第154話 旦那とお嬢
どうやら今回の我が家の主導権争いは引き分けに終わったらしい。引き分け上等。今後も勝てる気はまったくしない! 使用人の契約書はこのまま締結することになった。これで俺は仮の『旦那様』だ。シェリルはまだ婚約者であって立場的には未婚なので『奥様』ではなく『お嬢様』のままだ。契約上は同等身分だが、俺は生粋の孤児で、彼女は元男爵令嬢。もちろん、俺だけが契約上の主人にも出来るわけだが、それは野暮ってもんでしょ。
ワイマール家は永遠に失われた。いつかウォーカーに言って墓碑を作らせよう。墓の下には何も入らないがそれでも必要なことだろう。ワイマール家だけではない。デミトリーによって失われた無辜の魂の鎮魂の場が必要だ。バーランド伯爵ではなく、ウォーカーに作らせたい。
契約書の血印を押し終わったところでオーサーが声を掛けて来た。
「ロックよ、急ぐことはないが婚姻を結ぶなら家名がないと不便じゃないか? お前は貴族になる気は無いだろうし、商会もクランも代表がお前じゃないのは不可解極まりないんだけどな。成人の時でもまぁいいが、壁の中に家があってお前たち五人で住むんだよな? 使用人のいる屋敷だしなぁ。いろいろ手続きするのに代行者に任せる時もその方が楽だぞ」
家名かぁ。まぁ事務手続きをするのに家名で登録した方が楽なものがあるんだろうなぁ。なにか考えておくか。オーサーにはアドバイスの礼と、考えておく旨を返事した。ただ、シェリルが本当の俺を受け入れてくれるかどうかはまだわからないから、イマイチ話に身が入らない。
ヤリスが自分から注目が外れたこのタイミングで本気を出して処理したので誓約書と契約書が効力を発揮しだした。オズワルドと女中たちの左手に契約紋が浮かんだ。みんな嬉しそうだった。その瞬間、ウォーカーが「ああっ!?」と素っ頓狂な声を上げた。俺はニヤリとした。気付くのが遅かったな! ウォーカーが頭を抱えたのを見てオーサーが怪訝な顔をしている。
「やられたー」
ウォーカーが情けない声を出した。
「これでみんなロックの使用人だ。ロックよ、しばらくはこの屋敷で使用人の皆を貸してはくれないか。もちろん、給金はこちらで色を付けて持つ」
オーサーが苦笑いをしていた。ここ数日の働きにしても彼らに給金は発生していただろうが、契約を結んでいなかったのだ。正式に契約を結んだ俺から使用人を借りるとなれば相場が変わってくる。が、俺はただの孤児という身分だ。ここでもう一押し。
「そうですね。ちなみにシェリルは『ウェスタリー商会』の名誉会長になります。元ワイマール家の商人や使用人をまとめてもらうのに必要な処置だし、これ以上相応しい人事もないでしょう」
突然出来たにしては巨大すぎる商会の名誉会長が個人契約を結ぶ使用人のレンタルに成り上がった。ウォーカーは観念したのか「任せる」とだけ言った。
「オズワルド、そんなわけだからもう少しこの忌まわしい場所で働かせてしまう。最初の仕事がこんな不甲斐ないことで自分の器量の小ささを申し訳なく思うが頼めるだろうか?」
「旦那様、もったいないお言葉でございます。仇敵の邸宅を我が物顔で闊歩出来るというのはこれでなかなか爽快でもあります。楽しくお勤めさせていただきます」
「よろしく頼むよ。それと、俺への呼び掛けはそれが正しいんだろうけど、成人もしていないし、婚約者がいるとはいえ結婚自体はまだずいぶんと先で、まだ家名も無い。名前で呼んでもらったほうが気楽なんだけど不都合があるかな」
「かしこまりました。ロック様、もちろんなんの問題もございません。使用人の皆にもそのように申し伝えておきます」
急に婚約だの結婚だの家名だの言われてもピンと来ない。向こうではアラサーで結婚どころか女っ気も無く仕事に追われるだけの枯れた人生だったし、こっちでは奴隷だった五年の記憶しかない。立ち居振る舞いに戸惑ってばかりだ。たぶん前世の俺より今世の五年間奴隷で冒険者だった俺の方が圧倒的に肝が座ってた。今は中和された俺って感じかな。貴族じゃないんだし何も恥じることはない。俺は俺だ。
シェリルとオズワルドに今から来るワイマール家の生き残りの中に、商会の立地問題に明るい者が居たら物件の候補を当たってもらうようお願いした。屋敷に関してはシェリルとオズワルドに頼んだ。残念ながらワイマール家の邸宅と商会本部はすっかり建て替えられてしまって、本来の姿の物は残っていない。シェリルにはここに残ってやることが出来てしまった。俺はスラムで商会の買い付けをチェックしたいんだよなぁ。
また部屋に伝令が来るとワイマール家の商業部の使用人たちが到着して、既に屋敷内の食堂に案内済みとのことだ。奴隷だった人の人数が多いので、賛意が得られた者はここでしばらく静養に当たることになった。デミトリー絡みの場所で過ごすことが無理な者はウォーカーとオーサーが面倒を見てくれるそうだ。シェリルが居ても立っても居られず、すぐに皆の元へと向かった。シェリルにはサリアとキュロスを付けた。もちろん、オズワルドも同行させた。
ウォーカーとオーサーは大ホールに戻らなければならないので、商業ギルドの不動産担当者を紹介された。驚いたことに担当はサビーネという名の若い女性だった。金髪碧眼の美人で、二十五歳で独身だそうだ。聞いてないけどね。オブライエン家が代々懇意にしている商家の三女で、嫁に行くより独立する仕事の道を選んだんだそうだ。だから聞いてないよ。てか、君はこのまま仕事を続けるよりやっぱりどこかに嫁に行きたいとか思ってないか? 言っておきますがうちはもう満員御礼です。
