第186話 朝風呂?
鳥の声で目が覚める気持ちの良い朝だった。上空に張られたネットに寝転ぶと、初夏の今は最高に涼しくて気持ちいい。この地方は湿度が低くて元日本人の俺には快適そのものだ。そして隣にはシェリルがいて、そうなると当然俺の方があとに目覚める毎度のパターン。いや、この安心感というか抱擁感というか母性感というか、とにかく抗える男はいないって。
「おはよう。昨日は一番早く起きれたと思ったのになぁ。今日は一番最後か」
「おはよう。そうね、ずいぶんよく寝ていたわよ」
なんか恥ずかしい。まだまだ子供扱いか。精神年齢が中高生ぐらいに戻ってる感じだ。三ヶ月前、記憶を取り戻した直後は混乱していたことがよくわかる。今世の俺には、ここ最近の五年の戦闘奴隷としての人生しかない。でも、やっぱりそれが俺だったんだ。前世記憶のすっぽ抜けた俺。その俺は狩りで動物を殺すことは平気だ。捌くのも。はっきりいって殺人の禁忌も無い。快楽殺人の気が無かったことにホッとするぐらいだ。
奴隷以外の奴らに喧嘩を売られたら買うんじゃない。ただ相手をするだけだ。で、二度とその気が起きないようにする。精神が折れるまでやり返す。そんな日常を平然と、恨みを持って過ごしていた。
十歳になり、いつ殺人を犯してもおかしくない状況の少年に日本人前世の全ての記憶が流れ込んだ。人格は流れ込んだ気がしない。それはそうだろう。俺は俺なのだから。でも、覚えている。倫理観も平和も安全も安心も。それがいかにこの世界の文明と反りが合わないことか。
転生で人生をやり直し中の俺は中途半端に子供で大人だ。倫理観を修復していいのかどうか悩み中だ。目の前にある美貌を見れば悩みはぶっ飛びそうになる。手を伸ばして触れることを許されていることに現実感が追いつかない。そこに溺れたら俺はきっと今世の俺に支配されて獣になるだけだろう。しかし、きっとそれさえも目の前の美しい女性は大して疑問も持たずに受け入れるだろう。
ありがたい。その簡易な状況が俺を思いとどまらせる。俺は自分の自制心の強さに満足する。そしてこの全てを受け入れてくれる女神のような女性以上に俺と融合する狼の少女がいる。彼女は俺が今世でやりたいことを代わりにやってくれている。それは彼女そのものであり、俺の代わりと思うことは傲慢かもしれないが、もう彼女は俺で俺は彼女だから誰にも何も言わせないし彼女を止めることはできない。俺という彼女がやってくれているから俺はやらなくていい。
キュロスは俺の良心だ。彼女は自由の戦士だ。いつだって自然でいてくれる。それを邪魔する奴は俺が許さない。俺の良心が強く存在してくれていてありがたい。良心が強いなら悪に染まることもなさそうだ。彼女の気高い精神が俺を常に前世の俺へと軌道修正し続けてくれる。
サリアは俺と対等な存在だ。自分の存在を疑いながらも受け入れているが、運命を呪う権利ぐらいはあるだろう。ともすれば孤独になりそうな彼女を繋ぎとめられるのが自分だけなら喜んでその役をもらい受けよう。いや、だれにもそんな美味しい役は渡してやるものか。お互いをこの世でただ一人の対等な存在と思うから気安く憎まれ口も叩き合える。彼女に何を言われても構わないし彼女に言ってはいけないことはない。お互いに本当の意味で禁忌が無いのがサリアだろう。彼女と馬鹿話をしている時の俺が本当の俺なのかもしれない。
彼女たちの王になれるならそうありたい。彼女たちの騎士になれるならそれに勝る誉もない。
「あーあ、せめてあとご、四年早く生まれていればなぁ」
「そう? だったら何が違ったの?」
「それはあんまり声に出して言うことじゃないんだけどね。少なくとも結婚までこんなに待たせることはなかったよ」
遠くで木刀を打ち合う音が聞こえている。きっとサリアはキュロスに言われて虫除け代わりに連れて行かれている。もう少しぐらい二人きりのこの気持ち良い時間を味わってもいいんじゃないか? と思った瞬間、これって浮気なのか? と頭をよぎって飛び起きた。
「急にどうしたの?」
「えっ? いや、なんか急に自分の立ち位置がわからなくなったっていうか」
「いらっしゃい。ひとつあなたに教えてあげるわ。いいこと、褥の中で他の女のことを考えてはダメなのよ?」
柔らかい中にいながらにして心臓が止まるかと思った。そして腑に落ちた。
「シェリル。やっぱりシェリルは最高だよ。俺の知らないことを知ってるのはシェリルだよね」
「そうよ。だからあなたは間違えないわ」
いつでもここに帰って来い。必ず戻れと言われた気がした。それはそうだ。そうでなければ何も許されない。またひとつ前世の自分と今世の俺の意識が一歩進めた気がした。
「ロック。お腹空いた」
すぐ頭上から声がした。柔らかく張りがあるものをどかしながら仰ぎ見るとオルカが枝の上にしゃがんでこっちを見ていた。
