第23話 HARLEM IN THE BATH
焦るな。
心で何度も唱えながら装備を外していく。目を閉じていても脱げるはずの慣れ親しんだ装備がなかなか脱げない! おちつけー! ここまで来たらもう風呂は逃げない!
震える手でやっと装備を外し終えると、このあとゴミになる服を乱暴に脱いで、一番汚しても大丈夫そうなカゴに入れてついに裸になった。
風呂に続く扉の前に立つ俺。
期待値マーックス!
すわっと扉を押し開く!
そこには夢にまで見た浴場が!
清潔感あふれる白い床と壁が眩しい! まだ夕方前の時間なので大きな磨りガラスのある浴室内はじゅうぶん明るい。壁を見ると橙色のライトが灯っている。階段とかで見たアレだな。これで夜も安心だ。
そして! お待たせしました! いや、お待たせし過ぎたかもしれません!
大きな湯舟になみなみと注がれ続ける湯! おーい! 湯舟の淵からお湯がこぼれてるって! もったいない! まさかのかけ流し!? これ、止められないか? わ、わからん。とりあえずこのままで。
もちろんまだまだ湯の中には入れない! 俺は元日本人だ。温泉マナーは完璧に履修済みだ!
まずは風呂桶に湯をすくう。その中にそっと両手を差し入れる。じんわりと熱い。それだけで口から母音が漏れそうだ。いや、漏れた。
しばらく手で湯を堪能したあとに上を向いたままそれをかぶる。身体を流れてゆく湯が冷めていって水になる感触……風呂、だ。
しばし湯をすくっては頭や身体に掛けて楽しむ。声を出して笑っていたかもしれないが最早そんなことは気にもならないな!
さて、そろそろ石鹸を、と思って周りを探すが見当たらない。あれ? 忘れてるのかな?
外の侍女さんに声を掛けなきゃと扉を振り返った瞬間
ふわっと扉が開いて栗色の長い髪を頭の上に結った二十代前半全裸美女が風呂桶片手に入って来た。え?
……しばし凝視。
ぼんきゅっぽんという謎の暗号が頭に浮かんだ。
瞳は髪と同じ栗色で左目の涙ぼくろがイイ。
左の首筋にある文様は俺には見慣れたものだ。なにも気にならんしその少し目尻の下がった優し気な眼差しの美貌をこれっぽっちも損ねるものではなかったって、いや、ここ男湯ですよ? と言いそうになるがそーじゃないよなー
湯けむり漂う密室の中、全裸で見つめ合う男女。
いや、俺、男児だった。
だって、俺には毛が無いから。
「そんなに見つめられるとちょっと照れちゃうなぁ」
ぜんぜん恥ずかしくなさそうに堂々と入ってくるおねえさん。
いや、そりゃあそれだけ立派ならどこに出しても恥ずかしくはないでしょうけれども。
「え? あの? え?」
「綺麗にして欲しいって言われてるのよ。そこに座って」
にこやかに大きなふたつが近付いて来て目の前にふたつの薄桃色の小さきものが俺何言ってんだ?
「あ、いえ、先ほども侍女の方にも言いましたが、自分で出来ますので石鹸と洗い布だけいただければ大丈夫で」
「はいはい」
と、言葉の途中でにこやかに肩を掴まれ回れ右をさせられて風呂イスに座らされる。抵抗する間もなく、なんと自然で流れるような所作! 手のひらの上で転がされるとはまさにこのことか!?
ものすっごい子供扱いな気もするがな! 子供だけどな!
そういえばここってそういうお店だっけか? いや、違うよな。部屋を間違えているのでは?
