第222話 自由の荒野
細かく言わなくてもわかる。元侯爵令嬢の平民の女が家臣だった者を唆して現在のご主人様である俺様の、家族しか乗せない竜車を奪って逃走を計ろうとしているのだ。重罪である。
オルカの雰囲気がパチンと音がするように変わったことにこの場の全員が気がついた。オルカはそれを隠そうともしていないのだ。自分の半分のために血を流すことの愉悦に狂おうとしていた。
そんな狂狼を抱くようにして耳元で囁く。
「オルカよ、俺の半分よ、俺様は今とても気分が良いんだ。奴らは決して犯してはいけない禁忌を犯した。お前や俺の好きにしてしまっていい不始末だが、この気分の良い日に大事な愛の巣にもなる竜車を汚い裏切り者の血で汚すのも無粋だ。生け捕りにしてぜひ、自分たちがすべきは頭を下げて俺たちを頼ることだったのだと教えてやろうではないか」
夜空に向かって咢を上げ、目を閉じて俺の声に浸っていた銀狼がニンマリと笑顔を浮かべる。
「わかったわ。あなたの望みはわたしの望みだもの。かわいい都会のお嬢さんたちに辺境の怖さを教えて差し上げましょうね」
その場の全員に悪寒が走った。
「ロック、あたしも忘れないでよ。さんざん子分が世話になったしねぇ。お上品なお口には合わないかもしれないけどね。ここの流儀ぐらいは知ってもらった方が今後のためよね」
「姐さん!」「姉御!」「お嬢!」
野郎共が席を飛び上がったと思ったら片膝を着いた。
お前らどこの組だよ! 俺たちは健全な冒険者クランだっつーの!
オルカの両手には日本刀が二本。長さは同じだ。大小ではない。キュロスはまだ抜かない。
二人が同時に消えるように奔った。オルカは文字通り消えた。消えて十メートル先に現れ、また消えた。二人が一瞬で門を超えたのがわかった。二人が出たあとに正門が開かれる。
俺が門を出ると、クランの連中が駆け出し、俺の後ろに集まった。人の壁で道を塞ぐような真似はしない。誰も手伝いも邪魔もしようとはしない。主人たちがそれを喜ばないのを理解しているからだ。
二人の獣が道の真ん中に立つ。今夜は蒼の月が強い。オルカのあの頃より伸びた髪が艶煌銀青の輝きを放つ。キュロスの携える剣が長い、長い影を落とす。
やがて恐ろしい速度の竜車がやって来る。白と黒の走竜が前足も使った四足歩行の疾走だ。竜車で逃走するなら街中より一度街を出て外周を全力疾走した方が断然速い。だが、それをやれば必ずこのクラン本部前を通ることはわかっているはずだ。
止めて欲しいのか? ナメてるのか? まぁ、どちらでもいい。人の善意というものを知らない高慢な貴族なんざの考えていることは俺にはどうでもいい。こいつらに同情する余地はあった。温情も掛けた。だが結局は俺にとってはいつでも踏みつぶせる羽虫みたな連中だ。どうでもいい。
ただし、俺の大事なものに手を出すのはいただけない。
あっという間に竜車が目前に迫る! 御者台に座る赤銅色の女騎士が絶叫する!
