第209話 思惑
ふと左肩に手が置かれた。オルカがソファーの背もたれに座り長い脚を組んでいる。俺のすぐ隣にスリットから覗く艶めかしい太腿があった。うん、この数か月でずいぶんと健康的になったね。だが、いつそこに座った? まったく気付かなかった。左肩に置かれた手にもまったく体重が掛かっていない。そのくせいつでもどこにでも飛び出して行きそうな張り詰めた弦のような緊張も感じる。
「ラグナロク様、本日の入会希望者の試験の結果をお伝えに参りました」
ユーリが俺の元に来て静かに告げる。わざわざウォーカーたちのいる前で声に出すということは、ここで言っても大丈夫だということで結果は見えてるが、こういうのはもう様式美みたいなものだ。
「構わない。話せ」
「はい。本日、セーラと名乗る十五歳の少女がひとりで商会本部を訪れ、入会を希望いたしました。受付にいた者は彼女の立ち居振る舞いから試験を受けるに相応しいと判断、結果圧倒的好成績にて合格となりました。が、あまりの好成績を不審に思った担当者が最終的な入会判断を保留し、急遽、私が呼ばれて面談を行いました。結果は合格なのですが、懸念も御座います。身元が判然としません」
そりゃそうだ。隠してるんだから。バレバレだけど。そういう意味ではここでのこの会話自体が茶番だけどね。
「身元が判然としない以上、組織中枢の仕事に就かせるわけにはいかない旨を通達したところ、働けるのであればなんでも構わないとのことでした」
ほう? ずいぶんと殊勝な物言いじゃないか。
「であれば、ということでモールの経理にという契約となりました。本日よりモール内の寮にて暮らすことになります」
「そうか。長旅で疲れているだろう。まずはしっかりと休ませ、少しずつ仕事に慣れさせればいい。注視してやれ」
様子見で働かせて中枢には近づけるな、報告はこまめにという意味だ。
「はっ」
立ち去ろうとしないユーリに声を掛ける。
「言いたいことは早めに言った方がいいぞ。時は待たん」
「はい。少々気になることが二点。まず、『再生の大地』への入隊希望で腕の立つ者が現れました。『再生の大地』の入隊は外部の者には門戸が開かれていないと知ると、教官職はどうかと言ってきたそうでして。それではとテストを施したところ、シルバークラス以上に勝ちました。三連勝です」
バリウスやスティングのパーティー『蒼い月』はじめ、組織上位の者は式典のためここにいる。とはいえ、銀等級の冒険者相手に三連勝はなかなか出来るものではない。
「へー、逸材だねぇ。望んでも手に入るものじゃない」
「はい。そちらも指示を出して契約を結びました」
ウチの組織の契約は、最短一ヶ月からだ。長期の契約は信頼と実績がなければ叶わない。
「もう一点のご報告は、ハウスメイドの希望です。こちらは完全に私の裁量の範疇を逸脱しておりますので、後ほどオズワルドから説明があります。私から報告に上がったのは、彼女もまた、只者ではないであろうことが推察出来たからです」
「なるほどね。ということでこの街に来たのは今のところ三人ってことだな。まぁ、あとひとりぐらいいてもおかしくなかったが、隠れる理由も無いからな。三人で間違いないだろう。ご苦労。忙しくないならここに座って話し相手になってくれ」
「はっ。それでは失礼致します」
客人に向かって礼をしてソファーに背を伸ばして浅く腰掛ける。ウォーカー達、高位貴族の前で座らされて、本来なら誰もが恐怖に慄き、食事を楽しむなど不可能だ。ユーリは仕事で呼び出された分を取り戻そうとするかのように給仕スタッフに料理を持って来させ酒を飲み始めた。今日は新たなる主人の門出の日だ。楽しく過ごしたという記憶が必要なのだろう。
そんなユーリを見てウォーカーたちもどう扱っていいか決めあぐねていた。ユーリは冒険者でもないのだ。ただの商会の番頭にしては何か変だと思ってそうだな。それ、正解! こいつの中身はね、商人でも冒険者でもないから。生粋の軍人なんだよね。しかも乱世向きの。
「ははは。そんなに慌てて取り戻そうとしなくても、めでたい宴を早々に切り上げるつもりはないから安心してよ」
「えっ? おわり? お前たち、それで終わりなのか?」
ウォーカーが変な事を言い出した。なんだろう? 何を焦ってんだ? 俺とユーリが平然と見返してたら教えてくれた。
「いや、あのな、もっとこう、気になるところとか知りたくなるところがあるだろ? 俺たちのことは気にしなくていいんだぞ」
ユーリと顔を見合わせる。
「えっと、気になるところとは?」
「どんな顔だったとか服装だったとか、どこから来たとか、名前とか、いろいろあるだろ?」
ハラスメントのオンパレードだな! さすが遅れた文明社会人。そして野蛮な冒険者め。お前をトップに据えておいていいのか疑わしくなってくるぞ?