「あの、私はこのようなことを宿の方にお願いはしていないのですが、お部屋を間違えてはいませんか?」
「ウォーカーさんにひとりじゃ綺麗にはできないだろうから手伝ってやってくれって頼まれてるから間違いじゃないわよぉ」
「あー、そうなんですねー」
脳裏には先ほど目の前にあったものが残像というには忍びないほどくっきりはっきりと浮かんだまま上の空で返事をしていた。
「そのあとは好きにしていいって言われてるわぁ」
「えっ! いやいやいや!」
「うふふふ。それはウソ」
怖いよ~
豊富な湯を使って何度も頭から掛け湯をしてもらう。
「あのー、正直、風呂に入るのは初めてなんです。あまりにも汚くてですね、人様に触っていただくのはひじょーーーに抵抗があります。これをなんとかしたくってこちらをお借りした次第でして。本当に、どうか石鹸だけお貸しいただいて外でお休みになっててください。私の方からウォーカー様に何か言うことなどはありませんので」
もう、こっちとしては本当に申し訳ないんだよ。俺は日本人としては当然平民(小市民)だったし、こっちでは驚きのほんの数時間前まで奴隷だったんよ。こういうのは慣れてなさすぎというかなんというか。
「えー、それはおねえさんもこまっちゃうなぁ」
「あ! だったらアレだ! 髪、切っちゃいましょう! バッサリと! ツルっと! そうしたらすぐにキレイになります!」
俺、天才! なんでもっと早く気が付かなかったんだ! そうだよ、ボウズにすればいいんだよ! こっちの人たちってハサミとかカミソリが無いから長髪のまんまなんだよね。清潔に保つなら切ればいいんだよ!
おねえさんが後ろで「ん~」ってなにか考えている気配がする。その声がもうなんか艶っぽいのはもうなんなの。
ちょっと待っててね~ と言って離れる気配。
振り向くと美しいまるいふたつがドアの向こうに消えていった。
今世一番いいもの、いや!
前世も含めて一番いいものを見たよ!
葡萄ジュースの感動とかもうどっか行っちゃったよ。悪いなユセフ。おねえさんはきっと刃物を取りに行ってくれたのだろう。
ひとりになったので桶のお湯を頭に掛けてとりあえずお湯で溶かす作業。このままだとハサミもナイフの刃も入らなさそうだ。排水溝に流れていくお湯がきったなくてホント、自分で自分が嫌になる。……詰まらないよな、これ。でも、これが今から変わるんだ!
さっきまでのテンションが戻ってきた。まだまだ汚くて湯を楽しむ気にはなれないが作業のつもりで洗い流していくぅ!
ハッ! 背後に微かな気配を感じて迅雷の素早さで振り返る。
この時ほど先行斥候をやってて良かったと思ったことはなかった! いや! これは違うんです! 習性なんですよ! 冒険者としての! やましい気持ちはありませんって! 振り向いた時には! 振り向いたあと前に戻らないのは不可抗力であります!
俺の視線を真っ向から受け止めながら「お待たせ~」と戻って来たおねえさんは手ぶらだった。いや、手ブラではない。相変わらずモロのままだった。羞恥心はここでは返って失礼にあたると理解した。
「じゃあ、また前を向いてねぇ~」
そう言われて初めて自分の目の前にあるものに気が付いて慌てて前を向く。
「じゃあ続きねー」
そう言うとまた頭を洗い始めた。
「あの、ハサミかナイフは」
「あー、いらない、いらない」
「え? はぁ。でも」
「おねえさんにま・か・せ・て」
はい! お任せします!
耳元で囁かれてそう思ったけど実際に声に出ていたかもしれん。
なんとなくお湯が染みてきたかなぁというところで石鹸が登場してきた。おねえさんが自分の手で泡立てたり、髪に直接擦り付けたりして泡で洗おうとしてくれてる。ホント、ごめんだわー。皮脂汚れが酷くて泡立たないんだよね。石鹸はおねえさんの手だと泡立っているみたいなので、モノ自体は悪くなさそうだ。獣脂臭いというわけもないのでかなりの高級品な気がする。
すると突然扉が開いて「おまたせー!」という元気な声がユニゾンで聞こえた。
え? と、つい振り向いたらそこにはアワアワタワワじゃなくて、ボン!な大双丘の向こうに、控え目ながら美しいフォルムの美双丘と微双丘という不思議な同音異義語が頭に浮かぶ若いお姉さんがふたり手ぶらなしで入ってくるところだった。なんて?
黄色い髪の猫耳獣人の娘とそれより年下っぽい薄桃色の髪の娘さん。左首筋から頬にかける文様はみんなお揃いだ。
えー! 俺! どれ見ればいいのー!
視線がキョドってる俺を見るなりふたりは
「へー、この子なんだ」「よろしくねー」などと言いながら近寄ってきた。俺はわけもわからず「あ、はい。よろしくお願いします」と言うしかなかった。最初のお姉さんの顔を見ながら、
「あのー、これは」
「ちょっと大変そうだったからウチの娘たちに応援頼んだの~」
うちの娘といっても、もちろん同僚という意味だ。おねえさんはおねえさんであってお母さんではない。そしてここからは怒涛の洗髪合戦が始まった! やはり手数が増えると作業効率が違う。
が! 問題はそこではない!
