第22話 異世界の別世界
敷地の周りを歩き始める。
「ユセフさん」
歩いたまま少し顔をこちらに向けながら
「ユセフ、で結構でございます」
「ユセフさん、先ほどのウォーカー様がこちらのご主人でいらっしゃるのですか?」
ユセフはそれ以上訂正はせずに答える。
「左様でございます。ウォーカーは当館『夕暮れの泉亭』のオーナーでございます」
「やはりそうだったんですね。いきなり失礼な口をきいてしまって申し訳ないことをしました」
「ほっほっほ。ウォーカーは元冒険者でございます。そしてこの宿は冒険者の方のものでもあります。何も問題はございません。どうぞお気になさらず」
「そうですか。佇まいが只者ではなかったので声を掛けるのに勇気が要りました。さぞかし名のある冒険者だったんでしょうね」
「ふむ。そうですね。そのあたりはぜひ本人に聞いてやってください」
いや、直接聞くのは無理ですよなどと話しているうちに裏口らしいところに到着した。
大きな両開きの木扉に付いているノッカーをユセフがコンコンと二回叩いた。すると扉が内側に向かって開き始めた。ユセフの後に続いて中に入ると今度は勝手に扉が閉まり始めた。内側に人はいなかった。
なんだろう? 認証式自動ドアかな? 遠隔操作かな? つい前世のクセで防犯カメラ探しちゃったよ! カメラっぽいものはなかったから自動ドアの方かなぁ。御用聞きとかこのドア使うんだろうねっていう感じ。ってことは登録制の生態認証があるのか? どういう仕組みなんだろう。うちを建てる時があるなら参考にさせてもらいたいなぁ。
右横を見たら立派なロッジがあった。奴隷用の小屋かな? 俺、あそこでもいいよ! あれなら住める!
今度は建物扉のノッカーを叩く前に中から人が出てきた。四十台半ばぐらいの、たぶん狼系の獣人だ。おそらく彼も用心棒だ。
「ユセフ殿。裏からとはお珍しい」
「バーズ。マスターのお客様です。ロック様、狭くて恐縮ですがどうぞお入りください」
いや、じゅうぶん広くてですね、狭くはないと思うが。
「ロックです。お世話になります」とバーズと呼ばれた用心棒に声を掛けて武器を預けながら中に入る。メインの短刀はここを出る時に返すが、狩猟ナイフは護身用として持ち込んで良いと言われ返された。
入ったところは従業員用の通路も兼ねているのか、最初の部屋はセキュリティ要員用の待機室のようだった。中にいる他の用心棒に「こんにちは」と挨拶しながら通り過ぎる。迷子になりそうな通路を進んでいく。すれ違う従業員の中には獣人の女中さんもいるけど誰も奴隷紋は無いみたいだった。
ほどなく階段の前に着いた。
どうやら従業員が使う階段らしい。
すると、階段の下に背もたれ付きのイスとその前に水の入ったタライ、横には女中服を着た若く可愛らしい獣人の少女が付き添っていた。嫌な予感がする。
ユセフがイスの横に立って言う。
「ロック様、まずはこちらにお座りください」
だよね。
ここは言う通りにする一択。
「わかりました」と言って座る。
だが、さすがにその先はお任せするのは忍びない。
「あの、すみません。自分で洗いますのでお気遣いなく」
そう言ってサンダルを脱ごうと身をかがめようとしたら、ユセフにそっと肩を抑えられた。強くはない。けどそれ以上動くことができなかった。
「ロック様、お気遣いは無用です。どうぞ我々にお任せいただきます様お願い致します」
お願いときたか。さすが高級店。でもさー! 今の俺は汚すぎるんだよ! 綺麗になったあとのバージョン違いの俺なら任せるのもやぶさかではないよ? でも今の俺はダ~メだよほぉ~
「わかりました。大変汚れていて申し訳ないのですが、お言葉に甘えさせていただきます。よろしくお願い致します」
女性に向かって頭を下げる。仕事だしサービスなんだよね。これがこの店の品位なんだもんね。否定してはいけない。ユセフの手はもう離れている。
「お任せくださいませ」
と言ってから、女中の少女が俺のサンダルを外してタライで足を洗ってくれた。しかもこれお湯やん。もう足湯みたいなもんやん。お任せしたからには存分に味わう。ほぅ~。
洗い終わったあとは拭いてくれて、館内履きなのか用意されていた別のサンダルを履く。サイズも問題なかった。どんだけ高級店なんだここ。
いよいよ階段だ。ここは非常階段も兼ねているのかもしれないな。ところどころに窓や明かりがあって建物内なのに歩く明るさは申し分ない。ルームサービスやリネンを運ぶのにも使うのだろう。狭くはない。先を見るとユセフが進むにつれて明かりが灯っている。マジか! センサーライト! これもいいね~魔法系か呪い系かどっちだろうなぁ。魔道具ってやつか?! 聞きたい! めっちゃ聞きたい! けどたぶん今はまだ聞いても答えてくれないやつかな? 金持ちには当たり前のシステムなのかもしれないなぁ。
興味津々に楽しく見学気分で三階に到着。
ユセフがドアを開けて、どうぞ、と入れてくれる。
おお~。シックな青系の色合いの絨毯敷の廊下。壁紙も凝っているが派手ではないのが良い。俺が入った時には廊下は明るかった。廊下に窓もたくさんあって採光もよい。天井が高く、天井にも採光用の窓があることからここが最上階なことがわかる。明るいわ~
歩いてたらすぐに広い廊下に出た。
こっちがメインだったかー!
