第36話 臨時収入
まさに一瞬の出来事だった。
この場にいる者で何が起きたのか正確に見て取れたのはボルツの用心棒だけだった。その彼ですら、それはあり得ないと思った。
実際に目の前で起きたことだが信じられなかった。この場の誰よりも子供だったはずだが、身体強化とはここまで出来るものなのか? 自分だって五体満足で引退出来た元冒険者の矜持は持っている。それが粉々に打ち砕かれたかのような気分だ。
主人を守るために自身に身体強化を最大限に掛けていたお陰で見えたのだ。武術の動きどころか人体の動きでもなかった。それは芸術的なまでに高められた、ただの暴力だった。あいつは一度も己の武器を、いや拳さえ使っていなかったぞ。
確かに相手はただの街のチンピラだ。俺だって負ける気はしない。だが、生まれた時から暴力だけで生きてきた輩たちには違いがないのだ。それを四人同時に相手にしてこれか!
ここに来た瞬間からいろいろ違和感があった中、気配さえ断っている取り巻きや護衛の存在も疑って主人には最上位の礼を以て接した方がいいと言ったのはあくまで保険的意味合いの方が強かったのだが……完全に見誤っていた! 今ならすべてがわかる。その言動の傲慢さは完全に実力に裏打ちされた自信の表れだ! 驕っている? いや、アレに誰が敵うというのだ?! しかも相手に一度は引く切っ掛けを与えたのだ。無理だ。何もかもが格上過ぎて話にならない! だが、だがしかし、あいつはいったい何歳なんだ?
ライズ達は恐怖を超えた畏怖のただ中にいた。ルシアは、オレたちはさっきこれに喧嘩を売ったのかと信じられない思いだった。今自分が生きていることの方が間違っている気がしていた。自分はあの時すでに殺されていて、今ここにいる自分はもう自分じゃなくなっている気さえしていた。
彼がユルゲンに最後何を言ったのかは聞き取れなかったが、手下にトドメを刺して回る彼の表情からは何の感情も伺えない。淡々と農夫が麦を刈るようにチンピラたちの首を斬るその姿は最早、神々しくさえあった。
フードの横から垂れる黒い髪が春の暖かな陽射しを浴びて輝く様が美しかった。
その場にいるすべての者は『仕事』を終えてこちらに歩いてくるのが『彼』であることは知っているが、その姿は死を司る女神にしか見えなかった。
「ボルツ。査定のブツが少し増えたから追加で頼む」
うれしそうにそう言う死の女神を見て全員が思ったのが「どうしよう」だった。
「ライズ、みんなを路地の入口に立たせて人が入ってこられないようにしろ。出来なきゃ無理に止めるな。報告に戻るだけでいい。お前も行っていい」
「わかった」
ひとこと言うとライズはルシアとオルカ含めて全員に指示を出しつつ走りながら少しホっとしていた。正直、この凄惨な現場から少しでも離れたいという思いは、全員の心の中にあった。ただひとり、獣人の少女の目が爛々と輝き、口角が上がり頬が上気していることに気付く余裕は、若い彼らの誰にもなかった。
「ボルツ、ということだ。追加の品を整理する間に売り物の積み込みを進めておいてくれ」
いや、いったいどういうことだよ、とボルツは思いながらも黙って頷いた。大人がビビってる場合じゃねえ。
「すまん、こんな時にこんなことを聞くのはちょっと気が引けるのだが」
ボルツの獣人用心棒が戸惑い気味にロックに声を掛ける。
「お前、女か?」
「俺は男だ!」
「あ、いや、なんか、すまない。ただの確認だ」
ったく、とぶつぶつ言いながら出来立ての遺体に向かっていくロックを見ながら用心棒はひとつの心の霧が晴れたようなほっとした表情をしていた。それを見た主人のボルツは「お前も大概だな」と、言って呆れた。しかし、自身の疑念も晴れたので心の中では「よく聞いてくれた」とも思った。