「おはようオルカ。ごめんごめん。シェリルがあまりにも気持ちいいいから朝から甘えてしまっていたよ。すぐに朝ごはんにするね」
「うん。おはよう。あとでわたしも気持ちよくしてね」
ものすごく語弊のある言い方をしながら枝から落ちていった。
「うーむ。たぶん膝枕で頭を撫でるぐらいのことを言ってるんだよな」
シェリルがくすくす笑っている。誰よりも経験の無いはずの人が誰よりも思慮深く感じる不思議。
食事の準備をする間にということでお風呂セット【排出】。前回【収納】する時に湯舟に湯を張り直しておいたので、そのままお入りいただけます。キュロスがめっちゃ笑ってた。それを見たサリアが「わたしも入るわ」と言い出したのでサリアは身体だけ軽くシャワー。運動後のオルカとキュロスには頭上からお湯の豪雨を降らせるとこれもえらくウケた。
朝食も【排出】するだけで豪華なものがいくらでも出せるから、今朝はそれにしよう。俺の『手抜き料理』だ。で、結局みんなで朝風呂になった。
湯舟に浸かりながら目の前からシャワーを出す。それを顔に浴びる。おお、なんという気持ちよさ。
「あー、はいはい。あんたってば今度はいったい何を始めたのかしら? どうせそれもわけがわからないけど気持ち良いんでしょ? 早くわたしにやりなさいよ」
最早口が悪いまである。かわいい。
「サリア、気持ちよくしてあげるからきみがこっちにおいで」
頬を上気させながらツンと澄まして湯の中をそっぽを向きつつ泳ぐように近寄って来るが、お尻がぽっかり浮かんでいる姿を見てシェリルもキュロスも笑いを堪えるのに必死だ。
「あー、ちがうちがう。隣じゃなくて正面ね。お座り抱っこでね」
まだ俺もこれを浴びたいから一緒に浴びることにした。サリアは俺とほぼ同じ身長だ。脚を開いて間に座らせる。サリアの背中が俺の胸とくっつく。サリアの右肩にあごを乗せて顔を並べる。
「あン、もう、これなんなのよ」
「俺ももうちょっと浴びたいからガマンしてね。すぐに気持ち良くさせてあげるから」
「……あんた、みんなのいる前だってのにずいぶん強くなったわね。ん? 今朝シェリル姉さんとなんかあったの?」
うわー。女ってこえー。
「いろいろあったからこうなってんだよ。さ、いくよ」
しゃわ~。
「んっ! ん? え? あれ? なにこれ? 水の中なのに、しゃべれる?」
「いや、口の中すぐに水でいっぱいになるよ。ただのきれいなお湯だから飲んでも大丈夫だけど」
「え? 水、浴びてるわよね?」
「バブルシャワーって言うんだ。もう少し泡を細かくしてみよう」
水流の放出時に風魔法を練り込みつつ、昨日の水の出口を細める技術も合わせて水に圧力差を強制的に発生。
風呂に浸かりつつ顔にマイクロバブルを浴び続ける。まるで水中にいるような、なんとも不思議な感覚に全身が包まれていく。サリアの身体から強張りが解けてゆったりともたれかかってくる。力の抜けた身体が徐々に浮かび上がっていく。そっと下から支えると仰向けで浮かび始めたので、湯舟から出ている全身にマイクロバブルシャワーを当てる。
「ロック、なにこれぇ。どこまでがお風呂なの?」
「気持ちいいでしょ。しばらくのんびりしてていいよ」
「ロック、次はあたしね」
すぐ右横で声がした。キュロスだ。いやいや、気付かなかったよ。っていうか近付いて来た時に水面が揺れてない気がするんだよね。
「いいよ、そのまま目を閉じて」
湯舟のヘリに両肘を乗せて無防備にフルオープンで上を向いて目を閉じた。その顔と上半身に向かってマイクロバブルシャワー。
「あはっ。なぁにこれ。お湯が当たってるのに当たってないみたい。すごく小さな泡よね?」
なんでこの大きさのものがわかるんだろう。センサーが敏感すぎて驚くな。
「そう。極限まで小さい空気の泡を混ぜてるんだ」
「へー。おもしろいことするのね。ん~、石鹸で洗ったはずなのになぁ。なんかもっときれいになっていく感じがいいわね」
そう言うとゆっくり湯舟から立ち上がって両手を広げたまま湯舟のへりに腰掛けた。全身に浴びさせろっていうことですね。
サリアと同じように湯から出ている部分全部に掛かるように浴びせる。おっと、魔法なら同時に背中にも当てられるぞ。キュロスは髪も濡れてるから全身同時に浴びせてしまおう。
「はぁ~、最高ね~。朝から汗かいてお風呂入ってこれだもんね~。野営最高」
それを聞いてサリアが笑い始めた。
「ふっ。ふふ、ふふふ」
目を開いて湯舟に座り直す。シャワーを止める。
「そうね、今、野営中だったわ。あー、完全にここがどこだか忘れてたわ。ロック、ありがと。これ、毎晩やってね」
そう言って風呂を上がった。向こう側ではオルカも上がっていて、シェリルがこっちに歩いて来た。キュロスが上がると隣にシェリルが座った。湯舟の中で右手を握られてシェリルは上を向いて目を閉じた。はい、奥様、こちらがマイクロバブルシャワーでございます。
もうすっかり陽は高くなりつつあった。




