第194話 後悔しないで
「ん? ここって二階にも店があるの?」
サリアが吹き上げの天井の左右を見上げていた。後方から付いて来ているユーリが静かに応える。
「はい、サリア様。二階は一階のこの区域としましては若干お買い求めやすい価格の店舗が並んでおります」
「ふーん。金持ちは階段を歩かせないっていうことね。おもしろいわね。見栄を張った馬鹿な金持ちに高い買い物をさせて自尊心までくすぐるのね」
舌なめずりしそうに楽し気にサリアが俺の肩を持つ。
「人聞きが悪いなぁ。お客様の手を煩わせないようにするためのちょっとした好意だよ。あとね、若い人向けのお店も二階にしてあるんだよ。デザインとか色とか値段をね」
「好意ねぇん。悪意の間違いでしょお。安いものしか買えないから二階へ上がるんじゃなくて、若者向けのものが欲しいんですよっていう顔で堂々と階段を駆けあがる若い貴族の姿が思い浮かぶじゃないの」
やっぱりサリアはおもしろい。視野が広いな。でも俺みたいに意地が悪くないからやろうっていう発想が出てこないんだ。かわいい。
店の取り扱い品の説明を受けて歩き続けると雰囲気が変わってきた。
「ここからは飲食をお楽しみいただけます」
飲食店街だ。ここも高級店だ。カフェから始まってしっかりしたコース料理店まである。カフェテリアは無い。
「ふーん。ずいぶんとお高く止まっているのね」
「ここは貴族街だからね。食べ歩きとかしない、給仕のいる店だよ。ここまでの道もね、まずは右側だけとか、左側だけとかの店を歩くんだ。飲食をしたければここで休憩。戻りは来た時と逆側を見ながら帰るんだよ」
「でもさー、貴族って歩くのも面倒だって言う面倒くさがりもいるわよね」
キュロスがナチュラルに馬鹿にした言い方をした。
「それはね、もうひとつ上のハイクラスを用意しているんだよね。最初は貴族は全員ここから入れる。例外はない。そして、ここで基準値以上の買い物した人だけハイクラスに入れるようにする。有効期限は一年間。権利を得てからまた一年以内に基準額を使えばその日からまた一年延長。そういう仕組みだね」
それを聞いてキュロスが「あっはっはっは」と笑った。
「なるほど。見栄を張るために毎年金を落とし続ける仕組みなのね。それで? そのハイクラスはどういうサービスなの?」
「そうだな。先にハイクラスを見るのもいいかな。とりあえず昼を食べてからにしようか」
「みなさま、こちらへどうぞ。お席をご用意しております」
カレンの案内で奥の店にみんなで入る。今日は視察で貸し切りにしている。俺はみんなと離れてユーリとふたりきりだ。ライラだけが俺の後方に控える。俺の分だけは店の給仕から全てカレン経由で配膳される。一見、毒を警戒する措置に見えるが、完全にライラの我儘だ。
最初に持って来られたのは、新鮮な葉野菜をキレイに薄い陶器の器に盛りつけた生野菜のサラダだ。ドレッシング三種類とマヨネーズと塩二種類が並べられる。爽やかな酸味のプラムのドレッシングを指差すとライラが丸いスプーンで掬って回し掛けしてくれた。俺の好みに合わせたジャストな分量に頬が緩む。器に振れるとひんやりとしていた。早くガラスの器を使えるようにしたい。
向こうのテーブルでも生野菜に関して意見交換が活発化しているみたいだ。あっちでみんなの反応見ながら食べたかったなぁ。俺、仕事の仕方間違えてないか?
「さて、ロック様が森に行かれて数日後のことですが、『黄金の壺商会』というところがかなり露骨にウチに対して敵対行動を取って参りました」
「ああ、森に入って二日目か三日目に揉めたやつだな。殺せと命じた気がするけど」
野菜のシャキシャキとした歯触りが気持ちいい。新鮮だ。ついつい笑顔になってしまう。俺の頭の中にはスーパーで買って来た野菜を冷蔵庫から取り出して作ったサラダが連想されていた。あるいは有機栽培にこだわったイタリアンレストランの前菜か。
「申し訳ありません。まだ手を下せていません」
「はははは。ユーリは商売人なんだから。嫌だなぁ、真に受けてもらっちゃ」
全部冗談半分だ。ユーリもわかっている。大人同士の馬鹿話だ。
みんなのいるテーブルでざわつきがあった。俺の目の前にもライラがそれを置く。黄金色に透き通ったスープだ。具材は何もない。
「いい色だね」
ユーリと共にスプーンで掬って味わう。コンソメスープだ。これはこの国にはまだなかった料理だ。給仕したライラが不思議そうな目で見ている。
「ライラ、これは君も知っておくべきだろう。『夕暮れの泉亭』で出るようになるのはもう少しあとになる。まだ教えていないからね」
追加のスープを頼むとすぐに用意された。ライラ自らテーブルに置くと静かに席に座った。目礼をするとそのままスープを飲む。三人で静かにスープを味わう。なんとも贅沢な味と時間だ。飲み終わるとライラは立ち上がって再び給仕に戻った。ライラは奴隷ではないが、主と同席でスープを飲むメイドはいない。関係ない。俺がそうしろと言ったのだから。その全てをユーリが楽しそうに見ている。
「ロック様」
ライラが声を掛けてくる。
「なに?」
「今のスープはなんですか」
「ちなみにライラはどう感じた?」
「よくわかりません。何も入っていないのに味が複雑過ぎます。肉と野菜をどう溶かせばあのようになるのですか」
まるで科学実験か毒殺用の教材でも目にしたかのような感想だ。だが、その推察は全て正しい。正しい素質がまっすぐ殺しに向かって咲いたのがこの少女だ。ユーリはおもしろそうにライラを見ている。この娘はやらないからな?
「洞察は正しい。これはこの国にはない調理法だからわからなくて当然だ。でも、ライラなら思いつく方法かな?」
「え? 煮出した?」
早い。ユーリが賞賛の表情になった。場所が違えば拍手してそうだ。毒の抽出のことを暗示したことを早々に推察から導き出した。
「正解! どうだ、ユーリ。ライラが欲しくなるだろう。やらないけどな!」
「優秀過ぎて私では持て余すし、彼女も私の下では物足りないでしょう」
にこやかに謙遜する出来る大人。
「ライラ、正解だよ。沸騰させるギリギリの加減でゆっくり時間を掛けるんだ。時間を掛けて贅沢な食材を使って煮出す。様々な食材で似たようなことが出来る。向き不向きもある。その無限の組み合わせと分量の中から正解を導き出して、正しい順序と方法と時間で抽出するんだ。これは肉も一緒に抽出したコンソメだけど、もちろん野菜のみでも出来る」
ユーリが堪らず言葉を継ぐ。
「これは門外不出ですね。また、教えたところで似たものにしかならないでしょう。そして、教えた人物より良いものが出来上がる可能性も残している。そう考えるとなんとも不可思議な気持ちになります」
「頭の良い人に飲んでもらいたいものだよね」
食事は続くが時間は有限だ。特にユーリといる時は。だが! この奇跡の瞬間をおっさんとだけ分かち合うのはどう考えてもおかしい!
「ユーリ、悪いがやっぱり仕事は無理だ。俺は彼女たちとこの瞬間を逃したことを一生後悔して生きたくはない!」
「はっはっは。もちろんです。ご随意に。マイマスター」
席を蹴るように立つと家族の元へ走る。シェリルとオルカの間は空けてあった。
「よいしょーい!」
「おかえりなさい。ロック」
シェリルに笑顔で迎えられる。