「どけい! セイレイン・ロードリンゲン侯爵令嬢様のお通りだ!」
あーぁ。同情はいらないってか。
道のど真ん中に佇む二人の美しい女たちの口元に笑みが広がった。
嗚呼、その美しい女たちが今まさに竜車に轢かれバラバラの肉片に
なるわけがなかった。ピタリと止まった竜車は二人の目前で目を閉じ伏せの体勢を取って呼吸を忘れたかのように甘えた鳴き声ひとつ洩らさなかった。怒れる主の目前だ。
走竜は誇り高く賢い生き物だ。自分たちが誰に何をされているかわかっている。本能は強い者に従おうとする。彼女たちが進行方向をこちらに向けてくれてよかった。ここに自分たちの主であるキュロスがいることは匂いでわかっていた。主人の元に行けばきっとなんとかしてくれる。
カシムのように御者台を飛び出さなかったのはこうなることを予期していたからだろうか。竜車の中は揺れ軽減の付与が利いて停車したことはわかっても急ブレーキでぶっ飛ぶようなことはない。
御者台の女騎士が立ち上がる。
「控えおろう! 我はロードリンゲン侯爵家が三女で在らせられるセイレイン様にお仕えする筆頭護衛騎士、武の誉れ高きバルベリーニ子爵家が次女、ローレライである! 火急の件につき貴様らの無礼は見逃してやる! 今すぐ道を空けいっ!」
ローラことローレライがそう言い切るのと竜車の扉が開くのは同時だった。扉の中、暗黒のベールから青空色の髪を蒼い月光で色濃く染めながら詠唱を終えた魔法使いが飛び出す。長い口上は詠唱のための時間稼ぎだ。
だが、扉が開き始めた時にはオルカの姿は消えていた。野生児の身体強化の果ての聴力を侮ってはいけない。そして銀狼はその持てる力、技術の全てを全力以上に発揮する。俺の側では制限は外れっ放しだ。
【縮地】は瞬間移動に匹敵する高速移動を可能にする女神の祝福だ。御者台の騎士の腕前は昼間に見ている。その上で赤銅色の騎士の目前を【縮地】で横切る軌道で突っ込んでいた。ローラにはオルカの姿は見えなかったが、魔法使いが狙われたことは本能的に悟っていた。剣で斬る必要は無い。通過する軌道上に剣を差し入れるだけで勝手に真っ二つだ。俺でもそうする。
今までの鍛錬の成果を存分に発揮し、人生最高速度で白刃が鞘を奔り抜けていく手応えを感じていただろう。だが、見えない銀狼を真っ二つにする感触に備えていた刃からは想像とは全く違う音がした。
ガッキィィィィィンッ!
あり得ない距離から伸ばされた青白く輝く美しい刀身が人生最高の剣の行く先を塞いでいた。
シュインンンン!
ローレライは右後ろから聞こえた音に一瞬で血の気が引くのを感じた。そこには魔法使いがいたはずだ! 魔法はまだ発動されていない?!
オルカの二本の刀が青い宝玉が乗る魔法杖を魔法使いが持つ右手の上下でぶった切っていた。青い宝玉が蒼い月光を浴びて夜空を舞う。
蒼白く輝く銀狼の刀を持つ右手の上に青い宝玉が落ちてくる。
ゴッ、ゴロゴロゴロ。
オルカは掌のそれを一瞥したあと道端にゴミのように捨てた。
竜車の前方では赤銅色の鎧が疾風の勢いでキュロスに迫っていた。盾を突き出し、相手にこちらの剣の軌道を隠す。キュロスは低い体勢から長剣を左下から右上へと振り上げる。キュロスの長剣の方がリーチが長い。先に届くのはキュロスの刃だ。
ローレライは後の先を取ったと確信した! 長剣の軌道を僅かに逸らしてやるだけで自分の刃が相手に届く! 絶対の自信で左手の盾をわずかに長剣に触れさせる。
ドッガギギィィィン!
ローレライは何が起きたのかわからなかったが、腹に圧力を受けて後ろに吹っ飛ばされている最中に意識を取り戻した。
なんとか受け身を取って地面を転がりながら起き上がると右手に剣が握られていることに安堵したが、左手を見ると盾はなかった。左手は痺れていて剣に添えるだけで両手で握ることはできない。
剣先を逸らすために掠めさせようとしたはずの盾に、途中で生き物のごとく軌道を変えた雷速の長剣がまともに入っていた。長剣はその勢いと剣圧で盾を吹っ飛ばした。その衝撃で一瞬、目線を切らざるを得なかったローレライの腹部にキュロスが思い切り回し蹴りをぶち込んで女騎士をぶっ飛ばした。
腹部を蹴り抜かれながら意識を繋ぎとめ、受け身まで取って起き上がってこれたのは日頃の鍛錬の賜物だ。
