第170話 Judgment the Moons I
リビングに戻るとキュロスの長剣の相談は既に終わっていたらしく他の武器を持ち出してこれはこう使うだのなんだので盛り上がっていた。
「あーら、ずいぶんとごゆっくりだったわね。何をしていたのやら」
サリアが横目でわざとらしく煽ってきた。新しくお茶を飲んでいるけど自分で煎れたのかな。
「サリア、安心してよ。サリアの時はもっと時間を掛けるからさ」
サリアの紅茶を飲む手が止まった。相変わらずの打たれ弱さ。かわいい。
「あらぁ。そうしたら私の時はいったいどうなってしまうのでしょうねぇ」
珍しくシェリルからのツッコミが。ついにこの時が! 俺は座っているシェリルの近くに行って手を取ると曇りなき眼を見つめながら静かに宣言する。
「一晩でも二晩でも」
シェリルはにっこり微笑むと満足気にゆっくりと頷いてみせた。負けた。一番その手のことに疎いのに最強。これが生まれながらにして高貴なお方なのでしょうか。そんなアホなやりとりをしている後ろではライラがガイアに呼ばれていた。
「お前さんはこりゃまたえらい難儀なことになっとるな。暗器だらけじゃな。ん~、とりあえず手慰みでこしらえた両刃短剣は持っとけ。ロックよ、お前さんの周りは女子ばかりじゃからなぁ、バカでかいのは合わんし、唯一それが出来そうなキュロスも長剣だしのう。やっぱりお前の刀の知識早よう教えてもろた方が良さそうじゃぞ」
それもそうかもしれないなぁ。そこからはライラにお茶を淹れてもらいながら俺の知る刀の製法をふたりに教授した。肝となる超高純度の鋼である『玉鋼』を砂鉄から、たたら製鉄により作り出すことから始まり、折り返し、冷やし、熱することの繰り返しによって粘り気のあるさらに純度の高い鉄を作り出す製鉄法。芯に柔らかい鉄、外を固い鉄で覆う日本刀独自の工法。ふいごを使い高温まで熱して冷やしてを繰り返して形を整え、硬い刃先を生み出すことで生まれる独特の切れ味。ガイアは新しい知識を得る度に席を立って今にも工房に飛び込みそうだが、尽きぬ新たな技法に興奮しっぱなしだ。ティアナは「くっふっふ」と笑いを噛み殺している。この二人、ちゃんと開発協力できるのか?
念のために食料庫に日持ちのしそうなものや、氷室には肉と氷を入れておく。調味料と塩も置いておく。ちゃんと食えよ? 商会と屋敷の予定地の場所も教えて、発注品の武器、防具を先に納品してから刀開発は始めろと念を押して工房を後にする。心配だなぁ。
外に出るとバリウスに「遅かったな」と呆れられた。
「バリウスたちもご苦労さん。今日はもうここから直接戻ってくれていいよ。屋敷と商会本部とかには既に警備が出てるんだっけ」
「ああ、ユーリから依頼が来てるから心配いらないぜ。追加で順次奴隷化するやつらは誓約書がある程度溜まったらまとめて送るようにしている」
よし、完璧だ。『夕暮れの泉亭』に帰ろう。
宿に戻るとミリィさんがライラを歓迎してくれた。貴族の家とは違うがここはとても居心地が良い。先に夕食をみんなで食べた。俺たちが風呂に入っている間に食べるからと、ライラは給仕に徹していた。本人がそのポジションがいいみたいだから任せよう。
風呂から上がったらみんなでテラスでブローしながらのんびり過ごす。久しぶりにゆったりとした時間だ。なにかを察しているのか誰もが無口だ。みんなを綺麗に丁寧に仕上げる。俺のブローはシェリルが担当だ。今夜は俺のブローが終わっても、最後のサリアのブローが終わるまでシェリルは俺の髪を触り続けていた。背中まである長い髪にももう慣れた。サリアのブローが終わる。可愛く出来たと思う。誰もその場を動こうとしなかった。話しがあると言い出したのは俺だ。
「ライラ。これから家族の話しがある。中で待っていてくれ」
