第176話 毛皮と羽毛布団
とにかく真冬以外のキャンプ、野営を不快だと言って嫌がる理由、堂々の第一位は『虫』だ。この世界にも虫除けは煙や肌に塗るものなど効果があるものが様々あるが、完全ではないし、面倒で不快だ。そこで冴え渡るのが俺の生活魔法だ。
この数か月、夜な夜な文字の学習と一緒に、サリアに師事して魔法の習得と改良に余念がない。そこで開発したのが『虫除け魔法』だ! 除けるっていうかやってることは殲滅だけど。ヒントは前世にあった誘蛾灯。わざわざ呼び寄せることはしないが、『走査』と同じように自分を中心とした球形をイメージして静電気を纏う。察知した虫がパチっと焼け死ぬ。音がうるさくないように電圧を下げる。虫が動かなくなるまで勝手に無限回当たるチチチチという音が聞こえる。最初にこの空間を作ってしまえばそのエリアにはもう虫はいなくなる。あとはこの空間を『走査』と同じように無意識に常時発動させて維持するだけだ。
「あんた、これなんなのよ。めちゃくちゃ便利じゃないのよ」
とは、サリアの評価。ちょっと時間が掛かったけどサリアも必死になって習得していた。
「これさー。電圧上げておけば対人、対魔獣用の警報装置にも自動迎撃装置にもなるね」
サリアが常時発動のコツを教えてくれたことで『走査』の警報装置が出来た。サリアは昔から『探索』で常時発動を使っていて、冒険者時代の夜に何度も助けられたと言っていた。メンバーに女性がいようがいなかろうが臨時パーティーの男が忍び寄って来て、その度に電撃でぶっ飛ばしていたらしい。パートナーの彼女が寝るのを待って夜中に忍び寄って来てバチッ! とスタンするものだから全員起きて下半身丸出しでしびれてる男を前に女が発狂してそのままパーティー崩壊というのがお決まりのパターンだとか。
常時発動のコツは身体強化と同じだと言われた。無意識下で発動し続けるあの感覚だ。習得に数週間掛かったが、魔法が完成した時にサリアと一緒にみんなの前で発表したらキュロスとオルカにはめっちゃ驚かれた。虫よけと同時に見張りもいらなくなったからね。
トイレと一緒に、夜中に喉が渇いた人が休憩できるように東屋を出しっぱなしにしておく。湯舟を【収納】した台の上を片付けて大きなソファーを置いてまったりしながらブロー中。サリアは順番待ちで帆布生地のサマーベッドに寝そべっている。
「ちょっとぉ。このまま眠れちゃうわよ」
「そうなんだよね。コットと変わらないからね。水平にして枕を置けば簡易ベッドになるんだよね。っていうか今、ロッジを作ってるからね。それが出来たらどこでも平な場所があれば家になるよ」
「もうあんたが何言ってるかわかりたくないけれどわかっちゃったわ。快適すぎてダメだわ。これを野営っていうのやめない? じゃないともう野営できなくなるわよ」
ビールでいい感じになっているキュロスがブローされながら「にゃははは」と笑っている。
「もういいんじゃなーい。あたしはもうロック以外とは野営って言われても断るわよー。あ、でもサリアがいれば快適に過ごせそうね」
「そうなのよね。本当だったら今のわたしも相当に規格外なのよね。見張りなし、虫よけなしで野営できるだけで一生食いっぱぐれないし、大手のクランやパーティーに戦力にならなくても大金で呼ばれるわね」
「昼間は前衛三人に任せっきりだったからね。夜は魔法使いの出番ということで役割分担が出来ていいんじゃない? いいパーティーだと思うよ」
オルカはソファーでシェリルに抱かれてもう寝ていた。
「うふふふ。とっても楽しいわぁ。これが普通じゃないっていうのは私にもわかるけれど、これが私にとって最初の野営になってしまったわね。お屋敷も快適に過ごさせていただいているけれど、自分たちで狩りをして、お料理して、お風呂も入って。不便なはずなのにそうは思わなくて。それはもちろんロックやみんなのお陰だけれど。誰の目も無いことがこんなに自由だなんて知らなかったわ。旅が楽しみね」
シェリルに好評なら問題なし!
