第159話 無自覚
『夕暮れの泉亭』への帰りはオルカとふたり手を繋いで歩いた。ふたつの月が明るくて光源の魔法もいらないほどだ。月明りで地面に影が並ぶ。身体強化を掛けずにただ歩いて帰った。まったく、異世界に来てまでブラックな労働環境かよ。いや、文明が遅れてる方がブラックになるのは当然だよな。奴隷だった五年間の環境を少しだけ思い出して今の幸せを噛み締める。
「そうだ。オルカ疲れたでしょ。おんぶしてあげるよ」
なんとなく思い付きで言ってみたらオルカの耳がピンと立って、フルフル震えるとにっこり笑って「うん!」と言って俺の背中に飛び乗った。オルカにはきっとおんぶなんかされた記憶はないだろう。この、誰かに自分の身を全て委ねる感覚は独特なんだよね。抱っこは恥ずかしいけどおんぶは良い思い出にしかならないだろう。
また森に行きたいねとか、武器を新調しても良さそうだよねとかポツポツと話した。ふっと背中が重くなる。オルカの装備を収納して軽量化したらすごく軽くなったってことは、まだまだオルカ自身が軽いってことだな。でも、一週間前とは比べものにならないほど背中にオルカの身体を感じることができる。ふむふむ。順調な発育ぶりで満足だ。そろそろオルカにはラビット肉メインにしてみようかな。できたら鳥系の魔物を狩りたい。いや、普通にニワトリを買えばいいのか? う~ん、まだ脂肪が足りないかぁ。だったらボアのままでいいかなぁ。新鮮な野菜を手に入れたいけどどうすればいいのかなぁ。できるだけゆっくり、起こさないように帰った。
『夕暮れの泉亭』に帰り着くと警備員が入口に二名立っていた。念のために警戒態勢を解いていないからだな。背中の寝ているオルカを見て警備員は声を出さずに目礼だけして扉を開けてくれた。後ろで扉が閉められた瞬間にサンダルを『排出』して右足を上げてブーツを『収納』してそのままサンダルを履く。反対側も同じようにして一瞬でサンダルに履き替える。上手く履き替えができてニヤリとする。三階の廊下にも警備員がいて、鍵を渡して扉を開けてもらった。
薄暗い部屋に入ってそのまま風呂に直行して脱衣所でふたりの服を全部『収納』して、おんぶをしたまま風呂場に入る。
「オルカ、ウチに着いたよ」
何度か軽くゆすりながら声を掛けると起きたので支えながら背中から降ろして風呂イスに座らせる。半分寝ているところを急いで洗って湯舟に浸かるがオルカが寝てしまう! うーむ。警戒心無さ過ぎでは? ふらふらするオルカを連れて上がってリビングのソファーに座らせてドライヤー魔法! オルカの髪が短くて良かった。すぐに乾いたがもう寝てるねこれ。寝室のドアをそっと開けてからオルカを運び込んでベッドに寝かせるのだが、寝室に入った瞬間にサリアが起きているのがわかった。たぶんキュロスも起きたけど、俺とオルカだとわかってそのまま寝ている。シェリルは目を覚ましていないと思う。俺の髪が濡れたままなので、乾かすために寝室を出るとサリアが着いてきた。
薄暗いリビングのソファーに座るとサリアが隣に座った。
「ねえ、あんたのアレ教えなさいよ。あの温かい風のやつ」
今? まぁ、今から自分に掛けるからついでに教えようか。サリアは魔法の天才だ。たぶん俺と同じで、感覚でわかるはずだ。どうしようかなぁ。自分に魔法を掛けながら教えるってどうするんだ?
