第211話 セーラ
「ははっ! 直ちに!」
礼もそこそこに出口へと向かうユーリが「馬車を回せ!」と大きな声を出していた。
「ロック、お前、なにするつもりだ」
ウォーカーが身を乗り出す。もうすっかり酒は抜けたみたいだ。
「俺は俺の家族が平穏無事に生活できるようにと願っているだけです。その思いの前では何もかもが霧散します」
「伝えるのか? セイレイン様に」
お前の家族は間もなく殺されるかもしれないし、故郷そのものが灰になるだろうと。
「早いか遅いかの違いだけでしょう」
全員が「それはそうだけど」という顔をしている。誰もその死の宣告者役をやりたくないんだね。安心しろ。そういう嫌われ役は部外者の俺の役目だ。
「俺なら早い方がいい」
何人もが目を逸らした。同意の印だ。
スタッフが暖かい飲み物を配り始めた。俺はカフェオレを選んだ。
「ん? なんだ、ロック、その茶色い飲み物は」
紅茶を持ったウォーカーが興味を示した。
「コーヒーに牛乳を混ぜたものです。好きなんですよ」
「へー。俺も飲んでみようかな」
なんにでも興味を持って試すヤツは好きだぞ。
「牛乳を混ぜるだぁ? そういうのは女子供がやることだろうよ」
思いっきりアウトな発言のオーサー。さすが野蛮人の国。常識人だって言ったことは取り消そう。ただ、まぁ、そう言うオーサーは小指を立てながら紅茶を飲んでるんだけどね。
「お? お? 美味いんじゃないかこれ?」
ウォーカーが味わうように飲んでいる。
「それ、砂糖入れて甘くしてもいいですよ」
すかさず女中がウォーカーの元に角砂糖を入れた新しいカフェオレを持って行く。ちなみに砂糖は超贅沢品だ。中間基地か北部山間部でこっそり甜菜を栽培予定なのでそうすれば安定供給出来るはずだ。
「お! うっま! これうっま!」
「コーヒーの眠気覚ましと砂糖で思考力の活性化にもなりますね。効果はほんの少しですけどね」
「いや! 美味いぞ! これは帰ったら家族にも教えてやらんとな!」
「カフェオレに合う豆とレシピを渡しておきますよ」
ライラが別の女中に耳打ちで指示を飛ばす。
「ふーん。家族に、な。だったら俺もちょっと試させてもらうかな」
「砂糖ありとなしの両方試してお好みで」
オーサーも落ちた。こいつらチョロい。
優秀で美しい女中たちのお陰で一気に緊張がほぐれた。お茶請けに砂糖をふんだんに使った焼き菓子も供される。紅茶にも合うしね。
そして、細かく説明を入れる女中の魅力にやられる野郎ども。その娘たち、死線を超えた百戦錬磨だから。俺も最近気付いたけど、ある意味『最高級娼館 一夜の夢』出身者とタメ張れるからね? 遊んでるつもりが指一本触れる前に全てを失くすことになりかねないからな? 口説いちゃダメだよ。たぶんそれやると生き地獄が待ってるからね。
ちなみにライラがいてもお構いなしに彼女たちは俺に近付いてくる。もうそれは義務であるかのように。もちろん、俺は手は出さない。口は出すけど。そしてそんな強かな女戦士である女中たちの中でもライラはすべてが突出している。容姿も所作も何もかもが。最近ではそれに色香が加わりつつある。
ところが、不思議なことに俺の妻たる四人の女性が来るとそんなライラでさえ控えに回る。四人の存在感がそれほど突出しているからだ。
後ろに控えるライラとフワリフワリと男たちの間を舞う女中たちを見比べながら、この世界で本当に強いのは男と女のどっちなんだろう、などと、とりとめもないことを考えていた。
俺を見つめていたライラの視線がふっと外れた。
目線を上げるとユーリがホールに入ってくるところだった。すぐ後ろに付いて来る者がいる。ああ、あれもまたモノが違うな。