そしてリヤカーの裏に隠れていた奴隷に指示を出して防具の積み込みを始めたのだが、いったいこの場をどう収めればいいのかと頭が痛かった。ボルツは動く気にもならず瓦礫に腰を降ろしてリヤカーへの積み込みと、遺体を漁るロックをぼんやりと見ていた。
ロックはライズの仲間の中からひと際ガタイのいいバルを呼ぶと、遺体の装備と服を引っぺがし始めた。あー、あれも買取なんだなぁと思ったボルツは、作業を見ながら頭の中で査定を始めた。これからは商売相手を決してみくびることをせず、獣人奴隷の用心棒のガロンの言うことはこれまで以上に耳を貸そうとも思った。そして、特にこのロックという少女にしか見えない少年と、それに連なるライズと仲間たちは要注意人物に認定した。
追剥が終わると、ロックはバルと一緒に追加の装備をリヤカーに載せてからボルツに声を掛けに来た。
「追加でいくらかな」
「ロックよ、これはモノ自体は悪くないから引き取るが、表に出すにはちーとばかし加工せにゃならん。あと、時期もすこしズラさんとな」
「まぁそうだよねー。身バレするよねこれ」
「みばれ……あぁ、そういうことだ。だからその分、価格を下げなければ買い取れない。こいつらが身に着けていたもの全部で銀貨一枚だ」
「へー、思ったよりいいね。坊ちゃんが持ってた短剣あたりが良い値がついたのかな」
「そんなところだ」
「文句はないよ。それでよろしく」
「元の銀貨十枚に一枚を足して合計で銀貨十一枚。ほれ」
そう言ってロックに銀貨を渡そうとする。
「あー、あのさ、この銀貨なんだけどさ、もう少し細かいのに出来るかな。出来る分だけでいいんだけど」
「ん? あー、そうだな。そのままじゃ使いにくいか。ちょっと待ってな」
そうやって銀貨十枚、大銅貨八枚、銅貨二十枚の取引が終わった。まだ陽は高く空は青かった。取引は終わったが頭の痛い問題が残っていた。するとロックが話しかけてきた。
「なぁ、さっきの坊ちゃんって結局誰だったの?」
「お前さん、本当に知らんかったのか」
ボルツが呆然としながら言った。こいつ、相手が誰だかわからないからあんなことしでかしたのか?
「あいつはな、ユルゲンといって、西スラムを牛耳ってる『ゲットーファミリー』の次男坊だ。かなりヤバいぞ」
「へー。そうなんだ。あのさぁ。ここは俺がやっておくからさ、その代わりライズが店に行くようだったら相談に乗ってやって欲しいんだけど、どうかな」
一連のやりとりをずっと横で聞いていたバルは、一瞬の間に銀貨十枚以上の大金が飛び交う現場に目を白黒させていたが、ロックの言ったことでさらに頭は大混乱だった。
それはボルツと用心棒のガロンも同じ気持ちだった。
「それは、どういう意味だね」
「そのまんまだよ。ここのことはなにもなかったってことにしてさ、俺に任せて帰って欲しいんだ」
「いや、あのな」
ボルツがそこまで言うと用心棒のガロンがボルツの肩に触れた。本来なら叱責を伴うようなことだが、ボルツはハっとしたような顔をしてガロンを見上げるとロックに向き直った。まだこいつの正体はわかっていないんだということを思い出した。ガロンを信じよう。
「わかった。任せていいんだな」
「うん。ここにこいつらはいなかった。俺たちは誰にも会っていない」
「わかった。ライズの件も覚えておこう。では、またな。今度は店に直接来てくれ。面倒ごとはもう勘弁だ」
「わかった。じゃあまた」
さあ、無かったことにしましょうかね。
店に帰った後、最後に彼がユルゲンになんと言ったのかがわかった。ユルゲンがゆっくりと死んでいくまさにその目の前にはボルツのリヤカーがあり、その陰に店の獣人奴隷が隠れていたからだ。彼がユルゲンに言った言葉が忘れられないと、一言一句違わず覚えていた。
彼が『死女神』と呼ばれ始めるのはこの日よりまだもう少し先のことだが、防具屋の人間たちがその二つ名を初めて聞いた時に顔を見合わせたのは、同じ少年の顔が同時に脳裏に浮かんだからだった。