人払いだ。ライラは黙って頭を下げて部屋に戻ると扉を閉めた。森からの風が清涼な夜気を送り込む。サリアがソファーを降りると風に逆らうように裸足のままテラスを歩く。俺はシェリルとオルカの手を取ってキュロスを振り返る。視線の先にはテラスから落ちて居なくなってしまいそうなサリアが見える。彼女は孤高だ。時々、ふいに居なくなってしまいそうに見える。白と青の月に照らされ、テラスにはみんなの影が色濃く出ていた。
いつかオルカが地平線を見て動けなくなった椅子に彼女を座らせる。籐で編まれたゆったりとしたソファーにシェリルを案内する。キュロスに手を伸ばし、シェリルの隣に導く。サリアはテラスの先端で暗い森のシルエットを見ているのか。どこにも行ってしまわないようにサリアの腕を引いて抱き寄せる。そのまま座っているみんなの顔が見えるよう振り返る。サリアは俺の右肩にあごを当てたまま森を見ているのか目を閉じているのか。俺の肩を掴む力の強さと鼓動に勇気をもらう。
「まず、みんなにお礼を言いたい。みんなと出会ってまだ十日間ほどしか経っていないんだよね。あっという間だったし、とても長い期間だったようにも思う。なにもなかった、いや、憎しみしかなかった俺からすべてを取り除き、いろいろなものをくれたことをとても、とても感謝しているんだ。ありがとう。俺を再び人にしてくれたのはみんなの力のおかげだ。だから、みんなのことで俺に出来ることはなんでもするよ。ただ俺がそうしたいだけなんだ。シェリル、オルカ、キュロス、サリア、愛しているよ。とても最低なことを言っていることはわかっている。だから受け入れられなくてもいいんだ。これは俺のわがままだから」
ああ、やっと言える。俺の中が空っぽになる感じがした。現実感が失くなっていく。すべてを失うかもしれないがもう恐怖はない。為すべきことを成した。
「俺はみんなに秘密にしていたことがある。俺は、この世界の人間じゃない。ここではない別の世界で三十年という年月を生きた男の記憶がある。その記憶が蘇ったのが三人がここに呼ばれたあの日の早朝のことだ。明け方にふたつのスキルを授かった時、前世の記憶が蘇った。俺の言動がおかしいのはそのせいだ。俺はただの十歳の子供ではないんだ。中身は三十歳のおっさんだ。そして、この世界で生きた記憶もある。今では前世と今世の俺が混ざり合ってしまって、自分がどこの誰かはよくわからない。今の俺は俺でしかない。だから俺はロックだ。同時に四人もの女性を愛して受け入れて欲しいなんていうことがどんなに非常識で馬鹿げていることかはわかっている。だから、俺はみんなを愛しているけれど、みんなから愛される資格があるとは思っていない。俺はもう大丈夫だ。みんなのお陰で人になれた。ちょっぴり不便なこの世界だけど、全部を壊してやろうとはもう思わないよ。だって、ここはみんなが生きている世界だから。ここにはウォーカーとオーサーもいる。『ウェスタリー商会』と『再生の大地』もある。俺はもう、いつでもみんなの前から消えることが出来る。今まで黙っていてごめんね」
もう、なにも考えられなかった。俺のやれることはやったと思う。十日間、生き抜いた。やれることはやった。やったんだ。
「ロック!」
シェリルが席を立って慌てたように俺とサリアの元に駆け寄るとふたりごと抱きしめた。息が出来るようにやさしくやわらかかった。
「やっぱりあなたは変わった子だわ。でもあなたはあなたでしょう。私を助けてくれた人は誰なのかしら。私にはただの人に見えるわ。それとね、あんまり自慢できることではないのだけれど、私、これでも幼少の頃に貴族教育を受けていますから。本妻だの、第二夫人だの愛人だのというお話しは当たり前なわけでして。ただまぁ、できれば私は本妻になれたらいいなぁとは思っていましたよ。今、その私の願いはこれ以上ないほどの形で成就しようとしています。どうして私がそれを手放せましょうか。貴族の女として生まれ、愛し愛されて生きて行けることなど望むべくもない幸運です。愛を語るのが二度目という端ない女ではございますが。そんな私でも愛してくれるという貴方をどうして愛さずにいられましょうか。残りのお話が終わりましたら私の元に戻ってくださいね。いいですね。貴方が約束したのですよ。私が第一婦人です」