軽くウェーブの掛かった輝く金色の髪。ピシリと伸びた背筋。頭の位置は変わらずそれでいて自然体で歩く姿が美しい。どこを見ているのかわかるようでわからない瞳もまたその美しい髪と同じく金色だ。白磁のような肌は屋外作業とは無縁の人生であったことが一目でわかる。この国で最も尊いとされる瞳と髪の色。俺とは真逆の人生が約束された人物。今それが見事なまでに逆転した。
歳の頃はまだ成人になり立てという感じか。派手なデザインではない服だが、彼女のプロポーションの良さを誤魔化すことはまったく出来ていなかった。幼さの残る顔立ちとのギャップが煽情的だ。
ホールの中が今日何度目かの沈黙の霧に包まれる。全ての男たちの視線がユーリの後に続く高貴なる金色の女性に注がれる。
男たちはその輝きを見た瞬間、起立し姿勢を正し首を垂れる。
ウォーカーとオーサーが席を立ち頭を下げて彼女を迎え入れる。
ユーリが俺の近くで歩みを止めた。
「ラグナロク様、ご指示に従いまして、経理部門、新入商会員のセーラを呼んで参りました」
ユーリがスっと横に退く。セーラと紹介された美しく派手な少女は一歩前に出る。その瞳にこの場に来て初めて困惑の色が現れた。
どう見ても高位貴族のウォーカーとオーサーが頭を下げたままの中、このホールの中でただひとり、ソファーに足を組んで座ったまま立ち上がろうとしない黒目黒髪の美少女が目の前にいる。しかもユーリに様付けされていた。名前はなんと言ったか? この娘は誰? この見慣れない、皇帝でさえ着ていないであろう荘厳な軍服はなに? 不意打ちは成功したかな。
金色の瞳が困惑に揺れていた。しかし、社交を習得した者の習性で自然と言葉が出て来る。
「お初にお目に掛ります。本日よりモールでの経理を仰せつかりましたセーラでございます」
計算でやってるなら褒めるけど、深々と頭を下げるから胸元が開いて豊満な谷間が見えちゃってるよ。普段やったことのない所作だから油断したのかな?
これがこの国の侯爵令嬢か。すごいな。自分の役割を演じることが出来るのか。今は平民の雇われ人を演じねばならないがどこまで理解できているのかな。
「セーラ、長旅で疲れているところ呼び出して悪かったね。まずは自己紹介をしよう。俺の名前はラグナロク・シリウスという。先ほど家名口上してシリウス姓を名乗っている。ところで俺には婚約者がいてね。いい機会なので今日から彼女たちもシリウス姓になったんだ」
彼女の瞳の中の困惑の色が濃くなる。
「あぁそうか。俺はこう見えて男なんだよ。そう。シリウス姓を名乗ったことで『偏西風商会』は今日から『天狼商会』となった。名誉会長のシェリルがシェリル・シリウスとなったのでね、ややこしいから商会内では姓ではなく引き続き名前で呼んでもらっている。ここまでよろしいか?」
「はい。ラグナロク様。ところで、ラグナロク様のお名前は今まで聞き及んだことが御座いませんでしたが、商会とご関係があるお方と考えてよろしいのでしょうか」
頭の良い子だ。商会と関係が無いなら俺と話す必要も偉そうにされる謂れも無いのだから。
ちらりとユーリを見る。
「セーラよ。ラグナロク様のお名前はこの世のどこにも出ていない。これからもしばらくは表に出ることは無いだろう。だが、シリウス商会はラグナロク様の指示には無条件で全て従う。否はない。これを知らぬ者はシリウス商会にはいない」
「かしこまりました。ではそのように」
頭は下げない。しかし、それでいい。今の会話に頭を下げなければならない部分はなかったから。
物静かな印象を受けるが、この芯の通り方から、果たして彼女の本当の姿がどこにあるのかと興味を引かれ始めていた。
その反面、仮面の下の素顔を見てみたいと思わせること自体が仕掛けられた罠な気がした。