「ぐぅえっ! ゲッホゲッホ! ゴッボエェ!」
溢れる涙と胃液と共に、決して女の子が出しちゃいけないような呻き声を生理現象故、止めること敵わず、それでも女騎士は膝を着かなかった。
キュロスとオルカがそれぞれの獲物に油断も慢心も無くゆらりと近付く。
「お待ちください!」
「ひ、姫ざばぁ!」
「姫! お下がりを!」
オルカもキュロスも止まらない。止まるわけがない。力無きお前ごときが俺の美しく強い婚約者に言うことを聞かせられるわけがないだろう。
侯爵令嬢の言を一顧だにせず歩き続け、それぞれの相手の首筋に刃を食い込ませる美しい伴侶を見て口角が上がる。
キュロスの長剣は赤銅色の騎士の顎を上げさせ、女騎士のえずく喉を白々と月光に浮かび上がらせていた。
オルカの双刃の一本は美しき青い魔女のその喉に、もう一本は豊かな両の乳房を下から持ち上げるように食い込み薄布だけを斬り裂いていた。それをする銀狼の浮かべる愉悦の表情よ。いいぞ、お前の持つ狂気をもっと見せてくれ。狼の長い舌が己の犬歯を舐め上げる。
無様な死はすぐそこだ。
ああ、蒼い月が己の力を示せとこの世を染め抜く。
今夜は気分が良いんだ。
「そこの女。俺の前に跪け」
この侯爵家の三女という高貴なる金色の女は癒しのスキルを持っている。多少乱暴に扱おうが自分でなんとかするだろう。
「ひべざばぁ」
無理に抗おうとする赤銅色の女騎士はすでにレッドショルダーが荒縄で縛りあげて露わな姿となっていた。
オルカに押さえられている魔女はそのままなにも出来ず青い顔だ。
姫様と呼ばれる少女が竜車を降りて黒い少女の前に跪く。そうだ、お前はお前に付き従っただけの部下の命を守る義務がある。死ねとも命じることのできるお前には、世界の果てまで付き従った彼女たちを生かす義務だってあるはずだ。それを果たしてから死ね。
「両手は組むな。この世に神はいるが俺の前でそいつを頼ることは許さん。奴は俺に仇名す敵だ」
その言葉に今まで見せなかった恐怖の表情で俺を見上げる。両膝をスラムの道端で汚し、両手はダラリと下げたままだ。
「イルマ」
「はい。ここに」
濃い紫に黒のラメの入ったロングヘア、妖艶で露出の多い衣装で自分が女であることを胸を反らせ存分に誇示する。濃い青色の瞳を興味津々に輝かせてしゃなりしゃなりと歩いてくる。
「『天狼商会』呪術師部門総括責任者、イルマ、二十六歳、独身、男無し、偉大なるご主人様に呼ばれまして疾く、参上いたしました」
俺の右斜め前、跪く侯爵令嬢セイレインの横に立つと腰を折って礼をする。もちろん、胸の谷間を俺に見せつけたいからだ。蒼い月光に黒メッシュの前髪だけがハラリと垂れる。俺の髪色に合わせてわざとやってるのかな?
「こんな時間から仕事を頼んで申し訳ない。望みの残業代を払うからこいつらを俺の命令には何一つ逆らえない永久奴隷にしてくれ」
「嗚呼、なんと魅力的な仕事でしょう。これだから貴方様の下で働くことを辞められません。後ほど、報酬はたっぷりとお付き合いください」
イルマが指を鳴らすと妹弟子のヤリスはじめ奴隷商人の面々が走ってくる。オルカとキュロスが押し付ける刃から血が滴る。騎士と魔法使いの指をそれに浸けて誓約書に押し付ける。
俺は侯爵令嬢の目を見ながらしゃがんで右手を取る。親指を持って口づけながら指の腹を噛み切る。「くっ」と呻く。その指を持って乱暴にイルマが自らの胸に押し付けて持つ誓約書に捺印させる。イルマが意味ありげに俺の瞳を覗き込む。侯爵令嬢とイルマの前で唇に残る血を舐め取る。それを地べたに吐き出して立ち上がる。
「『再生の大地』の奴隷ども! よく聞け! そして喜べ! 大都会でお育ち遊ばれた侯爵令嬢様が田舎者のお前達のお仲間になりたいとおっしゃってくれているぞ! おまけで筆頭騎士殿とお付きの魔女様も付けてやる! 明日にはお別れだ! 今夜一晩、たっぷりと可愛がってやれ!」
「ヘイル、シリウス! へイル、ラグナロク!」
「ヘイル、シリウス! へイル、ラグナロク!」
自由の荒野まで残り数十メートルの場所にて、セイレイン・ロードリンゲン侯爵家令嬢、筆頭護衛騎士ローレライ・バルベリーニ子爵家令嬢、筆頭護衛魔導士マリナリア・グローブナー男爵家令嬢が西部辺境冒険者クラン『再生の大地』所属の奴隷女中に成り下がった。