いや、それよりも、よ。
部屋数がやけに少なくないか?
廊下を歩いて一番奥の部屋に案内される。
ユセフがドアを開いて中に通される。
……いや、広いって。
ウォーカーのおっさん、おもしろがってやがるな。
ちょっとやりすぎたのかもな。
「ユセフさん、この部屋はいったい」
「主人からの案内でございますので」
と、恭しく頭を下げる。
「過分なお心遣いをいただきありがとうございますとお伝えください」
と、こちらも頭を下げる。
「畏まりました」とにこやかなユセフ。
「ただ今、湯あみの準備をしておりますので少々お待ちください。お飲み物をお待ち致しますのでどうぞお寛ぎになってお待ちください」
そう言うと部屋を出ていった。
お、落ちつかね~ 広すぎるだろこの部屋。窓でっか! 足洗ってもらってよかった~サンダルで歩くと絨毯の毛を感じるんだけど! 毛足長いって!
部屋の調度品は白と青を基調として爽やかで清潔なイメージだ。ここ、ぜったい貴賓室だよ……
ていうかここスラムだよな? なんでこんな宿がここにあるんだ? 本当に普通の宿かここ? スラムでこれはおかしいのは間違いないが、そもそも壁の中にはあるのか? いや、これぐらいはあるのか?
俺、今すぐ逃げた方がよくないかこれ。
しかし、風呂という甘美な響きには抗えない。すでに足湯を味わってしまったのだ。俺は覚悟を決めた。
そして先行斥候として培った技術の全てを使って、調度品に触れないように部屋を通り抜けてベランダに出た。いや、そこはベランダではなく、巨大なテラスだった。奥行があるから部屋から直接眼下のスラムの街が見えにくくなっていたのか。この部屋のテラスからは他の宿など高い建物は見えないので、ずいぶん見晴らしがいい。遥か遠方には恵みの森がぼんやりと見えている。ただただ壮大に見えるあの場所が、一歩足を踏み込むと一瞬も気の抜けない魔境に変貌するとはとても思えなかった。
飽きることなく異世界の眺望を楽しんだ。昨日までとは景色の見え方がまったく違う。ここは日本でもなければ地球でさえないのだ。
景色だけ見ていれば旅行でどこか遠い外国にでも来たかのような錯覚を起こしそうだった。歩いて帰れない外国なら地球でも異世界でも変わらないよな、などと思った。
「ロック様」
それが俺の名前だと気付いて慌てて振り返る。
そうだ。ここは異世界だ。
俺の名前はロックだ。
「すいません、素晴らしい景観にすっかり見とれていました」
ユセフが「お飲み物をお持ちしました」と言った。お部屋の中にご用意しましょうかと言うので、絶対阻止すべく、こちらでお願いしますと返す。
テラスの先には木製のイスとテーブルがあったのでそこにお願いする。ここなら座っても大丈夫そうだ。
置かれた飲み物を見て仰天する。
グラスだ。
しかも氷が入っている。
「葡萄の果実水になります。どうぞ」
「すごいですね。氷が入っています」
いただきますと汗をかいているグラスを落とさないよう気を付けて持ちながら口をつける。
甘く芳醇で濃厚な味が口中を満たし、冷たい液体が喉を刺す心地良い刺激を感じる。鼻腔をくすぐる仄かな香りは心も満たすようだった。生まれ変わった身体で味わう初めてのジュースだ。
「はぁ~。美味い」
おもわず言葉が漏れる。
「そこまでお楽しみいただけましたらご用意させていただいた甲斐も御座います」
そんなに喜んでるように見えちゃった? いや、もう隠す必要は感じないからこの贅沢を味わい尽くしちゃうよ、俺は。
「ユセフさん、お付き合いさせてしまって申し訳ありません」
この人ぜったい偉い人でしょ。
支配人じゃないの?