「それだわ。皇都への旅よね。あんたが言ってたのってこういうことなのね。食事も寝るのもトイレでさえ安心なら旅先で何を見て何をするのかっていう楽しみしかないじゃない。グランデールどころか国そのものがどうでもいいってこういうことなの?! あんた、とんでもない詐欺師ね! と、いうことは、ロック! 馬車よ! って、そっか、もう発注してあったわね。非常識なやつを」
褒められてるのか貶されてるのか微妙だな。北地区の馬車工房の名店をウォーカーとオーサーの連名の紹介で訪れたのはもう三カ月前だ。街中用、中距離用、長距離用と三種類発注してある。まずは皇都への旅を優先して長距離用からだ。屋敷のお披露目の時に納車される予定だ。内部拡張含めてフルオプションを最優先で作っているところだ。ウォーカーたちに皇都へ行くためのだって言ったらついでに頼むといろいろな届け物などお願いされている。
「なるほどね。あんたにとってはこの野営が見えてたんだものね。長旅に足りないのは足なんだから、この野営のレベルに見合った移動の快適さを求めたのね。そしたらあの馬鹿みたいに豪華な馬車に行きつくわけよね。あんたのいた世界の旅っていったいどうなってたのよ。まったく」
その辺は適当にごまかしておく。知ったところで良い思いはしないよ。ここから皇都までは馬車を使ってのんびり行けばおよそ一か月、急いでも二週間は掛かる。貴族の早馬は緊急時の連絡用に都市毎に専用の馬が常に用意されている。それを乗り潰しながら駆け抜けて行くのだが、それでも移動を日中に限るなら一週間で着けば御の字だ。今度、俺たちが皇都へ行くとなれば二、三か月ほどはグランデールを空けることになる。ひょっとしたらもっと長くなるかもしれない。これを機会に商会の隊商を率いる予定だ。とりあえず皇都との往復までは販路を広げる。
湖に浮かぶ白い月をうっとりと眺めていたサリアのブローも終わった。今夜は白い月だけが出ている。まるで地球の景色のようだが、湖に映る月とで相変わらずのふたつの月の夜だ。
「さあ、明日も早いからそろそろ寝ようか」
最初は俺とサリアで見張り。夜中過ぎにキュロスと交代の予定だが、実際は魔法のおかげで見張りをする必要はない。
キュロスがオルカをお姫様抱っこで網のベッドまで軽々と運び上げる。シェリルを真ん中に左にオルカ、右をキュロスの三人で横になる。網には 草原狼の毛皮が敷いてある。どこにも傷の無い逸品だ。そこに、ふわふわで通気性の良い最高級の角白鵞鳥の白羽毛だけの薄い掛布団を掛ける。
布団を掛けて「おやすみ」と言い合った時にオルカは寝たままだったが、シェリルとキュロスも半分寝ていた。それを見ていたサリアが不思議そうな顔だった。
サリアの待つ上のネットに網を揺らさないようゆっくりと登る。サリアが小声で話し掛けてくる。
「これ、すごいわね。 草原狼なのになんでこんなに感触が良いのよ」
若くて状態の素晴らしい雌の個体を使って、最高の腕を持つ職人に鞣してもらった毛皮だ。スラムギルドの副議長、パーシルとはあの後にもいろいろあった結果の逸品だ。
「いいでしょ。俺も気に入ってるんだよね。さ、横になって」
「横になったら眠くなっちゃうわよ」とか言いながらも大人しく横になるサリア。その上に角白鵞鳥の掛布団をふわり。
「あっ。あんた、これはダメよ。どうりであのふたりが即寝落ちしたわけね。気持ち良過ぎるじゃないのよ。これ、もうウチの寝室でも使いましょうよ」
後ろから抱え込むとサリアが湖に目を向けながらそんなこと言っている。饒舌なのはしゃべっていないと寝てしまうからかもしれない。薄桃色のふわりとした髪からは開発中のリンスの仄かな甘い匂いがする。最近、背の伸びたオルカがサリアの髪に顔が届くようになってから俺に耳打ちしてきたことがあった。
「サリアからいい匂いがするんだよ」って大事な秘密のようにこっそり教えられた時は笑っちゃった。本人には言っちゃいけないよ、言うと恥ずかしがって匂いを嗅がせてもらえなくなるからねと言ったら「わかった」とフンスってなってた。それ以来、オルカがそっとサリアをうしろから抱きしめる機会が増えた。サリアはオルカが自分に懐いたと思ってまんざらではない顔を俺に向けてドヤるのだが、その後ろのオルカが匂いを嗅いで恍惚としているのを見て笑いをこらえて真顔でいるのが辛い。
「ねえ、今あんた、なに考えてるの。なんか変じゃない?」
「いやいや、好きな娘を夜のベッドで抱きしめて変じゃない男なんて男じゃないでしょ。だからこれでいいんだよ」
「うーん。なーんか違う気がするのよねぇ」
そういうことを言う悪い子にはちょっとおしおきが必要か?
