第225話 保健体育
午後の竜車の中。午前中はサリアがゴロゴロしていた前方リクライニングシートの上にはサリアと絡まるように寝入るソフィアの姿がある。見ようによっては尊いような気もするが、ちょっと食指が動かない。
俺の横で窓外の風景を眺めていたシェリルが不思議そうに俺の顔を覗き込む。
「ロック、なにが不満なの? 可愛らしいお嬢さんがふたり寝ている姿を見ながらする表情では無いと思うのよ」
いや、そんな不満気な顔はしてないと思うが。微妙な機微から察するのか? さすがシェリル、恐ろしや。
「うん、いや、美少女が絡み合って寝転ぶにしてはあまりに色気の無い服装でもったいないと思ってただけだよ。ここが無法地帯の荒野であることを考えれば致し方ないと思ってたところさ」
そう。サリアはまだしもソフィアは戦闘服だ。『誓いの剣』の連中はみんなそう。あいつらってば仕事のない時でも軽装の鎧着てるから。今は重装甲のフル装備だ。
「ライラ、ソフィアが起きたら車内にいる時はさりげなく装備を脱がしちゃえ。シートに傷が付くからとかなんとか適当な理由作ってさ」
「ふふふ。お任せくださいご主人様」
「あ、おまえ、酒とか薬は飲ませるなよ? 見るだけならまだしも他の男の女に手を出すほど俺は不自由な男ではないからな。俺は現状にこれ以上ないほど満足している」
もちろん、視界外のシェリルの左手を右手で探して握りながらの発言だったことは言うまでもない。俺は紳士なのだ。
「間もなく集積地に到着いたします」
伝声菅からローレライの声で目的地到着の連絡が入る。ご主人様の乗らない車の御者役は屈辱だろうなぁ。
「シェリルはサリアと中にいてもらっていいよ」
「ん~、せっかくの貴方との初旅行ですもの。できるだけ一緒にいたいわぁ」
断れるわけがない。というか、いかん。ソフィアの件で刺激してしまったか? 逆鱗に触れないよう注意せねば。
シェリルをエスコートしながら降りる。スっとキュロスが後ろに付く。
「ボス、ご苦労様です。シェリル様、このようなところでお会いできましたこと、光栄にございます」
「なにをおっしゃいますか。こうして荒野で働いていただいているみな様のおかげで商会が成り立っているのです。こちらこそいつも大変世話になっていること、感謝しております」
「もったいないお言葉にございます。お嬢様」
そうして深く頭を下げた。その場にいた荒くれが右手を左胸に当て頭を下げる。武器を持っていないことを誇示する親愛の表現で商会員の挨拶だ。「お嬢様」と言ったのは彼が旧ワイマール家時代からの商会員であることの証左で親愛の表現なのでシェリルは何も言わず受け入れてやる。
挨拶をしてきたのは集積所を預かるリーダーだ。『天狼商会』の契約者で、荒地で働く『偏西風商隊』部門の猛者だ。『偏西風商隊』の連中は『深淵』を理解している。全国を侵食中の『再生の大地』を統括しているのが『偏西風商隊』だからだ。奴隷だけでは街や村で活動できないのでしょうがない。『偏西風商隊』のロイに『深淵』のことを相談した時のはしゃぎようは見ものだった。外商の連中は金勘定のできる冒険者だ。頼りになる。
時に商会の名を出し、時にクランの名を出し、時にまったくの偽名、偽組織名も出すことになんの躊躇いも無い連中だ。目的のためにあらゆる手段を講じるこいつらはそこら辺の貴族や騎士では太刀打ち出来ない。長々と口上を述べて正面から斬り結ぶようなやり方を鼻で笑うこいつらには共感しかない。『相手の気付かぬうちに背後から喉を斬れ』が俺達のやり方だ。