「ただ今の時間は余裕がありますので問題ございません。本日はやっかいなお客様もいらっしゃいませんので」
おいおいおい! いきなりぶっ込んできたな! これ、乗っかっていい話題か? それともダメなやつか? うん。絶対にダメなやつです。
「わたしはこの街には今日来たばかりでして。お時間が許すのであればぜひいろいろお聞かせいただきたいです」
と言って向かいの席を示すと「私はこちらで」とやんわりと断ってきた。想定内だな! 「それでは私が落ち着きません」と返すと、では失礼して、と座ってくれた。
こういう人には「私のために」「私の願い」という言い方をしないとやってくれないんだよね。それぞれには立場というものがあるのだ。ここではそれは身分というものでもある。
そして最初に済ませておくべきことを済ませる。
「最初に宿代をお支払いいたします」
胸当ての隙間から銀貨を出しながら言う。
俺が胸当てに手を差し込んだ時の視線の鋭さ、こえー。
ちょっと軽率だったなと思いながら銀貨をユセフの方に押し出す。
「こちらはいただくわけには参りません。主人に叱りを受けてしまいます」
先ほどの視線の鋭さなどまるでなかったかのようにやさしく微笑みながら返すユセフ。
「そういうわけにはまいりません。どうも私はこの素晴らしい宿を気に入ってしまったようです。また私がこちらに来られるようにぜひ受け取っていただきたいのです」
「無料でお泊めしたらもう来てはいただけないということですか。ほっほっほ。これはなかなかに難しいお客様でございますな」
ユセフは「確かにお預かりしました」と微笑みながら銀貨を受け取った。
「実費の分は明日の出発の時にご請求ください」
かしこまりましたと頭をさげるユセフ。
どう考えても初対面の人に風呂を奢ってもらうのは気持ちよくないでしょう。そもそもその銀貨だってずいぶんと出所が怪しいしな! わっはっはっは!
ちょっと打ち解けたここぞとばかりに、この宿のような店に出入りしてもおかしくない冒険者用の服が買いたいのだけれど、と相談したら明日の朝にはいくつか用意させましょうと業者を呼んでくれることになった。部屋着があるから明日まではそれで過ごしてもられば大丈夫とのこと。コンシェルジュ最高かよ。
ユセフにはこの街のどこに何屋があるとか商人の訪問頻度など当たり障りのない話をした。冒険者時代の話や主人に関することは露ほども話題にはしない。ユセフからその手の話題が出ても「そうですか」「それはすごいですね」などと相槌を打つだけでこちらから余計なことは言わない。彼ら自身のことを話題にするのはまだ早計だ。
俺はここではまだ異邦人なのだ。
「そろそろ湯の準備が整ったようです」
ユセフが俺の後ろを見ながら言った。
振り返ると女中さんが立っていた。
いよいよか!
風呂はどこだろう?
と、思って部屋に入ったら「こちらです」と案内された。内風呂! テラスからはうまく目隠しされていて見えなかったけど隣がデカい風呂場だった。
ひろーい脱衣所に案内された。
脱衣所の手前でユセフは「それではごゆっくり」と言って下がっていった。
うほー! 風呂だー!
……えーと、女中さん?
「あの、あとは自分で出来ますので外で控えていただいて結構です」
と言うと、少し驚いた顔で「かしこまりました」と下がっていった。「なにかありましたら何なりとお申しつけください」と言って扉を閉めたので外で待機するのだろう。そんな気がして扉を開けると案の定、扉の横で立ったまま待機していた。「長くなりそうだからそこのソファーで座ってお待ちください」と言ったら困った顔をしたので、「さぁさぁさぁ」と追い立てて強引に座らせた。外で立って待たれていたら私のような者は落ち着きませんと言ったら笑って納得してくれたようだった。
これでー! 心置きなくー! ふーろーだーぞー!




