第156話 周回
シェリルが頑張ってすべての使用人との契約を終わらせた。イルマとそのチームが作成した契約書は紙面を有効に使って名前がびっちりと入っていた。シェリルの血印の回数を減らすためだ。こんなんで本当に有効なのか? まぁ、左手に契約紋が出ているから問題ないのだろう。
ワイマール家に関わる者の多くが奴隷紋による拘束というシステムによって生き残っていた。これを不幸中の幸いと言っていいのかはわからないが、今回に限っては多くの人にとって良い方向に行く気がする。スラムには仕入れ部門のスタッフも応援として送り込むと同時に、輸送用の荷車も送った。
食堂の一角ではオーサーが派遣してきたサビーネ女史の受難が始まっていた。こちらが希望する土地家屋のリストが出来上がったのだが、俺からしてみても「そんなに所有権を主張するのはやりすぎだろう」という数の物件を寄越せと指定しまくっていた。さすが浪速ではないけど商人だ。優先順位を付けて譲れないものは確保しつつ、その先どこまで追加できるかのチキンレースをやっているようだ。この人たちがまさに囚われ、奴隷とされ、虐げられてきた本人たちだからこそ、だろう。俺の功績の主張だけではなく、彼らの恨みの分も乗っかってこうなっている。
ユーリから物件を検討している時に質問されたので、飲食店と屋台の構想を少し話したのだが、いろいろ拡大解釈されたようだ。商会が直接経営することを考えている商店に関しては、こっそりユーリを誘い出して俺の店舗構想を話したのだが、かなり興奮して「そのような商法が」などと言って興味を持っていたみたいなので、何か考えた末の要求なのだろう。
商業ギルド担当者のサビーネは焦っていた。それはそうだろう。オーサーも優秀な人物を交渉に当てたつもりだろうが、俺程度の知識しかない若造を相手にするならともかく、グランデールで最大、最新のデミトリーの商家で辣腕を振るっていたであろう商人に彼女ひとりで太刀打ちなど出来るわけがない。しかも今はワイマール家唯一の生き残り、超絶美人お嬢様であるシェリルの下での仕事だ。ユーリ無双になるのもしょうがない。しかし、ユーリも事情はわかっているので、ほどほどに交渉の手綱を緩めたりしてサビーネをコントロールしている。追い込み過ぎると許認可の判断がオーサーのところまで上げられてしまうからだ。サビーネを懐柔しつつ、お互いにとって有意義であるように持って行く。銀髪イケオジが結婚相手募集中の小娘相手にそれはヤバいだろ。そもそも俺からすれば二十五歳は『娘』だが、グランデールにおいてはもうすでに行き遅れになっていると言える年齢だ。カレンさんはその十年も前に子供を産んでいるのだ。
こそっとユーリの部下にユーリが既婚者かを確認すると「今は独り身」との回答を得た。彼はテーブルの下で俺に親指を立てて見せた。攻めても良いらしい。
「へー、そこは家族経営のパン屋にでもすると良さそうな物件ですね。この仕事をしてなければ独身のユーリに似合いそうだよね。かわいい奥さんと一緒にパンを焼いて店を切り盛りする姿が目に浮かぶよ」
結婚を夢見始めてしまったサビーネの脳内は桃色に染まったかもしれない。もちろん、ユーリがパン屋になることは絶対にありえない。しかし、そういった「もしも」こそが創造を育む原動力なのだ。薄い本が作られる日は遠くないかもしれないしそんな日は永遠に来ないのかもしれない。
「旦那様、私を商会から追い出したいならはっきり言ってくださってよろしいのですよ」
ユーリは少し困った顔で、それでも軽い調子でそう言った。俺がなんのためにそれを言ったかわかっているからだ。『旦那様』などと言うのはその証だ。まぁ、サビーネの女心を利用してもかわいそうだからね、良い男がいたら紹介してあげるから今回は許して欲しい。とりあえず今上げた物件はウチのものになった。
これ以上この交渉の場にいて余計なことを言うといろいろなところから恨みを買いそうなので邸内の視察に出た。厨房を覗いて料理長のバロッサに挨拶をし、三階まで含めて散策した。冒険者が護衛に就こうとしたのを断ってオルカとふたりで散歩した。シェリルが出掛ける時はキュロスとサリアはシェリルに付けるのが基本だ。
二階、三階の女中や使用人が使っていた部屋をウチの部屋にするべく整理中だった。今まで使っていた屋敷の外にある奴隷用の宿泊施設は銀等級冒険者を中心に利用させる。兵舎も見学したが、約束通り食事など守備兵と同じ待遇であることが確認できた。メシを食っていた元ゲットーファミリーの連中からは、今までより美味いものを腹いっぱい食えて、良い暮らしだと言われた。それに鷹揚に頷く俺。壁際にスティングがいたからだ。きっとこのあと地獄の訓練が待っていることだろう。オルカがそれを察してソワソワしているが、今日はやめとこ? 訓練用の道具を俺が持っていることを思い出して倉庫に入れて置いてやった。スティングに教えると大層喜んでいた。こいつは冒険者じゃなくて軍隊向きなのかもしれないなぁ。大雑把で豪快だが、変にキモイ部分がない。媚びないが陰湿な部分もない。正義感やモラルがもっとこっち寄りに育ってればウォーカーのようになれたのかもしれないな。やはり教育は大事だ。