「経理も武術師範も容姿なんかどうでもいいじゃないですか。見た目で能力に優劣が生まれるわけでもないでしょうに」
「おま、いや、それは正論だが、この場合はちょっと違うっていうか」
「ウォーカー、たしかにロックの言う通りだ。それは気にしても仕方ないだろう。俺は今、ロックの言うことに新たな気付きを得たぞ。それは大変興味深い。真似ていこう」
右頬に白い大傷のある顔面凶器のおっさんがたまに常識人で困る。見た目のギャップに笑いそうになる。『スカーフェイス』の二つ名持ちの、このナチュラルボーン前衛職が有名人なのは、この理性のお陰だろう。さぞかし現役時代は冒険者ギルド内が面白いことになってそうだ。
「うーむ。それはまあそうだが。気になるだろうが。そんなに仕事出来るなら」
「まあ、必要があれば会うし、会ったところで俺に出来ることは特にないし、容姿に関しては俺の管轄じゃないしなぁ。事務職に容姿は採用基準として含まれていないから」
「お前さん自身はそりゃ容姿に寛大なのもわからなくはないがな。だが、ハウスメイドなら会わなきゃだろ」
「いや、無理ですよ。どこの誰かもわからない人をメイドで雇うことは絶対に無いです。ウォーカーさんのところだってそうでしょ? 家令が呼ばれたって言ってもたぶんまだ会ってもいないはずだし、おそらく希望者はなんだかんだ理由を付けてこのあと尋問でしょう。怪し過ぎるもの」
「いやいやいや、今回はそれはちょっと違うんじゃないか?」
「あのー、ちょっと意見の相違というか、ですね。俺は誰とも仲良くも敵対もするつもりが無いんですけど? なんで見ず知らず、というか事情抱えた特級でヤバいやつの味方をしなきゃならないんですか? これ、ウチじゃなくてそっちで面倒見てもらった方がよさそうですね」
俺を巻き込んで味方にしたいってことなら全力で拒否したいね。そういう政治的な背景や打算がある奴は全否定するんだが?