白い月はもうほとんど見えない。目の前には綺麗な金に近い黄色の髪がある。俺にしがみつくように眠るキュロスの寝息が静かに聞こえる。七月の上旬、湖畔の夜明けは寒いくらいだ。ほどよく沈むハンモック、毛皮と羽毛にふわりと挟まれるのが生まれて初めての経験なら熟睡しない方がおかしい。俺はなんでこんな早くに目が覚めたんだろう。常時発動している『走査』にも異常はない。キュロスを起こさないように布団を出て網を乗り越え下に落ちる。落ちながらサンダルを履く。東屋で温かい紅茶をカップに注いで湖畔のソファーで朝モヤが漂い始めた湖を見ながらのんびりする。
昨日は森を入ってすぐに魔獣がいた。魔猪と森狼の連携もあった。異常だ。『再生の大地』での訓練と部隊編成を急がせて森への道中と森そのものへの戦力投入を始めたが、まだまだ練度不足だ。肉がたくさん獲れるとはしゃいでいる場合じゃないぞこれ。大量魔獣侵攻ってマジであるんじゃないのか? ウォーカーに聞いたらそういう事例は過去には無いらしい。かといって安心はできないしなぁ。
などと考えても結論は出ないので思索をやめてソファーを収納して湯舟を【排出】する。ドバっと湯を溜めて【収納】で一瞬で裸に。髪が濡れないようにタオルで頭を巻く。サッとシャワーで寝汗を流して湯舟に浸かる。朝もや煙る湖畔という大自然の中で浸かる風呂はまさにプライスレス! この時ばかりは全ての思考を取り除く。ただ、ね。髪を短くしたいなぁ。髪が長いから濡らすの躊躇するんだよなぁ。思考を振り払ったはずなのに気が付いたらこんなくだらないことを考えてた自分がおかしくて笑ってしまった。
「はははは」
「気持ち悪いわねー。なーにひとりで笑ってんのよ」
そう言って後ろから首に手を回してくるのは生意気な第四婦人さん。気持ち悪いなら手なんか回さなきゃいいのにね。振り返らず着ているものを全部【収納】。声も出さずに手を回したままスルりと湯舟に滑り込んで来た。
「今のはもうわかってたわよ」
「いやいや、服を脱がせろっていう心の声が駄々洩れだったよ」
髪が濡れないようにタオルを巻いてあげながらそう言うとニヤリと笑ってご満悦そうだった。俺よりまだ少し背の高いサリアを背中抱っこして湯舟に浸かっていると三々五々みんなが起きてきて全員で朝ぶろを楽しんだ。結論「野営最高」ということだね。
「でもね、皇都への旅は隊商が一緒だからね。ここまで開放的なのは無理だね」
そう言うとみんなが隊商と一緒にいながら風呂に入るにはどうすればいいかの会議を始めた。俺はもうのぼせそうなので上がることにして、東屋で朝ごはんのサンドウィッチ作りを始めた。さて、朝飯を食いながら今日の予定合わせでもしましょうかね。




