第213話 無敵で無力
金色の少女が席を立った時、男たちもまた席を立ち首を垂れた。
故郷を救うために故郷を捨てた、今となっては平民の少女に対する彼らの謝意のように思えた。両親と故郷の危機を知らされ、しかし、今となっては何もできない少女の心情を慮った時、やはり何もしてやれない自分の無力を思い知らされたのだろう。
少女が去った後も重い空気は残った。問題は何も解決していない。むしろ次から次へと増えていく。
「何か出来ることがあるはずだ」
ウォーカーが静かに怒りを滲ませるが、その怒りの相手は無力な自分自身だった。
ソファーに戻りながら視線を感じてそばに立つユーリを見上げた。
「ラグナロク様、時間がなくなりました。春まで待てません」
「そうなんだけどさぁ。稼げて春までだよ?」
「ふふふ。それでも何もしないで過ごされるわけでもありませんでしょう」
そういうことだよね~。めんどくさいなぁ。
「それはそうだね。土石竜は足が遅い。今すぐ移動を開始させてくれ。護衛は充分な数を付けろ。俺も来週中には出る。中央までしか行けないなぁ。つまらん」
「おい、ロック。隠すなよ。なんのことだ」
ウォーカーが精神的な疲れを隠そうともせずドサリと座った。それを見た家臣たちも重い腰を下しながら俺を見ていた。
「いや、保険の話ですよ」
「ホケンってなんだ?」
この世界、保険制度ってまだ無いんだったか。
「もしもの話です。もし、東の争乱が終結後にすぐここが次の争乱の場所になるとしたら。最短で三ヶ月後かなぁって」
「ふむ。今の時点で東で事は起きているとして、派兵された軍の引き上げから西への遠征までの時間だな。たしかに、今この時点で東が落ちているとも思えない」
「そう。最短だと冬が来る前にここが戦場になり、すべてが終わります。画策してるヤツはそれを望むでしょう。時間はこちらに有利にしかならないのですから。だからそれをせめて来年の春まで伸ばそうかなって」
「そうだな。まずは冬が来るまで攻め込めないように時間を稼ぐか。だが、どうやる?」
「オーサーさん、もう希少なものも武器に転用出来そうな素材も流したらダメですよ。理由はなんでもいいでしょう。ウチはもうやってますよ」
「うむ。敵に武器を渡すなんてアホのやることだ」
オーサーがチラリと背後を振り返ると文官らしい家臣がひとり走り出した。
白い傷を歪ませながら俺を振り返る。
「で? お前さんはなにをやってんだって」
「ウチは商会ですからね。値上がりしそうなものを仕入れるんですよ。そうですね、今後値上がりしそうなもの。小麦なんかいいですね。魔物素材も枯渇するなら値上がりしそうだ」
貴族から巻き上げた金でジワジワと中央やバーランド辺境伯の関係先に流れる軍事、生活物資を横取りしてここに向かわせている。買い取るために支払った金はまた夜の店や賭場で搾り取る。
オーサーの傷が歪むが、それは凶悪な笑顔のせいだ。
「お前の商会、どこで買い物してるんだっけか?」
「そうですね。商会の末端は最近では東西南北の端に届きそうなんですけどね。まだ完璧にはほど遠いですね。でもとりあえず真ん中は押さえてますよ」
行商部の先鋭部隊は偵察部隊だ。なにも前人未踏の地を踏破しているわけじゃない。街から村へ、村から町へと素早く触手を伸ばす。支店、拠点を置けそうな地を探し、報告を入れて後続を送り込む。
そもそもグランデールがヤバいのなんて最初からわかってたことだ。デミトリーをやっつけたのは俺だ。その上のバーランド辺境伯に睨まれることは織り込み済みだ。貴族を殺してお咎めなしとか天地がひっくり返ったってありえない。俺はともかくウチの婚約者たちは派手で目立つ。二つ名も容姿も歌になるほどだ。だからすぐにでも反撃があると思っていた。ところが刺客のひとりも来やしない。
調べて驚いた。グランデールにはバーランドが居ない。俺が前世記憶を取り戻してから気になっていたのはそこだ。デミトリーが好き勝手にやってバーランドに上納金を納めるだけで、グランデールの実質の支配者がデミトリーだった。今も貴族街中央のバーランドの居城にはバーランド家の者はおらず、報告役の代理人しかいない。兵力は近衛という名前だけの、いざという時の脱出行を手助けする程度の少人数の兵だけだ。
今後、グランデールも大量虐殺の場になってもおかしくない。今この街には反バーランド派の勢力しかいない。一般市民? そんなもの人の数には数えない。
この街自体がお荷物になることは最初から明らかなんだよ。だから俺はここのことは知らぬ存ぜぬだった。ここを守り切ることなんかできないからだ。圧倒的に兵力が足りない。
「真ん中で買い物って、皇都で仕入れてんのか?!」
「ん~、まぁ、そういうこともあるような、無いような」
オーサーが呆れ、ウォーカーが探るように俺を見つめていた。
「本当に手は無いのか」
疑ってるなぁ。こいつ、やっぱ勘がするどいなぁ。
実際、手は、ある。
俺がそれをやる必然性が無いだけだ。俺はこの世界の主人公じゃない。そんなものになる気はないからだ。
俺に触れるな。
「やったら世界の秩序が崩壊する。俺は魔王になる気はない」
全員の動きが止まった。呼吸さえ止まったような静けさだ。
左頬にそっとなにかが触れる。男の俺には出せない仄かな甘い香りがふわりとやって来て鼻腔と胸の中をくすぐった。オルカが戻った。
背もたれの後ろから手が伸びてきて右肩越しに胸をなぞって左わき腹まで伸びて来る。頭の真上から髪の匂いを嗅がれる。キュロスの最近のお気に入りだ。
二人の女性が俺を引き留めていた。
俺はどんな軍隊も怖くない。何千、何万人で攻めて来ようと俺の敵ではないのだ。
全員を一瞬で裸にして終わりだ。
すべての軍需物資を【収納】してもいい。
「俺を頼ったらダメだと思うんだ。せっかくここまで育てた文明だろう。なにも神話の時代からやり直す必要はない」
「おまえは、なにを言ってるんだ」
オーサーが眉根を寄せて俺を見ている。
「死女神」
ウォーカーの後ろで誰かが呟いた。呟きを無視してウォーカーが決意を滲ませる。
「まだ時間はある! ロックの言う通りだ。春までは時間は稼げるし、春までに戦力をかき集めればいい。ここは俺たちの街だ!」
ウォーカーが立ち上がって後ろを振り返り家臣、部下たちに指示を出し始める。オーサーも立ち上がった。
ようやく俺から視線を外したか。カシムと目が合うと、青い顔のままニヤリとしてきた。お前みたいに視野が広いヤツも欲しいんだけどな。やっぱりロイドが手放さないだろう。
「ユーリ、セーラたちから目を離すな」
「はっ」
「ただな、出て行こうとするのを止める権利が俺にあるとは思えんがな」
無力感に襲われながらソファーに身体を沈めた。




