第26話 鏡よ鏡
俺としては楽しく、美味しく料理をいただいた。できれば三人もそうあって欲しい。
食事が終わって少し話をしたところでそろそろキュロスとサリアはお店に帰るという話になった。こんな遅くに帰らせるなんて危ないから泊まっていってくださいと言ったら、宿の護衛がしっかりと送ってくれるから大丈夫とのことだった。三人が着替え終わったところであらためてお礼を言った。
「みなさん、ありがとうございました。誕生日の今日、おかげさまで生まれ変わることができました」
万感の想いを込めてそう言って、三人に頭を下げる。そう。俺が生まれ変わったのは今朝のことだ。だが、本当に生まれ変わったと実感したのは、汚れをすべて洗い流してもらって風呂に浸かっているその時だった。自分ひとりではここまで綺麗に洗い上げるのは絶対無理だと思い知らされるほど、この世界に生まれてからの十年間で背負ったものが多過ぎた。身体にこびりついた汗も血も涙も泥も酷かったが、なにより酷かったのは尖り、ささくれ立った心の傷だった。
俺は五年間もの間、床で這いつくばってメシを食う奴隷だったのだ。
頭からドス黒く汚れたものが流れ出ていくのを見ながら心の滓も流れ出ている気がした。
手足を伸ばし切って擦られながら俺にしがみついて離れなかった奪ってきたモノたちの恨みまでが浄化されていく気がした。
彼女たちが俺を膝に乗せたまま後ろからそっと抱いてくれていた湯舟の中で俺は今日、今この瞬間に本当の意味で第二の人生が始まったと思うことができた。
彼女たちにとってはそれはただの仕事で日常だったのかもしれないが、俺にとっては返しても返しきれない恩を受けたのと変わらない献身だ。
だが、心が洗われてしまった今だから感じるものもある。
今日丸一日抑えていた前世の自分が顔を出し始める。
スラムを出て五人の人間を殺して、そいつらから奪った金で女の子と風呂に入って美味いメシを食ってる俺。
死んだあいつらと今の俺とではどっちが悪党なんだ?
あいつらを殺した時には感じなかった気持ちが沸き上がってきて震えそうになる。
何かを感じたのかシェリルが俺に手を伸ばそうとしてるのを見てその思いを断ち切るように明るく言葉を継ぐ。
「というわけで俺に出来ることをさせてください!」
あのまま抱きしめられでもしたら何かが折れてしまう気がした。
握手のようにシェリル、キュロス、サリアの手に大銅貨を一枚ずつ握らせる。
「あとこれでみなさんの明日のお昼の足しにしてください」
と言ってさらに大銅貨一枚をシェリルに握らせる。
キュロスは耳をぴーんと立てて手のひらに置かれたものを見ながらぷるぷるしている。
サリアはきょとんとして人差し指と親指で摘まんだものを見ている。
シェリルはちょっと困った顔をしながら言った。
「ロック、さっきも言ったけれどお金はもうウォーカーさんかもらっているの。だからこれをもらうわけにはいかないわ」
「シェリルさん」
俺は彼女の優し気で美しい栗色の瞳を見上げた。
「そんなことは俺の知ったことではありません。あのおっさんにも俺を止めることはできません。今の俺はこんなことでしか感謝の気持ちを伝えることは出来ないけれど。もう俺は誰の下にもつかない。今日から俺は俺のやりたいように生きていきます。その邪魔は誰にもさせるつもりはありません。そう決めたのです」
そう。さっきあなたと同じ湯に浸かりながらふたつの月に誓ったんだよ。
十歳のがきんちょが言ったところで何の説得力もないし、オマセな子ね、って感じにしかならないだろうけどそれでいい。この世界では俺が俺の主だ。
すると、突然「うにゃーーーー!」と言ってキュロスが飛んできた。俺に覆いかぶさるように抱きつくと「よく言ったー!」とか言ってもみくちゃにされた。当たる当たる女の子のやわらかい大事ななにかが! なにかがっ! サリアの「ふっ、男の子ね」という声が聞こえた。オマセさんここにもいた。
シェリルがキュロスをひっぺがそうとした時
「ロック! おっさんが一緒に飲みに来たぞ!」
と言いながらウォーカーが入って来た。
オーマイ……
ウォーカーの声を聞いてやっとキュロスが俺から離れたので、なんて言い訳しようかと思いながらウォーカーの方へ向き直った。
「いや、ウォーカー様、これにはちょっとした訳がありまして……」
ウォーカーが俺を見ているが俺を見ていない。
ウォーカーの後ろからユセフが飲み物など運んだ女中さんを引き連れて入ってくる。
「おやおや、これはこれはロック様……見違えましたな」
今にも笑い出すのを堪えてそうな楽しそうな顔だ。
「あ、はい。お陰様で十年振りにすっきりしました」
「ロックは今日が十歳の誕生日だったそうですよ」
とはシェリル。
それを聞いてウォーカーの見開いた目がさらに大きくなる。そこからさらに大きくなるのすごくね!
「ロック? ……ふ、はっ、わっはっはっはっは! ロックよ! どこの娘かと思ったぞ! わっはっはっは!」
夜中にデカい声で笑うなよ。他のお客様にご迷惑だぞ? と思ってユセフを見ると俺と視線を合わせないように顔を横に向けて口に手を当てているが「ふふっ、ふふっ」と笑い声が漏れている。おい、燻し銀どこいったよ。
ん? え? なになになに? 俺? 俺なのか?! 娘? 娘ってなんだ? 慌ててシェリルを見ると、ちょっと困ったような顔で微笑んでいる。キュロスとサリアもにこにこ顔だ。
えー?! 俺の顔? 顔なのか?
はっ! そういえば……今世の俺の顔ってどうなってんだ? 鏡なんかどこにもないから自分の顔がわからないんだけど?! 慌てて自分の顔をぺたぺた触って確かめる。
えーと、頬の感じだとぽっちゃりでは無い。おーけー。アゴは、小さいね。シュッとした輪郭だ。ここまでは悪くないぞ。
あとは目とぉ、鼻とぉ、口とぉ……わかるかーっ!
「ロックはまだ鏡を見たことがなかったのね。こっちにいらっしゃい」
シェリルに手を引かれて寝室らしき部屋へと案内される。シェリルが壁のあたりに手を触れると部屋が明るくなった。うおー。ベッド大きいなぁ。俺が五人ぐらい横になっても余裕だぞこれ。
シェリルがカーテンが掛かった壁の前に俺を立たせる。それをサーッと開けると大きな姿見が出てきた。おお! この世界にもこんな綺麗な一枚鏡があったんだなぁ! 工業技術で作ったのか? それとも魔法か?
ん? んん?
いやいやいやいや。いやーっ!
誰? このちょっと勝気な瞳の美少女。
すこーし陽に焼けた肌。
そこがまたちょっと野性味があって魅力的な俺ーっ! おーれーっ!
その場で崩れ落ちてがっくり膝と両手をつく俺。黒く艶やかなロングヘアーがしなやかに床に弧を描く。
これが……アタシ?
そんなこと言ってる場合じゃない!
右を向いて、左を向いて、間違いなく鏡の中の女の子、じゃない! かわいい男の娘、なんでやねん!
これはみんな笑うはずだよ……
お前だれだよ?
まさかのTS展開はこれっぽっちも望んでいないんだが?!
あ、めまいが。
絶望の顔でシェリルを見上げる。
腕を組んでタワワなアレを強調しつつ人差し指を口元に当て小首を傾げながら
「ん~、でもちゃんと男の子だったのよね~」
チーン。