「ここがグランデールから一番近い集積所だ。都市補給の要だ。ただし、馬鹿な為政者共により内戦の兆候が高まってしまった。ここは街道から外れた場所だが、敵の進軍コースになる可能性が高い。さすがにこの規模の集積所を敵の斥候から隠すのも無理だ。撤収の算段を頼む。追ってユーリからも連絡があるだろう。グランデールへは商会へ回す分だけでよくなる。別途、『楽園』建設のための集積所が必要になった。今言った両方の用途から更に溢れる余剰品があれば今俺が引き受ける」
担当の、荒くれ者にしか見えない商人がニヤリと笑う。
「はい、こちらにご用意しております」
そう言うと先に立って案内する。嗜好品や鮮度の必要そうなものなどが仕分けされていた。それを片っ端から収納する。
「ふん。これはちょっと入らんな。お前たち、悪いが早めに処分しておいてくれ。方法は任せる」
目の前には大量の酒と肉が残った。明らかにさっきここには無かったものまで混じっていることは商人の彼らはひと目でわかる。
ひとしきり笑いが起きたあとに誰かが叫んだ。
「ヘイル・シリウス! ヘイル・ラグナロク!」
「ヘイル・シリウス! ヘイル・ラグナロク!」
集積所の水瓶の水を入れ替えていると一部始終を見ていたロイドが声を掛けてくる。
「なるほど。俺は為政者というものがまだよくわかっていない。己を立たせることで精一杯だったのだな」
「若いうちは失敗してなんぼ、そこから勉強してなんぼだよ。知らんけど」
ロイドはきょとんとした顔から一転、大笑いした。
「はっはっはっはっ! そうか! 俺はまだ若かったか!」
「二十歳そこそこなんて雛だよ雛。ま、大人になるまでそんなに時間は残ってないかもだけどね」
そう言うとキリリと表情が引き締まる。これが過酷な世を渡る男だ。
「うむ。気が楽になり、また締まった。俺は先程と何も変わらん。だが、気分は良い」
「たまには自分に甘くてもいいのさ。そうじゃない自分を演じなければならないなら尚更な。お前にもそういう場所は最初から用意されていただろ?」
振り返ると竜車から降りてくる寝起きのソフィアが伸びをしていた。お堅い貴族令嬢の姿はそこにはなかった。サリアに何か言われて口を開けて笑っていた。
「ああ、そうだ。俺には今も帰る場所はあったのだ。気付いていないだけの愚か者だった」
走竜に跨るキュロスにソニーとダッジがソフィアと共に声を掛けている。
「次は奴らの番だからな? 本当ならそっちが先だぞ」
「なるほど。それはそうだ。だが、そういうのは俺にはまだ難しいのだ」
何かを期待する目で十歳児を見るんじゃないよまったく。
「カシム先生を頼ればいいよ」
「ふっふっふ。先生か、なるほど。言い得て妙、だな」
まったく、侍殿は頭がお堅いなぁ。
さて、先を急ぐ旅だ竜車に乗って出発だ。と、思ったらソフィアが元気に駆け寄って来た。
「ねえ! ロック! わたしも走竜に乗りたいわ!」
「あー、そうだね。ぜんぜんいいんだけどさ、もう何日かあとでもいいかな? 旅に慣れたところであいつらが飽きてきたら刺激を与えるためにお願いしたいんだ。それまでは御者台はどう? 大型の方なら走行中でも御者台と車内を行き来できるし、気分転換にもなるよ」
「わぁ! それも楽しそうね! 御者はいつもカシムが自分の仕事だからってさせてもらえなかったのよ!」
そう言うと楽しそうに御者台に向かっていった。
「走竜が走るのに飽きる?」
ロイドが不思議そうな顔をする。こいつはまだまだガキなんだよなぁ。しょうがないので後ろを向いて身を寄せる。
「ロイド、いいか? 女の子ってのは繊細なんだ。触れたら壊れる薄いガラス細工だと思え。お前、ソフィアが今、いきなり走竜に跨って荒野を走り回れると思うのか? 身体の負担ってわかるか?」
