身に起きる甘やかしを知ってしまったらもう俺なしではいられない身体になってしまうのだ! ふははははは!
オルカは長物の殺傷武器は持っていないので、何も預けることなくふかふかスリッパにだけ履き替えて俺と手を繋いで階段を歩いている。足がくすぐったいのかしきりに足元を気にしている。さっきまで履いていたサンダルはそのまま廃棄だ。ちなみに俺も階段前で座らされてブーツの底の掃除をされている。部屋に入ったらサンダルかスリッパに履き替えようっと。
三階に着くと、オルカは足元もさることながら豪華な内装の館内装飾に目と口が大きく開きっぱなしになった。気持ちはわかる。いや、わからないかもしれん。俺が受けた時より遥かに大きな衝撃だろう。こういうものがこの世に存在することをテレビどころか写真も無いから本当に知識として知らなかったのだから。繋いだ手に無意識に力が入っているのがその証拠だ。オルカが普段からほとんど感情を表に出さないのは、生まれてから身に付けた処世術だ。たったひとりで生き残るためには感情の起伏は邪魔なだけだからだ。喜びはもちろん、悲しむことさえ許されないのがこの世界の厳しさだということを俺は知っている。
部屋に入ると、昨日の俺の時と同じく、飲み物を用意しているからお寛ぎくださいと言われた。オルカは『寛ぐってなに?』って顔をしていた。案内してくれた女中さんがそのまま部屋の中で待機しているので、他の女中さんが持って来てくれるのだろう。俺はとりあえずオルカの手を引いたままテラスへと連れ出す。もちろん、調度品には指一本触れないよう指示をするのを忘れない。この壺ひとつでおそらく串肉が何千本も買えると言ったらその価値が通じたみたいだった。同じくソファーも汚せないから外へ行こうと誘ったのだ。
テラスを先まで歩いていく。眼下にはスラムの端と、その先には森へと続く原野が広がっていた。厳しい厳しい自然だ。そこで生きていくのは野生動物だって難しい。遠くに霞んで見えるのは恐ろしい森のはずだが今この安全圏から見ている分には美しい光景でしかない。オルカの目にはどう映っているのだろう?
オルカの背から麻布のバッグを降ろす。武器を取り上げることはしない。この、オルカの全財産が入っているであろう麻のボロバッグを俺が触って降ろすことさえ出過ぎた真似のような気がしてならない。バッグをそっと木製のイスの上に置く。オルカの手を取って隣のイスに座らせる。昨日、俺はこのイスに座った時、今世初のイスなんじゃないかと思った。そして実際に物心がついてからはそうだった気がする。さぁ、オルカはどうだろう? 食堂でイスに座ってメシを食ったことがあるか? 円形広場ならあるのかな? 彼女は背筋と耳、そしてふわっとした尻尾をピンと立てて果てしない荒野のその先を見ていた。
背後を振り返ると女中のミリィさんが飲み物を載せたトレーを持ってくるところだった。名前を知っている知り合いが来てくれて俺もほっとした。挨拶をして飲み物の準備が出来るのを待つ。オルカは瞬きもせず地平線を見ている。イスの手すりを強く握りしめているオルカの手の上にそっと手を重ねる。
「オルカ、ミリィさんがオルカのために飲み物を準備してくれたよ。一緒に飲もう」
そう言うとぱちぱちと瞬きをしながら俺の方を向いた。カルチャーショックに意識が飛んでいたみたいだ。ミリィさんを紹介して、こんにちはと言うんだよと教えると、その通りにした。ミリィさんは花が咲いたような笑顔で挨拶を返してくれた。ちなみにミリィさんは狼獣人の護衛のバーズさんの奥さんだ。同じ狼獣人の方ならオルカも親しみやすいかもしれない。
オルカに、落としたら割れてしまうから気を付けてとグラスを教えて、まだ名前も無いふたりだけのパーティ結成に乾杯をした。
甘い葡萄の果実水を初めて飲んだオルカの驚き顔は忘れられない。最初に、これは少しずつ飲むものだと教えておいてよかった! 甘いものって、それだけで幸せになれる不思議物質だよなぁ。ミリィさんはもっと飲みなさいと無限にお代わりさせそうだったので二人を止めるのが大変だった!
ユセフが来て、明日の予定を教えてくれた。どうやら、一報で明日の午前中から服、武器、防具屋が来てくれることになったそうだ。そこで、どんな装備がいいのかの聞き取りをユセフがしに来たのだ。俺たちの身体のサイズに合うなら程度が良ければこちらに希望はなかった。ユセフがオルカを実際に見に来たのはサイズを確かめるためだろう。あとは優秀なコンシェルジュにお任せだ。正直、俺には武器はあってもなくてもなんでもいいし。投擲系は多めに欲しいと伝えた。
そこでひとつおもいつきを世間話風に言ってみる。
「せっかく広い庭園があるから、そこを会場に装備品の展示即売会なんかやったら俺たちのように喜んで買うお客さんもたくさんいそうですね」
ユセフの目に金貨が見えた気がした。
「ほう。ほっほっほっほ。ふぅむ。それは……なかなかおもしろいお話しですね。もう少し具体的にお聞きしてもよろしいですか?」
目配せだけで従業員を呼んで俺と話しながら各所に伝言を飛ばすユセフ。
「会場使用料とか、売り上げからの一定割合の還元とか、それ目当てで来るお客さんとか、みんなにメリットがあるような気もしますね。冒険者だけでなく、壁の中で食べられているものを出す企画なんかも受けそうですね。商業ギルドとかの関係とか知らないので単なる思い付きですけど」
ホテルを会場にして展示即売会やレセプション、コンベンション、同好の士の集い……場所があるなら人を集める方法なんかいくらでもある。
「……ふぅ。ロック様、冒険者をやめたくなったらぜひ当館をおたずねください。いろいろお話しさせていただきたいことがありそうです……本気でしばらく宿泊費はいただけないと思います」
「はははは。パーティー結成直後にそんなお話しをいただけるとは思いませんでした」
オルカとミリィさんが果実水について微笑ましい会話をしている横で金に纏わる話でおっさんふたりが悪い笑顔をしていた。
ちょうどその時、部屋の中から風呂の準備が出来たと声が掛かる。
さあ、たぶんこっからが大変だぞ。