子供の小さい身体にうら若き女性が三人も群がっているのだ。両隣の娘さんはどうやっても視界の端に入ってきちゃうんだよ! あと、たぶんわざと身体寄せたり正面に周ったりして遊んでるだろ! いたいけな年ごろの男の子になんちゅうことをほぅっ。お前らそれあっちだと捕まるやつだぞ! こっちは大丈夫? そう? そう、かも?
頭の中はパニックだ。
始まったのか? 異世界生活? これか? これなのか?
俺の地獄の五年間が報われている瞬間だった。夢オチを疑うレベルの出来事が俺の身に起きている。
そうか~。これのためだったらもう一回、奴隷五年やれるわ~
途中で娘たちがクシやヘアブラシを取りに行ったり、なんか変なものが頭から出てきてキャーキャー言ったりして大騒ぎだった。
もう最初のころのお湯への感動はとっくに去っていた。俺はただかけ流しの湯に感謝した。これは普通の湯舟じゃどうにもならなかったわ。そして人員を手配してくれたウォーカー氏にも栗毛のおねえさんにも感謝だ。
組んず解れつの大乱戦の末、仕上げに香油のようなものを塗ってくれて洗髪は完了した。最後に髪を器用に結い上げると布で巻いてくれた。香油を馴染ませてケアするそうだ。明日になったら明るいところで整えましょうねと言われた。
きちんと三人に向き直って「ありがとうございました」と頭を下げてお礼を言う。
三人は満面の笑みで声を合わせて「終わってないから」と言った。
次は身体だった。
気持ちいいと言えばもちろん気持ちいいが、やってることは垢すりだから。
全身擦られた。もう好きにしてくれということでされるがままになった。がっくりとうなだれて手足を伸ばして洗われまくった。途中でうつ伏せになってかなりセンシティブな状況もあったがもはや抵抗する術も気持ちも羞恥心も俺にはなかった。徹底的に磨かれた。巧の技だった。
最後に顔も磨かれた。なんか途中から三人がやけに真剣に顔を擦りだした。
……汚すぎてごめんなさい。
彼女たちは最初から最後までとても献身的だった。
うちに来る娘たちで慣れているからと言っていた。
外はすっかり暗くなっていて、今夜もふたつの月が出ているのだろう。
全身洗い終わると湯舟にも入らずそのまま三人で浴室の外扉を開いてテラスに出た。そこにはテラスの三分の一の奥行の屋根と露店風呂まであった。
風呂に入る前に三人でベンチとイスに座って夕涼みだ。侍女さんが冷たい飲み物を差し入れてくれたんだけど、サウナ状態だったからこれまた美味しいこと。
火照った身体に夜風が気持ちいい。しばらくすると、今夜は風向きが良いねと黄色い髪の猫耳っ娘のキュロスが言った。しっぽがゆ~らゆ~らと揺れていた。ほんとだー風向き悪いと匂うもんねーと薄桃色の髪で最年少のサリアが言った。そろそろお風呂に入りましょうかと栗毛の美人おねえさんのシェリルが言った。
やっと風呂だ。長かった。今日という日のなんと長かったことよ。そしてついに念願の風呂に入れるのだ。湯船には全裸ですからね、お嬢様方! 俺の前ではタオルなんてお湯に入れてはいけないのことよ? これはぜったいの不文律最低限の決まりでっす!
まずはこのまま露天の湯からお願いします! 足先を湯につけて、そのままゆっくり沈めてい……くっ、ふくらはぎ、ふともも、センシティブへと続き、下腹部、腹、胸、肩までしっかり浸かるんですよ! 「はあああああ」と、母音が出るのはもう止められませぶくぶくぶく。
くっ! 座高が足りないだと?! このままではリラックスできないじゃないか!
安心してください。シェリルおねえ様が補助して下さいました。この際ですね、羞恥とか遠慮はもう捨ててますので。風呂のために。いわゆるですね、後ろ抱っこでちょうどいい高さにしていただきました、はい。背中とお尻が幸せ過ぎてなんかもう、「今世初の風呂より良かった」という感想になるのはしょうがないですよね?
内風呂ではキュロス姉様やサリア姉様もおもしろがって後ろ抱っこでお世話になって十年ぶりとなる風呂は終了した。
ウォーカー氏……
俺、金貨払ってもいいよ。