ボン! っとロイドの顔が火を噴いた。
「身体のことはなぁ、本人が気付いてないなんてこともよくあるからな。お前、ソフィアがなんでこっちの竜車に乗ってるか理由わかってる?」
「それはまぁ、せっかくできた女の友人だ。俺たちには言えないこともあるだろう」
少しドヤってる。
「うん。それはそう。正解。でもさ、ウチの車両はさ、中にトイレがあるんだよ。走行中も問題無く使えるやつが」
それがどうした? みたいな顔だ。マジか。
「お前、まさか大した問題じゃないとか思ってないよな? あー? あのさ、狩りの途中とかでさ、カシムがトイレ休憩くれって言ってくることないか?」
ロイドの顔が青くなり始める。
「だよなぁ。お前ら、ソニーもダッジもだよなぁ。うーん、まぁ、責められることではないよ。ただなぁ、女のいるパーティーって難しいんだよ。俺たち、男だからいろいろわからないよな」
ロイドが本気で落ち込み始めた。
「お前はなんでそんなことがわかるんだ。俺はど、どうすればいいんだ」
「これからは遠慮なく何でも話せる相手になってやれよ。本気で、文字通り『何でも』だ。カシムはたぶん何も言われてない。あいつは俺と同じでわかるってだけだ。ロイドもカシムにはなかなかそういうことも立場上聞きずらいんだろ? 俺でもいいけどさ、俺はいつでも一緒にいるわけでもないからな。だったらソフィアとそういうなんでも言い合える関係をお前が作れ。リーダーだろ」
リーダーだろ、の一言で瞳に力が戻る! だが、話の内容は情けない限りだ! 中学生の保健体育をやっている気分だった! こいつらそういうの教育されてないし、姉妹も先輩もいないのだ。アンバランスすぎる。生存に関する部分は年齢不相応に大人なくせに、別の部分は男の子のままなのだ。それがそのままこの世界の文明度ではあるけれど。
「ロックはそういう関係を築いているのか?」
「俺? うーん、どうだろう? 最初のころは森の中でお互いに見張りに立って用を済ませていたけどな」
「え?!」
「いや、普通だから。命掛かってるんだし」
「むしろこの話に驚くお前に俺は驚いているんだが。お前らこそどうしてたんだよ」
そう言うと「どうしてたんだっけ?」みたいな顔をするロイド。うん、わかった。全部カシムがなんとかしてくれてたのね。お前ら、いいパーティーだよ、まったく。
「ま、今からでもぜんぜん遅くない。できることから『改善』していけよ。今なら車内にソフィアがいない代わりに奴隷女中がいるだろ。あいつらに聞け」
「いや、お前、あれは奴隷ではないだろう」
「はぁ? なに甘いこと言ってんだ。あいつらは盗人の殺人未遂犯だ。しかもその相手は俺の女だぞ」
本気の殺意で応じる。
「う、それは、そうだ、失言だった。許せ」
「その芯は忘れるな。お前が貴族で支配者を名乗るなら尚更な。俺、今でも相当に温情を掛けているんだぞ。それは奴らが一番わかっている。今すぐあいつらをめちゃくちゃにしてやる権利が俺にはある。奴隷の相手をさせる身分に落とすことだってできるんだぞ。アイツらは俺に償えるようなものは何も持っちゃいないんだ」
そろそろ時間だ。無駄話が過ぎた。竜車に向かって歩き出す。
「この旅に着いて来た甲斐があった」
「ははっ。ずいぶん早い悟りだな。残ってりゃ今頃まだベッドで泳いでいられたっていうのに」
「まったく。お前には口では永遠に勝てんこともわかった」
「せめて口ぐらいは勝たせろ」
「負けるのが口だけならいいんだがな」
御者台でキュロスを質問攻めにしていたソフィアに遅いと文句を言われて、謝りながら竜車に乗り込んだ。