屋敷を一巡して食堂に戻ると、シェリルたちが我々の屋敷と商会本部などの不動産を馬車を連ねて見に行くという。まだデミトリーの残党が残っている街の治安が不安なので俺も付いて行く。バリウスに声を掛けてパーティーをひとつ護衛に欲しいと言ったら自分たちが着いて行くと言い出したので任せた。
オーサーが作らせていたという市民用ドッグタグが届いていたので、ロイ達の分を載せて行き、視察のあとはそのままゲットー本部でロイたちにタグを配達して『夕暮れの泉亭』に帰ることにした。俺たちのドッグタグも届いていた。貴族街の最奥までノーチェック最優先で出入りが出来る最上位の市民用のタグだ。オーサーとウォーカーのお墨付きというやつだ。ユーリたちは労働者用のタグだが、最奥まで入れる労働階級では最上位のタグになる。奴隷のタグも同様だ。『再生の大地』のメンバーはタグの他に左腕に腕章を巻くように手配した。暗い赤色に黒の線が入っていて、線の本数で階級がわかるようにする。対人戦の時は外すか、裏返すと黒線の無い腕章になるリバーシブル仕様だ。『彩雲の衣』のキプロスに話がいくようにしてある。キプロスには屋台のユニフォームの件も話し合わなければいけないなぁ。
キプロスにはデミトリーのところの最上級のメイド服のことも相談したい。カローネに聞いたところ、奴隷用の女中服と契約女中の服では生地やデザインが違うと言われた。なに? ぜんぜんわからないぞ? 一着出して比べてみた。触ってみると確かに違う。艶、柔らかさ、重さが違うらしい。デザインは言われてみると「あー、なるほどね?」という感想だったが、カローネは「ぜんぜん違いますからぁ!」と強く抗議を受けた。そんなわけであの日侵入したメイドのメイキングルームにメイド服を戻した。カローネが早速着替えて「どうですか!」と見せびらかしに来たが「ホントダーミチガエタヨー!」としか言えなかった。それからほどなくして全員が着替えたらしいが、俺はそれには最後まで気付けなかった。横にいたサリアには「これだからあんたは鈍感なのよ」とか上から目線で言われたから耳元で「そんなに気に入ったんならまた着せてあげるね」と言ったら赤くなって頷いていたのでかわいい服が好きなのは確かなようだった。話を聞いていたオルカが俺の袖を引っ張ったので「今度新しく作る時に用意するよ」と言ったらニッコリ微笑んでいた。デミトリーの家のと同じメイド服じゃあ気分も乗らないからね。抜かりはないのである。ただ、シェリルは既製品サイズだと入らないかもしれないなぁ。
馬車の中には五人の他にサビーネも同乗させている。あまりにもハーレムで石鹸その他のいい匂いが充満する車内にサビーネの顔が引き攣る。な? 無理でしょ? この美貌の集団に入って日常生活が送れるか? どこを見ても現実離れしてるでしょ? サビーネには観光バスならぬ観光馬車の様相で貴族街の説明をしてもらっているのだが、サリアがからかって「お姉さまン」とか言いながら手や足を絡めて遊んでいる。邸宅ではほとんどやることが無くてストレスが溜まっているのかもしれん。俺はサリアを放置した。ガス抜きは必要だ。サビーネには俺を攻略しようとした罰ゲームと思って反省してもらおう。
視察は順調に進んだ。シェリルとユーリの見立てだからね。概ね屋敷は決まった。場所的には貴族街と市民街のほぼ中間層。メインストリートから少し入ったところの宅地用の地域にあるので静かで良い。俺たちは貴族じゃないしこれぐらいの場所で充分だ。デミトリーが何のためにこんな貴族街でもないところにバカでかい屋敷を作ったのかはわからないが、俺たちにはおあつらえ向けだ。と、思ったら『走査』に敷地内の地下やあちこちから隠し部屋っぽい反応が出てきた。軽く調べたけど、さすがに何も残っていなかった。クスリと人身売買かなぁ。建物に関しては風呂とキッチンがちゃんとしていればあとは女性陣にお任せだ。こういうものは男が口を出していいものでもない。
商店の方はいろいろアイデアがある。実際に来てみてさらにイメージが湧いてきた。屋敷のある場所からも近いメインストリート沿いの一等地だ。そこの一区画を丸ごと確保した。一部、別の所有者の土地建物があったので、サビーネに交渉をお願いする。もっと良い場所の物件との交換を申し出るのでうまく行くだろう。
明日は建築系の打合せが決定。鐘四つ(午前十時)が鳴るころに屋敷候補で集合にしてサビーネを護衛付きの馬車で解放した。明日、彼女がひとりで現場に来るか、助っ人を呼ぶかで彼女への今後の待遇を考えることにしよう!
ユーリたちと一緒に馬車を連ねてスラムの買い取り現場に向かって出発した。『ウェスタリー商会』の初仕事やいかに!