今回、二人を雇うことにしたのは、単に実力を買っただけだ。本人達が素性を隠そうとした事が一番大きい。いざという時に「知らなかった」が通じるからだ。
だが、メイドが女中希望はダメだ。商家だから素性を隠して入り込めると思ったのかもしれないが、俺はこの世界の貴族以上のモラルがある。素性のわからない人間を身内のそばに置くならそれこそ奴隷化しておかないと無理だ。そして、俺の身近にいる奴隷は犯罪奴隷しかいない。
今回でいうならせいぜいが貴族向け店舗の店員か、バックヤードの教師からスタートだろう。これはもう女中としてどれだけ優秀かは関係が無い。怪しいからダメ、なのだ。
「それは、そう、だな」
「ちなみに俺が政争や戦争に巻き込まれたら相手から全部奪います。全部です。首魁は真っ先に殺します。戦争に正々堂々なんてありません。暗殺は最高の戦術です。卑怯とかじゃないです。それが民草への被害が一番小さい。この世界の権力構造ならこれが最善です」
焼き鳥片手に軽く言ったが、これは宣言だ。だが、効果は絶大だ。なぜならゲットーとデミトリーの時に既にそれをやっている者の言葉だったからだ。
大戦力を並べての消耗戦とかいうのは性にも合わない。静かに背後に忍び寄って声も掛けずに終わらせるのが俺の理想のやり方だ。
俺の肩に置かれたオルカの手に力が入った。手を重ねると体温が上がっているのがわかった。ゲットーの時か? デミトリーの時か? 野生を解き放った時のことを思い出したのかな?
「ふふっ。『触れ得ざる者』に触ろうとするなら死が訪れ、全てを失うのは仕方のないことですのにね」
オルカは静かにそう言って俺の首に手を回し頬の匂いを嗅ぐように顔を近付けて触れるか触れないかの口づけをすると不意に離れていった。
何処に行くのかはわからないが気が向いたらまたすぐに戻って来るだろう。
ウォーカーたちの近くに座る側仕えたちの顔色が悪くなる。俺の言葉かオルカの言に思うところがあるのかもしれない。
俺に悪い意味で関わると良くない結果になることをよく思い出せ。ゲットーとデミトリーは数日で全てを失ったぞ。
「ロック、何か知っているのですか? 知っているのなら教えてくれませんか」
今まで一言も何も言わずにいた『誓いの剣』の金髪碧眼の二枚目が口を開いた。
しかし、今までの会話のどこをどうしたらそんな結論になるんだ?
「なにがですか?」
「わからないのです。あなたが見えているモノがどこまでのものなのか。少なくとも私にはまだ見えません」
「うーん。先になぜそう思ったのか教えてください」
ソニーは顎に指を当てて考えながら答えた。
「あなたの行動原理はなんとなく理解出来ました。それは私にはとても尊く、ある意味、理想にも思えます。いや、それは私の願望かもしれない。そしてそれは、我々のような者が求めて止まないある人物への理想像に近いと感じます。非常に魅力的で、同時に危険です」
そう言って困ったような笑顔を見せた。
要するに、自分が仕える主人として相応しいと言ってくれたわけだ。自分の主人もそうあってくれれば、いや、ならばいっそ鞍替えしてしまえば。みたいなことだろう。出来ないしやらないけどね、と言ったのかな。
「あなたは来るべき可能性の未来を想定して対応しています。もちろん、それは誰もが無意識でやっていることですが、あなたのそれは遥か先のことを想定しているし、具体的に過ぎる気がします」
俺には見えているけど自分には見えていない。俺しか知っていないことがあるとしか思えないってことね。
いやー、すげーなこいつ。他人に対してそんなの俺に思い付けるかな? 完全に参謀タイプだな。ユーリが感心してるぞ。しかも、俺に敵対しようという意思が欠如している。だから素直に教えてくれって言えるんだろう。面白いな。お前、欲しいな。ロイドが譲ってくれないだろうけど。
「そんなに褒められると嬉しくなっちゃうなぁ。でも別に特別なことじゃないよ。たまたま俺には力があるだけだよ。組織という名前のね。商売は情報戦だから。いつ何処に行けば安く仕入れられるのか。あるいは高く売れるのか」
これはソニーと俺とのディスカッションだ。知識の披露ではない。討論しているのだ。この世界においては、ほどよく知的好奇心を満たしてくれる相手は貴重だ。
「まず断っておくと、その情報がまるで足りていない。だから全ては俺の妄想だ」
ライラがスパークリングの果実水を手渡してくる。美味い。刺激を受けて頭の中を悪巧みが駆け巡り始めた。