「うーん、魔法の流れがわかればいいんだよね。ちょっと俺にくっ付いててくれる?」
後ろに抱き着いたらドライヤー掛けられないし、身体に触るぐらいじゃ流れが掴めない。いろいろ試した結果、あぐらをかいた俺の正面から抱着くしかないということになった。こんな真夜中の薄暗いソファーの上でこんな格好を誰かに見られたら誤解しか生まないな。「まぁ誰も見てないし大丈夫でしょ」と言って髪を乾かす。わかりやすいように魔力をサリアにも流すイメージで温度調節する。目を閉じてサリアと抱き合ったまま風を起こす。サリアの髪にも風を送り、サリアにも魔力を送ろうとするが、布切れが邪魔だ。そうか、邪魔なら『収納』して失くせばいいんだ。実行する。魔力の通りが良くなった。かつてない一体感を感じる。これはわかりやすいぞ。サリアに流したものを受け取って、混ざりあったもので風を起こす。混ざり合って風になった残りにまた俺のものを混ぜてサリアに流し込む。
「髪を乾かすなら、今の時期はこのぐらいで充分かな。これ以上熱い空気だと髪が痛んじゃうからね。どうかな、魔力は感じる? サリア、聞いてる?」
「き、聞いてるし、か、感じてるわよ。ちょっと黙ってなさいよ。そのまま続けてればいいから」
教わる立場でなんと生意気な。でもそこがいい。「はいはい」と返事をしてドライヤーを続ける。抱き合う胸、お腹、脚、腕、手のひらに体温以上の何かを感じる。オルカと森でのハンティングで繋がった感覚に近いものを感じる。こんな世界があるのか。いつからサリアと見つめ合っていたんだ?
オルカよりよっぽど俺の方が髪が長いから乾くのに時間が掛かる。あ、コツがわかったかも? 魔力が混ざって溶けて同じ色に。
「ひぁん」
サリアが変な声を出した。
「ふふっ。サリア変な声。大丈夫?」
「ちょっと驚いただけよ。なんかやるなら先に声掛けなさいよね」
「いや、黙ってろって言われたからね」
いつものように小競り合いをして心地よい時間が流れる。
「うん、もういいわ」
そう言うとサリアが離れた。もう覚えたのか? ドライヤーを止めてサリアを見る。薄暗い部屋でサリアの桃色金剛石の瞳が妖しく揺らめきながら輝く。俺の背後に回る。
「ちょっと試させて」
最初は涼しく優しい風だ。それが少しずつ温かくなる。
「お、いいよサリア、もう少し温かくして。ん~、いいねぇ、温度はそのまま。それでじゅうぶんだよ」
温度が良くなると今度は風量と風向を変え始めた。あー、やっぱりサリアは天才だ。ドライヤーを知らないのに俺の魔法の情報だけでここまで出来るようになっちゃった。
「すごいなぁ。サリアはやっぱり天才だね。へ~、ブローって誰かにやってもらうとこんなに気持ちいいんだ。知らなかったなぁ」
全身に浴びる他人の魔力風。風が当たるたびにそこが直接、優しく触れられているようだ。ぞわりと鳥肌が立つような感覚が押し寄せるが、まったく不快じゃない。サリアに包まれる。なんだこれ。
「そうなのよ。あんた、いつもわたしたちにこれをやってるんだからね。オルカの全身にこれやってたでしょ? ヤバすぎるのよ。やっぱりわかってなかったのね。はぁ、なんでもかんでも無自覚が酷いわね」
うーん、酷いとはこれまた酷い言われよう。俺って他にもなにかやらかしてるのか?
「なんでもかんでもっていうのはなんのことかな? 俺、わかってないかもしれないから、俺が変なことやったら言ってくれていいよ。常識とか誰にも教わってなくて知らないし」
「そーねー。ま、あんたはそのままでいいわ。常識知らずのまま好きにやりなさい」
なんじゃそりゃー。
「えー? でも、俺、酷いんでしょ? 酷いのはマズくなーい?」
「いいのよ。無自覚に好き勝手に酷いこといっぱいしながら生きなさい。そこがあんたの良いところよ。本当にダメな時はわたしたちがちゃんと止めるわよ。四人もいるんだもの。誰かがあんたを止めるわよ」
ダメだ。気持ちよくて、眠くて、サリアの言葉も気持ちよくて何を言われているのか理解できない。
「サリア、おれさ、サリアにいわなきゃいけないだいじなことがあるんだよ、きいてよ」
「なぁに? 怖いわね、って、あんたもう寝てるじゃないのよ」