シェリルは軽く口づけをして部屋へと戻って行った。シェリルが扉をノックすると中からライラが開ける。シェリルが部屋に吸い込まれ、ライラはこちらに一礼してまた扉を閉めた。彼女が突然、第一婦人を名乗り出したのはこのためだったのか。俺が居なくなってもいいと思い始めたのを察して、それを引き留めるためだったのか。女性に隠し事は出来ないんだなぁ。
オルカが耳をピンと立て、長いふさふさの尻尾をゆらしながら近付いて来る。艶煌銀青の髪に月光が萌えて煌いている。俺より二歳年上の美しく変貌を遂げた女の子。目の前に立つその女の子の透き通る青灰色の瞳が俺を見下ろす。あれ? 俺、見上げてる? オルカ、背が伸びたのかい? サリアが右腕を広げオルカを招き入れる。左肩にオルカがあごを乗せる。
「ロックはロックよ。わたしはロックのもので、ロックはわたしのもの。わたしたちはいっぴきのけもの」
そう言うとキスされた。あれ? これ、初めて、だよね? オルカは羽のように軽い足取りで部屋に戻っていった。気が付くとキュロスが目の前にいた。
「ロック」
背の高いキュロスもやさしく、だけどはっきりと胸を顔に押し付けるように抱かれた。頭の上から息遣いを感じる。
「あたしね、ロックのこと好きになっちゃったのよねー。最初はね、なーんでこんな子供のことが気になるんだろうって不思議だったのよ。あ、でもそれはね、シェリル姉さんもサリアも同じよ。最初に会ったあの日のことだから。あのあとね、けっこうヤバかったのよね! 初めてケンカになるかと思ったもの。会ったばかりの十歳の男の子の取り合いよ? それやったら女将さんに他のお店に売られちゃうからサリアと一緒に必死で言い返すの我慢したのよね。ロックがあたしのことも愛してくれてるから問題ないわ。そうじゃなかったら最初に呼んだのがシェリル姉さんだったことでウォーカーさんを恨むところだったわね! ロック、あなたを愛しているのはあたしを助け出してくれたからじゃないわ。あたしの方が先に貴方を愛していたから! それだけは覚えておきなさい」
そう言って濃厚なのをされた。途中でサリアがキュロスを押し退けようとしていたがキュロスはビクともしなかった。もちろん、キュロスに抱き竦められている俺もピクリとも動けるはずがなかった。たぶん、俺のファーストキスはキュロスに奪われたってことだ。たっぷり一分ほど愛されてからやっとキュロスが離れた。俺は呼吸困難を起こしかけていたが、キュロスはまったく平気そうだった。身体的な強さではまったく歯が立たないことをまざまざと思い知らされた。押し倒されたら抵抗できないってことだなこれ。
キュロスは「あ~あ、続きは五年後かぁ~」と言いながら歩み去った。サリアが呻いた。
「あンの女、なんていう強引な。まさかとんだ伏兵がいたものね」
「うーん、びっくりしたなぁ」
すぐ隣にサリアがいるが、二人きりになったことを自覚したのか、スっと離れていった。テラスを軽く蹴っただけに見えたのにふわりと身長より高い防柱の上に飛び乗った。それはテラスで隠れながら弓を撃ち下すために設置されたものだ。飛び乗った時にガウンの紐が解けて森からの夜風に裾が舞う。
真っ白な裸体が白と青の月の光を浴びてとても綺麗だ。はだけたガウンもそのままに両手を腰に立って俺を見下ろす。挑発も嘲りも無い視線が俺を射抜く。感情は見えない。審判を下すのは彼女だ。俺は判決を言い渡される虜囚に過ぎない。自己弁護の時間はもう使い切った。三人の女性が俺を受け入れてくれたが、サリアに受け入れられなければ意味が無い。俺は四人の女性を等しく愛しているのだ。ひとりでも欠ければ喪失感で自分がどうなってしまうのか、考えることもできないほど恐ろしかった。