サビーネには貴族街の概要と大雑把に候補の物件を教授してもらった。邸宅も商家もサビーネが担当してくれるそうだ。物件情報を見て頭の中ではいろいろアイディアが浮かんだが、実際に物件が決まらないことにはなぁ。ただ、邸宅がどこになろうと必ずウォーカーから教えてもらう約束になっている風呂の設置を指示した。これは何を置いても最優先事項だ! そして、施工前に設備についての打合せが必要な旨も申し伝えた。サビーネは今回の仕事を任せられるだけあって不動産や貴族街のグルメ情報に詳しく、話が弾んだ。三十分ほど話し込んでオルカの居眠りが俺の肩から膝枕に移行したころにシェリルから呼び出しが来た。そろそろ落ち着いた頃か。
オルカとサビーネを伴って女中の案内で皆んなの待つ食堂に入ると、シェリル以外の全員が起立して一斉に頭を下げた。
いやぁ、やり過ぎだってば。シェリルが俺のところに来て手を繋いで整列するみんなの前に連れて行かれる。
「みんな、この方が私たちの旦那様のロックよ」
シェリルが紹介するが誰も頭を上げない。俺はみんなの『お嬢』を救い出し、この奇跡の再会を成し遂げた英雄なのだ。そして同時に彼らのことを解放したのも俺だ。
「皆さん、初めまして。どうぞ頭を上げて下さい」
やっとみんなが顔を見せた。
「ロックですよろしくお願いします。まずはみなさん、どうかご着席ください」
そう言うとみんなが戸惑った。まだ奴隷の時の所作が抜けていないのだ。一番前にいた犬耳がかわいい獣人メイドのカローネが笑顔のままさっさと座った。続いてオズワルドが着席。メイドたちが席に着くと商家の使用人たちも三々五々着席しだした。全員が座ったのを確認して声を掛ける。
「みんさん、長く辛いお勤めご苦労様でした。長年皆様を苦しめていたデミトリー・カルチェンコは死にました。私が殺しました。続いてカルチェンコ家を追い詰めるためにウォーカー様とオーサー様を中心に行動を開始しています」
みんなの顔を順に眺める。くやしさに唇を噛む者、目を潤ませる者、闘志に心燃やす者、様々だ。
「すでにお聞き及びだとは思いますが、私はシェリルさんと婚約しています。結婚は私が成人を迎える五年後のことです。みなさんにとってシェリルさんがどれほど大切な人であるかはわかっているつもりです。私はシェリルさんのために出来ることは何でもします。この先、未来永劫、必ず私が守ると誓います。貴族だろうと、皇帝だろうと、どこの誰がどんな強大な軍隊で攻めてこようと必ず私が撃退します。しかし、そんな私ですが、ひとりではどうしようもないことがあります。経済です。その足りていない部分を補うために皆さんのお力を貸してはいただけないでしょうか。すでに商家は立ち上がっています。名を『偏西風商会』といいます。シェリルさんには名誉会長として組織のトップに就いていただきました。お力添えいただける方はここで静養中のいつでも構いませんのでお声がけください。強制はしません。ウォーカー様、オーサー様のところでご希望がある場合はそちらで働いていただくことも可能です。皆さんの将来のお話です。まずはゆっくりと身体を休めていただきながら、じっくりと考えてください。話しが長くなってしまいましたね。失礼しました。カローネ、ちょっと早いけどお昼ご飯はなんだろう? みんなもお腹が空いているんじゃないかな? いっしょに食べようよ」
そう言うとオルカがカローネの手を取って有無を言う間もなく厨房の窓口に歩いて行ってしまった。強引なオルカにカローネが声を出して笑っていた。オズワルドが席を立って皆の方を向く。
「さぁ、使用人の皆は契約に従って仕事です。商業部の皆をお待たせしてはなりませんよ」
使用人たちが「はい」とにこやかに返事をすると楽しそうにテキパキと働き始めた。オルカとカローネがスープの大鍋を運んで来ていた。どうやらビュッフェスタイルの食事になるらしい。いいね。好きな時に来て好きなものを好きなだけ食べられるのだ。そのあとはシェリルと俺もできあがった料理の大皿を運んだ。それを見た商業部の人たちが慌てて飛んで来てシェリルから大皿を取り上げようとしたが、シェリルは「私の仕事を奪ってはダメよ」と笑顔で退けていた。
「私は男爵家のお嬢様ではないのよ。今はこの人の婚約者で商会で働くひとりの女性よ」
弾ける笑顔でそう言い切る女神にどこかぼんやりと現実が受け入れ切れていなかった商業部の面々の目に光が宿ってきた。最初にワイマール家の再興は無いとシェリルが言い切っていた。嫁に行くとも言った。力を貸して欲しいと言われたが、奴隷から解放されたばかりで現実感が湧かず、なにもかもが手遅れで、すべてが終わったかのように感じていた。だが、何かが違っていた。奴隷娼婦となったはずのシェリルが笑っていた。五年前の美しさは変わらず、いや、以前にも増して美しい大人の女性となり、そして強くなっていた。それがこのわずか十歳で、どう見ても女の子にしか見えない美しすぎる少年の起こした奇跡なのだと気付き始めていた。
カローネとサビーネと同席しながら温かく充分な食事を食べ、食後のお茶を楽しんでいると精悍な顔つきの男が近付いてきた。くすんだ金髪に生命力溢れる瞳はきれいな水色だった。商業部の使用人にしては雰囲気が冒険者のそれを彷彿とさせる野性味のある人物だ。




